旅立ち シンシア編

第1話 いざ、中央神都シンシアへ

「……ちゃん。お兄ちゃん!」


 どこからか声が聞こえる。あぁ、ユナの声か。


「リズお兄ちゃん、大丈夫?」


 なんだか、不思議な夢を見たような――。



 テーブルにせたまま声の方を向くと、心配そうなユナの顔がすぐそこにあった。空のように澄んだ青い瞳が心配と不満をはらんでいる。


「――っ! や、やっと起きた!」


 至近距離で目が合ってしまったからか、ユナは弾けるように距離を取った。


 その機敏な動きにもやのかかった思考がギシギシと起動しはじめて、結果僕は大あくびをした。


「そ、そろそろ出発の時間だよ、お兄ちゃん」

「――ほんとだ。お腹いっぱいになったら、つい眠くなっちゃって」


 ユナはと表情だけで見事に体現してから、トレーに乗せた小さなグラスを差し出した。


「ゴク、ゴク……。ふう、目が覚めたよ。ありがとう、ユナ」


 一気に飲み干して目を細めると、ユナはまだ幼さの残る笑顔を見せる。窓から入ってきた朝の風が、彼女の茶色の髪をサラサラとさらうのが綺麗だった。



 ここはユークリッド食堂。義母かあさんが営むこの店は、アリアではそこそこ知られている大衆食堂で、二階は僕たちの家もねている。


 店には角が落とされた長方形のテーブルがいくつも並んでいて、これから仕事に向かう人々が思いおもいの席で腹ごしらえをしていた。壁には安い油絵が飾られ、店の端にはたるつぼが整頓されている。いつものユークリッド食堂そのものだ。


 僕が外套がいとうを羽織り荷物袋を掛け終わると、ユナは厨房ちゅうぼうへ小走りで向かっていき、大きな声を出した。


義母かあさん、お兄ちゃん行くみたい!」


 すると、すぐに何かを炒めていた音が止んで、長い髪が邪魔にならないようひとつにわえた義母かあさんが厨房から現れた。


 二人を伴い、冷えたノブを回して外に出ると、まだ登り始めたばかりの太陽が優しく僕たちを照らす。三人分の影が隣家の壁まで伸びていた。


「じゃあ、行ってくるね。明後日の夕方には戻るから」


 僕がそう告げると、義母さんとユナは笑みを浮かべてうなずいた。


「気を付けて行ってきな!」

「お兄ちゃん、いってらっしゃい。頑張ってね!」


 二人の見送りを受けて僕も同じように頷くと、それから新たな一歩を踏み出した。


 レンガ造りの家々を通り過ぎた路地で振り向くと、二人はまだそこにいて手を振っていた。朝焼けのせいか、その光景はどこか懐かしい気分に僕をさせるのであった。





 アリアの街を出てから田畑と草原を横目に一刻いっこくほど歩を進めると、川にかかる大きな橋が現れた。

この橋はアリアと目的地の中央神都シンシアのおよそ中間に位置し、錬成によって生み出されたとしてこの辺りでは有名だ。

造られたのはここ十年の話だが、大型の馬車が安全に通れるようになったことで商人の行き来が随分増えたと聞く。


 橋を渡り終えると、今度は緩やかな勾配こうばいが始まり、木々が深くなっていった。ひと昔前までは神都へ向かうにあたって唯一の難所なんしょとなっていた丘だが、現在は木々の根が隆起している部分はあるものの、人々の往来おうらいですっかり踏み固められている。

日ごろから森が遊び場だった僕からすれば、ほとんど平坦と言っても過言ではなかった。


 額にじんわりと汗をかきつつ丘の頂上付近に辿り着くと、木々の隙間から整備された道が見えてくる。オルレアン街道だ。

 この街道は、中央神都シンシア第一都市ゲルニカを南北に結び、物流のかなめとなっているのに加えて、礼拝を目的とした人々にとっても重要な役割を果たしている。時には商人や旅客を襲うやからも出ると聞くが、今日のところは警備隊も多数出ているようなので心配はいらないだろう。


 往来おうらいの中には子供たちだけの一団が見られるが、平時は親を伴わず都市間を移動することはまれなため、彼らはみな僕と同じ目的で中央神都シンシアを訪れるのだろう。


 どのぐらいが錬成士になれるんだろう――。

 

 僕はかすかな不安を感じながら、しばらく道行く人々を眺めていた。



 丘を下って街道をく一員になると、ズンズンと行程を踏破とうはしていく。オーデンヴァルの森を回り込むようにして歩を進めると、その端からいよいよ中央神都シンシアが姿を現した。

 

 高さ八メートルを超える分厚い壁が街を囲み、中央にそびえ立つ陽炎ようえんとうだけが空に突き抜けている。外壁は薄い青をはらんだ珍しい素材で、上部には太陽神シンシアしんを示す旗が等間隔に天を指していた。

 

