第四十一話 ファブリス王子の不審な行動
夏季休暇の二ヶ月間は、本当にあっという間に感じられた。
関係の進展があったりファブリス王子の好感度を特別に上げられたかといえば否だ。良くも悪くも今まで通り、野山を駆け回って過ごしているだけだった。
とても楽しい時間だったけれど、それはもしかすると現実逃避のようなものだったのかも知れない。
懸念も不安もそのままに学園に戻らなければならないことから目を背けたい気持ちはどうしてもあった。
(……きっと大丈夫よ。紫彩が太鼓判を押してくれたんだもの)
私は自分にそう言い聞かせ、どうにか納得させていた。
「わたくしが学園に着いたらさっさと迎えに来なさいよね!」
「わかったよ。道中には気をつけて」
そんな風に言い合いながらファブリス王子と別れ――馬車に揺られて数日後、学園に到着する。
休暇明け特有の落ち着かない空気。昨年と違うのは編入生の噂を聞かないことくらいか。
「ライセット公爵令嬢、お久しぶりです」
「この夏季休暇をどのようにお過ごしになりましたの?」
アイリーンを見るなり集まってくる上級貴族の令嬢たちの相手をしながら、サッと視線を走らせる。
そして、見つけた。
学園の門前に立ち、ピンク色の髪をした女子生徒と笑顔で話しているファブリス王子の姿を。
「は……?」
遠いので確証は持てないけれど、ピンク髪の少女なんて私は一人しか知らない。言うまでもなくメアリ・ハーマンだ。
彼女は何やら甘えるような仕草でファブリス王子に擦り寄っている。そして彼はそれを押し除けるどころか、受け入れているようにさえ見えて。
「ちょっと失礼するわね!」
令嬢たちとの話もそこそこにアイリーンは駆け出す。
人混みを通り抜け、一直線に二人のところへ。息が上がってもおかしくないほどの速度だったのに、まるでちょうど居合わせたかのような調子で言った。
「ファブリス殿下、遅いじゃない! わたくしを放ったらかして一体どこのどなたと喋っているのかしら」
「……ああ、アイリーン。ごめん、君のことをハーマン男爵令嬢に訊かれて話していたんだ」
振り返るファブリス王子の瞳に、嘘はないように見える。
それと同時ににやぁっと意地の悪い笑顔を向けてくるメアリに無性に腹が立ったが。
(そんなに勝ち誇りたいのか、アイリーンの怒りをあえて買って罵られ、被害者ぶりたいのか。どちらにせよ悪趣味だわ)
まったく、性格が捻じ曲がっているにも程がある。
本当に私と同郷だったとしたら、間違いなくろくな人生を送ってこなかっただろう。
「わたくしのこと、ねぇ。なんでそれをわざわざ彼女に話す必要があるのか甚だ疑問だけれど、早く消え失せるなら詳しくは問い詰めないであげるわ!」
「ひっ、し、失礼しますっ……」
大袈裟に怯える素振りを見せつつ、メアリが逃げ出した。
残されたのはアイリーンと私、ファブリス王子だけになる。
「じゃあ行きましょ」
何事もなかったかのようにアイリーンは笑ったけれど、その内心は私にもわからなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
上級貴族令嬢たちと下級貴族集団の対立は健在だったが、休暇を挟んだおかげかほんの少しマシになっていた。
休暇期間中にそれぞれ、すっぱり婚約解消したり婚約者と仲直りをしたりしたらしいから、その理由も大きいのだろう。
大きな騒ぎが起こらないままに一ヶ月、二ヶ月と過ぎていく。まるで学園は平和を取り戻したかのようだ。
(だけど……)
アイリーンは、そうではなかった。
「今日も忙しいんだ。アイリーン、勉強会はまた明日にしてくれないかな?」
「最近ファブリス殿下、そればっかりじゃない!」
近頃ファブリス王子がおかしいのだ。
アイリーンへの態度は変わらない。かけてくれる言葉も眼差しもとても優しいし、アイリーンに色々と合わせてくれるし。
