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 枕の横でスマートフォンが鳴っている。いつものように手探りだけでその音を止めようとした小川が、音が普段と違うことに気付き、重たい瞼を開けてその画面を見た。鳴っていたのはアラームではない。

「はい、小川です」

 画面をタップして電話に出ると同時に、玄関のドアがノックされた。

「あ……。やっぱり寝てた? 車があるから居るんだろうなとは思ってたんだけど、返事がないから……」

 電話の声は田島だった。

「ちょっと待ってろ。すぐ開けるから」

 小川はそれだけ言って電話を切ると、三十分前から何度か着信があったことに気が付いた。完全に深い眠りに落ちていたようだ。まだはっきりしない頭を掻きながら洗面所に向かい鏡を見ると、酷い寝癖の疲れた男がその中にいた。

 小川と田島の関係が、まだそれほど親しくなっているわけではないことを証明するように、小川の心は、そのままの姿で玄関を開けるのは駄目だと唸り声を出した。

 寝癖の頭にたっぷり水をかけ、ついでに顔も冷たい水で洗い、瞼のむくみを少しでも取ろうと努力したが、それはほとんど効果がないようだ。

 頭から水が垂れてこない程度にタオルで乱暴に水気を取り、小川は玄関を開けた。

「お待たせ。ごめんな、熟睡してた。で?」

「うん。ご飯、どうかなって」

 田島が笑顔で持ち上げて見せたビニール袋には、スーパーで買ってきた野菜や肉が入っていた。


 口を動かし、胃に食事を届けるごとに、小川の頭もはっきりと動き始めた。それと同時に、目の前の光景が奇妙に感じられ始めていた。

「なんで俺の家で飯食ってんだ?」

 小川の視線は、自分の箸が刺した里芋に向けられていたが、当然里芋に話しかけているわけではない。

「なんとなく?」

 小川の向かいに座っている田島が、ご飯が盛られた茶碗を持ち、特に笑顔を浮かべるでもなく首を傾げながら答えた。

「なんとなくって……」

 溜息交じりに呟いて、小川は里芋を一口で頬張った。

 他の根菜や鶏肉と合わせて圧力なべで煮込まれた里芋は、それまでどうやって丸い形を維持していたのか不思議なくらい軽く口を閉じただけでほぐれた。染み込んだ他の食材の旨みと一緒に、小川の口の中で里芋の甘さがとろけだした。

「美味しいでしょ?」

 小川の表情で自信を持ったのか、田島は口元に浮かんだ笑みを隠しもせずに言った。

「うん。旨い」

 そう答えた小川は箸をおいた。その手元を田島は見つめている。相変わらず薬指にはめられている指輪をちらりと見て、田島は部屋を見渡した。

「この前来た時さ、弁当とかカップ麺のゴミが目立ったから」

「なんだよ、悪かったな」

 そう言いながらも小川は再び箸を持ち、叩き折られた骨が覗いている鶏の手羽元肉を口に運んだ。

「ううん……。実は私の家の中も似たようなものなのよね。どうしても一人だとさ、作る気分にもなれなくって」

 よく聞くセリフだと小川は思った。だが、それだけによくあることなのだろうし、小川にもその気持ちはよく分かった。一人で摂る食事にそれ程の楽しみはない。外食するにしても、哲也と希が夫婦でやっている店ぐらいしかないこの島では、それもすぐに飽きてしまう。

「そういえば、田島も独り身なのか?」

 こうして今自分の目の前で一緒に食事をしているのだからそうなのだろうと確信してはいたが、一度はハッキリと言葉にすべきだろうと、小川は田島に確認した。

「そうよ。ずっと『田島』だもの。知ってるのかと思ってた」

 小川は、正直どうでも良かったなどと言えるわけもなく、生返事だけ返して箸を進めた。

「たまにさ、こうやってご飯作りに来てもいいかな?」

 田島は自分でも驚くくらい自然にその言葉を出した。そして、小川から返ってきた答えには、更に驚かされた。

「いいけど……。どうせならここに住めば? 一人なんだろ?」

 あっさりとそう言った小川の表情を、田島はどこかで見たことがある気がしていた。

「ここに。住めばいいじゃん」

 小川は箸を茶碗に渡して置き、人差し指を下に向けて「ここ」と指さした。

 その仕草に、田島の意識は中学時代にまで跳んでいった。

 ――分からなかったら、とにかくここに代入しちまえばいいじゃん。

 連立方程式の問題を尋ねた時、小川が今と同じ仕草をしていたのを田島は思い出し、失笑した。

「さすがに変なこと言ったか?」

 小川は急に笑った田島に首を捻った。

「ううん。そうじゃなくて。……いや、変には違いないんだけど、小川君変わんないなって」

「なんだよ、それ。……で? どうする? 一人ってことは実家でもないんだろ?」

 突然の展開だがそれも悪くなさそうだと、田島は成行きに任せてみることにした。

「うん。私の実家はもう残ってないんだ。うちの両親は、もう何年も前から祖父母の所に住んでるから。父方のね。私は市内の公舎を借りてそこから通ってる。公舎だからね、安いのよ。1DKで一万六千円」

「へえ、そりゃあ安いな。じゃあ、うちは半分の八千円でいいや」

 田島の目に、小川が冗談でその金額を言っているようには見えなかった。

「全く使ってない八畳の和室が一部屋と、物置にしちまっている六畳の洋間が一部屋ある。洋間の方は、俺と同じように物置に使ってくれていいし、和室はどう使ってもらっても構わない。キッチンとか風呂は共用になるけど……。八千円じゃ高いか?」

「ちょっ、ちょっと待った。ルームシェアってこと?」

 たまにご飯を作りに来てもいいかと尋ねたら、部屋を借りて住めという、まるで強引な勧誘をする小川に、田島は可笑しくなった。

「全然高くなんてないけど。むしろ通勤時間が短くなって、朝の時間に余裕ができるから願ったり叶ったりだけど。……ちょっと小川君面白い」

 そう口にすると、抑えていたものが込み上げてきて、田島は声を上げて笑った。少なからず田島は、小川のことを心配していた。どこか危ういものを感じていたのだ。それがほどけてゆく安心感も合わさって、涙が滲むほどに笑っていた。

「何が面白いんだよ……。こっちは真面目なんだけどな。貴重な収入源だし」

 そうは言いながらも、小川も田島につられて笑っていた。

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