第2話 人攫いと女の子

 宿屋の区画くかくく馬車に追い付くのは存外ぞんがい、簡単だった。

 

 黒装束の御者ぎょしゃが一般常識をね備えているからなのか、目立つことを控えてなのかはわからないが、街中で馬を走らせるようなことはしなかったからである。


 最悪、全力ダッシュの末にヤツらと対峙たいじすることになるかと思っていただけに、これは嬉しい誤算だった。

 ただ一方で、馬車の後ろにつけて中をうかがっても、ほろと暗闇が邪魔をして肝心の箇所かしょを視認することができなかった。


 どうする――。


 腰のナイフで隙間を空けること可能だろうが、漏れ入る光や音で曲者くせものの存在に気付かれるかもしれない。そうなれば、黒装束の男はむちふるって馬車を走らせるだろう。


 悩んだ末に、僕は出たとこ勝負を選ぶことにした。


 一度足を止めて馬車から距離をとると、脹脛ふくらばぎにグンと力を入れてリスタートする。一気に速度をあげていき、荷台に迫ると大きくジャンプ。空中で馬車のへりに片手を着いて高さを稼ぐと、そのまま中へと飛び込んだ。


 視界をさえぎっていたほろを払い退けると、女の子を拘束していたのか、しゃがんでいる大男の姿が目に飛び込んでくる。予期せぬ来訪者に大男は面喰めんくらい、驚いた表情を浮かべたまま固まっていた。


 いける――っ!!


 瞬時にそう判断すると、着地と同時に腰から素早くナイフを抜き、突撃せんとする。と、ようやく我を取り戻したのか、大男も迎撃しようと立ちあがろうとした。

  

 だがその瞬間、馬車が左右に振られて大男は大きくバランスを崩す。恐らく宿屋の一画いっかくから大通りに出たのだろう。

 

 進行方向に正面せいたいした僕は寸前でそれを察知すると、石畳の段差による衝撃と遠心力をなんとかやり過ごした。

 

 大男に立て直す時間を与えまいと一気に距離をめ、同時にナイフを持った右腕を身体からだの前で水平に構える。そして、ひじを起点に鋭くナイフを振るうと、緑光りょくこうを散らしながら刀身とうしんが暗闇に軌道きどうを描いた。


 大男は不十分な体勢ながら僕の手首の辺りを払おうと腕を伸ばしてきたが、すんでのところでそれをくぐり抜けると、ひきつった顔がもう眼前にあった。


 次の瞬間、数歩分の勢いを乗せた渾身こんしんの――峰内みねうちが首元左下へと突き刺さった。


「かはぁっ……!」


 無理やりのどをこじ開けるような短い断末魔だんまつまが耳を突いた直後、大男はヘナヘナと崩れ落ちていった。


 小柄な子供が、二倍はあろうかという巨漢きょかんを打ち倒した瞬間であった。


「はぁ、はぁ……」


 大男が完全に伸びたところを見届けて、ようやく自分が息を切らしていることに気付く。どうやら呼吸をすることさえ忘れていたようだ。 

 

 勝鬨かちどきをあげる気にもならず――そもそもあげるわけにもいかないのだが――手に残ったしびれるような感覚に戸惑い、しばらくの間、動けずにいた。

 誰かを傷つけることへの嫌悪感のようなものが、きっと湧いてきたのだと思う。


 ようやく硬直こうちょくから解放されると、ナイフをさやに戻すのも忘れて大男の手首をつかむ。


 そこには、確かにドクドクと流れる脈があった。僕は自分がった男が生きていることに途轍とてつもなく安堵あんどしたのだった――。


 しかし、それもつかの間。


「おい、何の音だ!」


 ほろを挟んだ御者台ぎょしゃだいから責めるような声が聞こえてきた。


 大男に意識の大半を持っていかれていた僕は、驚きのあまり数センチ飛び上がる。

 音を出さないように行動していた理由をすっかり忘れてしまっていたらしい。


 女の子の方をチラリと見るが、すぐの離脱は困難。加えて、足元には大男が転がっている……。ほろを開けられたら一発でアウトだ。


 僕に残されている選択肢は多くはなかった。天をあおいでからのどぼとけを押さえると、声を目いっぱい低くして怒気どきを含ませる。


「問題、ない……!」

 

 僕はなかば祈りながら、聞いたこともない大男の声を真似まねてみせたのだった。

 だが、御者台ぎょしゃだいの男は反応を示さない。


 バレた……のか?!


