第22話

 私達は、診療所を出ると、古びた家々の間を、風に逆らってひたすら西に進んだ。

 小さな空き地を越え、橋を越え、並木道を越えた先の、風の吹き荒れる場所にその墓地はあった。


 風に花びらを吹き飛ばされた花のア-チをくぐり抜け、立ち並ぶ墓石の間を抜ける。

 その奥、一番端の片隅にあるやや新しめの墓石。その前に、あのご老人は佇んでいた。

 彼は虚ろな微笑みを浮かべ、墓石に向かって何か話しかけている様子だった。

 私達は、静かに歩み寄って彼の隣に立った。


 「セシレア、もう少しじゃよ」

 私達の姿に気付いても、まだ老人は墓に向かって喋っていた。

 「もう、六年にもなるわ。お前が行ってしもうてから。その間、わしゃやり続けた。じゃが、そろそろ終わりじゃ。もうすぐじゃ」

 「お爺さん・・・・」

 カ-テスが、躊躇いがちに声をかける。けれどご老人は、顔を墓石に向けたままだった。


 「八十八人じゃ、今日倒れた者を入れて」

 「何の話しをしているんですか?」

 感情を押し殺した声で、カ-テスが言う。

 私は、黙ったままご老人の横顔を見つめていた。

 「ほう、分からんかね」

 お爺さんが、のんびりした調子で尋ねる。

 「今日、お前さん達も見たじゃろ。運ばれて来た、被害者達を。婆さん達からも、聞いた筈じゃ。だから、風に逆らってここまで来たんじゃろ、お嬢ちゃん」

 私はぎょっとして、目を見開いた。

 風の話しを、彼にした覚えはない。なのに、何故彼は知っているのだろう?


 「ほっほっほっ、わしには分かっておったよ。お前さん達は、風に運ばれて来たんじゃとな。お嬢ちゃんは、逆風を嫌っておったからの。お嬢ちゃんが知っているかは知らんが、セイラスでは、逆風は鬼を呼ぶと言い伝えられ、昔は忌まわしいものと思われておった。あの流離い人が来た時も、娘が死んだ時も、風は逆さに吹いておった」


 鬼を運ぶ、風?

 その言葉に、背筋がぞくりと冷たくなる。

 私は、そんな言い伝えなど知らなかったが、もしかしたらフィドは、知っていたのかもしれない。だから、私に風に逆らうなと言ったのか?

 しかし、それは単なる言い伝え。私が呼ぶ、不幸とは違う。


 「お前さん達は、風が流れる方から来た。じゃからわしは、引き止めた」

 「・・・・・何の、話しをしているのですか?」

 堅い表情で、カ-テスが言葉を挟む。

 「風は、知っておるのじゃよ。鬼が、何処におるのかを。風と共に行くお前さん達ならば、よう分かっておるはずじゃ」

 「あなたが・・・・・、原因なんですね」

 私は、苦痛を堪えて呟いた。


 もう、カ-テスも、気付いているかもしれない。けれど彼は、何時も僅かな望みの方を選ぶ。

 「・・・・そんな。本当なんですか?」

 信じたくない、そんな感じてカ-テスが言った。

 老人は、無言だった。けれど、否定はしない。その沈黙こそが、肯定であった。


 「何故です!何故、そんな恐ろしい事を!」

 「若いの、お前さんには分からんわい。大事な孫娘を奪われた気持ちはな」

 お爺さんは、目を閉じて小さく笑った。

 カ-テスが、ショックを隠しきれない様子で首を振る。


 「お婆さん達は、言ってました。この騒ぎを起こしているのは、流離い人だと。でも、嘘ですね。お婆さん達は、あなたをかばっているのでしょう。けれど、町の人達は本気でそう信じています。何故ですか?」

 私は、努めて冷静さを保ち、ご老人に尋ねた。

 それだけが、不思議だったのだ。娘を失った彼を、何故誰も疑わないのか。当然、町の者達は彼の孫の事も知っていだろうし、こんな事が起こってしまったのは何が原因だったか、知っていた筈なのに。


 「わしはあの日、町にはおらんかった。今は閉鎖されておるが、炭鉱の方でちっとした事故があってな、ずっとつきっきりで手当てしておった。証人は、沢山おる。だから、町の者もわしを疑ってはおらんのじゃ」

 カ-テスは、驚いたように目を見開いた。

 一瞬だが、その顔に期待の色がのぞく。

 そんな彼が痛ましく、また羨ましくもあった。


 けれど、私は期待しない。何故ならば、多くの人間を麻痺させるような薬物を、流離い人が簡単に手に入れられるとは思えないからだ。

 私は、薬の知識などないので、それがどんなものかなど分からない。

 ただ言える事は、どこの薬屋でも、流離い人に薬なんか売りはしないと言う事。

 それも、町の人間に顔を知られているような男だ。変装したとしても、すぐに足がついてしまうだろう。


 では、違う町で買ったのか?

