9 十万人を、お友だちにしてあげます

 ヨルは身を乗り出して、僕の頬を優しく撫でた。つららのように冷たく、血の気の失せた指先。

 ああ、本当にこの子は人間ではないのだな、と痺れた頭で思う。


「僕と、どんな契約をするつもり?」


 赤い瞳を真っ直ぐ見据えながら訊ねると、ヨルは嬉しそうに目を細めた。


「は?」


 ジュウマンニン?


「さすがに日本国民全員となるとややこしいですし、それくらいがちょうどよくないですか?」

「本気で言ってる?」

「もちろんです。あ、でも期間限定ですよ」


 ヨルは両の手の平を、パッと広げた。


「ヨルの魔力では、せいぜい十日間が限界です」

「期間限定じゃ意味がないよ。僕が欲しいのは、友達というより親友って呼べる人だから」

「そう言われましても。さすがにヨルも人間の心を永久的に操ることはできません。人類を創造するようなものですからね」


 ヨルに反論されて、妙に納得する。

 たしかに、悪魔に心を操られた人間なんて、プログラムされたアンドロイドと変わらない。


「でも、他人から親友になるのは難しくても、お友だちから親友になるのはそんなに難しいことではないと思いませんか?」


 まるで自社の製品を売り込む営業マンみたいに、ヨルは饒舌に続けた。


「ヨルはあくまで、みなさんが北村さんを『友だち』だと認識する魔術をかけるだけです。あとは、北村さんが誰と仲を深めるかを選択すればいいのです」

「つまり……親友になれそうな人を十日間で探せってこと?」

「そのとおりです」

「代償は?」


 ヨルの表情が引き締まる。


「悪魔が人間の願いを無条件で叶えるはずがないよね? あとで寿命とか魂をくれって言われたら……」

「まさか! ヨルがそんなゲスい悪魔だと思っているんですか?」

「しっ、知らないよ。悪魔と会ったのははじめてなんだから」

「ひどい偏見です。ヨルはこれまで、何人もの方と契約をしてきましたが、みなさん満足されていましたよ」

「他にも僕みたいな人がいたってこと?」

「人間の願いなんて、たいてい決まっていますからね。ご心配なら、一筆書きますよ」


 ヨルは部屋に転がっていたボールペンを手に取ると、契約書に文字を書き綴る。

 そこには、『北村太一の命や、身体に関わるような代償は求めない』と記されていた。


「これ、信用していいの?」

「そのための契約書です。他になにか、懸念はありますか?」


 ヨルから差し出されたボールペンを握り、僕は起こりえそうな最低最悪の事象について考えを巡らせる。僕の大事な人……大事なもの……。

 部屋をぐるりと見渡したが、どれも大して価値を感じることができないものばかりだ。

 結局、『コパンには手を出さないこと』とだけ書き加え、ボールペンを置いた。


「コパン? 外国の方?」

「僕に懐いている野良猫」

「なるほど。猫ちゃんは可愛いですよね。では、この条件で契約をしていただけますか?」

「最後にひとつだけ。君はどうして僕と契約がしたいの?」

「人間が好きなんです」

「へ?」

「これじゃあ、理由になりませんか?」


 意外な返答に、僕は唸る。


「いや、べつに」


 趣味趣向は人……それぞれだ。

 僕は契約書を手に取り、最初からゆっくりと読み直した。

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