初登校

 俺がこの日本という国に来たのは4月30日。そして今は6月1日。あれから1ヶ月が過ぎ、その間勉強という学生に似合った活動を続けていたが、思っていたより難易度は高くなかったので知識として一般常識は叩き込めた。


 知識を入れることに関して、俺の脳はちょうどよく働いてくれるので、処理速度が異次元故に5月後半からは暇をする時間が増えていた。


 そんなことがあって今、俺は転入生として共に音川と通学中だ。同じ2年2組に所属するようで、まだクラスメイトとは会ってない。楽しみ半分、緊張半分といったとこが今の俺の気分。


 とはいえ、既に一緒に暮らし始めて1ヶ月の音川とは、未だに距離は縮まらない。無理をして縮めたいことはないが、どうもまだ音川の桎梏は完全に拭われては無い様子。


 だから本日から始まる通学の時間も貴重なのだ。有効活用しなければ。


 ちなみに俺たちの住む家と、これから通うお金持ち学校――怜快学院れいかいがくいんは直線距離約150mなので、人と比べて歩くのが遅い音川でも十分歩いて通える距離にある。


 「なぁ、学校って楽しいのか?行ったことない俺からすると未知なんだけど、お前視点でどうなのか教えてくれよ」


 一応イジメ云々に関してもしれっと聞き出すため、これから本格的に始まる付き人としての本懐のため、自分の過去を使って問うた。


 「それは今後の貴方の活動次第よ。私がイジメられているという話を鵜呑みにして心配しているなら、それは杞憂と跳ね除けるわ」


 「そこも聞いてたのか」


 ということは、現在イジメられていない。もしくはイジメだと思っていない。それか、本当を隠して心配させないよう気を使っているか。


 あれだけ1ヶ月前に話したんだ。今更心配させないようにと隠し事のように嘘偽るとは思えないが、音川の性根は優しいで埋められていると俺は思うから、一概に信頼から安心はしない。


 「まぁ、イジメなんてしょーもないこと、音川様が相手にすることでもないしな」


 「それは当然ね。私がイジメられていたとして、それに反応するほど私は子供じゃないわ」


 「俺と会った日、一緒に部屋で寝たら俺の意識が飛ぶまで喋ってたくせに何が、子供じゃないわ、だよ。まだまだバブちゃんだぞ、お前は」


 「心外なこと言わないでくれるかしら?一応、私の左手には武器になる物を持っていることを忘れたの?」


 「おっと、それ言うなら俺のギフテッドの話をお忘れなきよう」


 音川にはギフテッドとして、俺の脳の処理速度について説明してある。だからその代償に先天性の病気に罹患したということも知っている。


 「……ホント、厄介だわ貴方は」


 「残念だな。世の中は思い通りにならないことばかりだって覚えとくんだな」


 「そうするわ」


 それなりに話してくれるが、まだ打ち解けているとは言えない。仲を深めようと冗談も交えながら話しても、長年の慣れは簡単に解呪とはいかないらしい。


 「ところで、今日は寝坊に加え、貴方の初登校日として準備を手伝ったわけだけれど、だからこそこの速度で歩けば遅刻確定よ。遅れないように急いで向かいなさい」


 とても耳が痛い話だ。前日に制服を着る準備をしていたとしても、当日になると忘れているもので、音川の言うことは1つとして間違いではなかった。


 しかしそんなことはどうでもいいのだ。


 「そうだな。でも遅刻してもしなくても、俺は今日だけは誰よりも有名人になるんだし、別に急がないと不良の烙印を押されることもないんだろ?なら俺はお前と一緒にこのまま向かう」


 「……バカね。そんなに私を気遣わなくてもいいのよ」


 「別に俺はお前の為に歩いてるんじゃなくて、俺がお前と仲を深めたいから歩いてるんだよ。好きでしてることなんだし、嫌ならお前から離れればいい」


 足が遅いことをデメリットとして捉える音川に対して、足が遅くなっている要因すら気にしない俺とでは、そもそも考えが違う。


 当人は生まれてから今までずっと足のことで苦しい思いをしたから、今もまだ悩みの種として消えない思いを抱いている。しかし俺は足が悪いことをデメリットだとは思わない。足が悪いのは仕方の無いことで運命のようなもの。足が悪い音川こそ本当の音川なのだから、そんな普通の人間に、俺は同情も惻隠の情も抱くことはない。


 だからこそ、対等に接している。足が悪いからなんだというのか。体全身が苦痛に蝕まれた俺にとって、人を何かしらの障害で差別することなんて微塵もあってはならないと強く思ってるからこそ、今の音川と仲を深めようとしているのだ。


 「まぁ……私は嫌ではないわ」


 「そこで、一緒に遅刻しましょうか、なんて言ってくれたら泣くほど嬉しかったのになぁ。男女学生の青春の1ページっぽくてさ」


 「脳内お花畑にはついていけないわ」


 「悪かったな」


 「でも、歩くのが遅い私と一緒に学校へ通うことに不満を持たず接してくれることには感謝しているわ。ありがとう」


 「そこは素直で好きなんだけど」


 やはり音川も気にしていた様子。一緒に通学することで、遅刻の原因になることと、人から見られ、仲良くしているように見えることで俺が冷たい視線を受ける対象になることを。


