第32話
汎用ヘリのプロペラが回転する轟音が、広々とした運動場に響いている。
砂埃が舞い上がって、シャーナは目を腕で覆った。
シャーナはバックパックに狙撃銃をくくりつけている。
今回は前回の任務で使用していたような消音狙撃銃ではなく、特務機関に入る前から使っていた陸軍狙撃兵向けの物だ。
飛び抜けた特徴があるわけではないが、その分だけ使いやすい。
それぞれの武器を持った戦闘員たちは、続々とヘリに乗り込んでいく。
全員が乗り込んだところで、ヘリは地面を蹴って離陸した。
時速200㎞を超える速度で飛行できるヘリは、一時間もかからずに特務機関本部へと辿り着く。
本部が居を構える廃工場の屋上はヘリポートに改造されていて、燃料補給から簡単な機体の整備まで可能だ。
プロペラの突風に、工業地帯特有の、煤煙の嫌な臭いが混じっている。
シャーナたちがヘリから降りると、そこには陸軍の制服を着た男が2人、シャーナたちを待ち構えていた。
「急いでください」
その2人にせかされて、シャーナたちは地下へと続く薄暗い階段を駆け下りる。
特務機関に入隊する時に一度入っただけの地下司令部に、シャーナは再びやってきた。
「急に呼び出してすまないね」
司令席に座ったイヴァンは、形式的に詫びを言う。
「構わないさ。あんたらも、ザルカ帝国に急に叩き起こされたんだからな」
ザルノフは冗談で返す。特務機関の戦闘員は、風呂に入る時と休日を除けば四六時中装備を着用しているので、いつ呼び出されても別に困らない。
「ああ。こちらも大変だったよ。ザルカ帝国軍の侵攻を遅らせるために道路の爆破を実行したのだが、反撃にあって2名の工作員を失った。それに見合う成果はあったけどね」
イヴァンは、肘掛けのスイッチを操作する。
壁に取り付けられたディスプレイの一つに、文章が表示された。
「これが、カヤが盗み出してきた文章だ。共産党の最高機密に指定されていた」
シャーナは読もうとしたが、暗号化されているのか、あるいは自分が知らない言語なのか、全く読めない。
「これは‥‥」
「我々は、情報本部や対外情報庁など別の諜報機関にも協力を仰ぎ、なんとか暗号の解析に成功した」
ガーランが肘掛けのスイッチを押すと、文書が切り替わる。
今度はアトラ連邦で使用される一般的な文字だ。
数千字程度の短い文章を数分かけて読んだシャーナは、驚愕に目を見開いた。
「これは事実なのか?」
ザルノフが、やや訝しげにそう聞く。
「ああ。これは我々が作った偽情報ではないよ」
イヴァンは、少し息を吸い込む。
「共産党は、選挙に基づいた方法で政権を取っていない」
理解が追いつかない。シャーナはひどく混乱していた。
大統領府と議事堂の制圧。軍の掌握。死者2000名の隠蔽。
文章に記された物騒な用語が、シャーナの頭の中を回る。
「彼らはクーデターで政権を奪取したようだね」
サリアの言葉に、シャーナはようやく理解した。
この情報にザルカ帝国を滅ぼせるほどの力があることは、一兵士にすぎないシャーナにも分かる。すごい。シャーナの心に、緊張と興奮が渦巻いた。
「すぐにこれを公開して」
シャーナは興奮を隠しきれない声で提案する。それをカヤが遮った。
「国際社会はザルカ帝国を糾弾する。だけど、それには即効性がない。おそらくザルカ帝国がこの情報で内部崩壊するより、アトラ連邦が地図から消える方が早い」
「ああ。そもそも内政不干渉というのが国際法上のルールだ。今のザルカ帝国は、戦争継続のために他国からの物資にある程度依存しているとはいえ、アトラ連邦さえ落とせば完全な自給自足を実現できるザルカ帝国には、多少の経済制裁などほとんど効果がないよ」
イヴァンが補足した。
「それで、俺たちは何をすればいい?」
ザルノフが、続きを促す。この緊急時に、現場にはどうにもできない政治の話をしてもしょうがない。
「ああ。君たちはザルカ帝国を内乱に持ち込んでくれ」
イヴァンは、簡潔に指示した。
「どういうことだ?」
ザルノフが聞き返す。ザルカ帝国の民意を政権交代へと向かわせるような喧伝工作を行うのではなく、国内で内乱を起こさせるというのは、ザルノフにとっても少し予想外だった。
厳しい統制が敷かれたザルカ帝国で武力蜂起を起こすことは、非常に難しい。それもザルカ帝国に決定打を与える規模の革命となると、ほぼ不可能だ。
「政権を打倒するのでは、単に首が変わるだけになる可能性があります。それなら、国内で多数の思想団体を武力蜂起させて、ザルカ帝国を混乱に落とし込んでしまった方がいい」
「なるほどな」
イヴァンの補足で、ザルノフは納得した。難しい任務ではあるが、確かに即効性もあるだろう。
「ザルカ帝国軍の戦力は、ほとんどアトラ連邦との戦争に割かれています。内部で大規模な武力蜂起が発生したら、まず対応不可能ですね」
ライツが意見した。
ガーランは思わず感嘆の声を漏らす。現在ザルカ帝国軍は、補給線への負荷をほとんど無視する勢いで進撃している。
国内情勢を安定化するために今から後退するにしても、アトラ連邦の追撃を避ける必要があるため、撤退には数週間を要するだろう。
それだけの時間があれば、武力蜂起の規模にもよるが、首都機能を崩壊させることもできるかもしれない。
「ええ。そして、可能であればザルカ帝国軍部隊の一部を離反させ、アトラ連邦の支配地域に大きく突出したザルカ帝国軍の主力を包囲します」
イヴァンは、自らの立てた綿密な計画を噛み砕いて説明していく。
「僕が作ったザルカ帝国人の協力者たちも使えそうだね」
カヤの言葉に、イヴァンは深く頷いた。
「そうです。今回は彼らを中心にして武力蜂起を行います。それと同時に、武力蜂起する幾つもの思想団体が、お互いに潰し合わないよう場所や時間を調節して、内乱が簡単には鎮圧できないようにします」
シャーナは戦慄した。イヴァンは本気で、ザルカ帝国の息の根を止めようとしている。
それも一撃で首を落とすような生やさしいものではなく、中枢から末端まで全てをすり潰すような残虐なものだ。
ザルカ帝国人の血など、アトラ連邦の存在が全てであるイヴァンにとって、大した意味も持たない。
アトラ連邦に害なすものを全て世から消す。それが特務機関の存在意義。
シャーナは、自分の望む世界が想像より悍ましい結果になることに、心底恐怖した。
だが、今更逃げられないし、逃げるつもりもない。
シャーナは覚悟を決めた。
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