第11話 アレックスの心

 アレックス・ランベルト。

 彼は貴族が嫌いだった。


 母の心と体を弄び、飽きたら捨てる。

 面倒なことになりそうになると、途端に手を離す。

 理不尽極まりない話だ。


 怒りを覚えて当然。

 世の中の貴族全員が腐っていると勘違いしても仕方ない。


 実際、学舎に通うことで、貴族のことをさらに知ることができた。

 大抵の貴族は、平民である自分を見下している。

 露骨な態度に出るものは少数ではあるが、その目やちょっとした仕草で、平民を下に見ていることはすぐにわかった。

 小さい頃からの環境故に、アレックスはそういうものに対して敏感で、過敏だった。


 貴族なんてくだらない。

 ろくでもない者ばかりで、言葉を交わすだけではなくて、顔も見たくない。


 ただ、シルフィーナだけは別だ。

 幼馴染という間柄のせいか、彼女を嫌うことはなかった。

 むしろ、目の離せない妹のような感覚を抱いて、あれこれと気にかけるほどだった。


 だから、シルフィーナが本家に引き取られて、公爵令嬢の姉ができると聞いた時は驚いた。

 貴族らしくないシルフィーナが、本家とやらでうまくやっていけるのだろうか?

 公爵令嬢の姉にいじめられたりしないだろうか?

 あれこれと心配をして、落ち着くことができない。


 そして、アレックスは覚悟を決めた。

 もしも公爵令嬢の姉がどうしようもないヤツだとしたら、どんなことになったとしても、シルフィーナを守る。

 公爵令嬢にケンカを売るなんて、自殺以外のなにものでもないが……

 しかし、必要とあれば迷うことなくケンカを売ろう。

 アレックスは、それだけの覚悟を決めていた。


 それなのに……


「フィーがウチに引き取られたことで、彼女は私の妹になりました。フィーは、私が決めた妹の愛称です」


 実際に顔を合わせると、アリーシャ・クラウゼンは、とても優しい笑顔でそんなことを言うのだった。


 拍子抜けだった。

 もっときつい表情をしていて、シルフィーナのことをぞんざいに扱っているのだと、そう決めつけていたのだけど……

 とてもじゃないけれど、そんな風には見えなかった。


 だがしかし。

 貴族に対して根強い不信感を抱いていたアレックスは、アリーシャは善人を装っているだけで、裏では腹黒いことを考えているに違いないと決めつけた。


 ……今にして思うと、なかなかに恥ずかしいことだ。

 相手の話をろくに聞こうとせず、こうだ、と自分の価値観で判断して、決めつける。

 それはまるで、アレックスが嫌う貴族そのものではないか。


 ただ、当時のアレックスはそこまで心の余裕がなくて、ただただ、アリーシャに牙を剥いて唸ることしかできなかった。

 そうすることが正しいと、信じて。


 その価値観が崩れたのは、早くも翌日のことである。


 昼休み。

 シルフィーナが貴族の女子生徒達に絡まれていた。

 突然、本家に引き取られたことで目立ち……

 そして、シルフィーナの気弱な性格もあって、さっそく質の悪い貴族の女子生徒達に目をつけられていた。


 アレックスは平民であり、貴族である彼女達の機嫌を損ねれば、どのような不利益を被るか。

 自分一人が狙われるのならば問題はない。

 しかし、お世話になっている教会まで目をつけられるようなことになれば……?


 そう考えると迷ってしまい、すぐに動くことができなかった。

 情けない。

 シルフィーナのことを大事な幼馴染だと思っているくせに、いざとなると助けることができず、自分の都合を優先してしまうなんて。


 悔しく。

 自分に対して、腹立たしかった。


 そんな時だった。

 突然、下級生の教室に上級生のアリーシャがやってきたかと思うと、周囲の目を気にすることなく、女子生徒達に説教をした。

 自分の妹を守るべく、欠片も迷うことなく行動した。


 それを見たアレックスは、彼女のことを、素直にかっこいいと思った。

 自分にはできないことをやってのける。

 妹を守るという言葉を、嘘つくことなく実行してみせる。


 なんてかっこいいのだろう。

 まるで、物語に出てくるヒーローだ。

 それに比べて自分は……

 嫉妬やら悔しいやら情けないやら、色々な気持ちがごちゃごちゃになり、暗い感情さえ湧いてきた。


 こんなところはシルフィーナに見せられない。

 なにも言わず、見なかったことにして立ち去ろうとして……

 その前に、せめてアリーシャにお礼を言うことにした。


 色々ときつい言葉を投げかけておいて、今更なにをと思われるかもしれないが……

 そうせずにはいられなかった。

 最低限、それくらいのことはしないといけないと思った。

 なにもできない役立たずだとしても、お礼を口にしない不義理は働きたくなかったのだ。


 もしかしたら、嫌な顔をされるかもしれない。

 なにを今更、と言われるかもしれない。

 それでも話をして……


 そして、予想外のことを言われた。


「十分にフィーの力になっています」


 まさか、アリーシャから認められるなんて。

 意外な展開に驚いて……

 次いで、その言葉をうれしいと思っている自分に、アレックスは再び驚いた。


 嫌いなはずなのに。

 貴族なんて、どうしようもないはずなのに。


 でも……それは、間違いだったのかもしれない。

 ただ単に、自分の視野が狭かっただけなのかもしれない。


 どうしようもない貴族が多いことは確かだけど……

 でも、アリーシャ・クラウゼンは違う。

 言葉だけではなくて、シルフィーナのことを心から大事にしている。

 アレックスが知るろくでもない貴族とは違い、誇りというものを感じられる。

 そしてなによりも、優しい。


 大げさだと笑われるかもしれないが、まるで女神のようだ。

 その優しさに、アレックスも救われていた。


 アレックスは不器用であるが故に、素直になれず、時に荒い言葉をぶつけてしまうが……

 アリーシャのことは、もう嫌っていない。

 シルフィーナの姉として、これ以上ないほどにふさわしく、彼女になら安心して任せられるだろうという信頼も抱いていた。


 ただ、それだけではない。

 アリーシャに対する思いは信頼だけではなくて、他の感情も秘められていた。

 今はまだ、とても淡い想い。

 なにかあれば、すぐに変わってしまうような、小さな火種。


 しかし、もしかしたら消えることなく、ずっと胸の奥に残るかもしれない。

 そして、なにかのタイミングで一気に燃え上がるかもしれない。

 その感情の名前は……


「アリーシャ・クラウゼンか……ははっ、おもしろいヤツだな」

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