11

廊下は電気がついていず、真っ暗だった。私が眠っていた祖母の部屋も、また暗い。そんな暗闇の中でも、永遠子の白い肌はぼんやりと発光するみたいに浮かび上がって見えた。

 「……新島さん、」

 夢でも見ているみたいんだった。永遠子の名前を呼ぶ以外、なんの言葉も出なかった。

 目の前に立つ永遠子は、しんと冷えた無表情だったけれど、その目の中にはちらちらと熱が踊っていた。それは、昼間私を見降ろしていたときと同じような。

 怒りだ。永遠子はまだ、怒っている。

 私は自分の身を守るみたいに、反射で一歩後ずさっていた。すると永遠子は、間髪入れずに一歩前へ出て、私との距離を詰めた。

 永遠子のうつくしい顔が、すぐ側にある。それだけで、めまいがしそうだった。

 「久子。」

 ぽつん、と、永遠子が滴るように私を呼んだ。きれいな響きをする、耳に心地よい低めの声。

 怒っているの、と、訊きたくても喉の奥に言葉が引っ掛かっていた。それに、訊くまでもなく、永遠子は怒っているに違いないと確信してもいた。だって私は、永遠子が静寂の中で身を休めていたあの家へ、集団で押しかけてインターフォンまで鳴らしたのだ。

 「久子。」

 もう一度、永遠子が私を呼んだ。その声を、いつまででも聞いていたいと思った。

 もっと喋って。

 私の口から零れ落ちたのは、そんな素直な懇願だった。

 それを聞いた永遠子は、すいりと唇の端を持ち上げ、微笑んだ。それでもまだ、目の中には熱の影が揺れていた。

 「なにを喋ればいいの?」

 「なんでも。」

 「喋りに来たのでは、ないのよ。」

 「じゃあ、なにをしに?」

 足元もおぼつかない気がした。夢の中で喋っているみたいな。永遠子は端正な唇を笑わせたまま、私をじっと見ていた。私はそれにどこか怯えていた。永遠子の水晶みたいな瞳に私一人だけが映る。そんな幸せが、長く続くはずもないと思って。

 とん、と、永遠子が私の肩を軽く押した。それだけで私は、数歩後ろへ下がって部屋の中へ入った。背後から引っ張られているみたいな、不思議な感覚がした。永遠子はするすると私に歩み寄ってきた。そして、後ろ手で音もなく扉を閉める。

 部屋の中は漆黒の闇で、お互いの顔もろくに見えないくらいだった。それでも永遠子の手は迷うことなく、私の制服のブレザーのボタンを外した。私は言葉も出せず、じっと凍り付いていた。

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