〈17-4〉
「どっちがいい」
「あ?」と、反射的にサオリは声にすると睨み付ける。
「どちらかひとつだけ、返してあげる。どっちがいいかしら」
「―――ッ両方!早く返せぇッ!!」
声を荒げてサオリは吠えた、気の強い娘だとシャーロットは青い瞳を細めて微笑した。そして右に預かっているサオリの手の甲に口付けた、グシャッ、と表皮がヘコみ皺がヒビのように広がっていく。まるで蝶が花のミツを吸い上げるような可憐な所作で、それは直に枯れ果てミイラとなった。膝元に出涸らしが投げ捨てられた途端、サオリは一瞬それがなんなのか戸惑う。これは、私の手だ―――気付いた途端に悲鳴があがった。
「欲張りさんねぇ…でも駄目よ、ひとつだけ。さあアレニエ、彼女を治療してあげて。もちろん変な真似したら―――」
シャーロットは茶目っ気のある声をだすとサオリから切り離した左手を見せつけた、赤い鮮血を帯びている。握ったまま振ってみせると、最後に脅し文句をつけた。
「容赦なく、今ここで首をはねる」
名を呼ばれたアレニエは、木立の影からメイド服で現れる。
夜露で曇る眼鏡をハンカチで拭きながら一礼し、血生臭いサオリの左手を受け取った。切断面は細胞を潰さず綺麗に落とされていた。圧倒的強者に強張る勇者の傍らにしゃがみ込むと、治癒の魔力を注いで止血し左手首を元通りくっつけてみせる。右は止血のみだ。聖女ならではの、ハイレベルな高等治癒魔法である。
「シャーロット様、こんな奴は殺してしまった方が良いのでは」
アレニエは座り込んだまま、冷たい眼差しをサオリに向けた。
「だめよ、勇者達はなにか勘違いをしているようだから…ちゃんと伝えてもらわなくちゃ困るの」
シャーロットは、アレニエに優しく笑いかけながら言葉を続けた。
「…だから、また私の家族に何か危害を加えるのであれば昼であろうが夜であろうが次はない。確実に、次は貴様等を全員を屠ってやるのだと」
激情を秘めた魔力が、シャーロットの青い瞳を紫紺へ変色させ闇を宿す。
サオリは底知れぬ力を前に完全に怯んでいた、そして自身が今置かれている現状はよろしくない。シャーロットは捕食者で、サオリが被食者の立場だ。
「ねえ、あなたの名前は」
唐突に、シャーロットは名前を尋ねた。
「…あっ…ああ」
しかしサオリは狼狽えていて話にならない、アレニエは咄嗟に右手を素早く真横へ振りぬくと強烈なビンタを頬に浴びせた。叩かれたサオリの頬は、冷たい外気の中で少しずつ赤く充血してヒリッとした痛みを走らせる。ハッとした顔でアレニエと視線を合わせた、それから慌てて口を開く。
「ッさおり」
「…サオリ」
アレニエは、少し考えるような間を空けながらレンズ越しにサオリの瞳を覗き込む。そして無意識に名前を復唱していた。
「ではサオリ、私がさきほど言った事を仲間たちに伝えなさい。そして必ず守る事。でないと、貴女の血の臭いはもう覚えている―――…どこにいようがすぐわかるのよ」
シャーロットにそう言い切られる前に、サオリは完治した左手で槍を拾い上げる。そして飛び退くと転がりながら街の方へ駈けていった。アレニエがその間抜けな後ろ姿を見送ってから立ちあがると、シャーロットへ怪訝に目配せした。
「勇者にしては、手数が少ないように思えましたが」
アレニエは首を傾げて、シャーロットは頷いた。
「ええ、出し惜しみしているようには見えなかった」
「不気味です」
「憶測だけど…もし能力を失うという現象が彼女達の身に起こっているのなら好都合よ。一層、返り討ちにしやすくなる」
シャーロットは自身の掌を片方、月にかざしながら嬉しそうに語る。
ベットリついたサオリの血液を恍惚とした表情で眺めている。それから口元を覆うと芳醇な香りを胸いっぱいに吸い込んだ。舌で舐め回した直後に我に返る、数分ほど放置してしまったアレニエに視線を寄越した。
「ごめんなさい、私の世話までさせてこんなところまで付き合わせてしまって」
「いえそんな、私が勝手についてきただけですので。それに、シャーロット様のおそばにいるのが…私は…好きなのです」
アレニエは目許を紅潮させ、愛おしそうにシャーロットを真っ直ぐ見つめていた。性別や種族を超越した感情で、密かに慕っているのだ。しかしシャーロットには、すでにサイラスがいる。そう日々言い聞かせながら、己の感情を戒めていた。
「病気は、治せるように頑張りますので。絶対に、諦めないので」
「やだわ、そんなに張り切ってたら貴女の方が倒れてしまう。アレニエは私の大切な家族よ。サイラスやウェイン、他の皆もね」
月は淡く降り注ぎ、反射した雪明かりがシャーロットを美しく照らしている。しかしその光景は消え入りそうな灯火にも似ていてとても儚く感じた。アレニエは思わずシャーロットを正面から抱き締める、身長はアレニエの方がやや高い。シャーロットに驚く素振りはない、大人しく腕の中に納まりながら瞳を閉じている。
「泣かないでアレニエ、みんな泣き虫なんだから」
救いの神は存在しない、それだけはこの世界の常識であり真実。
そう囁くかのように、霜がもの悲しげに泣いていた。
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