 壁にはめめ込まれた巨大な門から街並みをうかがうと、レンガに漆喰しっくいを塗った灰色の壁に赤茶色の屋根が印象的で、この二色を基調とした街並みが続いている。どこまでも整った美しい景観だった。


 中央神都シンシアが見えた安心感からか、あちこちで歓声があがる。


「すごい……! キレイな街並みだな」

「城壁は錬成されたものらしいぞ。どんだけ大変だったんだ?!」

「かぁーっ、やっと着いたぜ! 酒を浴びるほど飲んでやらぁ!」

「無事に帰って来れた~! 長い道のりもこれで終わりね」


 街道を往く人々は皆、旅の終わりを喜んでいた。



 城壁の隙間につくられた大門だいもんへ近づくと、検問所が見えてきた。検問所では、主に中央神都シンシアへの用向きと犯罪歴、持ち込む荷物をチェックされる。これは出る際も同様だ。


 出入りを拒否されることもあるというが、過去に重大な犯罪を犯してるとか、人を連れ去ろうとしているとか、そういった場合に限定されるらしい。検問に緊張していた子供の頃の僕に父が教えてくれた話だ。


 そんなことを思い出していると、僕の番がやってくる。


「止まれ。名前と出立地、用向きを言え」

「えっと、アリアから参りましたリズム=T=ヴェアトリクスです。序列じょれつを受けに参りました」


 僕が名乗ると警備隊員は少しばかり驚いたような表情を浮かべたが、すぐに手首に着けた端末から投影させた資料に目を落とす。チェックが終わると、今度は腰に巻いたホルダーからハンドガンタイプの網膜もうまくスキャンを取り出して、僕の右目に当てる。


 結果はすぐに出たようだ。


「ようこそ中央神都シンシアへ」


 警備隊員のこの一言で僕の半日の行程は実り、晴れて中央神都シンシア入りを許可されたのだった。





 大門をくぐると僕は大きく伸びをした。


 街に入ったからか、検問所を抜けたからか定かではないが、とにかく少しばかりの開放感があった。道中気負っていたつもりはないのだが、どこかに緊張を抱えていたらしい。


 中央神都シンシアへと続いたオルレアン街道は、街に入るとオルレアン通りと名前を変える。

 そのオルレアン通りから一本入った路地を左に曲がると宿屋が並ぶ一画があり、その中の一軒に今日明日の僕の寝床が用意されているはずだ。


「確かこの辺りだったと思うけど。……あった! オルレアンの酒場兼宿屋」


 それほど苦労せず目的の建物を見つけるが、その外見は年季が入っていてお世辞にもキレイとは言い難い。


 大丈夫だろうか。この宿屋――。


 一抹の不安を抱きながら扉を開けると、来店を知らせるベルが鳴った。すると、奥の方でカウンターを拭いていた女性が気付き、こちらへ近づいて来る。


 酒盛りにはまだ早い時間なのか、店内の客はまばらだ。


「いらっしゃいま……リズ君?! 大きくなったわねー!」


 女主人はそれが僕だと気付くと、一気に口調を崩した。


「お久しぶりです、メリナさん。今日と明日お世話になります」


 宿屋よりも酒場の店主という雰囲気の強いこの人は、義母かあさんと同い年で、かつて義母さんが中央神都シンシアに暮らしていた頃からの知り合いらしい。そのご縁があって、今回ご厄介になることになったのだ。


 僕が初めてメリナさんに会ったのは、義母かあさんを訪ねてアリアへ来た時以来で、数年ぶりだろうか。


「うんうん。儀式の前後で忙しいと思うけど、ゆっくりしていってね」

「はい、ありがとうございます」

「ユークリッドは元気にしてる?」

「相変わらず元気すぎるぐらいに元気です……」


 義母かあさんとの日常を思い浮かべて苦笑いをすると、メリナさんは諸々察したらしくニッコリと笑った。


「それはよかったわ。また食事の時にでも話を聞かせてちょうだいね」

「もちろんです」


 メリナさんは僕の返事に満足そうにしてから、手元の引き出しを開けた。


「はい、これ鍵ね。階段を上がって左手前の部屋を使ってくれるかしら」



 僕は差し出された鍵を受け取って酒場の奥の階段を上ると、二階はシンと静かだった。


 酒を飲む客は少なかったとはいえ、不思議なくらい階下かいかの音が聞こえて来ない。酒場の上の宿屋と聞いた時には、酔っ払いが夜な夜な騒いだら寝れないかもしれないと心配していたが、杞憂きゆうだったようだ。


 客室は五部屋。通路の左側が一人用で、右側が少し大きめな造りになっている。


 僕はあてがわれた部屋に鍵を差し込むと扉を開く。部屋はシンプルな内装だったが、手入れが行き届いていて、店の外観からは想像できないほど清潔であった。レースのカーテンや寝具は使い込まれているものの真っ白で、窓際の脇机と椅子はキレイに磨かれていた。一泊二千エルドと聞かされていたが、これでは全く釣り合わない。


 義母さんとメリナさんの間にはいったい何があったのだろうか――。

 

