第十九話  星楡に届く、其の四。

妻問つまどい、された……。

 あたし、妻問いされたんだわ。

 あたし、源の……。)




 妻になりたい。




 ぽつっ、と小さな声が、若大根売わかおおねめの身のうちから聞こえた。


(そうだ。あたし……。この人の妻に、なりたい。源の、隣にいたい。あたしに笑いかけてほしい。)


「……あたしも、あなたを恋うてます。お父さまのお許しがでたら、あなたの、妻に、なります……。」


 源が、ふわっ、と嬉しそうに笑った。

 そのまま、両手を、指をからめる形でつないできた。

 流れるような早業だった。


 あっ、と思った時には、柔らかく影がおりてきて、唇に温かさを感じた。



   *   *   *


 

 源は、姉や母刀自とたくさん手を握って成長してきた。世間一般と意識のズレがあるのはわかってはいるが、手を握るくらいでは、特別だと思えない。

 若大根売の特別になりたい。

 口づけが欲しい。

 そう思ったら、自然と身体は動いていた。



   *   *   *





(今……!)


 あたしは初めて、口づけをした。

 源は優しく唇を離し、手をほどき、


「へへ……。はしきやし(愛おしい)若大根売わかおおねめ

 オレの家族は皆個性的だけど、きっと若大根売わかおおねめを気に入ってくれるし、若大根売わかおおねめも、気にいるからね!

 もう行くね……。味澤相夜あじさわふよをや!」


 笑顔を残し、ぱっと宵闇に走り去っていった。


(ふ、ふぉっぉぉっぉぉ……。)


 あたしは、口元を両手で押さえて、ぎくしゃくとその場を離れた。




    *    *   *





 源は夜を走った。

 両手を拳に、空につきあげ、


「……やったぁ───!!」


 叫びながら、走る。

 嬉しくて、喜びが身体から湧き上がってきて、走らずにはいられない。

 走っても、走っても、爆ぜるような喜びが、いつまでも身体にある。


(こんな激しい喜びが、この世にあるなんて。)


 ここには武芸を鍛える為に来た。

 まだ自分の婚姻なんて、まったく考えてなかった。

 でも恋をした。

 

若大根売わかおおねめとは、戯れの関係とか、桃生柵もむのふのきを離れる時には捨てるとか、そんなのは嫌だ。


 妻が良い!


 オレは、いつか必ず、韓国に渡り、日本に帰ってきて、立身栄達する。

 その栄達を、側で見ていてほしい人。奈良の屋敷で、妻として、オレの帰りを待っていてほしい人を、見つけた。

 オレの賑やかな家族に、若大根売わかおおねめが違和感なく溶け込んで、一緒に笑ってる姿が、不思議なほど自然に、オレには想像できる。


 若大根売。


 文字の読み書きができる教養があり、身分が上の者にも物申す勇気があり、誠実さを持ち、可愛くって、明るくって、くるくる顔の表情が変わって、目が離せない。

 こんなおみな、絶対、他にいない!

 大好きだ!

 愛している。

 心から恋うている。)


「うおおおおお───!」


 星空に、三日月に、吠える。

 今なら、星楡せいゆ(星に生えているとされる楡)にだって、声が届く。


 はにかんだ顔で、あなたの妻になります、と言ってくれた。その顔が、星空に浮かぶように、源から離れない。



(あなたの妻に。なんて素敵だ!)


 


 源は、息をはずませ、紅潮した顔に笑顔を浮かべ、走り、伯団はくのだん戍所じゅしょに帰った。

 土の庭で、仲間の鎮兵ちんぺいが二十人ほど集まり、相撲をとっていた。

 相撲をとるおのこを手を叩いて応援していた嶋成が、源に気が付き、


「源! 佐久良売さまに連れてかれて、皆、心配し───。」


 源は言い終わるのを待たず、


「嶋成、ありがとう───!」


 と嶋成にガバと抱きついた。

 勢いあまって押し倒した。


「おわっ!」


 嶋成が悲鳴をあげ、皆が、


「源力士りきじの勝ちー!」


 と、わはは、と笑う。


(嶋成、恋に気がつくきっかけをくれて、ありがとう!!)