 そこはまだ自己犠牲で乗り越えようとする、音川の悪いところだ。いつか治したいと思って、俺は隣並んで欠伸しながら校舎へ向かった。


 そして時は過ぎ、俺が廊下で待たされて2分弱。担任の女性教師に呼ばれたので扉を開けてスムーズに入室。これにより、本日よりクラスメイトとして共に活動することになったわけだが、入室早々輝かしいくらいの瞳の数は見られる側としては悪くない。


 続けて自己紹介をしろとの指示に従って頭を一度下げると言う。


 「ども。本日からこのクラスに転入という形でやって来ました、長坂七生です。この学校のことに関して右も左も分かりませんが、仲良くしてくれると助かります。よろしくお願いします」


 「はい、ということで長坂くんをみんなよろしくね。席は窓側から2列目、最後尾のあそこだから、周りの人と仲良くしてね」


 「はい。ありがとうございます」


 この学校に転入生は珍しくないと聞くが、転入生という名前の強さだけでも人は反応するようで、物珍しそうに皆の視線が集まるのは次第に恐怖を感じる。


 人から見られるって久しぶりだなぁ。


 ということで、俺の席は窓側最奥に座る寂しげな少女――音川莉織の隣である。仕組まれたようで仕組まれていないことに、やはり運命と思うのは必然と言えた。


 「さっきぶり。今日からお隣でよろしくな」


 「よろしく」


 学校で対応が変化すると思われた音川は、しかし通学時と何も変わらなかった。落ち着きがあるだけで、静謐とした雰囲気は魅力としてカウントできるくらいに素晴らしかった。


 だが、だからと言って簡単に馴れ馴れしく関わることは嫌われる第一歩だ。それを避けるため、することはまず今日が初めましてのように、そして自然と友人になりたい人のように振る舞うこと。そしていつの間にか、音川と長坂は仲がいいと噂されれば満足だ。


 いや、そもそも付き人として周知の事実としてしまうことは可能だろうか。様々な考えが縦横無尽に頭を走り回ると、いつの間にかホームルームは終わっていた。


 そうして始まった学校生活。休み時間になると人気者になるかと待っていたが、そんなこともなかった。転入生は気になるが、話しかけに行くほどのことでもないと各々判断したらしく、視線はあるが声をかけられることはなかった。


 だから仲良くする標的は俺が決めれた。隣の無言大好き音川莉織に。


 「そういえばさ、俺たちの関係って普通にバラしていいのか?」


 隣で読書を始めようとするから、それを先に阻止して話しに付き合わせることに。不満そうな様子はなく、聞かれたことに答えようと口を開く。


 「良いと思うわよ。実際、この学年にも何人か付き人として籍を置いていると聞くわ。それに、貴方は私の下僕、なのでしょう?」


 「……お前って俺が下僕になるって決めてからホント、下僕として使うことに躊躇いないし慣れるのも早かったよな。今まで1人で過ごしてきたとは思えないわ。ワガママめ」


 「私も不思議に思ったわ。どうして長坂くんには普通で居られるんだろうって。そこで答えがで出たわ。どうせ考えても答えなんてしょうもないんだから、考えるだけ無駄だって。だから今もよく分からないわ」


 「真面目に聞いてた時間返せ」


 ワガママは否定しないのでそうなんだと受け取るとして、やはり初対面での似た境遇の説明や、変態のような推測が響いたのだろうか。


 微かにだが音川には俺を信頼している節がある。一度聞いたことは二度聞かない。まぁ、心配が勝つなら何度も聞くが基本は一度で終わるし、近くに寄っても他人と比べて距離を取らないのもそうだ。


 通学時にローファーとシューズを履き替えた時、明らかに人を避けていたのに俺とは通学から距離が近かった。無意識だとしても受け入れられつつあることは嬉しいことだ。


 感傷に浸っていると、俺は教室を見てあることに気づいた。


 「この後物理らしいけど、教室じゃないんだろ?移動しなくていいのか?」


 「物理室は教室を出てすぐにあるから大丈夫よ。教室に残ってる生徒の数が証明してるわ」


 自信満々だが。


 「だよな。だから聞いてんだよ。今最後の1人が走って出てったからな」


 「……ええ、そうね。私も今この瞬間にミスったと思ったわ」


 珍しく固まって机に本を落とした音川。ノリが良いのかこれが素なのか、どちらにせよ今この状況がよろしくないことに気づいた時の反応は、冗談が通じる面白い友人のようで新鮮だった。


 「どうしたんだ?」


 「今日は実験があったわ」


 「やばいな。つまり急いで向かって準備しないとってことだろ?」


 「いいえ。今回は2人1組の実験。私と長坂くんがペアになると見越して、私は動く必要がないわ。だってそうでしょう?下僕」


 「ここに来て最低最悪の答えに驚きを隠せないな。俺が物理室に入ったことのない転入生ということをお忘れで?」


 「……仕方ないわね。私の足のことを考慮して、準備にそれなりの時間を確保してもらいましょう」


 「助かるよ」


 俺たちは歩いて向かった。音川を抱えることなく、同じペースで。それが普通であり、休み時間という縛られない時間帯での行動として当たり前とも言えた。


 俺は音川を特別扱いしない。遅れるなら一緒に遅れるし、怒られるなら一緒に怒られる。足のハンデがあったとして、それが理由なら俺はとことん付き合うつもりだから。


 そうして俺たちは物理室に向かい、授業が始まる2秒前にギリギリ準備を終わらせた。

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