第15話 大切なものしかないんだって

結局、誠はその後しばらくベッドで眠ってしまった。慌てて起きて窓を見遣るともう半分陽が落ちていた。この世界の夕焼けは色彩が濃い気がする、赤葡萄みたいだった。星がたくさん降ってくれたら嬉しいのだが、そう思いつつ武者震いか恐怖からなのかしばらく手の震えがおさまらなかった。


下準備を始める、まずは嘘の約束をするためにベロニカを探す。

ベロニカはバスルームに居た。浴槽や床を綺麗に磨いた後に湯を沸かしていた、扉を開いて声をかけると笑顔をみせてきた。何かを期待し飛びかかられる前に、素早く、今晩の事について話題を切り出す。


「ウェインが…私の部屋に来てくれるの?」


「…ベロニカにばかり、来てもらうのは悪いからさ」


彼氏だし、という言葉はなんだかしっくりこなくて言わなかった。ウェインとベロニカの関係は、多分、彼らにしかわからないような気がしたからだ。


「何か、企んでるのかな」

「別に」


意地悪そうにベロニカは笑った。正直焦った、しかし負けじと顔色は変えなかった。涼しげに言い捨てると踵を返す、こういう感じがきっとウェインっぽいのだと誠は勝手に思っている。


そして、その足で食堂へ向かう。長方形の長い大きなテーブルに白いクロスが掛けられていた、机上には3箇所に分けて赤い蝋燭が金の燭台に刺さって置かれこの屋敷全員分の食器が並べられていた。椅子も皆分ある。天井には白熱球のシャンデリアが吊り下がっている、見慣れたものがあっても違和感を感じなくなっていた。


このギャラガー家は貴族のように思えたが、それはもう古い過去の事だとサイラスは語る。そして、基本夕食だけは皆一緒に、というのがここのルールらしい。別に押し付けるような亭主関白というわけではない。ただ、単純にサイラスが極度の寂しがり屋なのだ。本人は明るく振る舞ってはいたが、暗い過去を持っているという部分は変わらない。


練り飴のように捻れた形をした蝋燭には火は灯っていなかった、夕食は肉料理と伝えられていただけあってどこからか香ばしい匂いが漂ってくる。嗅ぎながら見回してみると、食堂とキッチンを繋ぐ通路をアレニエが歩いて来た。両手には大皿、それと同サイズのガラス製クローシュを被せて抱えていた。その中身は、リュミエルが仕留めたという鹿の肉だ。手伝おうと、手を差し出すが首を横に振られ断られた。


「全て運び終えたら召し上がれますので、ウェイン様はお好きな席にどうぞ」


座る場所も特に指定はないようだった、ウェインならどこに座るのかを考える。そして決めた、中央だ。アンティークチェアを手前に引くと座り込む、誠はそのまま大人しく皆を待つことにした。目を閉じて、もちろん寝ているわけではなく瞑想しているのだ。今晩1人で抜け出すための、大切なイメージトレーニングというやつだ。


―――カチャカチャ…ガタ…ガタガタッ


食堂に赴く足音が増え、美味しそうなにおいが加わってくる。それぞれが気ままな席へ腰かけている様子が瞼越しに浮かんできた。


「ウェイン」


右隣からベロニカの声が聞こえる、誠は瞼を開けて視線を寄越す。口許を手で覆いながらうっとりした眼差しが向けられていた。無難に愛想笑いで返した、嘘をついたぶん後が怖いような気もするが後には引けない。


「ウェイン様よぉ寝るにはまだ早いぜ、今から皆で飯だ飯っ!」


正面にリュミエルが豪快に笑いながら座っていた、配置含めて本当に自由気ままな食卓である。


「ウェイン様、なんだか以前よりボケッとしてらっしゃるようなので…私がよそってさしあげますね。本当っ子供みたいなんだから」


ぶつくさ言いながら、誠の左隣にはちゃっかりソレィユが座っていた。これがツンデレなのだろう、大皿からよく焼かれた大きな肉を専用ナイフで切り分け皿に盛り付けてきた。中までしっかり焼けているが食感は柔らかそうで、その上に飴色の香草とフルーツを煮込んだようなソースがたっぷりかけられる。ベロニカが鋭い目つきでそれを凝視していた。


