第23話
「奴の死体は、近くの廃屋の床に埋めた。それからわしは屋敷を売って、その廃屋を買い取ったんじゃ。すると、毒を飲んで麻痺した連中が次々に運びこまれた。笑っちまうじゃろ、奴らは娘にした事も忘れ、わしに助けを請うてきた。当然、わしゃ診療所に運んでやったよ。セシレアを殺した連中の哀れな姿を、せめてもの慰めにする為にな」
ため息を吐いて、彼は再び私を見つめた。
何時もと変わらぬ、あの優しい顔で。
「じゃがそれからも、セシレアが嘆いている声が毎晩聞こえてきてな。わしは、流離い人が来る度に彼らを匿い、その代わりに井戸に薬を撒いてもらった。勿論、消毒と言ってな。流離人には、二度と街には戻らないと言う約束でな。すると奴らは、また診療所に水を飲んだ病人を運んで来る。おもしろうてならんかった。近頃は町の連中も用心して、流離い人が現れた日は井戸の水を飲まんし、調べたりするもんだがら、今回は少しずらしてやったんだが。お嬢ちゃんは勘がいいのでな、今回だけわしが入れた」
「ご老人、あなたは、自分のしている事が分かってるのですか?」
私は、ご老人の目の奥にある虚ろな光を感じながら尋ねた。
彼は、狂っているのかもしれない。いや、狂っていると思いたいのかも。狂ってなければ、出来ない事だ。
カ-テスは、横で無言のまま聞いている。
ただ指に触れる彼の温もりだけが、今の私にとって唯一の救いだった。
「お嬢ちゃん、わしは狂ってなどおらんよ。孫娘の仇を取る為の方法が、他に浮かばんかっただけじゃ。勿論、分かっておる。罪のない人間にまで薬を盛った。じゃが、セシレアだって何の罪もない。そうじゃろ?」
私は、思わずカ-テスの手を握りしめた。強く握って、気持ちを落ちつかせる。
そして、言った。
「あなたが、あなたがセシレアを許していれば、彼女は死ななかったのです。彼女は、誰よりもあなたの理解を求め、救いを求めていた筈なのですから。あなたはきっと、彼女の苦しみを彼女が死んでから初めて気付いたのではないですか?けれど、それを全て他人のせいにする事で、罪の意識から逃れようとしているだけです。本当は、あなた自身が一番よく分かっている事なのに」
そうだ、彼も私と同じだ。
大切な物が目の前にある時は、何も見えてはいない。けれど失った時、初めてそれがどんなに大切であったかに気付く。
私は、本当に無知な姫君だった。
王位や、城や、大勢の家来達、そんな表面的なものにしか目がいかなかった。
きっともっと良く注意していれば、城の中にあった様々な憂いに、すぐに気が付いた筈だったのに。
私が権威というものに目を眩ませていなければ、母だってあれほど大きな野心は抱かなかっただろう。
そして、あんな姿にはならずに済んだ筈。
「わしゃ、分からんよ。無駄に歳ばかり取っちまったでな。まあ、お嬢ちゃんの言いたい事は、分かるがの。じゃが、もう遅いわい。わしゃ、こうするしかセシレアに償う方法を思いつかなんだ。わしが鬼になって、地獄に落ちようとも、セシレアが喜んでさえくれればそれでええんじゃ」
「セシレアさんが、喜ぶ筈ないじゃないですか!」
突然、横からカ-テスが叫ぶ。
「セシレアさんは、あなたを愛していんたんだ。だから、反対を押し切って駆け落ちする事も出来ず、最後に死を選んでしまったんです。そりゃ、酷い仕打ちを受けたけど、彼女は他人を恨むような人ではなかった。そうでしょ」
「そうじゃ、あの子は誰も恨んでおらんかった。じゃが、苦しんでおった。その苦しみは、どうなるんじゃ?わしを愛しておるなら、死んではいかんのじゃ。わしを残して死ぬ程思い詰めたんじゃとしたら、そこまで追い詰めたのは町の連中じゃろうが」
「だからと言って、あなたが報復しても、セシリアさんが生き返る訳じゃない!あなたはただ、あなたの人生を無駄にしただけなんです。そして、多くの人の人生までも!」
ご老人は、ふと肩を落として、黙り込んだ。
まるで、更に歳を取ったような表情だった。
「若いの、何度も言うが、お前さんには分からんわい。お前さんは、わしではないからの。もしお前さんが目の前で、お嬢ちゃんを殺されたら、そんな事が言えるかの。何も知らない癖に、綺麗毎を並びたてても駄目じゃ」
「綺麗毎だなんて、そんな・・・・・。僕は、ただあなたの行為が、納得出来ないだけです。報復する事でしか返せないなんて、悲し過ぎるじゃないですか!」