    *   *   *





 佐久良売は、真比登を部屋にむかえ、浄酒きよさけを二人で呑んでいた。


「あなたのところのみなもとに、あたくしの可愛いお付きの女官をとられたわ。うー。」

「すみません。アイツは良いヤツなんで、きっと、若大根売わかおおねめを幸せにしてくれますよ。」

「ふんっ、うけひさせたわよ。若大根売わかおおねめを幸せにする、って。」

「はは……さすがです。

 佐久良売さま、話題を変えますが、なんでオレに、衆目のなかで口づけするんです? 毎夜、逢いに来てるじゃないですか。なにも皆の前でしなくても……。オレ、恥ずかしいです……。」

「だって……。」


 夕刻、医務室で手伝いを終え、自分の部屋へ戻る最中、女官が噂話をしていたのが、偶然耳に入ってきたのだ。



 ───軍監ぐんげん殿はたくましいわね。

 ───あの腕の太さっていったら!

 ───顔だって、きちんと見たら、かっこよかったわ。疱瘡もがさ持ちだからって、今まで良く見てこなくて、損したかも。

 ───あたしもよ。ちゃんと見たら、いい顔してたわぁ。



 そんな事を噂する女官ども、鞭をくれてやろうか、と手がわなわなしたが、若大根売わかおおねめに、


「ここはこらえてくださいまし!」


 と言われてしまったので、その女官どもは見送り、行き先を自分の部屋から伯団はくのだん戍所じゅしょに切り替えたのだ。


(真比登はあたしの愛子夫いとこせなのよ!)


 居ても立っても居られず、口づけをした。

 ああやって皆に見せつけると、安心する自分がいるのだ……。


 うう、全部は真比登に言いたくはない。あたくしはつん、と顎をそらした。


「だって、真比登のことを恋うているんだもの。ああしたいんだもの。あたくしだって、少しは恥ずかしいわ。

 でも、ああしないと安心できない時があるの。

 皆に、真比登はあたくしのおのこだって知らしめたいの。」


 真比登は少し不安そうな顔をして、首をかしげた。


「安心できないんですか……? オレはこんなに佐久良売さまを愛しているのに……?」


(そ、そんな可愛い表情しないでちょうだい!)


「あ、あ、あなたが悪いんじゃないのよ。強いて言えば、あなたが魅力的なのが悪いのよっ!」

「オレはどうすれば……?」

「そのままで良くてよ。真比登はあきらめて、あたくしのする事を受け入れて。

 それ以外、道はなくてよ。」

「うーん……?」

「とにかく、良いのっ! あたくしがしたい時に口づけさせて!」


 真比登がくすっと笑った。


「それなら、わかりました。オレの天女の仰せのままに。」


 




    *   *   *






 若大根売わかおおねめ土器土器どきどき日記。


 お姉さまへ。


 ああああああ、あたし、韓国連源の、つつつつ、妻になります!


 まだ、お父さまのお許しがでたら、ですけど。

 そして、なんと源と……。

 口づけをしてしまいました。

 妻問いされて、それを了承してからですから、お許しくださいね。

 初めての口づけは……。

 甘かったです。


 キャ──────ッ!


 だって、源って格好良くって、顔が可愛いくって、背が高くって、すらーっとしてるんですもの。あれで博識。

 信じられない。

 あたしの事を、とっても愛してるんですよ。ああ、信じられない。

 恋うてるって文をもらって、何回も恋うてるって言われたのです。


 口づけ、しちゃった。


 キャ──────ッ!


 お姉さまに紙銭しせんを送った時、ゆっくり源と話をして、あたしは、なんともいえない心地を味わっていました。

 今なら、はっきりとわかります。

 微笑みながら家族の事を語る源と、もっと一緒にいたい。その微笑みを、あたしにも向けてほしい。

 そう思っていたのです。


 もうあの時から、あたしは源に恋をしていました。


 お姉さま、許してくださいますよね?

 お返事がいただけたら良いのに。


 ……いえ、本当はわかっています。

 あたしが、陸奥国を離れても、お姉さまは、きっと笑顔で、見守ってくださいますよね。

 古富根売ことねめ姉さまは、優しかったですもの。

 だから、こう言います。

 あたしは、源の妻となります。

 お父さまは、佐久良売さまの了承があれば、反対なさらないでしょう。

 佐久良売さまのおそばを離れても、あたしを、佐久良売さまを、見守ってください、お姉さま……。



 若大根売わかおおねめより。












 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076080654119



 ↓かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093082911863241

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