第11話
「フェミア!」
その声で、はっと我に返った。
セリュウは、叫んだと同時に、怯んだカーテスを狙い一気に刃を振り下ろしていた。
瞳孔が開き、口の端から涎を滴らせながら、殺すという信念だけに、それをカーテスの肩へと食い込ませる。
「カーテス!」
思わず、彼の方へ駆け寄ろうとした。
が、やはり彼も聖騎士だった。咄嗟に身を引いて、致命傷になるのを防ぐ。
マントが破れ血が流れ出していたが、それでも苦痛をはね飛ばし、カーテスは手にした剣を横に軽やかに流した。
瞬時の判断だ。日頃の訓練で身についていたものが、己の危機の際に自然と現れたのだろう。
その攻撃は、確実にセリュウの力を奪った。彼は深く切られた腕を押さえ、もんどりうって倒れ込む。
「セリュウ!」
フェミアが、真っ青な顔ですぐさま彼の許に駆け寄った。
平和な国で育った聖騎士は、生まれて初めて人を傷つけたのだろうか?私は、茫然と血の滴る剣を眺めているカーテスを押し退け、フェミアとセリュウの方へ足を踏み出した。
きっと、鋭く私を睨むフェミア。綺麗な目だ、しかしセリュウと同じで病んでいる。
「どうして?どうして、そっとしておいてくれないのよ!あたし達は、何時だってそれを願っているのに。みんな、余計な事ばかりしてあたし達を追い詰める。放っておいてくれたのなら、あたし達は幸せだったのよ!」
「・・・・あなたは、あなたが愛するたった一人の為、あなたを愛した多くの命を奪われるままにしてしまいました。あなたの両親や友人、そしてあなた達を心配した人々、それが通り魔に殺された人達ですね。通り魔の正体は、あなたを自分一人のものにしようとした、心の病んだ青年でした。通り魔が出るようになったのは、確か三年くらい前からだと聞きます。恐らく、その頃にあなたはこの人と出会った。・・・・・・違いますか?」
セリュウやフェミアが今まで疑われなかったのは、彼らが遺族であり、親しき者であり、余りにも若く、可愛らしく、善良で健気だったからだ。
まさかそんな彼らが、こんな無作為的で、信じられないような惨殺を繰り返す犯人だとは、誰も想像出来なかっただろう。
都市とは違い地方の保安局は、町の中に溶け込んでいるものだ。恐らく彼らの中にも、この陽気で明るい若者を、幼い頃からこの町で暮らす親しき住民を、殺人鬼だとは思いたくない気持ちが少なからずあったのではないだろうか。
フェミアは、私を睨んだまま何も言わなかった。全てを拒絶する冷たい瞳に出合って、胸が強く締めつけられる。
私はそれから逃れるように、カーテスの方へ視線を移した。彼は、今にも泣きそうな表情で、歯車が狂ってしまった恋人達を見つめている。
・・・・・・カーテス、あなたには分かりますか?
心優しき聖騎士に向かって、心の中で呟いた。
あなたはいとも簡単に人を愛し、それを素直に表現出来る。瞳には闇が無く、心は日溜まりのように温かい。
しかし私は、どんなに愛していても、それを表現する方法を知らない。
それが、あなたと私の違いです。だから私は、あなたを余計に嫌った。私には出来ない事を、平然としてしまうあなたを・・・・・。
私はきっと、自分の思いとは逆に流れていく運命。それならば、いっそ流れに身を任せてしまった方がいい。
風と共に行けば、誰も不幸にせずに済むと言うのなら・・・・・。
私は苦い笑みを浮かべ、己の剣を握りしめた。
これからしようとしている事の残酷さは、自分でもよく分かっている。
しかし、風に逆らったからには、無視する訳にはいかなかった。
・・・・・・風よ、お前が呼び寄せた不幸なら、今だけは私の思うままにさせて欲しい。
このまま放っておいて、彼らに無意味な殺生を続けさせたくはないのだ。
お前が裁くのか?母親と同じように?