ぎゅっと、カ-テスの手にも力が籠もる。
声が、微かに震えていた。
それを堪えるように、彼は言葉を続ける。
「僕は、あなたが好きだ。でも、あなたのした事は許せない。あなたは医者だ、それなのに救うのではなく、奪う方を選んだ。あなたは、間違った方法を選んだんだ!」
カ-テスの悲しみが、私の心までも覆い尽くす。
ひどくやるせなくてもどかしい思い。
これほどまでに叫んでも、老人の胸には届かないのだ。
「元々、誰かに許して貰おうなんぞ、考えてはおらんわい」
全てが無駄だと言わんばかりに、老人は笑った。
虚ろな、虚ろな笑い。
孫娘に対する深すぎる愛情と、恨みを晴らそうとする頑な思いだけが、この老人を生かしているのかもしれない。
「もう、止めませんか?」
私は、ぽつりと言った。
「人を恨んだり、憎んだりするのは、とても辛い事です。あなただって、そう思っているのではないですか?だから、町の人を殺すまでは出来なかった。どんな姿であろうと生きていて欲しかった、そう思うからこそ、あなたは殺せなかったのでは?」
「・・・・お嬢ちゃん、それは買いかぶりじゃ。わしは、もう心の底まで鬼じゃからな。じゃが、まあ、わしゃ、きっともう何も出来んじゃろう。次のさすらい人が来るまで、命が持つかどうか・・・・・。質の悪い病に冒されておるのでな、もうじき死ぬじゃろう」
老人が、遥か上にある雲の波間を見上げて呟く。
彼の白みがかった瞳は、まるでそこに最愛の者が居るとでも言うように、強く何かを求めてきらめいていた。
私は、はっと胸を突かれるような思いがした。
違う、そうではなかったのだ。
彼は、それが出来なかったのではない。恐らく、しなかったのだ。
まさか。
全て、その時のために用意されていたと言うのか?
腑に落ちると同時に、押し寄せる悲しみ。
そして恐怖。
そうだったのた。
死を目前に控えたこのご老人は、僅かに残った時間を、復讐だけの為に使っただけなのだ。
・・・・なんと、哀しい事か。
「そうなのですね」
私は、苦い思いで呟いた。
「私は、思い違いをしていたようです。あなたが、自らの手で不幸にした人達の面倒を見続けていたのは、それがあなたなりの償いであるのだろうと。復讐と罪悪感の中で、迷っているのだと思っていました。でも、違うのですね。あなたが死ねば、診療所で横たわっている人々は行き場を失う。あなたは、その事でみなが嘆き悲しむ様を期待しているのです。そしてきっと、あなたは自分が死んだ時、全ての原因があなたであった事を、何らかの方法で知らせようと思っている。町の人達は、ずっと頼ってきたあなたが元凶だと知れば、ショックと怒りを感じるでしょう。あなたの復讐は、町の人々を裏切る事で初めて達成されるのではないですか?」
その為に彼は、殺すのではなく生かし、世話を続けてきた。
毎日毎日、病人達の為だけに人生を捧げてきたのは、最後のその瞬間の為だったのだ。
倒れた者を運んで来た男達は、誰一人として彼を疑ってはいなかった。
それだけ、彼は皆に尽くして来たのだろう。信頼し、感謝し、慕ってきた者が、実は彼らを苦しめてきた張本人だった。その事実を、町の人達は彼が死んでから知る。
そして、同時に、多くの人々の行き場も失われる。
ショックと怒りを感じても、責めるべき相手はもうこの世にいない。
これほどに、残酷な復讐があるだろうか。
私は、この温和なご老人の中に秘められた妄執の深さに、今更ながら気付かされた。
もはや、何を言っても無駄かもしれない。彼の本当の復讐は、もうすぐ間近にあるのだから。
「わしが死ぬ時は、診療所の奴等も死ぬ時じゃ。わしの病はな、毒を飲んだ連中と同じものさ。連中に飲ませる度に、わしも少しづつ薬を飲んだ。町の者が飲んだ薬と、同じものをな。奴らとは違って、ゆっくりゆっくり冒されていくように。おまえさん達が去ったら、今回の分を飲もうと思っておる。元気そうに見えるかもしれんが、わしゃもうボロボロじゃ。もしかしたら、それで終わりかもしれん。わしが倒れれば、すぐに公安は調べるじゃろう。公安が調べれば、わしが犯人じゃと分かる筈じゃ。地下の隠し部屋にある、大量の薬品もな」
ご老人は満足気に微笑んで、こう言った。
「この町には、わし以外に救えるものらおらん。じゃから、終わりじゃ」
「・・・・そんな事を聞いて、僕等が黙っていると思うのですか!」
カ-テスが、老人の腕を掴んで叫んだ。