「ウェイン様!お肉のシチューもあるんですよ~ベロニカも手伝ったんです、一口食べてみて下さい」


業らしい口調でベロニカは言ってみせた、キッチンワゴンにはお肉ごろごろ入りシチューの寸胴鍋が乗っていた。見た目はビーフシチューと言いたいが鹿肉シチューである。ベロニカは素早い所作でスープ皿にそれを注いで戻って来た。そしてスープスプーンでひと掬いすると艶っぽい息を吹いて冷まし、誠の口へ寄せてきた。


大人しくそれに従う事にした、赤ワインやデミグラスにまみれ長時間煮込まれていたのであろう肉は臭みがなく、蕪らしき野菜と一緒に混ざり合うとすぐに溶けた。柔らかい。2人のやり取りを眺めているソレィユの瞳から光がスゥと消え失せる、なんとも言い難い渦中に巻き込まれていた。


やばい、早く部屋に戻りたい。


リュミエルは空気が読めないタイプだ、笑顔でワインを開けるとグラスに注いでいた。そういえば、サイラス達は?と。誠は思う。


――――ゴホンッ


咳払いが聞こえた、シノノメかと思ったら違う。アレニエがリュミエルの後方にある扉から部屋へ入ってきたのだ、サイラス達の自室に向かえる通路がある。食卓の様子から色々察したのか苛立った指先が眼鏡ブリッジを軽く持ち上げた。


「皆様、旦那様と奥様がいくら優しいからと言ってもマナーぐらい守りましょう。頂く前に、お祈りはすませましたか?」


「「…ごめんなさい」」


サイラス達の事を口に出した途端、一同は我に返りシュンと萎んで反省した。誠がワンテンポ遅れて声をかける。


「父さん達になにかあったの?」


表情の読み取れないアレニエを見ていると、嫌な予感がしてしまう。


「実は、奥様の体調がよろしくなくて…ですのでお二人とも今日はこちらに顔が出せないとのことです。私が、時間を置いて配膳するように努めますので」


「…母さん、病気なの?」


知らなかった、というか誠はそんな事知るわけがない。アレニエは、濁しながらも簡単に説明してくれた。シャーロットはウェインが呪いで倒れるかなり前から、魔族だけがかかる奇妙な病に冒されているという。それはサイラスと一部の使用人しか知らない、おそらくアレニエとシノノメまでだ。驚く事に、ウェイン自身にもこの事はずっと話されていなかったようだった。賑やかだった食卓が、一気に静まり返った。


「シャーロット様…大丈夫なの?」


ベロニカが一層不安げに問いかけ、ソレィユの深緑の瞳が揺らめく。空気が、脆くなった。リュミエルは座ったまま、膝に両手を置くと俯いたまま沈黙している。アレニエがそれぞれを一瞥しながら言葉を選ぶため考え込み、一呼吸置くとゆっくり話を続けた。


「サイラス様が諦めず頑張ってくれてるから…それに私も元聖職者として手を抜く気はないから」


ここでアレニエが聖女だという事が判明する、聖女と言えば治癒魔法のイメージがある。ワケアリの集まり、きっと彼女も過去に色々あったのだろう。誠の方へ目配せすると言葉遣いを正す。


「しばらく黙ってるように言われてました、だって皆さん…ほら。絶対暗い顔するだろうと思ってましたし」


アレニエは澄ました声で、全員を見渡すと溜息をついた。


「なんで急に、言う気になったんだ?」


リュミエルが座席から振り返り、今日一番真面目そうな声で聞いた。


「サイラス様が、結局皆家族だから…変に隠し通す方が変かもって。気まぐれよ、あの方は心が疲れててずっと不安定だから」


アレニエは口調をくだけさせて答え、リュミエルが「そうか」とだけ小さく呟いた。ソレィユが皆に気付かれないように俯いて、涙を鬱陶しそうにメイド服の袖で何度も拭っている。ウェインと同じぐらいの背丈しかない子供だ、詳しい生い立ちはまだわからないがきっとシャーロットを母親のように思っているのかもしれない。横目で眺めながら、それを見なかった事にした。

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