第二十話 女将さん

 運ばれた料理のカロリー計算をしたり、入学試験の頃の地獄を思い出したりしていると、扉がノックされる音が耳に入ってきた。


 誰だろうか? この部屋を訪れる人物に心当たりはないのだが?


「お食事の最中に申し訳ありません。わたくし、この旅館の女将です。ご挨拶にお伺いしました」


「分かりました。鍵はかかっていないので入って大丈夫ですよ」


「失礼致します」


 入室を許可すると、扉が開かれて女将さんと名乗る人物が入ってくる。


 見た目の年齢は50代くらいだろうか? 着物を着ており軽く化粧をしている。


「この度はわたくしの経営致します旅館をご利用いただき、ありがとうございます」


 女将さんは俺たちの前で正座をすると、軽く頭を下げた。


「あ、こちらこそ、快適な空間をご提供いただきありがとうございます」


 女将さん直々に挨拶をされたことがなく、なんと返答して良いのか分からなかった俺は、とりあえず、部屋を褒めることにした。


「どうやら、皆様方はまだ料理に手を付けてはいない様子ですね」


「あ」


 思わず声を漏らしてしまった。


 料理が運ばれてそれなりに時間が立っている。取り皿にすら料理が乗っていないのは不自然だ。女将さんからしたら、料理が気に食わないのでは? と思ってしまっている可能性がある。


「すみません、ついやるべきことを優先してしまっていて」


 咄嗟に納得してもらえそうな嘘を考えたが、直ぐには思い付かなかった。なので、正直に答える。


「カロリー計算をなされていたのでしょう」


『どうして分かったの! この人エスパー! だったら馬券を買えば大儲けができるね!』


 料理に手を付けていない理由を的中した女将さんを見て、ハルウララが興奮したかのように声を上げる。


 このバカ! お前が喋ると女将さんがびっくりするだろうが!


 いきなり言葉を話すハルウララに対して、心の中で叫ぶ。


「実は、霊馬騎手様たちであることを事前に知っていたので、お食事には気を使っているはずと言うところからの推理です。別にエスパーとかはないですよ」


 柔軟な笑みを浮かべ、女将さんはハルウララに言葉を返す。


 ハルウララが喋っているところを見て驚かないなんて。この女将さんはいったい?


「わたくしの息子も霊馬騎手をしており、霊馬学園に通っているのです。息子からトレイセント学園には、喋る馬のヌイグルミが居ると聞いておりましたので、きっとあなたなのだろうなと思った次第です」


「ちょっと待ってください! 今、俺の心を読みました!」


 急に女将さんの会話が切り替わったことで、動揺してしまう。


 女将さんは先ほど俺たちが霊馬騎手であることを誰かにか聞いたと言っていた。だけどその次では俺の心の声への返答を口にしている。


「あら、やだ。ごめんなさいね。霊馬騎手さんたちを見て、昔を思い出して悪い癖が出てしまったみたいです」


 女将さんは軽く頬を赤らめ、笑みを溢す。


「わたくしも若い頃は霊馬騎手をしており、レース中は他の騎手の思考を予想して愛馬と共に走っておりました。だから、この展開であれば、他の人はこんなことを思うはず。なら、わたくしはこうしなければなどを考えていたので、展開からの予想が得意だったのです。だから、先ほど言った言葉に対して、他の人はこんなことを思っているはず。なら、わたくしの返答はこれで正しい。そう判断しての先ほどの言葉でした」


 女将さんからの説明で納得しつつも安堵する。


 良かった。心が読まれている訳ではなかったのか。それもそうだよな。心の中を読むことのできる人間なんて、フィクションの世界でしか存在しないはずだから。


「話しが逸れてしまいましたね。であるからして、わたくしは霊馬騎手さんたちのことは、ある程度熟知しております。今回の料理は霊馬騎手様専用料理となっており、栄養素はそのままで、カロリーのみを減らしたものとなっております。こちらが、今回の料理の総合カロリーとなっております」


 女将さんが懐からタブレットを取り出すと、それを操作して空中ディスプレイを出す。


 画面には今回の料理と使用している食材、そしてカロリーなどが表示されている。


 確かに、この豪華さであの程度のカロリーであれば、軽く運動して温泉でも汗を流せば消費することができそうだな。


「そう言えば、先ほど息子さんも霊馬騎手だと言っていましたが、もしかして二つ名は観光大使だったりしますか?」


「あら、もしかして樽前ちゃんのご友人ですか?」


 旅館の名前が北湖樽前ホッコータルマエだから、もしかしてと思ったけれど、やっぱり観光大使のお母さんだったのか。それにしても、あいつ、母親から樽前ちゃんなんて言われているのか。


「友人と言って良いのか――」


『友人だよ! それもズブズブの中の大親友! 彼の知らないことなんて何一つないくらいに!』


 友人と言って良いのか分からないが、知り合いではある。そう言おうとした瞬間、俺の声を遮ってハルウララが俺と観光大使が親友だと嘯く。


「そうですか。あの子がついに親友を作るなんて。いつも苫小牧の宣伝ばかりして周囲をドン引きさせていたぼっちに親友が。わたくし感動しました。息子の親友には可能な限り大サービスをさせていただきます。


 目から涙を流し、ハンカチで涙を拭う女将さんに、俺はどう反応すれば良いのか分からなくなる。


「それでは、わたくしはこの辺で失礼致します。お料理をお楽しみください」


 挨拶に来た時と同様に、女将さんが軽く頭を下げると部屋から出て行く。


「おい、ハルウララ。何嘘を吐いているんだ」


『やったね! これで最大限のサービスを受けることができるよ!』


「やったね! じゃない! 騙してどうするんだ!」


『帝王、知らない方が幸せなこともあるんだよ。私たちは嘘であの女将さんの心を救ってあげたんだ』


「何感動的に話を纏めているんだよ。そんな嘘、直ぐにバレてしまうに決まっている」


『大丈夫、女将さんを見たじゃないか。カエルの子はカエルって言うし、きっと確認の電話をしたとしても、観光大使のことだよ。帝王が親友だと言っていると聞かされれば、親友だと思ってくれていると思い込むはずだ』


「そんな風に上手いこと行く訳がないだろうに」


 そんな展開になってくれれば安心できるが、保証がない以上、心から安心できるとは思えなかった。

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