 僕は持ったままであったナイフを強く握りしめる。すると。


「ちっ。子供相手に手こずりやがって……。手かせをしっかり付けておけよ。すぐにシンシアを抜ける」


 ようやく投げやりな声が返ってきた。


 それにはこたえずにいると、やがて石畳いしだたみの上をひづめと車輪の音しか聞こえなくなった。




「ふぅーーーーっ」


 僕は思わず盛大な溜め息をついた。息遣いすら気をつけなければならないとわかってはいたが、心身がそれを許さなかった。


 落ち着きを取り戻そうと、さらに数回、意識的に呼吸をしてみたものの、幾分いくぶんマシになった程度で、気を抜いたら腰が抜けてしまいそうなのは変わらずだった。


 みずからを叱咤しったしてなんとか気持ちを立て直すと、足音を殺して女の子のかたわらに立った。

 

 改めて状況を確認すると、ひどいようだった。

 目隠し、さるぐつわ、手かせ。完全な拘束状態だ。しかも、手かせはご丁寧に、馬車の金属部を挟み込んである。


 その光景に目がチカチカするような怒りが沸き上がってくるが、なんとか大男を一瞥いちべつするに留める。だが叶うことなら、この黒い想いを当人に届けてやりたいと思うのは、それほどおかしいことではないだろう。


 大男をにらむのをやめて視線を戻すと、ふと気付いたことがあった。


 この子、意識がある――。


 声をあげたりして抵抗する気配がなかったゆえ、薬か何かで眠らされているのだと思い込んでいたが、案外きもわっているのかもしれない。もしくはその逆か。


 僕は女の子の耳元に顔を寄せると、声のボリュームを極小ごくしょうにして言った。


「目隠しを取るから、声出さないでね……」


 女の子はビクッと反応したものの、すぐにコクリとうなずいた。

 どうやら視界が奪われている中でも、ここで起きていることを察しているらしい。


 固い結び目を解いて目隠しを取り払い、次いで猿ぐつわを外してやると、女の子は途端とたんに肩で息をした。

 どうやら、相当きつく縛られていたようで、口からほほにかけて線が付いている。


 やっぱりじゃなくて、の方がよかったかな……?!


 今度こそえかねた僕は、ブーツの先端部で大男のすねを思い切り蹴り上げてやった。少し顔色が悪くなった気がしたが、多分気のせいだろう。


 僕が徳を積んでいる間に女の子は落ち着いてきたようだ。


「ありが……とう。どうして……助けて……くれたの?」

さらわれる瞬間を見ちゃって。そんなのほっとけないじゃん……?」


 そう答えると、女の子は苦し気な表情の中に素晴らしい笑顔を見せた。


「――っ!」


 こんな緊迫した場面だというのに、無意識に見とれてしまった。

 

 馬車の中は暗く、時々漏れ入る街灯が唯一ゆいいつあかりであったが、そんな中でも女の子の肌は透き通るように白く見えた。少しれた優しい目、発色のよい桜色のくちびる、腰まである金色の髪は信じられないぐらいサラサラだ。


 女の子の可憐さに気が付いた僕は、おそらく大男を倒した直後よりも長く硬直した……と思う。ガタンと馬車が揺れなければ、現実に回帰かいきするのはもっと後だったかもしれない。


 ブンブンと首を振っていましめるとハタと本題を思い出し、手かせ――というよりも拘束具こうそくぐと呼んだ方が正しいかもしれない代物しろものの解除を試みる。


 まずは手始めに前後左右に引っ張ってみる。が、びくともしない。当然と言えば当然だが、力ずくでは無理そうだ。


 拘束具から手を離して全体の形状をよく観察すると、鍵穴が露出ろしゅつしていることに気付く。こぶしから上腕じょうわんの半分ほどを固める特殊な構造ではあったが、外すことを前提にしたつくりであるようだ。


