第5話 初野の両親、文吉とはやの調査

 今日は次郎も家で用事があるとかで一緒に酒を飲むこともなかった。源三郎は恐らく今頃妻の美弥の手料理でも食べて晩酌をしているのだろう。美弥は非常に出来た嫁だ。その人間性はお花も見習わなければならないなと思うほどだ。


 お花は一人でおかずを摘まみながらとっくりから杯に酒を入れて考える。


「なにか見逃していることはないのかな」


 考えことに集中していると酒の味も良く分からなくなるぐらいだ。


「初野と泳はなんらかの接点を持っていた。恐らくはそうなのでしょう。出ないとあそこまで露骨ななだめ行動はでない」


 ではなんなのだと考えると事件の迷宮に落ちていく。とっくりをまた傾け杯に酒を入れてから考える。


「奉行所調べで初野は確かに死んでいる。しかし殺人事件の後に現れた亡霊は初野にそっくりだという。そして泳もそっくり」


 そこでお花は一つの仮説を立ててみる。


「その銭湯で見られた娘は初野ではなく、泳だった。男を殺害したのも泳だった。泳はなんのために殺した? 見ず知らずの他人のために?」


 見ず知らずの他人のために殺人を犯す人間などいやしない。そこで更に仮説を広げてみる。


「泳と初野は顔見知りだった。そんな初野が強盗団に殺害をされたために復讐で男達を殺した。


 どんな関係? 友達? 気心の知れる中? ひょっとしたら仕事の関係で徳城屋と鍛冶屋の初野の家は関係ないと思っているのは錯覚?


「となると初野の家に一度聞き込みに行った方がいいのかもしれない」


 今日纏まった考えはここまでだった。


 翌日お花と源三郎はさらなる調査をするために初野の家に赴いた。門前仲町にある鍛冶屋だった。調べの中で父親は文吉、母ははやと言うらしい。

 文吉の家に近づくにつれて、鉄の溶ける匂いがする。そこそこ大きな鍛冶屋であることは調査上でわかっていた。


 文吉の家に更に近づくと、鉄を入れ槌で叩いている音が聞こえ始めた。源三郎はお花よりも一歩先に進み、鍛冶屋の中へと入っていく。それに続くようにしてお花も入っていく。

 中へ入るとムッとした熱気が肌で感じることが出来た。入れ槌を持って鉄を叩いている男が文吉なのだろう。客と交渉している女が妻のはやではないかなとお花は思った。


 同心の格好の源三郎を見やると文吉の手が止まった。同心が家に来て良い気分をする人間はなかなかにいないだろう。その挙げ句自分の娘は現在亡霊騒ぎの中のまっただ中だ。気の休まる暇もないであろう。


「ごめん」


 源三郎がそう言うと、文吉は作業をする手を止めてこちらへやってきた。そんな文吉をはやは心配そうな眼で見ている。


「どういったご用件で」

「うむ、お主には思い出したくもない話かもしれぬが聞いてくれぬか」

「初野のことですか?」


 文吉はなんどか目を瞬かせるとそう源三郎に率直に訊いてきた。


「うむ、実はこの江戸の世間話では初野が亡霊になって人を殺しているというのだ。私としてもとても信じられる話ではないが、かといってこのまま放っておくこともできぬ」

「巷ではそう噂されておりますが、初野が生きていることは絶対にありません。荼毘に付すまでしっかりやりましたので」


 源三郎と文吉の会話をお花はしっかりと聞いていく。ここまで奇妙なノンバーバル行動は見受けられない。


「すみません、この同心の方、永井源三郎様の助手をしているお花と申します」

「はあ」


 お花は自分の紹介をすると、文吉は間の抜けた声を出した。機嫌があまり良さそうではない。


「亡霊騒ぎの件で少し踏み込んだ話を聞いてもよろしいでしょうか?」

「どのような話でしょう」

「実は初野さんにそっくりな女性が発見されまして、徳城屋さんの泳さんと言うのですが」


 その瞬間文吉の喉をゴクリと鳴らし額に汗が浮かぶ。耳側に引っ張られるかのような嘘の口、つまり偽の笑顔を作ってお花の顔を見やる。


「徳城屋の泳さんはあっしらは知りませんですね」


 ノンバーバル行動では明らかななだめ行動を出した。恐らくは知っていると断言してもいいだろう。はやの方を見るとこちらに顔を向けているが足が出口に向かうような姿勢になっている。こちらも完全ななだめ行動だ。話を聞く準備をしていても自分が聞きたくはない話なので足が逃避行動として表れてしまうのだ。


