15 来客

 二週間ほど経ち、シーナはまたバージルの屋敷に来ていた。

 今日は来客があるようなのだが、オクタビアも同席するのだという。彼女の侍女であるシーナも、一緒に来るように命じられたのだった。


 オクタビアの体調が戻ったのはつい先日のことで、シーナはまだ彼女に自分の決意を伝えていなかった。


 病み上がりの主人に仕事を辞めたいと言ったら、また元気をなくしてしまうのではと心配だったのだ。


 用意された茶葉とティーセットは最高級のもので、やってくる客は相当身分の高い人物なのだろうと思われた。


 バージルはいつもオクタビアに小言をいわれているものの、れっきとしたグラーダの領主である。身分が高い人物と面会することもあるだろう。


 シーナは特に気にすることもなく厨房でティースプーンを磨いていたが、しばらくして急に屋敷の中が騒がしくなった。

 客を覗きに行ったメイドが裏方に戻ってきて、興奮した様子で他のメイドに報告している。


「すごく格好よかったわ! 背が高くて、脚もすらっと長くて……あんな男の人がいるなんて信じられない! グラーダみたいな田舎にはありえない美形よ。あの人の周りだけ、空気まで違うみたいだった!」


「ねぇ、あたし達も覗きに行きましょうよ! 遠くから覗くぐらいならバレないでしょ?」


「駄目よ、大奥様に叱られちゃうわ。大奥様は礼儀作法にうるさい方だから」


「いいわよねぇ、大奥様の侍女は。堂々とお客さんを眺められるんだもの。あたしも作法の勉強でもしとけば良かったわ」


 ファニータが呟いた途端、彼女たちのお喋りはぴたりと止んだ。背中に突き刺さるような視線を感じる。


 ファニータはまだシーナのことを許していないのだ。彼女の忠告どおり、男性とはあまり喋らないように注意してきたのに。

 俯いたまま食器を磨いていると、メイドの一人が話しかけてくる。


「ねぇルシア、今日はティーセットを運ぶだけなんでしょ? あたしに代わってよ」


「ずるい! 運ぶだけなら誰でもいいじゃないの。私がやるわ!」


「……お願いします」


 メイド達が何人かで揉めはじめたので、シーナはカートにティーセットを並べて彼女たちに引き渡した。

 しばらく口げんかしていたものの、ようやく一人に決まったらしい。ダニエルの恋人だったテレサだ。


 彼らの関係は結局破綻したらしく、テレサは晴れて自由の身となった。

 でもその代わりにシーナはダニエルにしつこく付き纏われるようになったので、こちらの心境は複雑である。正直にいえば別れてほしくなかった。


 カートを押して厨房を出て行ったテレサはすぐに戻ってきた。室内にはバージルの執事がいるので、彼がお茶を淹れるらしい。

 テレサはドアが邪魔で客を見れなかったと悔しそうだ。


 オクタビアのお呼びがないのでシーナも厨房で待っていたが、なぜか執事がやって来てメイドをじろじろ見ている。厨房係が彼に話しかけた。


「ホルトンさん、どうかしたんですか?」


「大奥様がお呼びなんだ。瞳が緑色のメイドを全員連れてこいと仰せでな……。でもそれだと結構多いなぁ。五人―いや、六人ぐらいいそうだけど。まぁいいか、瞳が緑色のメイドは私について来るように」


「やったぁ、あたし緑色だわ!」


「私も。幸運よね、お客さんを堂々と拝めるじゃない!」


 ファニータとテレサが嬉しそうに囁きあう声。選ばれたメイドはみな彼女たちと同じ反応をしているが、どの声もシーナの耳をすべるだけだった。


 どうして瞳が緑色のメイドを探しているんだろう?

 今日来た客は誰なんだろう――心臓がどきどきと脈打ち、手の平に嫌な汗がにじんでくる。


 シーナの瞳も緑灰だから、行かなければならないだろうか。行かずにすむのなら、行きたくない。

 だが執事はシーナの思考を呼んだかのように、声をかけてきた。


「ルシアは必ず来るんだぞ。大奥様は特におまえに来てほしいそうだ」


「……はい」


 自分でも驚くほど暗い声だった。俯きながら歩くシーナをファニータ達が不審そうに見ている。

 せっかく珍しい客に会えるのに、なにを落ち込んでいるんだか――そんな顔だ。


 シーナはポケットに入れた小さな袋を、スカート越しに握りながら応接間へ向かった。


 どうかお願いします、今日のお客様は自分に無関係なひとでありますように。


「連れて参りました」


 執事がドアを開けると急に視界が明るくなった。これでは俯いても意味がない。もっと暗い部屋なら、シーナの顔も判別しにくかったろうに。


 執事はメイド達に「一列に並べ」といい、シーナも他の者に続いていちばん端に並んだ。

 ファニータ達が「はぁ……」となにかに感心するようなため息を漏らしているが、怖くて視線を上げられない。


 シーナの視界には、ソファに座るオクタビアと客の長い脚だけがぼんやりと見えた。

 オクタビアが客になにか話しかけている。

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