 思わずそんな想像をしてしまう僕であった。





 ふと気付けば、空が赤く焼けて太陽が山脈の向こうに沈んでいくところだった。少し休息を取る程度のつもりだったが、快適なベッドに思いのほか寝入ってしまったようだ。


 久しぶりの中央神都シンシアを時間の許す限り見て回りたいと思っていたが、アリアから半日、身体は疲労を訴えていた。明日が本番ということもあってベッドに入ったが、これは裏目に出たかもしれない。


 夜、寝れるかな――。


 そんな僕の不安を知ることなく、中央神都シンシアには夜がやってきた。



 街を見てくるとメリナさんに告げて宿を出ると、下見もねて明日の会場となる陽炎ようえんとうを目指した。


 この世界エイリアでの暮らしには、とって欠かせない技術がある。

 

 それが錬成だ。錬成というのは、根源石クリスタルという特別な石に、体内から湧き出る錬成光マナと呼ばれる力を流し込むことで、頭の中でイメージした通りの物をこの世に生み出す技法を指す。


 世界エイリアに住む人々は、大工や道具屋といった職業では解決できない課題を解決するすべを持っているのだ。


 そして錬成士とは、その錬成を正しく行なうことができ、かつ協会から認められた者だけが就くことができる職業で、という理由で人気の職業となっている。


 僕も例に漏れず錬成士に憧れを持つうちの一人で、通過儀礼つうかぎれいである序列じょれつを受けるためにアリアから中央神都シンシアへやって来たというわけだ。



 僕は宿屋の区画からオルレアン通りへ出ると、通り沿いに塔を目指すことにした。

 両側には、大きな食堂や酒場、根源石クリスタルを扱う石屋や道具屋などが立ち並び、夜だというのに人通りがとても多い。夕食時ということもあり、食堂や酒場はあふれんばかりの人だかりで、まるでお祭りのような騒がしさだった。


 明日は外で食べてもいいかもしれない――。


 そんなことを思いながら通りを真っすぐに歩いていると、四半刻しはんこくもかからず目的地に到着することができた。



 陽炎ようえんとうの周囲には円形の広場が設置されていて、オルレアン通りを含めた三本の主要通りが交わっている。


 中央に置かれた塔は鉄の柵に覆われていて、太陽神シンシアしんに祈りを捧げるための女神ノ間以外は、警備に認められない限り入ることはできない。


 少々物々しい印象は拭えないが、塔は錬成士協会の本部にもなっているため、秘匿性ひとくせいの高い情報もあるのだろう。警備が厳重になるのは仕方がないことだった。


 よっぽど寝過ごさないと遅刻はない、と――。


 朝がとことん苦手な僕は、そんなことを考えながら帰路へとついた。



 大通りをのんびり歩きながら宿屋の一画まで帰ってくると、今日の寝床の数軒隣に幌馬車ほろばしゃが一台ひっそりと止まっていた。

 御者台ぎょしゃだいには闇に紛れるように真っ黒なよそおいの男が座っている。


 こんな時間に街を発つんだろうか――?


 横目で観察しながら通り過ぎると、馬車で隠される格好になっている宿の裏口に、大男が肩を揺らして入っていくのが見える。お世辞にも上等とはいえない服装で、歩き方からも貴族や錬成士と異なるそれであるとわかる。


 確かこの宿屋は上級の部類だったはず。宿の看板を確認すると、やはり老舗しにせの宿であることに間違いない。

 

 ということは――。

 

 僕の脳裏のうりにある可能性が浮かび上がったのと同時に、御者台の男から死角になった所で物陰に身を隠す。


 息を潜めて待っていると、やがて先ほどの大男が肩に袋を担いでやってきた。人影を気にするように左右を確認して馬車に荷物を積み込もうとするが、そこで何かを落とす。


 暗闇に紛れて見えにくかったが、目を凝らすと赤の刺繡があしらわれたブーツだとわかる。


 やっぱり。こいつら人攫いか――。


 モゾモゾと動く袋のサイズとブーツから推測するに、中身は序列じょれつを受けにきた女の子である、という答えに行きつくのは容易たやすい。僕は思わず、妹の顔を思い浮かべた。


 大男は急いでブーツを拾うとほろの中へ放り投げ、自身も中へと入っていった。


 どうする。助けを呼ぶべきだろうか――?

 

 単独であの大男を倒すのは厳しそうだ。定石じょうせきで考えるなら、警備隊を呼ぶべきだろう。しかし、錬成士の詰所つめしょに向かう間に馬車を見失う可能性は高い。

 街の外に出るのであれば検問に引っかかるはずだが、街中のどこかに移されれば見つけるには時間がかかる。そもそも目撃者が僕しかいないとなると、警備隊がどこまで取り合ってくれるか……。


「やるしかないっ!」


 自分をふるい立たせるように小さく呟くと、護身用のナイフが腰に差さっているのを手で確認する。


 あの大男さえどうにかできれば――!


 僕は勢いよく立ち上がると、既に動き出した馬車に向かってひとり走り出した。

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