第33話

「はいはい、朝朝、朝だよ朝」

 ずっと内臓が振動している。聞き覚えのある声がする。

「もうみんな起きてるから、ね、開店しちゃうよ」

 シャーッという音とともに、真っ白い光が瞼越しに差してくる。それでも、脳内ではまだ、黄色の光の記憶の方が鮮明だった。

「ミケ! いい加減にしなさい、ご飯無しよ!」

 ご飯無し……それは辛い。でもどうやら僕の魂は現世に残っているらしく、それだけでも十分だった。

 あんな悪い夢忘れて、ずっと眠り続けたい。

「ミケッ!」

 耳に大きな音が突き刺さった。頭の中に雷が落ちる。

「起きなさいっ!」

 僕はやっとのことで目を開き、右手をちょいと上げた。はいはい、起きました起きました、ちょっとうるさいよ君、といった具合に。

「……ミケどうしたのあんた。珍しいじゃない、そんな長い間寝ててさ。しんどい?」

 加藤が先程とは打って変わって、心配そうな表情でこちらの表情を窺ってくる。

 しんどくは無いが、少し頭の中がぼやーっ、としている気がする。立ち上がろうと前足を突っ張ると、少し頭にズキッと、錐で刺されたような痛みが走る。くらりと三半規管がふわっと浮いた。

「ミィン」

「どうしたのどうしたの。かなり眠そうにしてるけど、夜中起きたりした? 窓閉めてたよね? なんか悪い夢でも見た?」

 悪い夢を見たと信じたい。だけど、昨夜のことはあまりにも強烈に残っている。身体中を鉄板で擦ったような鈍い寒さ。瞼越しに入ってくる、強い黄色の光。そして、大きく吊り上がる黒猫の口角と、大きな歯茎から生える大きなサーベルに抱いた恐怖心から来る、毛の逆立ちと足の震え。

「まあ、とりあえずエサ置いてるから、それ食べて。昨日の不味いのじゃないから」

 カタッと、いつものお魚が泳ぐエサ入れを目の前に置かれる。

 でも、僕はなぜだか意識が濁っていて、目の前のエサに興味が湧かなかった。ただの茶色くて丸い固形物としか、僕の目はエサを認識していなかったのだ。

 結局そのまま、少しだけエサをついばんで、ゲージに移された。




 さすがに暖房の効いた部屋は格別で、僕はスヤスヤと深い眠りに就いていた。

「やっぱり、私は浅田さんの少年時代から青年時代が聞きたいですね」

「えっ」

 誰かと誰かの声。

「教えてくれませんか? 浅田さん。それがもしかすると、今回の事件での疑いを晴らすことに繋がるかもしれません」

 それでも、ただの雑音として僕の耳は右から左へ聞き流していた。ちょっとくらい雑音があった方が心地よく眠れるし。ところで今、何時だっけ?


「疑いを深めることになるかも、しれませんが」


 余計な、冷たい脅しが加わってくる喋り方。小石だ。さては、何か浅田に問い詰めているな。

 眠気が吹き飛んだ。ボヤッと頭を包んでいた霧も一気に晴れた。ペタンと頭に貼りついていた耳がピンと立った。

「……それを教えても、別にこのポスターのためにはならなくない?」

「このポスターに書く必要は一切ありません。私が知りたいから、聞いているだけです」

「……教えたら、井戸橋に行けなくなる、なんてことはないでしょうね?」

「内容によりますね。もしも、あなたが、小さくても私たちと等しい重さの命を奪ったのだとしたら、井戸橋に行くどころの話じゃなくなるでしょうけど」

 浅田がしばらく黙っている。眼をつむっていても、一触即発というか、張り詰めた空気で二人がどんな顔をしているのかが分かる。


「……僕の子供の頃は、とにかくゲーム少年だった」


 そして、語り始めた。これを言わないと潔白が証明されないと思ったのか、上手く喋って誤魔化そうとしたのか、単純に小石がめんどくさかったのかは分からない。

「特に、シューティングゲームが多かったな。それと、やっぱり動物が大好きで、かなりの数の熱帯魚を飼ってた。けど……」

 悲しげな雰囲気が伝わってくる。肌が濡れるような感覚。

「父が小さな刃物の工場をしていたんだけど、それが倒産して、借金取りがずっと家に来て嫌がらせするようになって。それで、両親は、仲が悪かったわけじゃないんだけど、お互いのためにということで離婚した」

 刃物という言葉に、ピクリと眉が動く。恐らく、小石も同じなのだろう。浅田は、地雷を踏んだのだろうか。

「母が僕を引き取って、山の麓にあるアパートに引っ越した。もう本当に酷くて、そこは事故物件だった。壁に呪うとか殺すとか書かれてたり、血が付いてたりするし。床はギシギシ、埃と蜘蛛の巣まみれで、部屋はキッチンとかだけが付いたかび臭い一室だけ。食事もろくなものが出なくて、朝ご飯に焼いた蛙が出てきたときは、もう悲しいのを通り越してもう笑ってた」


 怪しい雰囲気たっぷりだ。あの黒猫は、もしかすると浅田が事故物件から連れてきたのではないか、その二人が連携して猫を殺していたのではないか、なんて妄想を繰り広げる。


「食べるものを確保するのにも必死で、バッタを殺して、トカゲを殺して、蛇を殺した。それで、食った。殺して、食って、血を拭って、また殺す。それの繰り返し」


 殺して、食って、血を拭って、また殺す。殺人ゲームをプレイしている人間がそんなことを言うと、迫力が違う。特段凄んでいるわけではないのだが、なぜかゾクッとしてしまう。

「学校はなんとか行ってたけど、修学旅行とかは行けなかったし、あまりにも貧乏だったから友達も全然出来なかった」

「で、進んで、就活だけど、全然成功しなかった。どこの企業にも拾ってもらえなかった。学力も貧乏なこともあって低かったし、農業校だったから」

 辛うじて農業校の故に頑張れたトリミングで、やっと救われたという。


「この期間は地獄だった。やっぱり、幸せな者、何も考えずにほのぼの生きてる奴なんてみんな死んじまえばいいのに、って思ってた」


 ほのぼの生きてる奴、と言われて、僕はギクリとした。目を開けようかと思ったが、浅田がどんな顔をしているのか想像もつかなくて、止めた。

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