第4話 ミントタブレットと別れ話

週明け、会社のエレベーターホールで小林さんに出くわした。

「お!以千佳ちゃんはよース」

 いつもと変わらない小林さんに要らぬ動揺をしてしまう。

「良くなりました?」

「うーん熱は下がったけど、まだ頭痛えんだよな」

小林さんがそこまで言うと20階から上階に行くエレベーターが先に到着した。

 小林さんは最後にするりと乗り込んでじゃあねと手を振った。俺は周囲に注目される中、中途半端に手を持ち上げた間抜けな格好で閉まるエレベーターを見送った。


 検索ウィンドウに「ソロキャンプ」と入力する。

様々な装備やウェア、キャンプめしやら、焚き火の動画まであらゆる情報がズラッと現れた。

 川のせせらぎや風で揺れる木々の音、鳥の囀りなんかを聞きながらのんびりするのは週末の最高のリフレッシュと誰もが口を揃える。

 なるほど、やる事は家と一緒でも環境を変えるとだいぶ意味合いが違ってきそうだった。


「何?提案書の資料?」

後ろから先輩が覗き込む。

「あ、直接は関係ないんですけど、流行ってるんでちょっと気情報収集でもと」

お前は仕事熱心だなぁと言われ「すいません私用です」と心で呟いた。


 午後の部内ミーティングの最後に部長から今後デザイン部が縮小され、1年後にはほぼ外注になる方向で会社が動いていると連絡があった。

 確かにその兆候はあった。デザインは今年も確かその前も新卒や中途も採っておらず、大口の仕事はほぼ小林さんともう1人の主任が引き受け、小さな案件は部内のデザイナーと外注で回していると聞いていたがまさかと思った。

