鴉庭姉妹の会話
【side:
翔真を駅まで送った後、アタシはスキップしそうなくらい軽やかな気持ちで帰宅した。
漆って呼んでくれた。
鴉庭さんじゃなくて漆って。
呼び方が変わっただけと言われればそれまでだけど、その事実が何よりアタシの心を浮き立たせる。
翔真に名前で呼ばれた瞬間、胸の奥が幸せで満たされるくらい嬉しくなった。
こんな気持ちになるのは初めてで、もっと味わいたくて何度も呼んでとせがんだのは、今になって振り返ればはしたかなかったかもしれない。
「ただいま」
「おかえり~漆ちゃん。ヒーロー君と二人きりの時間は堪能出来た~?」
「ん、満足。でもすぐに足りなくなった」
「ありゃりゃ欲張りさんめ」
翔真と過ごした時間は満たされた気持ちになったけど、別れて数分でカラカラに渇いてしまった。
本当は泊まって欲しかったけど、翔真にも帰る家があるのだから仕方が無い。
そんなアタシを見てお姉ちゃんは微笑ましそうな面持ちを浮かべる。
「なんだか嬉しそうだね? 何かあったの?」
「翔真に漆って呼んで貰えた」
「うは~青春だねぇ。車の中でウチに先を越された恨みが晴らせたみたいで何より」
「ん。ざまぁ」
「微塵も悔しくなかったけど口にされるとイラッとするわ~」
目が笑ってない笑顔を向けられるけど、少しも怖くないから気に留めない。
効いてないと察したお姉ちゃんは、ため息をつきながら椅子の背にもたれる。
「それにしても良い子だったねぇヒーロー君。ウチもスカウトしちゃうくらい気に入ったよ」
「お姉ちゃん、狙っちゃダメだからね?」
「あ~大丈夫だって。ウチのタイプじゃないし~」
「は? 翔真のことバカにしてる?」
「我が妹ながらめんどくさっ」
アタシの不満に対してお姉ちゃんはダルそうな面持ちを浮かべる。
そうは言われても、翔真をバカにされたみたいでムカついたんだから仕方が無い。
そんなお姉ちゃんに、アタシは聞きたいことがあったのを思い出した。
「お姉ちゃん。どうして翔真をモデルに誘ったの?」
「ん~? そりゃ人手が欲しかったし、同じ職場に誘ったら漆ちゃんが喜ぶかなって思ったから~」
「誤魔化さないで。本当にそうだったら、応募者全員落とすとかしなかったでしょ」
「だぁってピンと来る人居なかったんだもん。その点、ヒーロー君はグッと来たからね!」
サムズアップをしてドヤ顔をするお姉ちゃんを無言で見つめる。
だって明らかに茶化してるし。
その視線が効いたからか、お姉ちゃんは肩を竦めながら席を立つ。
冷蔵庫から缶酎ハイを取り出してグイッと一口含んだ。
「ヒーロー君にモデルやってもらいたいのも、漆ちゃんが喜ぶかなって思ったのもホントだよ?」
「でもそれだけで誘うほど、自分の仕事を安売りしてない」
「いや~理解ある妹で嬉しいねぇ」
ニカッと気の良い笑みを浮かべながらお姉ちゃんは続ける。
「変わりたいって気持ちを抱えてる若人にチャンスをあげたいんだよ」
「チャンス?」
「そ。ヒーロー君って見た目爽やかだし穏やかな人柄だけど、基本的に自分を下に置いて物事を考えてる節があるでしょ? 褒めても謙遜するより卑下しちゃうのがまさに証拠だね。あのままじゃ仮に漆ちゃんが告ったとしても、自分なんか畏れ多いって引き下がっちゃうかもね」
「ん……」
お姉ちゃんの言葉に首肯する。
最初は遠慮してるだけかと思ってたけど、すぐに自己肯定感が低いからだと察した。
アタシがアプローチしても手を焼かされる最大の要因で、今日会ったばかりのお姉ちゃんにも分かるくらいだから相当根深いみたい。
家族仲は良いから、原因があるとすれば学校。
あの女にこき使われてたにしては影響が大きすぎるからもっと前……アタシの知らない高校より前の頃だと思う。
きっと翔真が脅された秘密もその頃に関係してるかも。
彼が教えてくれるまで待つつもりだけど、原因がそこにあるならそうも言ってられない。
「でもそんな子が変わりたいって願ってるんだから、手くらい差し伸べたくなるってもんよ」
「だったらどうしてモデル? カメラマンとかでも良かったと思う」
「ぶっちゃけ人前に立つ経験を積むのが手っ取り早いのよ。そりゃリスクもあるけど、その辺りは大人がカバーすれば良い。漆ちゃんにして来たみたいにねぃ」
「ん。いつもありがと」
お礼を言うとお姉ちゃんは『やぁん褒められちった~』とわざとらしくおどけて見せる。
せっかくだからと誘われたモデル業を通して、何度か大手のファッション誌から声を掛けられたことがあったのだ。
でもお姉ちゃんは自社の専属モデルだからと勧誘を蹴った。
社員の人達から勿体ないなんて非難もあったくらいだから、会社的にも相当旨い話だっただと思う。
なのにどうして断ったのか尋ねたら……。
『漆ちゃんならあっという間に人気モデルになれると思うけど、芸能界とか興味無いでしょ? だったら今のままで十分。有名になりたいだけならYouTuberなりインスタグラマーなり、他の方法をとれば良いだけだしね』
社長としてじゃなくて姉としてアタシを守ってくれた。
そのおかげで、こうして普通に高校生をやれている。
もし芸能界に入ったりしてたら、今みたいに翔真と過ごせなかったかもしれないから尚更だ。
そんなお姉ちゃんにアタシは今からあることをお願いする。
翔真のため、何より今後の高校生活のためになることを。
アタシはスマホをお姉ちゃんに差し出す。
「お姉ちゃん。お願いがある」
「なぁに、珍しいね? 漆ちゃんからお願いなんて」
「ん。とっても大事なこと」
「……学校で何かあったの?」
「ん。最悪な気分になること」
「あらら。漆ちゃんが怒ると怖いのに~」
その言葉に含めた本気を悟ったのか、お姉ちゃんはいつものおちゃらけた笑みを解いた。
代わりに浮かべたのは、たまにしか見せない大人としての微笑みだった。
「──いいよ。お姉ちゃんに任せな」
内容を聞くより先に了承された。
アタシが何を思って行動しようとしているのか分かり切っているからだろう。
言わずとも察してくれるから、お姉ちゃんとの会話はとても楽だ。
願わくばこの用意が徒労に終わって欲しいけれど、あの様子だと明日にでも行動するのは明らか。
あぁ本当に面倒だ。
けど……翔真を想うとまるで気にならない。
それだけ今のアタシは相当頭に来ていると強く実感していた。
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次回は明日更新!
ワンチャン見えてきたわよ。
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