第2話 家飲みとキスと
週明け、朝メールチェックをすると小林さんから昨夜送られてきていたものがあった。
「あの人日曜に会社来てんのか」
急ぎだったらと思って確認すると、なんのことは無い、スウェットを買ったから渡したいという内容だった。こういうところは実に律儀だ。
コレ社用メールで…と思ったが仕方ない、お互いのプライベートの連絡先は知らないままだった。
ここのところは忙しくないからいつでもいいと返事を打ち、自分のメールアドレスと続いてメッセージアプリのIDを加える。ふとメッセージアプリは厚かましいかなと消して送信した。
結局その日は返信は無かった。喫煙所でも行けば会えるかもと思ったが、俺たち企画は普通この15階にある喫煙所を使い、デザイン部のある27階の社員は25階に行くのが普通だ。俺が25階にいるのは不自然過ぎるとごちゃごちゃ考えながら結局15階の喫煙所の扉を開けると小林さんがいた。
「あ」とつい小声ながら言ってしまったあと「お疲れ様です」と言ったが、しっかり聞こえていて
「あんだよいちゃ悪ぃかよ」
結局悪態をつかれてしまった。
聞くとマーケと営業と打ち合わせという名のバトルが終わったところだという。
「そういや以千佳ちゃん、今どき連絡先でメアド送ってくるってジジイかよ」
有無を言わさずその場でメッセージアプリのIDの交換を迫られることになった。
「ジジイって…厚かましいと思って遠慮したんですけどね」
言い訳するとそれには答えず
「いつ暇?」と話を続けた。
喫煙所のドアが開き、企画部の上司が数人入って来る。
「あ、ええと」
「じゃ、今日よろしく」
バシと肩を叩かれて俺の返事も待たずに出ていった。
「あれ、目黒ってデザインのアレと仲良いのか」
「あ、ええまぁ」
曖昧に返事をすると
「ウチの若きエース手懐けようとしてるんじゃないの?」
「気をつけろよ」
見当違いの助言をされあの人の評判も散々だなと思う。タイミングよく一本吸い終わったので、お先に失礼しますと言って後を追うように喫煙所を出た。
デスクに戻り目に入ったのは、先日提出した企画書のダメ出しだった。当たり前だ、先輩が締切前日に俺に押し付けて来た案件だった。せめてもう少し日にちがあれば良かったものの、自分のストックを全く練らずに出した答えがこれだ。乗り気のしない案件だし、自分のストックを無駄遣いしたしで気分は完全に落ちてしまった。
時計は定時を回っていた。企画書は同じ内容でもう練ったものを出そうと決めた。アイデアには自信があったから無駄にしたくはなかった。乗りかかった船だ、週末持ち帰りになるが仕方ない。
小林さんからの連絡は無く、どうせ呼び出されても近所だしと思いとりあえず帰ることにした。
メッセージが入って反射的に確認すると恋人からだった。一瞬見ることさえも躊躇する。もう末期だなと溜息をついて既読を付けることもしないままスマホを一度スーツの内ポケットに仕舞った。
連絡のないまま結局家まで帰りついてしまった。何だか拍子抜けしてしまい、途端に空腹なことに気づく。
「何期待してんだ。ああいう人だぞ」と自分に呆れ、なにかないかと冷蔵庫を開けるとメッセージの着信音がした。
「どこ?」というだけのメッセージに「帰ってますけどいつでも出られます」と返信してから待ってた感ありありだなと恥ずかしくなる。
「んじゃ待機」とだけ返信があったきり連絡は途切れてしまった。30分以上沈黙するスマホをチラチラと眺めていると玄関のチャイムが鳴った。
覗き穴を見ると小林さんが立っていた。
慌ててドアを開けるとピザの箱の入った袋を手渡される。「え?どうしたんですか?」とつい言うと「ピザな気分でさ、腹減ってない?」と当たり前のように答え、続いてビールの入った袋を床にゴンッと置いた。
「あー!重てえ」と手を振りながら勝手に上がり込み、熱いうちに食おうぜと勝手知ったる我が家のように洗面所で手を洗った。
思わぬ展開になんだか可笑しくなってきて細かいことはどうでも良くなってくる。
ローテーブルにピザとサラダを置き、ビールを開けて乾杯した。
「はぁ、うめえ!」大荷物で来た小林さんはあっという間に一本開けてしまう。酔いつぶれても今日は俺の家だからまた泊まったらいい。
「忘れないうちに」とリュックからスウェットの入った袋を取り出して俺の横に置いた。
「わざわざ新品まで、なんか返ってすいません」と言うと
「あのスウェット、めちゃくちゃ着てるんだけど」と笑った。
「つかお前これ着たらお揃いじゃねえ?」
「あ、そうですね。明日から寝る時小林さんもこれ着てるって思いながら寝ますよ」とふざけて言うと
「わー!キモっ!」と言いながらゴロリと横になった。
「ちょっとまだ寝ないで下さいよ」とクッションを渡す。これは本音だ、せっかくのこの時間をもう少し楽しみたかった。
「お前こそ家飲みなんだからもっと飲めや」と這ってきて新しいビールをドンと置く。
「それってアルハラですよ」と言いながらそれもそうだと口を付けた。
俺はいつからこの話をしているのだろう。
小林さん相手に恋人との話をいつの間にかしていた。
「半年だろ?別にすぐに白黒付けなくて良くね?グレーゾーンで付かず離れずしてる内に元鞘ってのもあんじゃねえの?他に好きな人が出来て、その人より恋人を好きじゃないとかだとそれはどちらも不幸だから考える余地はありそうだけど」
とタバコの灰を指先でトントンと弾いて落とした。
そうか、俺は相手が男だということは言ってないようだった。
「すいませんもうこの話止めます」
「ま、彼女ナシの俺じゃアテになんねえか。てめぇで考えろ!惚気んな血ィ吐いて苦しめ!」と言ってローテーブルの脚の間からガシガシ俺を蹴った。
「痛いですよ!あ、小林さんの彼女ってどんな人なんですか?」
自分でもそんなこと知りたいかどうかも分からないで聞いている。
「あぁ?何聞いてんだよバーカ、『彼女ナシ』つったろ?いたらお前なんかと飲むかよ」
何処かで「良かった」と安堵する自分がいる。相手がノンケではこれ以上の関係になれる訳でも、ましてはその先なんてあるわけないのに。
ああ、どうしていつも自分は手に入らないものばかり欲しがるのだろう。
「そうですね、バカみたいですよね…」
「なに、お前酔ってんの?」そう言って俺の顔を覗き込む。そして俺の目の中に小林さんの視線が重なった瞬間、小林さんの唇が俺の唇に触れた。
「!」
「あっは!以千佳ちゃん初心過ぎんだろ!ちょっとなんだよその顔!ウケる!」
と床に転がって呆然とする俺を指さして笑った。
男同士、酔っ払ってふざけてキスをした。ただそれだけ。余興のような、罰ゲームみたいなそんなもん。ただ男が好きな俺にとっては、冗談では済ませられなかった。
「飲み過ぎですよ、びっくりさせないで下さいよ」
混乱する頭の中で、精一杯出たのはそれだけだった。
仰向けに転がったままうとうとと目を閉じる小林さんはまつ毛が長く、さらりと床に落ちる長い前髪が色っぽかった。そっと指を伸ばして髪を梳きながらこの人の考えている事が知りたい。心を通わせるには自分はまだ未熟なのだろうか、そんな風に思った。
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