なのになぜだろう、アイリーンと離れる時間を持ちたがっているのは。
「まあいいけれど。そもそも勉強会に付き合っているのはわたくしの方なのだし!」
ファブリス王子はアイリーンを女子寮へと送ったあと、男子寮とは逆方向へ歩いて行く。
その行き先には一体何が――誰が待っているというのだろうか。
この学校には生徒会などというシステムはなく、急に忙しくなった理由なんて思い当たらない。何度も嫌な想像が頭をよぎり、私はある日ついに言ってしまった。
「ファブリス王子を尾行しましょう」
「尾行?」
「アイリーン様だってわかっているでしょう、ファブリス王子が怪しいことは。私だって疑いたくはありません。だからこそ、尾行するんです」
不安要素は早めに消しておきたい。私の最悪の想像が外れていることを確かめたかった。
「……ふーん、面白そうね! でもそんなの必要ないわ。どうせファブリス殿下はただずる休みがしたくなっただけでしょ。夏季休暇もなんだか勉強していたみたいだから嫌になったのよ」
アイリーンのことだ、すぐに話に乗ってくると思っていたら意外にも渋られる。
余裕そうな口ぶり。けれど唇はぎゅっと噛み締められていた。
「本当に、そう思うんですね?」
「何よ。わたくしが嘘を吐いているとでも?」
「いいえ。ただ、アイリーン様らしくないなと思って」
彼女はわずかに俯き押し黙る。
沈黙は肯定と同義とよく聞く。きっとそういうことだったのだろう。
しかしすぐ顔を上げると、「わかったわ。やってやるわよ」なんてやけくそのように吐き捨てて。
ずいぶんと遠くだがまだギリギリ見えるファブリス王子の後ろ姿を追い始めた――。
これが単なる私の杞憂でしかなかったらどれほど良かっただろう。
ファブリス王子はどこかで体を休めているだけ。それか男友達ができて、青春らしい友情を育んでいるだけ。そんな光景を目にしたかった。
だけれど現実はそんなに甘くはない。
私の、そしてアイリーンの目の前には、学園の中庭で親しげに語らう男女がいる。
「……それでぇ、アイリーン様が……」
「……は、辛いね…………マン男爵令嬢……」
「……もぅ、メアリ…………って言ってるのに……」
声は、断片的にしか聞こえてこない。でも、遠目からでも誰かはわかるし、女――メアリが頬を染めているのは確かだった。
(どうしてあなたがそこにいる)
その距離にあるのを許されるのはアイリーンただ一人のはずだ。
周囲にいる令嬢や令息たちはどうして誰も注意しようとしないのか、ますますわけがわからなかった。アイリーンの友人だって、しっかり現場を見ているというのに。
わからなくはない。ファブリスは王子だ。下手に何かを言えば己の身に危険が及ぶかも知れないと考えるのは当然だろう。
(たとえそうだとしても、こんなのって!)
怒りに拳を握りしめずにはいられない。
そのまま突撃しようとし……しかし私の足は前へ行かなかった。
アイリーンが拒んだからだ。
「つまらないから帰るわ。もっとド派手にやっているかと思いきや、大したことないじゃない。
衆人環視の中なら何も問題ないでしょ? そんなことより新しいワガシを作りたいわ!」
「え……。で、でも、ファブリス王子は」
「口出しする気なの、アイ。あんたはファブリス殿下の婚約者でも何でもないのよ。召使は召使らしく、身の程をわきまえなさい」
それはあまりに有無を言わせぬ口調だった。
私は思わず拳を引っ込めた。
言いたいことはある。このまま引き下がっていいわけがない。でも、アイリーンがそう言うのなら。
「わかり、ました」
そう言うしか、なかった。
――結局、私は全てを見なかったことにした。
アイリーンの意向通りに。
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