第192話 殴る

 さて、あれが大穴だな。


『休憩していかなくていいのか? さっきの爆発で煤だらけだぞ』

「煤ぐらいなら大したことはない」


 機械天使の自爆に巻き込まれたせいで全身が煤だらけになってしまったが、外傷は存在しないのでもうこのままでいいかなって。今はとにかく神を5発ぐらいぶん殴りたい気分だから、自分の身だしなみよりも先に大穴の向こう側が気になってきている。


「よし、7発ぐらいは殴ってやらないと気が済まないな」

『徐々に増えてないか?』


 近づくだけでどんどんヘイトが高まってるからな……介入できる方法があるのにこちらを見下し続ける態度に、機械天使の自爆。心底気に入らない野郎だ……蟲毒のような状態でクラディウスを無理やり成長させたのも神の力があってこそだろう。そうでもなければ、過去の人間が世界を滅ぼせるだけの存在なんて作れるわけがない。あれは明らかになにかしらの超常的な影響を受けていたし、クラディウスに対してそんな影響力を齎すことができる存在なんてこの世界には神しかいないだろう。俺がこの世界にやってきたことも、他の神の悪戯とも言えないような所業によるものだとしても、結局はこの世界の神がそんなことをされるような奴ってことだから間接的にはあいつのせいだ。つまり、俺がこの世界で面倒だなと思いながらも解決しなければならないと思っていたことの殆どがその神とかいうふんぞり返ったこの箱庭の主の仕業な訳だ。絶対に許さないからな。

 半分ぐらいは逆恨みであることは自覚している。


 眼下に広がる大陸の大穴は、クーリア王国の王都よりも広そうに見える。こんな大穴から魔獣が無限に湧いてくるなんて、西側諸国の連中もそれなりに苦労しているんだな……だからって他国に侵略戦争仕掛けてくるのはカスだと思うが。


「よし、行こう」


 ここでグダグダしていてもなにも解決しないし、なによりさっさと片付けてエリッサ姫に無事を知らせないといけない。

 大穴に向かって高速で空中を疾走する。遥か上空から眺めていても底が全く見えないように見えるが、あの先に本当に神が存在しているのだろうか。いや、あそこ以外にいなかったら俺はお手上げ状態なんだが……神が俺に対して機械天使を投入して妨害してきたということは絶対にあそこにいると思うんだが。


「……本当に魔獣が湧いてるんだな」

『しかもただの魔獣ではない。黒くて禍々しい……向こうの大陸では見たこともないような種類だな』


 大穴の付近にはドロドロとしたヘドロのようなものを全身からあふれ出している、四足歩行の気持ち悪い魔獣がうようよ歩いていた。空中を疾走する俺には関係ないことだが、あんな気持ち悪い魔獣は見たことがないので、ここら辺の固有種だろう。あるいは……この大穴の底から本当に這い出てきたのか。


『危ないっ!』

「うおっ!?」


 大穴に突入して数秒すると、穴の中から光の柱のようなものがこちらに向かって飛んできた。ルシファーの声に反応して咄嗟に避けたが、明らかにこちらを狙って放たれた光は、俺を攻撃しようとしていた。向こう側にいる神がやったのかと思ったが、その直後には穴の中から巨大な竜のような魔獣が翼をはためかせながら俺の横を通り抜けて外に出ていった。


「……あれも、西側諸国でよくみられる魔獣なのかな」

『いや、あの力を持っている奴が頻繁に出て言ったら人間なんてとっくに滅びていると思うぞ』

「てことは、やっぱり俺が穴に近づいたことで生まれちゃったとかなのかな。そうだとしたら流石に西側諸国の人たちに申し訳ないと思うな」


 西側諸国が侵略戦争を仕掛けてくることは割とクソだと思うけど、だからってそこに住んでいる人の全員がクズって訳でもないだろうから、やっぱりちょっとした罪悪感はある。まぁ……自分が住んでいる国じゃないからそこまで強い罪悪感を抱いたりはしないんだけども。

 竜が俺の横を通り過ぎてから数十秒、ひたすらに下に向かって飛び続けているが……全く底が見えてこない。マジでこの穴はどこまで続いているのだろうかと背後を振り返ったら、地上の光は既に見えないところまで来ていた。


『おい……ここはどこだ?』

「どこって、穴の中だろ」

『いや、明らかに雰囲気が変わったぞ。そもそもさっきから進んでいるのかどうかもわからないような……なんだ、この悍ましい空間は』


 悍ましいって……そんなこと言われても俺は何も感じていないんだけどな。

 ルシファーに言われたのでその場で停止してしばらく周囲を観察していたら……どっちが上でどっちが下かわからなくなってしまった。完全な暗黒の空間では上下左右の感覚なんて掴めないし、マジで俺たちがどこを飛んでいたのかわからない。


「止まらない方がよかったかな」

『すまない』

「いや、そもそもここは──」


 どこなんだ、と再び口にしようとしたら……それよりも早く周囲が明るく照らされた。しかし、太陽のような明るさではなく……それは真夜中に光のない場所で星空を眺めるような光の強さだった。いや……星空のような明るさではなく、マジで……星空なのか?


「……宇宙に飛び出した?」

『馬鹿な。お前は地下に向かって飛んでいたんだろう?』

「いや、でもここは確かに宇宙で……なんで呼吸ができるんだ? そもそも、大気圏から飛び出したなら俺が飛び出してきた星は何処に……」


 ゆっくりと周囲を見渡していると……腰にぶら下げていた正典ティマイオスが急に反応し始めた。何が起きているのか確かめるために正典ティマイオスを握りしめると……周囲にあった星々の光が急に強くなり、頭に大量の情報が流れ込んでくる。


「くっ!? こ、これは……星々じゃなくて、宇宙なのかっ!?」

『わかるように言え!』

「こ、この光一つ一つが、多次元の宇宙……つまり平行世界なんだよ! 俺たちは穴を飛んでいるつもりが、いつの間にかワームホールでも通ってたのか!?」

「それは少し違う」


 困惑する俺とルシファーの言葉を否定したのは、偉そうな声。


「お前はワームホールを通ったのではなく、世界の外側に飛び出しただけだ。見えている光も多次元の宇宙ではなく、お前がいた世界の過去と未来だ」

「声だけ聞こえて来るぞ」

『こいつが神か?』

「多分な」


 見えているのが未来と過去だと? 半信半疑で近くにあった光の球に触れると、そこにはエリクシラとなにか言い争っている俺の姿が映し出されていた。


「これ……先月の、じゃないか?」

『あぁ……確かに、これはお前が先月にエリクシラの機嫌を損ねた時のものだ』


 マジで、未来と過去があるのか?

 球を片手に呆然としている俺の目の前に、赤いマントをひらひらと揺らしながら現れた髭の生えた偉そうなおっさんが降り立つ。


「初めまして。私に名前はない……君は神と、呼んでいたがな」

「お前が、神?」


 気障なポーズを決めながらちょっと格好つけながら自分を神だと名乗った男。俺は数秒間そいつと見つめ合ってから……思い切り頬を殴った。

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