「鍵か……」


 僕は大男の横にひざを付いて、服の中を探る。が、見当たらない。


 御者台の男が持っている可能性も考えたが、一旦いったん後回しにする。ヤツは大男よりも抜け目ない雰囲気をかもし出していたし、僕にそう何回も幸運が重ねて訪れるとは思えなかった。


 検問に引っかかるのを待つのが無難かな、と考えながら幌の外を隙間からうががう。すると――。


 どういうわけか馬車はすでに街道へ出ていた。


「――は?」


 止められた気配は確かになく、当然積み荷を確認されることもなかった。というか、確認されていたとしたら、今この状況が出来上がっていない。


 どこか僕は、馬車は街の外へ出ようと検問にかるとたかくくっていたところがあったが、事実は想定とは異なっていた。


 早くどうにかしないと街へ戻れなくなる――。

 

 気が進まなかったが、手段を選んでいる余裕はない。僕は平静へいせいを装いながら女の子に言った。


「両手を左右に引っ張って、目をつぶってくれる? 」

「こう……ですか?」

「そうそう。ちょっとばかり衝撃が来ると思うけど、声を出さないようにね」


 不思議そうに聞き返す女の子から見えない位置で、僕は腰からナイフを抜く。


「いくよ……?」


 極力音を殺そうと馬車が揺れるタイミングに見計らうと、真っ直ぐに振り下ろした。


「――っ!!!!!!」


 当然、女の子は驚きのあまり声を発しそうになるわけだが、なんとか耐えてくれた。その強靭きょうじんなメンタルには、もはや感心をきんじえない。


「大丈夫……?」


 おっかなびっくり声をかけると、女の子は小さく頷いてくれた。


「かなり、びっくりしましたが……」

「ハハハ、先に言ったら怖がるかなーって思って……ね?」


 乾いた笑いを浮かべていると、少しだけ非難のこもった眼差しを向けられてしまった。

 

 美少女の心証しんしょうを悪くしたことに落ち込んだ僕は、現実逃避をねて拘束具を確認することにする。が、こちらは全くの無傷だった。

 

 それもそのはず、金属同士がぶつかった際の甲高かんだかい音は鳴らず、手応えもどこかような感覚だった。


 嫌な予感が確信へと変わる。

 この拘束具は錬成物アーティファクトだったのだ。


 錬成物アーティファクトとは、通常とは異なる過程――つまり、錬成によって生み出されるモノを指す。


 三流錬成士の制作でなければ、錬成物アーティファクトには特殊な効果を秘められているのが本来だ。

 フライパンを例に出すなら、効果は『軽い』という単純なものから『自ら火が出る』というトリッキーなものまでなんでもござれで、千差万別、乱雑無章らんざつむしょうといえる。武器として用いるなら『叩くとよい音が出る』という造りにしても面白いかもしれない。


 フライパンはさておき、錬成物アーティファクトはその生成の過程に依存して、一般に流通している物とは異なる形状をしている一点物いってんものであることが多い。錬成士としてのこだわりがどうしても反映されてしまうのだ。


 この拘束具も同様である。手首まである構造。物を挟み込むことを前提にした造り。見た瞬間から錬成物アーティファクトである可能性は高いと思っていた。


 しかし、この浮き出た紋様もんようこれだけは予想外だった。


 水――いや、風か。

 

 先ほどまではなかったこの小指の先ほどの線は、加護かごと呼ばれる特殊な錬成によって付与されるもので、物質の硬度や強度を底上げするなど様々な効果を付加できる。


 僕は紋様が浮き出たことへの衝撃をながめながら、他の解除方法をひねりだそうと必死に思考を巡らせていた。すると、女の子は予想外のことを言い出した。


「助けに来てくれて、ありがとうございました。でも……もう大丈夫です。あなたは巻き込まれないうちに逃げてください」


 拘束具に打ち付けたしびれを誤魔化そうと、振るっていた僕の手がひとりでに止まる。

 

「そのナイフも、錬成物アーティファクトなのでしょう?」


 容易よういには認められずにいた事実を、女の子は僕へと突きつける。

 