 そんな時間は無い。セシレアが自殺した次の日に、それは起きたのだ。隣町に行って帰るまでに、サデスの町ならまる二日はかかってしまう。

 彼が町に居なかったのだとしたら、その時薬を蒔いたのは、流離い人だったかもしれない。しかし、もし流離い人が犯人ならば、誰かが彼に薬を渡したとしか考えられない訳だ。


 当然、渡したのはこの老人だろう。


 「あなたは何故、彼に薬を渡したのですか?」

 私は、単刀直入に質問した。

 流離い人が恐らく一番憎んでいたのは、彼だっただろう。そして、彼が一番憎んでいたのも、恐らくその流離い人だったろう。

 お互いの存在がなければ、セシレアは死なずにすんだのだから。


 けれど、彼は流離い人に薬を渡した。もしかしたら、その薬を自分が盛られるとも限らないのに。

 ご老人は、しばらく無言だった。

 が、やがて目を開いて、穏やかに言った。


 「お嬢ちゃん、あの男は知らなかったんじゃよ。セシレアが死んだ事はな」

 「どういう事ですか?」

 カ-テスが、ぎょっとして尋ねる。

 ご老人は微かな笑みを漏らすと、一歩前に出て墓石にそっと手を触れた。

 「娘が死んだ次の日、わしは隣町まで薬を買い付けに行った。そこで、あの男に会ったんじゃ。そして、有ろうことかそいつは、自分のような流離い人が普通の女性を愛してしまった事は間違いじゃったと、そんな事を言いよった」

 滑らかな石の表面を、ご老人の皺だらけの手がなぞる。


 「自分の事など忘れて、どうか幸せになってくれと、そう伝えて欲しいと・・・・。あの男は、そう言った。幸せになど、なれる訳がないのに」

 ご老人の手が止まり、拳を握る。顔に表情は無かったが、その手は小刻みに震えていた。


 「許せるものか、わしの大事な孫娘を殺しておいて、自分は何も知らず、去ってしまおうとする男を何故許せる?あの男が土下座して、孫娘をくれと言ったのなら、死んだ事くらい教えてやろうと思った。じゃが、やつはあっさりと諦めよったんじゃ。そんな事じゃ、死んだあの子が浮かばれんわ」

 抑え切れぬ怒りが、拳の中で爆発する。

 彼は強く墓石を叩くと、憤怒の表情で私を振り返った。


 「あの子を殺したのは、あの男と町の連中じゃ。わしは奴には何も教えず、頼み事だけした。わしは明日炭鉱に出掛けるから、時間になったら町外れの井戸に薬を入れて欲しいとな。勿論、毒だとは言わなかった。最近流行り病が流行っておるので、予防の為の消毒液じゃと説明した。町の外れだから、人に出会う事もないし、もし悪いという気持ちがあるなら、孫の為にそれくらいの事はしてくれてもいいじゃろう、と頼んだ。奴はそれを信じて、わしの頼みを聞いてくれたんじゃ」

 「・・・・でも、それは有害なものだった。当然、彼も後で気付いた筈です」

 私は、ご老人の顔を真っ直ぐ見つめた。

 胸の痛みを堪え、強く手を握りしめる。そんな私を労るように、カ-テスの手がそっと添えられた。


 「そうじゃ、奴は薬を入れた後、二、三日してその騒ぎを知った。馬鹿な男じゃ、そのまま逃げればいいものを、危険を承知で深夜にわしの家にやって来よった。そして、わしが扉を開けると、駆け込んで来て罵りおった」

 憤怒の表情だったご老人の顔が、再び穏やかなものへと戻る。


 「じゃから、教えてやったんじゃよ。孫は死んだとな。わしはふと、あの男を捕まえて、町の連中に渡してなぶり殺しにさせようと思った。じゃが、こんな老人が若い男を取り押さえられる訳がない。逆に抑えつけられて、首を締められた。そこに、ババアどもが丁度来てくれてな。椅子で後ろからガツンと殴りつけたら、死んじまった」

 ご老人は軽く笑って、杖でとんとんと地面を叩いた。

 トントン、トントン、何かの儀式のように、地面を叩き続ける。

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