 ここでまた分からない情報が一つ増えた。なぜ文吉とはやは泳を知っているのか。


「そうですか。知りませんか」

「はい、なあ、はや」

「そ、そうですね」


 文吉の言葉にはやは額に皺を作り唇を強く噛みしめた。ここまで露骨になだめ行動をしている姿を見ているとお花はなにを隠そうとしている逆に分からなくなる。


「本当に知らないんですね」

「へ、へい」


 そう言うと文吉はお花から距離を開けるように上半身を仰け反らせるように後ろに傾いた。お花のパーソナルスペースからできるだけ距離を取ろうとしていることが窺えた。


 事前に用意していた泳の似顔絵を文吉に見せると八分の一秒の世界で瞳孔が収縮した。そして落ち着きなく足を動かし始めた。


「この娘さんは泳さんと言います。本当にご存じない?」

「し、知らないものは知らないんです」


 文吉は強く強く否定をする。そんな文吉にお花は被せるようにして質問をする。

「徳城屋さんも知らない?」


「名前は聞いたことはありますが、あっしたちの仕事には関係はありませんので。交流を持つことはありやしません」


「お話をしてくださってありがとうございます。永井様、これ以上ここで聞くこともありませんので一度帰りましょう」


 お花は文吉に向かって頭を下げて礼を言うと、源三郎に視線を持って行き提言をする。それに対して源三郎も頷きながら言葉を返した。



「であるな」


 まるで草食動物のように怯える文吉とはやの姿を見てから二人は店内を後にした。源三郎はお花にまたしても詰め寄るようにして訊いてくる。


「で、どのような判断になった」

「両親ともに完全に泳さんのことを知っています。それと初野さんが死んだのは事実です」


 お花がそこまで説明すると源三郎は腕を組んで唸った。


「それではなおのこと、話が難しくなってしまったな」

「徳城屋を知らないと言っていますからね、ただなぜ泳を知っているのかそこだけが謎でございますわね」

「これからどのように捜査をしたら良いのだこれは」


 源三郎の言葉にお花はコンコンと頭頂にある簪を叩きながら考えるようにして答える。


「少し考える時間をください。私なりにもう一度話を整理してみたいので」

「うむ、いつもお主にばかり苦労をさせてすまぬな」

「いえいえ、いいんですよ」


 そこで源三郎と別れて、医院に戻りごった返す患者達の診察を終えたあとに医院を閉める。まだ医院には次郎がいて浮かない顔のお花を見ていた。


「先生、ため息ばかりですよ」

「ごめんなさいね、どうしてもわからないことがあって」

「どんなことですか? この次郎微力ながらお力になりますよ」

「ありがとう。じゃあちょっときいてくれる」

「どんとこいですよ」


 次郎はそこで胸をドンと叩きお花を元気づけるようにした。

 お花はことの顛末を話していく。そして泳と初野の似顔絵も見せる。次郎は何度か唸った後に言った。


「この似顔絵はまるで双子のようですね。こんな似た他人がいるのかと思うぐらいです」

「そうよねえ、あまりに似すぎているのよね」


 次郎に言われて初めて双子という路線が浮かんだ気がする。


「うん? 双子?」

「どうしました先生」


 徳城屋は初野を知っているようなノンバーバル行動を取った。そして文吉とはやは明らかに泳を知っているかのようなノンバーバル行動を取った。

 なぜ互いの両親共に違う娘のことを知っているのだ。


「そんなまさか……そうだとしたら」

「どうかなさいましたか先生」

「次郎さんお手柄です」

「え?」


 そうこれは最後の切り札になるかもしれない。そう泳と初野は双子という路線だ。

 となると困ることが一つ起きる。この案が確かならば互いの家の両親は猛反発するだろう。なぜなら泳と初野は片方の家で生まれて一人ずつ養子かなにかで取られたか、それとも不倫の末にできた娘になるからだ。

 そんな昔のことをほじくり返されるのはどの家でも嫌なことだろう。特に双子と認めさせるためにはあれしかないだろう。


「血液点滴親子鑑定法。つまり滴骨の親をするしかない」

「それはなんですか? 先生」

「古代中国で行われた親子の鑑定法です。例えば子の骸骨が残っていれば、親が針で血を出した後に骸骨に垂らせば、血がしみこむという鑑定方法です。他人であればしみこみません」

「へえー、そんな鑑定方法があるとはこの次郎、知りませんでした」

「無冤録術では載っていることなので」

「先生がいつもにらめっこしているあの書物のことですか?」

「ええ」


 この江戸時代に現代のような科学鑑定はない。そのために現代の法医学の知識と無冤録術とを合わせて法医学を完璧なものにするしかない。だからお花はよく無冤録術を読むことが多い。


「さて、それでは明日、永井様に墓を暴けるかどうか聞いてみますか」

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