第14話 劇場へようこそ
「いいか、一幕が終わったらすぐにトイレにダッシュだ。もし出遅れると最悪の場合、二幕に間に合わないぞ!」
「はいはい」
どうしてこうも場の雰囲気を読めないのか。
自分の事を想ってのアドバイスである事は理解しているが、自分の彼氏に多少なりともデリカシーが欲しい美月であった。
『でも2人で劇場に行くなんて、これってデートよね?』
社会人になって仕事帰りにデートなんて、大学生の頃には密かに憧れていたシチュエーションだ。
実際には教師のあまりの激務に、すぐに諦めた。
それに今日だって厳密には部活動の為の見学とも言える。
『いえ、これはデートよ! 絶対にデートよ!』
自分にそう言い聞かせた美月は、自然と天翔の腕を抱き寄せる。
「美月?」
「天翔くんとデート、仕事帰りに♪」
美月はこれから観るミュージカル宜しく、適当なメロディに乗せて自分の想いを伝えてみた。
心が踊った気がした。
○▲△
「わっ、凄い人!」
目を丸くして驚く姿を、隣に居る天翔に可愛らしく思われているとも知らず、美月は思わず声に出してしまった。
そのくらいに劇場のロビーは多くの人でごった返している。
「天翔くん、あの人集りは?」
「あれは今日のキャストが貼り出されているんだよ。主演からアンサンブルまで」
「アンサンブル?」
音楽では合奏や合唱、ファッションでは服の調和の意味。業界ごとに使われる意味が微妙に変わる、「一緒に」の意味の
「簡単に言えば、名前の無い役かな」
「その他大勢、みたいな?」
「まぁ、そうとも言えるけど、良い舞台はアンサンブルの出来で決まるって言っても過言ではないと俺は思ってる」
「そうなのね。勉強になったわ!」
本日の演目ではないが革命を扱った作品を観劇した際の、民衆を演じるアンサンブルの鬼気迫る迫力に圧倒された記憶が忘れられない天翔であった。
「あの行列は?」
美月の視線の先には女性ばかりの行列が出来ている。
「あれはトイレの行列だよ。美月も今の内に」
「はいはい、並べば良いんでしょ」
○▲△
急に美月が不機嫌になって列に並び出すのを見て、天翔はスマホを取り出す。
「最高の席をありがとうございます」
「それは何よりです。と言いたい所ですが、こんな事は金輪際にして下さい!」
電話の向こうでは気の強そうな女性の声がするが、その声に怒気が含まれている事は容易く判る。
「怒ってます?」
念の為に確認してみた。無論、先方が怒っている事は百も承知だが、場を多少なりとも和ませる冗談の意味も含めて聞いてみた。
「怒ってなんていませんよ。チケットを手配する手間もですけれど、苦労して組んだ今夜のスケジュールをドタキャンされた事なんて、これっぽっちも!」
『やっぱり怒っていたか!』
天翔は表情を歪めて彼女を宥める言葉を探すも、気の利いた台詞を思い浮かぶ事は無かった。
「埋め合わせは必ずします。今日はありがとうございました」
こう言う時は、さっさと会話を切り上げるに限る。
「はいはい。楽しんで来て下さい」
「それじゃ」
「あっ、待って下さい。その彼女さんが
「本当に?」
「ええ。その彼女さんに「劇場へようこそ」って言いたい気分ですよ。私は」
「ありがとうございます。伝えておきますよ。あっ、もう切ります!」
意外と早く美月は出て来ては、キョロキョロと天翔を探している。
「美月!」
右手を振る天翔の左手に握られているスマホはまだ切れてはおらず、誰にも聞かれない先方の声が虚しく震えていた。
「彼女さんを送ったらすぐに、今日中の書類に押印をお願いしますよ。聞いてます?」
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