第3話 褒め殺し

「馬鹿が、気でも狂ったか?」


 何とか川﨑の標的を美月から自分へと切り替えられたが、天翔としてもここは何としても平和的にやり過ごさなければならない。

 

「いいか、みんな聞いてくれ! 俺たちも今日から2年生だ。今日の午後の入学式で新入生が入って来るんた。後輩ができるんだぜ!」


 新学期の席は50音順で並んでいる。蒼井天翔の席は会田とか相沢等が居ない限りは壁際最前列である事が多い。

 今回も必然的にその席があてがわれている。

 その席から身体を反転させて、声高らかに教室中に呼び掛けた。


「その後輩に俺達先輩が、ついついやりがちな高圧的行為を川﨑先生は身を以てご教示下さったんだ!」


 天翔のその芝居がかった口調を直ぐに気心の知れたクラスメイトも汲んでくれた様だ。

 調子に乗りやすい石川と服部が立ち上げる。


「その後輩にやりがちな高圧的行為って?」

「世の中に広まっている言葉で言ってくれないと判りません!」

「その言葉って何?」


 1年生からの付き合いである石川と服部だけでなく、最後の一言は意外な事に初めて見る女子生徒だった。


『石川と服部はともかく、川﨑に目を付けられるかも知れないのに勇気あるな、彼女』


 天翔はその名前も知らない女子生徒を見て思った。

 いやむしろ川﨑に対して思う所の無い生徒など居ないのかも知れない。

 彼女を心配しつつ、天翔は続ける。


立場を使った嫌がらせパワーハラスメント!」


「パワーハラスメント! 略してパワハラ!」


 石川と服部がわざとらしく復唱すると静まり返っていた教室が俄にざわつく。


「おい、何を言っている?」


 川﨑が急に慌てだした。当たり前の話だが、公立高校の教職員の間でも嫌がらせハラスメントは認められていない。


「おいおい、みんな誤解しないでくれ。川﨑先生がパワーハラスメントなんてする訳が無いだろう。無意識にやりがちなハラスメントについて教えて下さったんだ!」


 滑舌に気を付ける余り棒読みになりながらも、天翔は更に大きな声で叫ぶ。


「そうだよな!」

「川﨑先生がハラスメントなんてする筈無いからな!」

「川﨑先生、ありがとうございました!」

「川﨑先生ほど素晴らしい先生はいないぜ!」

「先生、ありがとうございます!」


「お、おう」


 調子に乗った生徒達の言葉に川﨑はそれしか言えなかった。

 予想外の事に彼の思考が追い付けなかったのである。


 天翔としては、真っ向から言い合っても埒が明かない。

 暴力に訴えれば良くて停学、でなければ退学。最悪は傷害事件となってしまう。

 そこで褒め殺しする事にした。

 これで暫くはあの高圧的行為は無いだろう。

 一安心した天翔は教壇の美月に視線を向けると、不意に目が合った。

 お互いの分厚い眼鏡越しでも判る位に美月の瞳が熱を帯びていると感じた。



○▲△



「連絡事項は以上だ。各自、配布物を受け取ったら速やかに解散する様に」


 新学期の初日だ。配布物は山の様に有る。


「御神本先生、これ配って」


 配布物は教師が最前列の生徒に人数分配る。当然ながら川﨑からその指示を受けた美月は天翔と接近をする。


『やっぱり美月だ』

『やっぱり天翔くんね』


 お互いの正体に気が付いた2人の時間は、そこで止まってしまった。


「御神本先生、何をしているのですか?」


 美月の全集中力は目の前の天翔に向けられており、身動き一つ取れない。

 もはや川﨑の声など聞こえる筈がなかった。

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