不意に耳元で、そんな声が聞こえる。
違う、裁くのではない。私に、裁ける訳が無いではないか。ただ、決着をつけたいだけだ。
私は最初、他人にそれを押しつけようとした。過去の苦しみが、そうさせた。
しかし、それは間違いだ。カーテスにそんな事が出来る訳がない。フェミアにも、きっと無理だろう。
ならば、私がやるまで・・・・・。
ゆっくりと、恋人達の方へ近づく。
「いやっ、来ないで!」
フェミアが叫んだ。
反射的に、倒れていた筈のセリュウが、ぴくりと動いた。
開いた傷口から血が流れ、彼の作業服をどんどん汚していく。それでも彼は身を起こし全身でフェミアを庇った。
私はそんな彼の前に片膝をついて、輝く剣先を突きつける。
今にも崩れそうな、その胸に向かって。
「セリュウ、あなたは本当にフェミアを愛しているのですか?本当に愛しているのなら何故その命を奪おうとするのです?」
セリュウが、ぎらぎらした目を私に向けた。
喉から絞り出したような唸り声をあげ、フードから零れた私の髪を、血まみれの指でぐいっとつかんだ。
「・・・・フェミアに触るな。フェミアを傷つける奴は、・・・・俺が殺す」
深手を負っているというのに、凄い力だ。引きちぎられそうな痛みに、思わず顔をしかめる。
だが、尚も言葉を続けた。
「あなたがした事で、フェミアは苦しんでいます。フェミアは、きっとあなたの為に死ぬでしょう。あなたが、フェミアを殺すのです」
「・・・・俺が、・・・・フェミアを?」
髪をつかんでいたセリュウの手から、僅かに力が抜けた。
私は頷いて、はっきりと告げる。
「そうです。フェミアを一番傷つけているのは、あなたなのです」
瞬間、フェミアの瞳に憎悪が宿った。悪鬼を見るが如く私を仰いで、ぎりっと歯を食いしばる。
逆にセリュウからは、凶暴な光が徐々に薄れていった。
彼は髪から指を振りほどき、フェミアの方を振り返る。そして、困惑する子供のように愛している娘の顔を見つめた。
「・・・・・俺が、フェミアを傷つけているのか?」
茫然と呟く。
「俺が、フェミアを?」
不意に、がくっと彼の体から力が抜けた。倒れ込んだ体を、素早くフェミアが抱き抱える。
「違うわ!違うわ、セリュウ。私は平気よ、あなたがいればそれでいいの」
フェミアの瞳から、とめどもなく流れ落ちる滴。その滴は、愛しそうに恋人を見つめる若者の顔に、転々と跡を残した。
「・・・・・・そうか、そうだったんだな」
やっと理解した。そんな感じで、セリュウは優しい笑みを浮かべた。
それは、奇跡だったのかもしれない。
狂った殺人鬼が、全てを理解したのだから。
何故フェミアが辛そうなのか、何故笑っているのに哀しそうに見えるのか。
彼女からどんなに哀しみを奪っても、彼女は全然嬉しそうじゃない。それどころか、何時もその忌まわしい哀しみを抱えて泣いている。
私には、彼の気持ちが分かった。
彼は、知ったのだ。その哀しみの正体が、自分自身であった事を。
狂人が、長い眠りから目覚める。その時、彼は夢からも覚めた。しかしそれは、同時に悲劇でもあった。
何故なら彼は、微笑みながら私の手をつかんで、その刃を己の胸に突き刺したのだから。
彼は血を吐いて、細い目に世界を見いだそうとした。彼の世界、それはフェミアだ。
フェミアの口から、凄まじい絶叫が迸った。
「いやあああああぁぁぁぁっ!セリュウ!!」
やがて目を閉じて色を無くした彼の命に、フェミアは泣き崩れて自分を求める。しかし彼は答えない。もうそこに、二人だけの世界は無かった。
残されたのは、彼の口元に浮かんだ僅かな笑みだけ。それは、フェミアを奪おうとする哀しみから、彼女を守り通せたという喜びなのだろう。
鋭い痛みが、胸の中にまた蓄積された。それは、風に逆らったせい。私は、風の報いを受けた。
泣きじゃくるフェミアを残し、そっとその場から動きだす。カーテスは何か言いたそうな顔をしていたが、痛む傷を押さえながら黙って私に付いて来た。
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