第23話

「えぇ? 何を言ってるのか全然分からないんだけども、ちょっと」

 素っ頓狂な大声が聞こえる。

「うちが作った商品が不味いなんてことは、まああるわけ無いでしょ。あなたは入ってからあまり月日が経ってないでしょ? だから猫がどう思ったかなんて分からないんでしょ」

「はぁ? 私は、入ってきたのは最近ですが、それでもずっと猫と暮らしてきました。猫は私の人生を創ってくれた存在で、学校とかでも猫のことはかなり理解しているつもりです。そんなに舐めてもらわないでいただけませんか?」

「つもり、でしょ? 事実こんなことになってるわけじゃない」

「……気にしなくていいよ、何も」

 加藤が頭をザラッと撫でてくれる。

 案の定、今川と宮田が言い合いをしていた。

「あ、ミケ。トリミング終わったのね。ねぇ、今朝のエサめちゃめちゃ不味かったよね?」

「ミャァン」

「ほら! 言ってるじゃないですか、この子も」

「たまたま鳴いただけでしょ」

 つまらなさそうな顔をして、今川は鼻をほじった。ポイッと、手に付いた鼻くそを地面に弾く。

 その鼻くそがキングに当たった。何だか、しんどそうな顔をしている。

「あなたは本当に猫のことを分かってるんですか? ただひたすら営業して金をもらうだけなんじゃないんですか? それだけが狙いなんじゃないんですか?」

「それだけじゃないけど、まあ世の中金だしね」

 親指と人差し指で円を作り、軽く振る。

「猫も、嫌いだし」

 ギクリ。自分のことが嫌いなのか。頭では分かっていても、混乱してしまう。何だか胸の中が湿ってきた。

「猫のせいで、親から愛されなかった。ホントに、嫌い」

 ――やっぱり、僕は嫌われる存在なのかな。

 陰鬱な気持ちになって、僕はひとまずゲージに戻っていつものクッションで寝たくなった。




「え? 嘘、嘘だよね、ねぇ、嘘だよね嘘だよね、ね?」

 ふと目覚めると、マスクをした大倉と宮田が話し込んでいた。

「それが本当なんです」

「嘘……」

 宮田の目の周りに黒い影が差し込んでいく。

「なので、何かちょっとメッセージでもプレゼントでも何でもいいので、とにかく何か用意出来たらなぁと」

「……ちょっと待って、まだ思考が追いついてない」

 頭に横から人差し指を付けて、ふぅ、ふぅと大きな深呼吸をする。


「で、浅田さんはどこに異動するの?」


 ――異動?

 飛ばされるのだろうか。めでたいことなのか悲しいことなのか分からなくて、僕は少しぽかんとしてしまった。

「ビューティーサロン・憩い荘の井戸橋店らしいです」

「え? サロンの専門店で、めちゃめちゃ凄腕トリマーばかりいて、トリマーの登竜門みたいなところだよね?」

「はい、そうです。井戸橋店は特に人も多いですし、お客さんも多いところにあります。先輩もかなり喜んでます」

「……そっか」

 嬉しいような悲しいような、何とも複雑な表情をして、彼女は目をゆらゆら揺らす。

「……分かりました、どうにかする。……てか、なぜにそんな荷物」

「なんか、ちょっとおかしいみたいで、帰らせていただきます」

「そっかー。今三時か。早めに寝て早く治しなよ」

「ありがとうございます。車で四分くらい走ったら着くので、すぐ寝ます」

 ひょこっと頭を下げ、浅田とお揃いの、黒革にツヤのある布の持ち手のついた鞄をぶら下げて大倉は帰っていく。

「……宮田さん」

「はい?」

「……浅田さんの疑惑、今のうちにどうなのか調べないとマズいですよ」

「……ですね!」

 吐き捨てるように宮田は言い、棚のもの並べてくる、と言ってゲージを出ていった。

「……宮田さん、いくら浅田さんのこと好きだからって」

 こぼれたエサが散らばる地面に、小石はボソッと言葉を投げた。

 そのまま、奥のバックヤードへ姿を消していく。




 やることが無くて、僕はボーっと眠気と戦おうか迷っていた。

 と、どこからか呻き声が聞こえる。猫の声だ。

 はらり

 と、何か紙が舞ってきた。それも、ビリリと破れている紙の切れ端。

 ――鬼? 林、己……。

 ビリビリに破られているその紙は、和紙で出来ているようだった。土や木の臭い、水っぽい臭いもする。紙自体、シミが出来ているものもある。

 ――心?

 はらりはらり

 己と心の二文字が重なった。


 カチッ


 と、途端に電気がプツッと切れた。こちら側だけではない、店全体が薄暗い闇に覆われた。

 バサッ、バサ、バサバサバサッ……

 布が大きく揺れる音。蝙蝠こうもりが不気味な鳴き声を轟かせながら夜の空を舞う様子を僕は思い浮かべた。

 何やら、小走りでゲージスペースを去っていく黒い人の形をした影が見える。


 シネ!


 脳内で浮かんだものなのか、現実のものなのかは分からない。ただ、確かに誰かが叫んだ。黒い人影だろうか。

 全身の毛が逆立っているのを感じる。なぜか上下左右が分からなくて、宙ぶらりんになっている感覚を覚えた。

 ――僕、死んじゃうの?

 と、ドタバタと慌ただしい足音がだんだんと遠くなっていく。

 ――あれ、何だ、あの石……。

 パチッパチパチッ

 と、急に視界が明るくなった。目がぼやけ、だんだんと視界が晴れていく。

「……なんだ、停電か」

「短かったね」

「十秒も無かったよね」

 十秒も無かった?

 そんなわけがない。僕には、あの闇の時間は無駄に長く感じた。一時間ほどあっても不思議じゃない。

 ――ドアが開いてる?

 犬売り場との道と、売り場への道が開けていた。

 ――あれ?

 バックヤードの、さっきまで開いていたはずのドアは閉まっていた。

 ――誰が入ってきたんだ?

 そして、確かに黄色に光っていたあの石。どこにも無い。和紙のくずも、どこにも見当たらない。

 ――夢?

 壁の奥からは何のリアクションも無い。自分だけが何か変なものを見てしまったのだろうか。

「あ、あれ? 待って、何あれ」

 誰かが騒いでいる。残念ながら、ここからは見えないが。


「黒い鳥の絵が壁に描かれてる!」


 黒い鳥。烏か。

 僕はそんな絵を見たことは一度も無い。

「加藤さ……あれ、いない。まあいいや」

 小石が暗いバックヤードから出てきた。

 ゆっくりとまた暗闇に溶けていく。


「あれ、いつもの子、いないねー」


「ホントだ、なんか最近猫いなくなる比率高くない? めちゃめちゃ売れてるわけ? これで多分三匹目だよ」

 ――三匹目?!

 これまで、シャムとハチワレが死んだ。三匹目?

 ここから、音は何も聞こえてこない。猫の鳴き声も、物音も何もしない。

 ――誰がいなくなったんだ?

 暗闇に一人残されたような孤独感。体中の血液が凍っていくような気がした。

 気持ちとしては、僕は今、真っ暗い心霊現象だらけの幽霊屋敷に独りぼっちでいる感情に近い。

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