イジメの犯人は?
なんだかんだあって、俺にとって人生で初めての授業を終えたのだが、やはり特別楽しいとか面白いとか、その逆の感情が芽生えることはなかった。
物理という授業が好きではないからではなく、ただ単純に初めてのことだったからというのが大きいだろう。初めは好奇心があっても、教師の話を聞いてその後に指示通り実験をする。
他の学生にとっては着席してペンを動かすという単純作業ではないことが好まれるようだが、俺にはどうもその違いは分かりそうにない。
でも言えることもある。実験となれば周りが騒がしくなり、その分授業という私語厳禁が普通である時間に隣の人間と談笑ができることは、とても楽だということ。
喋り続けなければ死ぬという病ではないとはいえ、無言の空間で折角の付き人として居るのなら授業だとしても会話はしたいのだ。時間という概念は、たった16年で生涯を終えた俺にとって心底大切なのだから。
「どうだったかしら?貴方にとって人生初の授業は」
片付けは俺だけで済ませず音川と共に済ませた。しかしそれでも物理室を最後に出ることになったのは、俺の不慣れと音川のSっ気が発動したから。
だから最後に物理室を出たのだが、今回珍しく音川から話しかけられることに。少しは気にしてくれているようで嬉しいと素直に思う。
「そうだな……別に驚くことでも楽しめることでもなかったな。パートナーがお前だったからそう思ってるだけかもしれないけど」
「それは私でなければもっと楽しめたということ?」
「逆だ。初対面の人とパートナーになるなら、今の状態に、気を使って疲労した、ってことが付け加えられるってことだ」
実に楽だった。1ヶ月という期間とはいえ、未知の世界に放り込まれた俺が、こうして少しでも話したいと思える相手が傍に居てくれることが。
「っそ」
「お前こそ、もし俺が居なかったら誰とパートナーになったんだ?」
俺の記憶が正しければ、2年2組は俺含めて35人。つまり俺が存在しなければ34人で偶数だ。余るということは絶対にないため、その場合は誰を選択したのか、それが気になってイジワルなんて思わず純粋に聞いた。
そして困った様子もなく、慣れた1人という孤独を全面に出すかのように言う。
「その時は余った人か、近くの席の人か、まぁ、ランダムに決まるんじゃないかしら」
「……そうか。なんか寂しいな」
「いいえ。そんなことないわ。1人になるよう私が過ごしてきたんだから」
「望んでないのにか?」
「貴方と出会うまでは、本気でそうするべきだと思っていたから、今より全然1人で居ようと決めていたわ。だから望んでないと心の奥底で思っていても、上辺だけは繕えるだけの覚悟は持っていたのよ」
出会った頃の音川を思い出すと分かる。心情を本懐を的確に指摘しても倒れなかった堅牢な覚悟。それは確かに軽々しくどうにかできるとは思えない。
今こうして俺に振り向いてくれた理由も、俺が音川と似た境遇で生きて、この先を全身全霊でサポートし、友人となるという様々な要因があったから。
元々1人で生きると決めた人生。嘘で塗り固めれば、本音を仮面で隠すことが可能だと思ったのだろう。
改めて聞くと、俺が隣に立てて本当に良かったと思える。
「それはいいけど、大丈夫なのか?そんな孤独に居て、他人を拒む生き方してたら、それこそホントにイジメられたりするんじゃないのか?」
俺は信じていないことがある。それは音川の体を瞬間的に見れば分かるように、イジメられていないということを、だ。
だから再び聞いた。流れるように違和感のないように。しれっと聞き出せれば御の字と思って。
「でも、貴方と私の関係は誰にも伝えていない。その上で、私は登校からこの瞬間まで、誰からも敵視されるような目を向けられていないわ。嫌悪感を向けられることもない。人というのは、気に食わない人が居てもすぐにイジメるような生き物じゃないのよ。それに、お金持ち学校なら尚更、私たち子供の関係が
遠回しだが、俺という付き人の存在がいることでイジメを一旦中止して雲隠れしているということはないと伝えられる。それを理解できると思ってくれているのは気分が良い。
しかし、今の説明では不十分なことがある。そしてそれに音川も気づいていて、俺に気づかないでとも思っている様子。残念だが、そんなことを見逃して付き人ですなんて言えないのが、俺の無駄に高い矜恃だ。
「それもそうだとは思うけどな、上の繋がりに困るのは、イジメられる側がイジメる側より社会的地位や権力が高い場合だ。逆もまた然り。社会的地位で上からお前に対する圧力をかけて証拠や何やらもみ消される可能性は、普通の学校よりあるんじゃないのか?」
イジメる側が生徒会。イジメられる側が一般生徒。この関係で考えれば、権力と地位から見て問題行動を問題行動でなくすることが可能なのは判然とする。
それこそ普通じゃ有り得ないが、この学校がそもそも普通じゃないのだから、この話は十分に考えられる可能性の1つだ。
だが、俺はこの世界について知れたとはいえ無知とも言えた。それを嘲笑うかのように、音川は止まって横の俺を見て、すぐに歩き出して言う。
「私、これでも位は高い方よ。言いたくないけれど、学年でトップと言っても過言ではないほどに」
「……そんなに?」
「気になるなら図書室でもスマホでも触って調べると分かるんじゃないかしら?下僕」
「いや、その言い方なら調べることも無駄なんだろうな」
