〈12-2〉

「不安だよな」


シノノメは昨日と同じような装いだった、でも少し違う。今日は眼鏡をしていなかった、前髪も後ろに流してゆるいオールバックだ。手には革のボストンバックを持っている。中には少しの着替えと貴重品が入っているのだろう。


「眼鏡、伊達なの?」


「ああ」


「シノノメって何歳?」


「38」


「ええっ!?」


何気なく聞いてみただけであり驚く、思っていたよりは若かった。きっと七三と眼鏡が悪さをしていたのだ、それと修羅場をくぐり抜けてきたであろうこの貫禄だ。


「ごめん、大きな声だして。」


「…まあ、ガキに見られるよりかは全然いい」


誠は向き直ると窓辺の余白に腰掛けた、表情からは不安は拭えない。シノノメは確実に強い、それに比べて今どう抗っていいのかわからない自分は無力で、また途方に暮れてしまいそうになっていた。


「ウェイン様は、そんな顔せんだろうな」


「…そうだよね」


シノノメは項垂れる誠の様子に肩をすくめ、笑みを浮かべた。


「安心しな…それに、部屋の外に張り付いているあいつはただのメイドじゃない。昔、一度だけ不意打ちだったが殺されかけた事がある」


「は!?」


こんな物騒な話題なのに、シノノメはおかしそうに言い放った。


「返り討ちにしてやったんだがよ…その後気付いたら全身バキバキに折れてたよ。あの時はサイラスさん達にもかなり迷惑かけちまったな」


最後の内容については目は笑っていなかった。どのみち仲は良くないようである。誠は冷静に考えて、そして自身のために質問をした。


「ウェイン・ギャラガーに何か必殺技みたいなのはないの?能力って言うか…皆に守られてばかりなのはその、情けなくて」


俯く雛色頭をシノノメは黙って見つめた、指で自身の下顎を掴み少し唸って考える。そして至って真顔で言い放つ、窓辺から吹き込む風が黒い髪を煽った。


「あの女と一緒にいればわかる、そのうちな」


「…ベロニカが、もし僕の事に気づき、良く思わなかった場合は?」


「大丈夫だろ、あの女にとって…ウェイン・ギャラガーは神様なんだよ」


「なんなのそれは」


「とりあえず、堂々としてろ。さて…悪いが俺はもう行くからな、ガキはいちいち心配なんてしなくていいんだよ。サーカスまでには戻るつもりだ。だから、ヘマだけはすんなよ」


一瞥し、去り際は優しい声だった。シノノメは誠の真横を疾風のように通り過ぎた、革靴を履いている脚には風の加護が宿っている。窓に身を乗り出し後ろ姿を目で追った、背の高い木を順番に蹴り上げながらコートを翻しどんどん森の奥へ進んでいく。そして、とうとう見えなくなった。


誠は脱力し、そのままズリッと窓辺へ凭れる。それから背を預け床に座り込んでしまった。そして気付くと、正面にいつの間にかベロニカが居た。扉がシノノメにより解除されたのだ。しかし無表情で、視線はしばらくシノノメが飛び出していった方向を見据えていた。滑らかに視線を落とすと体を縮こまらせた少年に微笑みかける、両手でスカートの左右裾を持ち上げて。丁寧なお辞儀をしてきた。


「ウェイン様、おはようございます。素敵な朝ですね」


「お、おはようベロニカ…そうだね、いい天気だ」


笑みが思わず引きつる。今日は下着姿ではなく丈の長いメイド服をちゃんと着ている、でも首から鎖骨辺りまで相変わらず露出した制服だ。給仕しやすく、なのだろうか。誠は立ち上がりながら、ベロニカを見上げる。高身長で、出るところは出ている。なので視線は泳いでしまった。


「あのさ、ベロニカ」


誠の発声と同時にベロニカが屈み込む、視線の高さを合わせてきた。グレーの瞳はキラキラと輝いて見えた。


「する?」


「え?!あ…給仕?いや、いいよまだ」


「ああっ…そんなぁ」


返答に期待を裏切られ、ベロニカは目頭を押さえると眩暈がして後ろへよろめく。が、体勢を直ぐに持ち直し、また同じ様に背丈を合わすと顔を近付けてきた。艶のある、桜色をした唇が近い。誠は靴の爪先をもじもしと動かした。


「僕ってさ、どんな風だったっけ…教えてくれないかな」


シノノメはしばらくいない、それならこのウェイン・ギャラガーについてもっと知るべきだと思っての質問だった。白々しかっただろうか、ベロニカの顔へ恐る恐る視線を戻す。直後、ベロニカは目元を緩ませると頬を紅潮させ吐息を漏らした。


「恥ずかしい…ウェインと私が今まで何をしてきたかなんて、冷たい眼差しで囁いて、私にあんな事をさせて」


「あはっあはは…何したんだろう。それは別の時でいいかな、他には?」


「はあっはあっ…今から、2人っきりで、実演したらいい。そしたら、記憶…戻るかも」


瞳は完全に据わっていた。


「待って!落ち着こうって」


誠は額に汗を滲ませ平然を装う、ベロニカの息遣いは荒かった。ダメだ、これは、この聞き方は不味かったんだ。わかった事がある、ウェインは誠とは真逆の性分だという事。両脇に白い手が滑り込む、そしてそのまま羽のように軽々と胸へと抱き上げられた。


「そうやってまた拒絶する」


「ち…違うって」


ベロニカの声は弱く震えていた。ウェイン少年の唇は首筋にあてがわれているからか、体勢的にも表情はよくわからない。ただこうして肌を寄せてると「愛おしい、噛みつきたい」という衝動がわく、初日のあれもきっとそうなのだろう。しかしこれは自分の意思ではない。もう1人の、ウェインの意思なのだ。まばたきをして、ただベロニカの匂いだけが呼吸する度に酸素と混じり肺へ送り込まれる。


「私は、ウェインがどんな風になっても…ずっと愛してるから」


真っ直ぐな言葉だった、それに対して誠は何も言えなくなった。

ベロニカとウェインはそういう関係なのだ。誠が中に入り込むことにより呪いは吹き飛んだが、結局、悲しい事には変わらない。抱き締められながらも表情が歪む、心が軋んだ。こんな事なら前世の記憶も消して欲しかった。


悪趣味すぎる、なりきれない、ベロニカのウェインに…

なれるはずがないのだ。

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