第4話 時を遡る

 雪白の世界から抜け出したアリアリーナは、緩慢に意識を覚醒かくせいさせる。朦朧もうろうとする意識の中を彷徨うと、徐々に視界が色づき始める。煌々とした光が景色を照らした。あまりの眩さに、なかなか目は慣れない。

 何度か短い瞬きを繰り返していると、ようやく眩しさに慣れてくる。目の前に広がったのは、彼女も思わず息を呑んでしまうほどの美顔であった。癖のないバターブロンドの髪が風に揺れる。前髪の隙間からこちらを覗くのは、希少性の高い宝石ブルーダイヤモンドの如くひらめく双眸であった。

 ヴィルヘルム・ルスティー・ラトリッジ・グリエンド。古くより、ツィンクラウン皇族に仕えてきたグリエンド公爵家の当主。神々の最高傑作さいこうけっさくである類稀たぐいまれなる美貌を誇り、剣術にもけた帝国民の憧れの的である。

 最後に見たのは、アリアリーナが皇族の皆殺しを果たした王座の間でのこと。その時よりもだいぶ若返っているように見える。ヴィルヘルムの瞳に映るアリアリーナも、同様に若々しい。

 果たして、これは夢なのだろうか。どこからともなく上品な音楽が聞こえてくる。美しい演奏と共に、貴族たちの囁き声と笑い声も。皆、アリアリーナの陰口かげぐちを叩いている。今、彼女はヴィルヘルムと華麗かれいなダンスを踊っていた。夢の舞台は舞踏会、だと思うが、夢にしては明瞭めいりょうな気がしてならない。

 アリアリーナは、視線を周囲の貴族たちへ向ける。未婚の貴族男性や貴族女性たちに囲まれている異母姉が目に入った。彼女の名は、エナヴェリーナ。ブロンズグレイの長髪に、ファイアーオパール色の瞳。薄桃色のプリンセスラインのドレスを纏う彼女は、名実共にツィンクラウン帝国を代表する美しき姫君だ。エナヴェリーナは、アリアリーナを悲哀ひあいにじむ眼差しで見つめていた。

 アリアリーナはヴィルヘルムに視線を戻す。


「あなた、今、何歳?」


 卒然そつぜんと、アリアリーナが問いかける。ヴィルヘルムが瞠目どうもくした。若干じゃっかん戸惑とまどったあと、彼はあわく色づいた唇を開く。


「20歳、ですが」


 控えめにヴィルヘルムが答える。随分と若々しく感じるわけだ。

 アリアリーナは、七年、七年という年月をさかのぼっていた。これは夢ではない。時が過去へと戻っているのだ。自分は確かに死んだはず。しかし人の生死、自然の摂理に介入することができる謎の男の力により、そして自分自身が「生きたい」と願ってしまったばかりに、二度目の人生を歩んでいるのだ。

 アリアリーナの年齢は、現在17歳。彼女の記憶が正しければ、今日は秋に開催される建国記念祭の舞踏会である。そして彼女がヴィルヘルムに無理を言って迫り、エナヴェリーナに続いて、彼のダンスのパートナーの座を勝ち取った瞬間だ。舞踏会の場には、様々な地から招いた客人もいる。そう、ツィンクラウン皇族の血を引く者も――。

 アリアリーナはお目当ての人物に目線を向ける。アデリン・カイラ・トムリンズ・ディオレント。帝国の傘下国ディオレント王国王妃。皇帝の異母妹であり、アリアリーナの叔母に当たる人物である。肩までの薄いベージュの髪に、ファイアーオパールの瞳を持つ。溢れ出る威厳いげんは、只者ただものではない雰囲気を醸し出していた。

 そんな彼女は、今晩、死ぬ予定である。アリアリーナが呪術を施した猛毒で殺すつもりだからだ。しかし、ツインクラウン皇族を破滅させなければ自身が死ぬという呪いは、一度目の人生で消え失せた。もう既に存在しない呪いなのだ。つまりアデリンを殺害する必要性がなくなった。


「………………」


 アリアリーナはふと足を止める。ダンスの途中だと言うのに、無礼にも立ち止まった彼女に対して、会場は喧騒けんそうと化す。ヴィルヘルムも驚愕している様子だ。


「嫌ね……。足を止めたわよ?」

「グリエンド公爵に失礼だわ……!」

「やっぱりダンスは下手だったのね」


 いたるところから、アリアリーナを侮辱ぶじょくする声が聞こえてくる。アリアリーナは気にすることなく、アデリンを見つめる。傍を通った執事しつじに、アデリンが声をかける。執事は立ち止まり、ワイングラスを差し出した。彼はアリアリーナの専属執事が秘密ルートで手配した使い捨ての男である。受け取ったワインに毒が入っているとも知らず、アデリンは最高級のワインの香りを楽しんでいる。彼女を助ける義理は、アリアリーナにはない。だがアデリンは、性根しょうねくさったツィンクラウン皇族にしては珍しく、純潔じゅんけつでまっすぐな性格をしている。

 アリアリーナはヴィルヘルムの手を放し、間のど真ん中に彼を置き去りにして、アデリンのもとに向かう。アデリンは突如近づいてきた彼女に驚いたのか、目を見開いたまま立ちすくんでいる。アデリンが手に持つワイングラスを強引に奪い取り、代わりに飲んだ。その行為には、先程まで陰口を叩いていた貴族たちも口をあんぐりと開けて仰天ぎょうてんしている。


「アリアリーナ第四皇女殿下……」


 アデリンが呆然と呟く。アリアリーナは最後の一滴まで飲み干す。全身に毒が回り、ふわり、ふわり、と体が浮く感覚に襲われる。

 呪術をかけた本人には猛毒の耐性たいせいがあるかと思われるが、そんなことはない。毒は毒に変わりはないのだ。飲んだあとで改めてそれを自覚した彼女は、その場にワイングラスを落とすと、ガシャンとガラスの破片はへんが無惨に飛び散った。彼女は、左手奥の壁際にいる男、執事服を纏った美しい黒髪に、異彩いさいな雰囲気を放つ絶世の美少年に視線を移す。そしてそのまま、意識を手放したのであった。

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