きっと音川茂の権力は高次なのだろう。会社について詳しく知らないが、そこに関してはまぁ、問題は消えたと言っても良いのかもしれない。
「んじゃ、クラスメイトは除外しよう」
そう言うと僅かにだが反応を見せた音川。気づかれたくないことに気づかれた!という様子だ。
「もし後輩……は流石にないか?まぁ選択肢として残すとして、もし先輩からのイジメならどうだろうな」
「……別に、私がこの性格で先輩すらも跳ね除けたことが理由でイジメられてなんていないわ」
「なら、都合のいい鬱憤晴らしとしてイジメられてるってことか?」
逃げ道を賢く作るが、だからこそ先が読めるので確信している俺はその些細な言い逃れも許さない。音川の、人を避ける性格を加味すると普通、先輩と無理に関わることはない。だから予想では先輩から接近されて始まった可能性が高い。
その問いが正解だったのか、物理室という最も2年2組から近い移動教室でさえまだ教室に戻れないペースの中、再び止まって今度は無言だった。
「どうした?」
「……知ってどうするの?」
認めたということでいいのだろう。観念したとも聞き取れる声色だ。
そんな音川の横から、俺は目の前に移動して目を合わせて言う。
「そんなの決まってるだろ?」
それ以上は言わない。ただ優しく、心の底から音川を支えたいと思うからこそ、俺は心配させないよう伝えた。何とかするのは確約だと思わせ、安心してもらうように。
それを察したのか、何とかしてくれるという考えを理解したように、目を逸らして杖の持ち手を俺の腹部に無言で当てた。
「……できるの?」
「これでも一応ギフテッド持ちの天才だからな。こっちに不利益のないよう済ませることは可能だな」
不可能じゃない限り、何としてでも
「なら、信じることにするわ」
「素直だな。冷たい時もあっていいと思うけど、そういう素直で女の子っぽくしてる方が俺は関わりやすくていい」
「それは私が冷たいから思うことでしょう?常に素直なら、そんなこと思わせてないと思うわ」
「確かにな」
ギャップというかなんというか、音川は冷たい時があってこそ輝くということ。それは俺も認めていて、顔の良さは自他ともに認めて可愛いので、まさに性格も顔も俺と相性が良いように感じて運命を信じたくもなる。
「ところで、そのゴミカスは最近接触してくるのか?」
「あら、私の下僕にしては口が悪いわね。まぁいいわ。そのゴミカスはゴミカスなりに接触してくるわ」
「……イジメられてるやつの発言じゃないな」
どこか嬉しそうで楽しそうなのは、それだけ信頼されているのか。それとも俺と会話することに、冗談を入れることを気に入ったのか。何にせよツッコミたくなることを言う性格とは思っていないから、不意にこうしてノリ良く接されるとどうも可愛らしく思える。
「まぁ、それなら今日中には1歩前進したいな」
「毎日会っているから大丈夫よ。もし会ったら、その時相手を挑発していいかしら?」
「何で攻略の難易度上げんだよ。ゴミカスに対する日頃の恨みは家に帰って俺にぶつけてくれ」
イジメているやつから復讐されるなんて思っていないだろう。だからいざ復讐されると、その時は肥大化した憤怒が今後も俺らの背後を狙うだろう。それを最小限に抑えるには、音川のイジメてくる相手への不満を俺が代わりに受けることが最善と言える。
「仕方ないわね」
「仕方なくねぇよ」
そうして歩きながらも着々と解決へと、そして仲を深めることにも前向きに進みつつ、俺たちは教室への曲がり角を曲がろうとした。その時、一応確認するべきだと俺はただその一心で、周りの視線を確認して誰も居ないことを把握すると、その瞬間に音川の制服をシャツやインナーと共に、腹部が露出するくらいに捲った。
「――はぁ?!」
一瞬腹部が見えて痣がないことを確認。そして音川は、即座に右手で俺の右手を振り払った。
体に暴力は振るわれてない、か。
「急に何するの?!」
「調べ事でーす」
「淑女の体を学校で見ようだなんて……何か理由があるとしても一言言いなさいよ」
音川は秀才で頭の回転が早い。そして基本冷静。だから俺が無意味に今行動するとは思っていないと脳内で帰結したらしく、声のトーンを落として普通に戻った。
「次からはそうする。今回は咄嗟だったからこうなっただけだ。悪いな。でもホントは、そのニーハイの下も貧相とも豊満とも言えない中途半端で面白味のないとこも、髪の毛だってバリカンで1mmにしてお前を見たいのを我慢して最小限にしたんだ。我慢した方なんだからそんなに責めないでくれ」
「変態なことを言う貴方にも、まだ微かに信頼するという思いはあるわ。私の美脚の生足を見たい理由も分かる。髪の毛に関しても何かしら理由があるのだと思うことにするわ」
唯一許されないこと。それを理解した俺は、目をつぶった。目に映った攻撃を、俺は反射的に避ける癖がある。だから今回は受け入れることにしたのだ。それは仕方ないことで、俺のデリカシーの欠如が生んだことなのだから。
「ただ、どこに対して中途半端で面白味に欠けると言ったかは明確ではなくとも、何故か無性にムカつくから――」
そう言って持っていた大切な杖を、俺のケツに鋭く叩きつけた。パシンっと、それはもう生前の罰でさえ受けたことのない威力と音で、曲がり終えるとその音が何か気になった生徒たちの視線がチクチクしたのは初日の思い出だ。
一言多かったな……。
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