第五章・宮田咲月
第63話
「ミケ!」
叫んだ頃には、手遅れだった。
さっきまでは急所からは少しずれた肩の部分に傷があったが、今度は正真正銘首の大動脈を、元々の愛猫の牙が切り裂いていた。
「ィャァ……」
弱々しい声が脳内でハウリングする。私は思わず駆け出しそうになって、腕を引かれて止められた。
黒猫、イエローアーモンドアイ、私の元々の愛猫サラが長い牙を首から引き抜く。
次の瞬間、首から血が太い二本の柱のように勢いよく吹き出してきた。身体中の血を吐き出してしまう前に、ミケはぽてん、とあっけなく倒れた。
「……ミケ」
猫が殺される生の姿を初めて見てしまったのは大きかった。
彼は倒れてしまったミケのそばに何かを置いた。
「ブチ!」
だが、それはブチでは無かった。首から上が乱暴に引き千切られ、腹がえぐり出されているブチ猫。
続いて彼はドアの近くからも何かを持ってきて、ブチの首があった部分に置いた。
それはブチの、首だった。
「……そんな」
とうとう、残りは二匹だけ。十一月十一日の夜に初めてシャムがいなくなってから十日で、五匹の猫が命を絶たれたのだ。
彼らはまだまだ純粋な子供で、新しい家庭をワクワクしながら待っていたのに。
猫じゃらしを懸命に叩くみんな、光線を追いかけるみんな、おやつをもらえなくて拗ねてるみんな。
「……ああ゛、ヒク、ヒクッ」
もう、涙は出なかった。これまでに出しすぎた。あまりにも悲惨な光景で。代わりに白目がピリッと痛かった。富岡に、目から血が出てる、と言われた。
鼻からはサラサラした液体が漏れていた。鉄を舐めた味がした。
「……なんで?」
私はポツンと漏らした。同心円状に声が反響していく。
「なんで、サラは……ねぇサラ、どうしたの? ねぇ?」
身体を震わせながら掠れた視界の照準を黒い生き物に合わせる。イエローアーモンドアイはミケの腹に顔を突っ込み、何かを探していた。そして、何かを取り出して食べ始めた。
――やっぱり、あの時食べちゃったのが膵臓だったんだ。
おばあちゃんになっていたサラがなぜか家の外にいて、シャム猫の腹を漁っていた時。あれと同じような色と形のものを今、イエローアーモンドアイは貪り食っている。
「サラ、なんで? 私のせいでバイクに轢かれちゃったけど、でもそれでも私言ったでしょ? サラは良い子だから優しい子だから天国でもずっとずっとみんなを幸せにしてねって一生私のサラだからね今まで本当ありがとうこれからもよろしくみんなサラのおかげで幸せだったよって抜け殻になっちゃったサラに懸命に伝えたはずなのになんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでナんでなンデなんデなンでナんデなんデなンでナんデナんデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデェナンデェナンデァナンデェエナンデナンデェナンデェエェェナンデェェェェェェェェェェェェェェェェ」
「宮田さん、一回落ち着いてください!」
ピシャリと小石に雷を落とされ、私は我に返る。
「深く息を吸って吐いてください。親子丼、食べに行くんでしょ?」
初めて聞いた、全身にふわっと蕩け、ジンジン染み込んでく優しい声。
「ひとまず、謎解きの答えをお聞かせしましょう……大倉壮紫さん」
大倉は右斜め上を向きながら、左向きに巻いたつむじをクルクルといじくる。
「時系列に話しましょう。まず、シャム……シャムがいなくなった日の夜からおかしかったんです。あなたは本当に、浴槽の洗浄を行っていたんですか?」
「……そこからバレていたんですか」
「あの夜は雨はそこまで強くなかったにも関わらずシャムはビショビショだった。あの時、あなたは浴槽の中に、浅田さんとお揃いの鞄の紐で首を絞めたシャム猫の亡骸を入れて水を大量に出していたのではないですか?」
「……ご名答です。何も言うことはありませんね。雨が土砂降りの時にやっておけば良かったのかな……どのみち、せっかく浅田先輩からもらった鞄で首を絞めたので、それで浅田先輩を殺してしまうという最悪の結果になったのは間違いありません」
「あんたは!」
私はカッとなって喉がうねりを上げた
「ストップ、宮田さん。続いてです。第二の事件。まず、イエローアーモンドアイがゲージのドアを開けて牙を突き立て、ハチワレを殺した。次に車椅子トイレに入り、そこで解体作業をした。惜しかったですね、もう少し解体が早ければ掃除のおばさんが血液を全部流してくれたのかもしれないのにね」
掃除のおばさんに深謝せねば。
「……全くその通りですよ。ですが、犯行可能な人間は他にもいたのでは?」
「いや、時間はもう閉店後。毎日の鍵当番は、新入りの大倉さんと宇野さんです。宇野さんは……訪問販売の手伝いをしていましたね?」
「……そうか」
「もっと早く気づいていたら犠牲者を増やさずに済んだのですが。そして、そこで内臓の中に色々なものが
「……はぁ。もう、何も言いません。続けてください」
大倉の目は、遠い遠いどこかを見つめていた。自分でもどこに向かうのか分からないように、細やかに回っていた。
「また、あれですね、牛とフッ素。あれは大きかった。考えたらすぐ分かりましたもん。それにしてもよく考えましたよね」
大倉はペコリと頭を下げた。
「……カチンコチンに凍ったローストビーフですでに死んでいるハチワレの頭を殴るって。考えましたよね。本当。フライパンはフッ素加工のものなんですね?」
大倉は何も言わないが、何食わぬ顔で小石は続ける。
「なんでわざわざそれにしたのかも気になるところですが、それは後で。で、第三の事件へ入っていきますがその前にね、ハサミを一つ捨ててるんですよね。もしかしてそれは犯行に使ったやつだったり?」
「そうですね」
と、ずいっと私は前に出た。大倉の目に映った顔を見れば、わんわん涙を流さずに泣いたおかげで真っ赤でブヨブヨ、妖怪みたいになっていた。
「でさぁ、浅田さんが一個ちょっとヒントを残してくれたんだけどね」
大倉は無言で頷く。到底、犯罪を犯したものとは思えないほど開き直っている。見ていてこちらが可笑しくなってしまいそうなほどだ。
「アレノレキーエソギ、って書いてたよね。あれ、演技してたんだ。全然分かんなかった。私たちやっと分かったんだけど、あれ、“アレルギーノエンギ”だったんだ。ずっとクシャミばっかりしてるからなんだろうと思ってたら、あれ猫アレルギーのフリしてたんだ。ただただ風邪ひいてるだけなのかなって思って全然分からなかった」
先程までの強い憎しみはどこへやら、私は不思議とクククと笑っていた。だが、大倉の瞳に映った自分の目は真っ黒で、強く充血している。そこに感情の二文字は小石とは別の意味で皆無だった。
「……堪えてたんだね、大倉君。猫を殺すの」
「……はい。出来れば猫に近づきたくなかった」
「――でも、それを言い訳に私の愛猫をこんなことにしたのは絶対許さないから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます