第40話 経験者は語る

 佐野さんが部室を去ってから、僕はいろいろ考えを巡らせてみた。

 彼女が人助けに積極的なのは亡くなった母親の言葉──困っている人がいたら助けなさい──がきっかけだった。たしか彼女はあの時、母親の言葉には続きがあったと言っていたが、結局思い出せたのだろうか。


 ふと、これまでの彼女の姿がフラッシュバックする。

 あの日、放課後に最古先生と見た走り回る姿。

 あの日、食田くんのおかしな相談に迷わず乗った姿。

 そして、一人立ちすくむ影山さんに駆け寄った姿。


 それらの記憶は脳内から消えることなく、くっきりと鮮明に浮かんでくる。

 帰り道も、家に着いた時も、入浴の時も、ずっと考えていたけれど、やっぱり僕が取るべき行動と伝えるべき言葉は分からなかった。


「ハル、何かあったのか?」


 夕食の時間、流唯さんは唐突にそう問いかけてきた。


「……何も」

「嘘つけ。明らかにおかしいじゃん。ほら、話してみい」


 流唯さんはからあげを一つ頬張ると僕の目をじっと見てきた。僕はその圧に押され、渋々黙秘を断念する。


「……体育祭に関していろいろあって。彼女……つ、月ヶ瀬さんが……」


「なんでそんなに言いにくそうなんだよ。ハルとアオちゃんは同じサークルのメンバーだろ? なんなら、ハルもアオちゃんって呼んじゃえば?」


「やだよ」

「まぁ、そのうち名前くらい呼べるようになりなよ」


 果たしてそんな日は来るだろうか。

 僕が彼女の名前を呼ばないのにはいくつか理由があるが、最も大きな理由は「名前を呼び合うことは人と関わることと同義」という持論があるからだ。


 僕は彼女と近しい関係になる訳にはいかない。僕たちは最古先生の計画に巻き込まれた被害者であり、友だちではない。


「それで、アオちゃんがどうしたんだ?」


 本当は部屋で読書でもしようかと予定を立てていたが、これは乗りかかった船というやつだ。今さら引き返すことなんて不可能なので、佐野さんの時と同様に事の顛末を流唯さんに伝えた。


「なるほど……。実にアオちゃんらしい悩みだなー」


 もしかすると思い詰めた空気になるのではと予測していたが、心配は杞憂に終わった。意外にも流唯さんは冷静で、ビールを一口流し込んでから語り始めた。


「んー、やっぱアオちゃんは優しすぎる!」


 突然声量が跳ね上がり、不覚にもびくっと驚いてしまった。まだ一口しか飲んでいないので酔ってはいないと思う。単に流唯さんが元気なだけだ。


「アオちゃんは多分、昔の私に似ている。これは別に昔の私が優しかったとかではないぞ? 何というか……とにかく、どこか似ている」


 僕の知っているのは大人になってからの流唯さんなので、彼女に似ているなんて全く想像がつかない。


「まぁ、私と同じくアオちゃんも不器用な人間なんだと思うよ。人は一人では生きられないとよく言うけれど、不器用な人は特にそれ当てはまる気がするな。人間、一人じゃやっていけないんだよ。そこに誰かがいないとね」


 流唯さんは変わらず冷静だったが、先ほどとは違って今は少し儚げな表情をしていた。


「でもね、何かをしてあげたいっていう思いと何かをしてほしいっていう思いがあってこそ、人との関係は成り立つからね。需要と供給? みたいな話だね」


 流唯さんはもう一口ビールを飲み、グラスをトントンとやりながら明日の方向をじっと見つめ、再び僕に視線を移す。


「まぁさ、まずは体育祭の運営に集中しなよ。最後の体育祭なんだし、楽しまなきゃ損だからね! そして、アオちゃんと影山さん? を孤独にしないこと。この二つだけは忘れずに、あとはハルが自分の本心に従っていればきっと大丈夫だよ」


 僕の本心は一体何なのだろう。心の奥底にある思いは本当に人との関わりの拒絶なのだろうか。それは建前か、はたまた本音か。僕自身のことのはずなのに、ちっとも分からない。

 だから多分、誰一人として分からない。僕に寄り添ってくれる人はいても、僕を理解してくれる人は今後きっと現れないのだ。


「ハル、一杯飲もうよ」

「いや……飲まないし、飲めない」


 流唯さんは心底残念そうにビールをまだ一口飲んだ。それにしても未成年の僕に飲酒を勧めるなんて……。こんな大人にはなってはいけない。


「じゃあさ。数年後、ハルがお酒を飲めるようになったら一緒に酒を飲もう。いっぱい飲んで、たくさん語ろう。そうしてハルと馬鹿みたいに笑える未来が、私の今一番の楽しみだよ」


 酔っているからか少し大袈裟な話になってきたが、きっといつかの未来、僕は流唯さんに説得されて一緒に酒を飲み交わすことになるのだろう。飲酒願望は特にないけれど、そんなことはどうでもいいときっと流唯さんは言う。だから僕か流唯さんがこの家を出て行かない限りは必ず訪れる未来なのだ。


「んじゃ、そろそろ寝ようか。ハルは明日も学校だろ!」

「うん」


 前々から思っていたが「明日も学校」という言葉を聞くだけで酷く憂鬱な気分になる。まさに悪魔の言葉だ。たった一言で学生をどん底へと突き落とす、究極の言葉。


 そう、流唯さんの言う通り明日も学校。僕らは体育祭に向けてこれから更に活発に動いていかねばならない。これまでより忙しくなるだろう。


 ただでさえ三人しかいないのにそのうち二人が問題児という残念な生徒会の負担を軽減するためにも、青い星サークルがしっかりと機能していく必要がある。


 ──早くこの窮屈な日常から脱したい。


 そんなことを思いながら、僕は眠りについた。もしかしたら今日は悪夢を見るかもしれないとなんとなく思った。

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青春という名の奇妙な日常 中野ると @rutoruto05

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