第193話 箱庭の主

 思い切り頬を殴ったら、そのままもう一度拳を握りしめて腹をぶん殴ろうとしたら神が目の前から消えた。


「酷いな……いきなり殴られるとは思わなかったよ」

「本当に思わなかったのか? 機械天使を送ってこっちに介入してくるぐらいには俺のことを見ていたのに、本当に殴られるなんて思わなかったのか?」

「どうかな? 神に殴りかかるなんて不敬なことをする訳がないと思っていたかもしれないし、もしかしたらこれも未来を視て知っていたかもしれないぞ」


 いや、こいつは俺に殴られる未来なんて見ていない。殴られるかもしれないとは思っていただろうが、周囲の光の球にはこの空間の未来は一つも存在していない。この空間が世界の外側なのか内側なのか知らないが、とにかくこの場所の未来は映し出されていない。神もいきなり殴られることは予想していなかったはずだ。


「私を殺すのかい?」

「いや、殺す気はない……それも知っているはずだが?」

「何でも知っているとは思わないでくれ。私のことを君が神と呼ぶのは勝手だが、本当の神として万能の力を持って世界に干渉できるわけではないんだ。ただ少しだけ、ほんの少しだけ世界に干渉してクラディウスのような怪物を生み出したり、機械天使のようなものをちょっとこの世界で再現して送り込むことぐらいしかできないのだから」


 結構できるじゃねぇか……そして、ルシファーの予想通りクラディウスは神の干渉によって過剰に強くなった存在だったって訳だ。なんのためにそんなことをしたのか知らないが、そんな存在が平然と人類を何度も蹂躙していたなんて無茶苦茶にムカつくことだな。


「なんで、クラディウスを生み出した」

「生み出したのは人間だろう? 私は少し手を加えただけだ……ちょっと不死身にしただけさ」

「だから、なんでそんな怪物を生み出した」

「……私は人間が生きている世界の方が好きなんだ。魔族みたいな頭の中まで強さだけでできているような存在でも、天族のような傲慢で偉そうな存在でもなく、頭が悪くて性格が悪くて勝手に滅んでいくような人間が好きなんだ。だから……人間以外を滅ぼせる力を持たせようと思った」

「結果的に人間が何度も滅びそうになったが?」

「人間が自分の力でクラディウスの滅びから何度も逃れたと、本気で思っているのかい?」


 腐り切ってやがる。

 ルシファーが感じていた通り、こいつは上から眺めて偉そうなことを言っているだけではなく、箱庭の中身を滅茶苦茶に破壊しては楽しんでいる。自分の愉悦の為だけに世界で遊び、多くの命を奪いながら多くの命を生み出している。こいつは神なんかではない……ただの悪魔だ。


「しかし、まさかクラディウスがあそこまで無茶苦茶をやるとは私も思っていなかったんだよ? 精々天族と魔族を滅ぼして、人間によってそのうち滅ぼされるかと思っていたんだけど……君みたいな他世界からやってきた異物が排除してしまうなんて思いもしなかった。そもそも、君は一体どうやってこの世界にやってきたんだ? 皆目見当もつかないのだが」

「さぁな。自分と仲の悪い相手でも思い浮かべてみろ」

「うーん……私にそんな存在はいないのだが」


 こいつ……もしかして他世界にも自分と同等以上の存在がいることに気が付いていないのか? あるいは……もしかしたら他世界のことを正確に把握できるだけの力がないのかもしれない。

 遺跡に文字を残した転移者は、こいつの目に映らなかったのかもしれない。それが転移してきた別の世界の人間だったからなのか、そういう手段を持っていたからなのかは知らないが……こいつ自体は全くそんな存在を認識していない。


「ま、くだらない話はここら辺にしておこう。それで君は、私を殴るためだけにこんなところまで来たのかい? ちなみに君が潜っていた大穴は私が過去に開けたものだけど、この場所に繋がっていることはないはずなんだけどな」


 じゃあ、俺はなにかしらの干渉を受けてここまでやってきたってことか? ルシファーは途中から雰囲気が明らかに変わったと言っていたが、その時に俺は別の神かなんかに移動させられたのか? まぁ……そこの結論はどうでもいい。ただ、俺は目の前の神を何度も殴りたいと思ったから、そうしようとしているだけだ。

 俺が拳を握ったまま突っ立っていると、その背後に神がゆっくりと現れたので、思い切り殴り飛ばしてやった。


「ぐふ……野蛮だね。君はもっと賢い人間だと思っていたんだけど、こんな簡単に暴力を振るうとは思わなかった」

『お前、今までこいつの何を見てきたんだ?』


 おいルシファー、お前もぶん殴るぞ。


『テオドールはもうお前に聞きたいことはなく、ただ殴りたいだけらしいが……私はお前に対して聞きたいことが山ほどある。だからキビキビと全ての質問に答えてもらう』

「断る」

『なに?』


 俺の時とは違い、ルシファーに対しては全く交渉の余地はないと言わんばかりの強硬な態度を見せる神。それに対してルシファーは明らかな怒りの感情を込めながら俺の身体から飛び出してくる。


「貴様……どういうつもりだ?」

「天族のような欠陥種族に喋ることなどない。君たちのような最初から力を持って生まれてきた種族に価値はないと私は考える……精々、人間の力の一部分になっているのがお似合いだと思うよ」

「……そうか、死にたいらしい」

「君が私を殺す? 冗談だろう? 天族如きが私に対してそんな風に歯向かうなんてどれだけ不敬なことかわかっているのか?」


 なんだ……こいつ、いきなり雰囲気が全然変わったぞ。俺と喋っている時は胡散臭いだけのおっさんって感じだったのに、ルシファーと喋り出してから明らかに神らしい威厳に満ちた雰囲気になった。それをルシファーも感じ取っているからこそ、殺すと言いながら手を出せていないのだろう。


「造物主に対して歯向かうことほど愚かなことはないだろう?」

「人間はどうなる」

。他世界に存在していた種族を良いなと思ったからそのまま持ってきただけさ……しかし、天族は違う。私が1から作り上げた存在だからな……だから言っただろう? 造物主に歯向かうなど愚かなことだと」


 人間は、他世界から持ってきた? じゃあこいつは……自分の箱庭にお気に入りの生物を入れてペットのように飼育していただけってことかよ。クラディウスも、子供が好奇心の為だけにバッタを飼っている虫かごの中にカマキリを放り込んだだけ、みたいな感じなのか?

 こいつは……どこまで俺たちを馬鹿にすれば気が済むんだ。

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