「デザインの奴ら他部署に異動すんのかね」

「アレだけは勘弁だな」

先輩や後輩までも笑いながらそんな話をしている。

小林さんならもっと大手でもやって行ける、聞いていて無性に腹が立った。

「目黒なんか小林に気にいられて超迷惑してるもんな」

先輩が冗談めかして言うとみんながどっと笑った。反論しようとすると

「どーも気に入っちゃってすんませんね」と小林さんの声が聞こえた。

「以千佳ちゃん、こないだのとこ詰めたいからちょっと付き合って」とそれだけ言って部屋を出ていく。

しまった、と言う顔の同僚の間をPCを抱えて後を追った。

 非常口から階段を上がり、ひとつ上のフロアにある最近出来たミーティングスペースにさっさと腰を下ろす。

 椅子の角度や背もたれの高さで他のテーブルが見えない構造になっていた。

「初めて来たけど、いいですね」

「俺も初めて」

「え、そうなんですか?」

「こんなとこでやんなら外出るわ」

「まあ、でしょうね…」

 適当なブースを選んで腰掛けると小林さんは思い出したように言った。

「週末ありがと。ブリンめちゃ美味かった」

「でもまだ喉辛そうですね」

「以千佳ちゃんの看病受けられんなら風邪ひいた甲斐もあるって事よ」

「もう勘弁してくださいよ」

 聞きたいことは沢山あったが、社内ということもあってタイミングを測れず、結局言い出せなかった。

 パソコンを開くとさっき見ていたキャンプの装備の画像が現れた。慌てて画面を閉じ、チラと小林さんを見るとニヤニヤしながら

「へー、キャンプ行くんだ?」

「行きませんって」

「まぁいいや、こないだのシェーバーのやつだけど」

3CDGの画面を呼び出し、6枚刃でギリギリ最小のヘッドサイズにできたデザインを見せてくれて、技術部と調整が入ったと説明してくれた。

「充電はスタンド式は無理かぁ」

 小林さんがプレゼン用にあげたシンプルな充電スタンドのデザイン画を未練がましく眺める。

「コスト多少上がってもいいならいいけど営業がうるせぇし。あ、でもUSBはイケる」

 そう言ってふらりと立つと、自販機でコーヒーを買って戻って来て俺の前にひとつ置いた。

「あ、すいません。気が利かなくて」

向かいではなくⅬ字に座るので距離が近くなる。思わず椅子に深く座って少し距離を取ったが、ふわりといい匂いがして鼓動が早くなった。

「俺と話すの嫌?」

さっきの先輩たちの野次を思い出す。

「すいません。さっきのウチの先輩達の…」

「いや、じゃなくて以千佳ちゃんがなんか嫌そう」

思いもかけない事を言われて驚いた。

「何言ってんですか?そんなことないですって」

「まぁ別にどっちでもいいじゃん」

「…どっちでも良くないです!」

つい大きな声を出してしまった。小林さんはきょとんとした顔で俺を見てからケラケラ笑った。

「小林さん、今日飲み行きましょう」

「え?ヤダ」

「なんで!」この人はもう、扱い辛い。

 聞けば、結局今日はデザイン部で送別会がありそっちに顔を出さないといけないということだった。


 今の恋人は二人目だ。

 最初の相手は学生時代の後輩だった。お互い表では普通に先輩・後輩をしていたが、次第に周りにカップルが出来始めると羨ましかったのか学内でも手を繋いだり、ハグをしたりしたがった。

 あの頃は子供で、お互い相手を大切に出来なかった。俺たちは次第に喧嘩が増え、すれ違い、そのままになってしまった。

 大学を卒業した今はもう連絡さえ取れないし、他に共通の友人も居なかったので今どうしているかも分からない。

 今の恋人とはゲイのマッチングアプリで知り合い、初め数ヶ月はセフレだった。しかし何度か夜を共にし、互いに自分の事を話す内に何となく付き合うようになりそれから二年近く経つ。

恋人は名前を「アユム」と言った。俺と同じ年で身体の相性も良かったが虚言癖があり、よくわかりやすい嘘を吐いた。

初めは可愛いと思う嘘も次第に慣れてしまう。慣れるとあとは面倒なだけだった。

 嘘で気を引きたいアユムと素で付き合いたい俺はいつの間にか駆け引きのような関係に疲れてしまっていた。

もしかしたら恋人関係が続かないのは結局自分の都合や付き合い方を強要している俺のせいなのではと思う。

 アユムにしたって最近冷たくなったと責めるが、それは間違ってはいない。


 小林さんとのやり取りは裏の心理や、駆け引きのないもので相手の隠した本心に考えを巡らすことに疲れた俺の心をグッと引き上げてしまった。

 小林さんの方に恋愛感情がないせいだろう、あっさりとした男同士の友人関係が心地よいけれども、どうしても小林さんに惹かれる自分の気持ちに蓋が出来ないでもいた。

アユムと話そう、帰り道にそう思った。

 明け方の空には白い月が透けて見えた。


 いざ話そうと連絡をするとアユムは察したのかいつものように直ぐには返信を寄越さなかった。

 それでも二年付き合った仲だ、拗れてはいてもお互い前を向けるような区切りを付けたかったから返信が来るまで急かさずに待った。

金曜の午後に漸く返信があった。

「今日なら空いてる」とシンプルな文面だった。

 いささか急だが、彼なりの抵抗なのかもしれない。もしかしたら「今日は難しい」と俺から返事があって、先延ばしになればいいと思っているかもしれない。

 いつも待ち合わせする二丁目のバーを指定すると既読だけ付いた。

 アユムは美容師で店が終わってから来るため、俺が先に行って待っていることが多い。合流すると大抵ホテルに直行するが、今日はそのままバーで話すか場所を変えるか迷っていた。

「以千佳ちゃん、おーい」

小林さんだった。いつの間にか会議が終わっていた。

「何ボケっとしてんだよ」

前から考えていたこととはいえ、自分で思った以上にアユムの事で頭がいっぱいだった。喫煙室に入ると小林さんが缶コーヒーを手渡してくれた。

「ありがとうございます」

「何?具合悪いの?それとも考え事?」

「大丈夫です、すいません。」

「ふぅん」

小林さんはどかりと隣に座り、煙草に火をつけるとふぅと煙を吐いた。

「今日、恋人と話してきます」

「そっか」と言って灰を落とすと「しんどい?」と聞いた。

「会議でボケっとするくらいには」

小林さんはポケットから何かを出すと俺に手渡した。ミントタブレットだった。

「何ですか?」

「お守り」と言って喫煙室を出ていった。

 ケースを振ってみたが音がしない。

「何だ、空じゃないかよ」と言いながらポケットにしまった。


 バーで待っているとアユムからメッセージが届いた。

もうすぐ到着するとか、遅れるとか大方そんな内容だろうと画面をタップすると思いもかけない文字が並んでいた。


―以千佳

 今までありがとう。

 顔を見ると言えなくなるからこれで許してね。

 歩夢


 望んでいた事なのに、何故かもう言い訳も謝ることも出来ないと呆然とする。これが罰だと思い知る。

ポケットの中のミントタブレットのケースを握りしめていた。

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