第四十九話 こんなはずじゃなかったのに 〜side芽亜〜
愛されていると思っていた。
だって王子様はあんなにアタシに寄り添ってくれた。慰めてくれた。
邪魔者の悪役令嬢も学園から追い出して、いよいよアタシは王子様の最愛になる。
『ヒロイン』ならそれが当たり前。悪役は勝手に更生するなり何なりするのだろうが、関係ない。アタシはアタシの幸せな人生を生きるだけ。
でもなぜか追放されたはずの悪役令嬢アイリーン・ライセットが戻ってきて……それから全てが崩壊するのは信じられないほど早かった。
言われてみればアタシは王子様と何もしていない。
ただか弱い少女のように泣いて縋り、それを受け止めてもらったつもりでいた。悪役令嬢よりもアタシと過ごすことを選んでくれた気がしていた。
それが全て悪役令嬢と共謀してやっていたことだったとしたら、アタシは最初から掌の上だったわけで。
(そんなわけがない。アタシは『ヒロイン』なんだ!)
極貧の母子家庭から抜け出して、愛らしい姿に生まれ変わって。
今世こそ何もかもうまくいくのではなかったのか。
何のための転生だ。何のための第二の人生だというのだ。
必死で悪役令嬢に噛みついたけれど、これみよがしに彼女は王子様にキスをさせた。
と言っても、騎士が姫にやるような、手の甲にちゅっと唇を当てるだけのもの。それでもアタシはわかった。わからされた。
最初から勝負にすらなっていなかった。アタシに勝ち目なんてなかったのだと。
大きな敗北感を処理しきれなかったのか、そして突きつけられた事実から目を背けたかったのか、気づいたらアタシは意識を飛ばしていた。
気がついたら見知らぬ噴水の前に立っている。
「……ここは」
学園の一番奥にある噴水だ。そうか、悪役令嬢が王子様と仲良しこよしで勉強会だの何だのしていたという、あの……。
手足を縛られているわけではないから、無理矢理連れて来られたわけではないだろう。ということは。
「やっと目が覚めたみたいだね」
メアリがうっすらと笑った。
何かがおかしい。この時点で確かな違和感を抱いたが、寝起きのアタシはまず現状確認をしなければならない。
「メアリ、お前の仕業ってわけか。あの悪役令嬢はどこ?」
憎きあの女は、今頃王子様と一緒にいるだろうか。
王子様が目を向けているのがあの女なのはわかった。でもアタシは王様からのお墨付きがある。勝ち目はなくてもせめて、あの女を殺す手立てならあるかも――。
悔し紛れにそんなことを考えていた時だった。
「教えない。あなたの相手はあたしだから」
「は?」
「本当はあたしもあなたと一緒に終わるつもりでいた。でも、ライセット公爵令嬢に言われたの。そんなろくでもない奴に体を奪われて悔しくないのかって」
この一年間散々男どもの誘惑に使ってきたものと同じとは思えないくらい冷ややかな声が、アタシの……いや、メアリの口から紡がれる。
そこに込められたのは隠すつもりもない激情だった。
(あの女、やっぱりアタシと同郷だったのか)
やり返された時点でそんな気はしていた。
『ヒロイン』たるアタシが悪役ごときに敵わない理由、それを考えたら一つしかない。きっとあの女はアタシより何年も前にこの世界にやって来て、そのことを隠し続けて生きてきた。なんてずるいんだろう。
そしてアタシの中にもう一つの人格が住んでいることになぜか気づいて、それをけしかけてきたというわけだ。
「何を馬鹿なことを言ってんの? お前、何様のつもり?」
「メアリ・ハーマン。男爵令嬢になって最低限幸せに暮らす権利をあなたに奪われた者だけど」
この体で生きるようになってからというもの、主導権を握るのは常にアタシ。アタシが拒めば、すぐにメアリなんか黙らせられる。
アタシは今までそうやってメアリを従えてきた。言いなりにしてきた。
なのになぜか今はまるで制御が効かない。
「ただの体のおまけみたいな奴のくせに、偉そうに言うな!」
「あたし、一年以上ずっと我慢してきた。あなたが旧友たちを手玉に取って、男の人をたぶらかして、甘い言葉で騙して……いじめられたって噓を吐いてライセット公爵令嬢を追い詰めたよね。王子殿下の婚約者なんてなれるわけもないのに。
その他にもこそこそ悪事を働く度に人を傷つけていく姿を、あたしは見ていることしか許されなかった。『メアリ・ハーマン』が嫌われていっても文句の一つも言えないで」
メアリがそっと屈んで自分の顔を噴水の水面に映す。
彼女の瞳はまっすぐ正面を――アタシを鋭く睨みつけていた。
こんなのをいちいち相手している場合ではない。
さっさとメアリを抑え込んで、主導権を奪い返さないと。
「このままじゃあたしもあなたも丸ごと退学になる。そうしたらハーマン男爵家から勘当されて貧民街行きがいいところ。……きちんと
「うるさいっ!!」
上から思い切り踏みつけられたと錯覚するほどの重圧を感じ、あたしは怒号だか悲鳴だかわからない声を上げた。
肉体的なものではない。アタシの根幹にある大事な何かが壊されかかっている?
「あなたのせいであたしがどれだけ苦しかったか、あなたはちっともわかってない。謝ってくれとは言わない。後悔もいらない。――そのまま跡形もなく消えて」
そんな言葉と共にメアリは噴水の中へ足を踏み入れた。
噴水を全身に浴びると同時、溶けていくかのように視界に亀裂が入っていく。
何が起きているのかわからない。ただ感覚として理解した。
今のメアリは、アタシよりずっと意思が強い。呑み込まれてしまう!
「この体はアタシのものだ! アタシの、なのにぃ……!!」
アタシはどこで間違った?
何もかも順調だった。王子様と恋仲になり、王様に認められ妃となり、大勢に祝福されながらのハッピーウェディングを迎える。
幸せな未来予想図が崩れ落ちてしまった原因は、一体何だったのだろうか。
(こんなはずじゃなかったのに)
まさか邪魔者に王子様を奪い取られ、利用していたおまけ女からしっぺ返しを受けて終わるなんて。
目の端から涙が流れ落ちる。
意識の亀裂が広がり、もはや叫び立てることもできないまま、全ての感覚が遠のいて。
――やがて、消えた。
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