 そう。これは僕が造った最初にして現在まで唯一ゆいいつ錬成物アーティファクトだ。しかも、後日一流の錬成士に硬化の加護を付与してもらった一級品。

 大抵の金属なら――いや、錬成物アーティファクトなら壊せる……はずだった。


 まさか人攫ひとさらごときが、錬成物アーティファクトどころか加護付きの特級品を使うだなんて、想像すらしていなかったのだ。


 せめて、このナイフの刀身がもっと長ければ、馬車ごと壊すという手もあったかもしれないが……。


 ナイフに浮かんだかすかにかすれた紋様もんようを見下ろしていると、女の子は言った。


「鍵は依頼主が持っていると考えるのが妥当でしょう。であれば、ここにこれを解く方法はありません。早く逃げてください」

「――まだ方法はある!」


 つい声が大きくなったしまった僕は急いで口をおおうが、御者台ぎょしゃだいの男に聞こえたのではないかと気が気でなかった。

 だが、しばらく身体を固くしていても反応はない。大男の寝言ぐらいに思ってくれたのだろうか。


 安堵あんどすると、僕は声のボリュームを再調整して続きを話す。


「その首飾り……根源石クリスタル、だよね?」

「……まさかっ!」


 今度は女の子の声が大きくなりそうになったところで、自分のことは棚に上げてシーッと指を立てる。


 貴族きぞくのご令嬢れいじょうは緊急時に備えて根源石クリスタルをアクセサリーにして携帯している場合が多いのだ。

 

 僕は女の子を落ち着かせるように一段と静かに語りかけた。


「成功する可能性は高くないかもしれない。でも、このまま放りだして逃げるなんて……僕はしたくない」


 視界には女の子の腕がうっ血していく様子が映っている。白く透けるようだった肌に紫が濃くなっていくのは、胸の奥が締め付けられる想いであった。


 女の子を救い出したい。もちろん、その想いも胸の痛みも本物だ。だが、それとは別に僕は僕自身のためにも、女の子を救い出したいと思っているところがあった。


「キミも序列じょれつに来たんだよね?」

「はい……」

「腕に痺れが残れば錬成に影響がある。御者をやっつけて急いで神都に戻っても、解除が間に合わないかもしれない」

 

 僕は錬成士としての基礎的な訓練は毎日欠かさず重ねてきた。錬成光マナのコントロールは日々意識が遠くなるまでやってきたし、イメージのためのスケッチも何冊積み上げたことか。

 だがその全ては、何もできなかったあの頃とは違うと証明するためだった。


 結局……僕は自分のため、か……。


 そんな想いを見透みすかされたのではないかと、後ろめたさを感じながら女の子の様子をうかがう。


 うつむいてしまった女の子に、僕は自分の浅はかさを呪った。

 しかし、よく見ると――。


 頬のひと筋が街灯の光を反射している。


 彼女の反応に言葉を失っていると、女の子はふっと顔をあげて優しい微笑みを僕に向ける。


「やっつけるなんて……カッコイイですね……」


 嗚咽おえつじりのその言葉は、僕の中にあった苦い想いや暗い感情をすべてをすみへと追いやった。まるで、春のような穏やかな日差しと心地よい風が、心を癒してくれるようであった。

 

 その特別な瞬間が明けると、僕は真っ先に女の子の涙をすくった。彼女は照れくさそうにして、それから困ったような不思議そうな顔を浮かべた。


 どうやら僕にも同じ物が流れていたらしい。


 それを自覚すると無性に恥ずかしくなって、ゴシゴシと派手に頬をぬぐうと、心の底からの想い――ありがとうを伝えた。

 その言葉の響きは今まで僕の口から発せられたどの音よりも優しい響きだった。


 彼女は嬉しそうに笑みを浮かべてから、僕が首飾りを外しやすいようにと、制限された動きの中でも前かがみになってくれた。


 僕は不安以外の要素で震える手を宥めながら、うなじにある留め具を慎重に外す。


「じゃあ、借りるね?」


 そう言って、女の子の前に首飾りを掲げると、「はい!」と歯切れのよい声が返ってきた。


 僕は目尻に皺をつくりながらそれを受け止めると、拘束具の鍵穴を指でなぞった――。


 この錬成、絶対に成功させてみせるっ!

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