ふしくれだった彼の手から、杖が離れて転がる。やや体制を崩しながらも、老人は立ったままカ-テスの顔を仰ぎ見た。
「お前さん達には、何も出来んよ。間もなく、町の連中がやって来る。手に手に武器を持って、流離い人を殴り殺しにな」
「何だって!?」
カ-テスが、慌てて後ろを振り返った。
墓地は相変わらず静かで、何の変化も見当たらない。しかし、老人の異様に輝いている瞳が、それが事実である事を物語っていた。
「ババア達に頼んで、お前達をここに来させるようにしたのは、その為じゃ。ババア達も、何時までもお前さんを達を置いておくのには反対じゃったからな」
「・・・・・そんな」
言葉を無くしたカ-テスに微笑んでから、老人は私の方へ視線を向けた。
「わしは、やめるつもりはないぞ。年寄りは、頑固なもんじゃ。が、お前さんは幾らでもやり直せる。流離い人なんぞやめる事だ」
穏やかな、まるで全てを承知している賢者のような顔で、ご老人は言った。
私は、一度口を開いて閉じ、奥歯をぎゅっと噛みしめた。
その根元から、言葉を絞り出す。
「・・・・あなたは、狡い人です。きっと、僅かに残った良心を満足させる為、私達を引き止め、真相を話したのでしょ?何の関係もない私達に、あなたの苦しみを残して行こうとする。あなたは、狡い人だ。それなのに、私にはそんな事を言う」
「わしは、鬼じゃ。鬼の苦しみなんぞ、残さなくてもいい」
「お婆さん達は、どうするのですか?あなたを愛し、あなたが止まってくれる事を望んでいる筈です」
「ババア達も、わしが鬼じゃと知っておる。そして、鬼である事を止められんのもな。それでも、わしを思うてくれる。じゃからわしは、最後まで鬼であり続けれるんじゃ」
老人はそう言うと、私の髪を一房摘まみ上げ、祈るような仕種をして離した。
儀式の終わりでも告げるように。
彼の手から、銀の髪がさらさらと零れる。
「スティファ、この世に愛されぬ娘は一人もおらん。お前さんを思う者は、お前さんが知っているより多く居る筈じゃ。わしのような鬼を作らんよう、お前さんは生きつづけなければならん。全部受け入れろ。そして、流離い人などすぐに止めた方がいい」
「あなたは、狡い」
私は、再び呟いた。
愛してくれる者の存在を知りながら、罪を侵し、鬼であり続けようとする。
私達が、彼を好きであった事も、彼は知っているのだ。
老婆達が彼を愛し、町の者達が本当に彼を慕っている事も。
なのに、セシレアだけへの愛の為に、彼は鬼であり続ける。みなを、苦しみさせ続けようとする。
狂っている訳でもない。理性や常識を保ち続けならが、彼は悟ったように罪を犯すのだ。
「お願いです、止めて下さい。鬼になど、ならないで下さい」
どんな言葉も、この老人には通用しない。
分かっていても、私は震える声で懇願した。
この優しい老人が、罪もない町人を、ただ過去の復讐の為だけに苦しめるなど、私には耐えられなかった。
胸が苦しい。
「無駄じゃよ。わしゃ、もう鬼じゃ。はよう行け、ここにおったら、お前さん達まで傷つける事になる。風に逆らってはいかん、そうじゃろ?」
遠くで、誰かの叫び声が聞こえた。
ざっざっざっと、大地を踏みしめる足音。
ご老人の言った通り、強い逆風が吹き荒れる方から、町の連中がここへやって来たのだ。
「ステファ様・・・」
カ-テスが、無念の表情で私の腕を引く。
もう、駄目だ。これ以上は、留まれない。
そう思った私は、やりきれない思いのまま、仕方なくご老人に背を向けた。
「奥に町の外に続く道がある。奴らはお前さん達が町を出るまで、追いかけて来るじゃろうから、とにかく走り続けるがいい。今なら、追いつかれる事なく町を出れるじゃろうて」
後から、老人の声が追って来る。
「お嬢ちゃん、すまんかったな。セシレアによう似ておったので、つい引き止めてしもうた。孫娘が帰って来たような気がして、嬉しかった。じゃが、それだけは後悔しておるよ。わしゃ、お前さん達を引き止めるべきじゃなかった。そうすればわしは、お前さん達に話してしまおう、などとは思わなんだ。わしを止められんかったのは、お前さん達のせいじゃない」
私は、振り返らなかった。
言葉を振り切るように、ご老人への思いを振り切るように、強く大地を蹴って走りだした。
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