第20話 仲直り
「桃音……?」
名前を呼ぶ。お前、柚葉とまた仲良くしたいって言ってたよな? いつもランドセルに付けていたうさぎのストラップ、柚葉がくれたものだって。また去年みたいに一緒に話したいって。それなのに、なんで……。
柚葉の方を見る。さっきまでの自信に満ちた表情が、一気に崩れ去ってくのが分かった。一哉もどうしていいのか分からないといった様子で、桃音と柚葉を交互に見ている。
「柚葉……」
名前を呼んでも、返事はない。唇を固くかみしめ、拳をぎゅっと握りしめている。ゴールの方をチラリと見る。そろそろ一年生が走り終わりそうだ。このままじゃ……。
「だって……」
黙り込んだままの桃音が口を開いた。目線を下にやり、小さな声を振り絞る。
「私……柚葉の……友達なんかじゃ……」
「んもう! 細かいことはいいから! さっさと行くわよ!!」
桃音が最後まで話し終える前に、柚葉は放送席の中へズカズカと足を踏み入れた。びっくりして硬直する桃音。柚葉はそんな桃音の腕を引っ張り、無理やりグラウンドの方へと連れ出す。
「早くしないと一位、取られちゃうでしょ」
その一言で、柚葉が全速力で審判の元に駆け寄った。すぐさま合格サインを出すサングラス。ニッっと柚葉は歯を出して笑い、お得意の全力ダッシュを披露する。
「柚葉っ……なんでっ、きゃっ……」
「桃音!! 柚葉!!」
お互い走る速度が合っていないせいか、二人は思い切り地面に倒れた。そんな二人を包み込むかのように舞う砂埃。
「大丈夫か!?」
思わず叫んでしまった。あまりに大きな声に、それを拾ったマイクがキーンっと嫌な音をたてる。テーブルから身を乗り出し、二人の様子をうかがう。ゴールまであと三十メートルのところで、柚葉と桃音が横倒れになっているのが見えた。さっきまで繋がれていた手が離れてしまっている。柚葉は膝をつきながらゆるゆると立ち上がり、砂埃に咳込みながら、後ろを振り返る。柚葉の足元には、うつぶせに倒れた桃音がいる。桃音は一向に体を起き上がらせる気配がない。
「おっと、白組四年大丈夫か!? 両者とも倒れたまま立ち上がらない!」
校庭で勝負の行方をうかがっている観客全員の視線が二人に集まる。他の参加者たちもみんな、二人の姿をかたずをのんで見守っていた。
「一人でゴールをすると失格になってしまうが! さあ、彼女は立ち上がることができるのか!?」
応援団の声がひときわ大きくなった。いや、そう聞こえるだけなのかもしれない。マイクを持つ手に力を込める。
そわそわしながら二人の事を眺めていると、桃音がゆっくりと顔を上げた。砂で顔を真っ黒にして。そして、目線を柚葉の方まで上げる。二人の目が合う。お互いの顔を見つめあう二人。そのまま数秒が経った。
その時だった。
「ん」
柚葉が、桃音の前に手のひらを差し出す。驚いた顔で、それを見つめる桃音。すると柚葉は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、もじもじと口を開く。
「あんたがいないと勝てないでしょ」
「……」
もはや実況することなど忘れていた。まるでドラマのワンシーンでも見ているかのようだった。二人の姿を食い入るように見つめてしまう。それは一哉も同じみたいで、競技前のおちゃらけた雰囲気とは一変、柚葉と桃音のことを凝視している。少し雲のかかった空が、一気に真っ青になった。太陽の光が二人の姿を照らす。突然のまぶしさに、俺は思わず目を細めた。
「約束、忘れたの?」
小さくだったが、二人のやりとりが聞こえた。桃音が柚葉の名前を呼んでいるのが分かる。
それを聞いた柚葉がニヤリと大きく笑うと、つられて桃音も笑った。そして、差し出された右手に、しっかりと自分の左手を乗せる。その瞬間、柚葉は一瞬で前へと振り返る。そして、一直線に続くゴールまでの道を、桃音の手をしっかりと握りながら一気に駆け抜けていった。
「た、立ち上がったー! 早い、早いぞ白組!」
倒れ込んでいる間、すでにゴールへと向かっていた走者たちを、二人は次々に追い越していく。陸上選手顔負けのスピードだ。柚葉に強く手を握られているおかげで、桃音も転ぶことなく後ろを全速力でついて行っている。
「これは、白組四年。逆転勝利となるか!? 次々と走者を抜かしていく!」
二人の髪のたなびき具合で、どれだけ彼女らが本気を出しているのかが分かった。また一人、また一人。ゴールはもう目前だ。俺の実況にも熱が入る。セットに置かれていたマイクを抜き取り、俺は大声を上げて立ち上がった。
「頑張れぇぇ! 柚葉っ、桃音っ!!」
実況をすることなど忘れて、俺はただひたすらに二人の姿を目で追い続けた。もうゴールは目前だ。五メートル、四メートル、三メートル。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
二メートル、一メートル……。そして……。
パンパンッというピストルの音が聞こえた。ピンッと張られていたゴールテープが、ひらひらと地面へ落下していく。
「い、一位は――」
グラウンドの奥で、柚葉と桃音が膝に手を当て息を切らしている。大きく肩を揺らしながら、額に汗を流して。でも、その奥でガッツポーズをする生徒が一人。
「白組一年! 彼氏募集中の女の子を連れた彼の勝利だー!」
ダメだった。もう少しだったのに。あと少しだったのに……。悔しい。自分の事のように悔しい。
「そして、二位は白組四年。三位は赤組五年となりました」
その瞬間、今まで全力で走っていた生徒たちが、一斉にグラウンドに倒れ込む。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
みんな息を切らしていた。勝利した一年の彼以外、全員悔しそうな表情を浮かべ、それぞれ順位の書かれた旗の前まで歩いて行く。
「私は三位の価値なのかああああああああ」
生徒に交じって、いせみんの嘆き悲しむ声が聞こえた。そういえば、柚葉と桃音に夢中で、彼女の事がすっかり視界から消えていた。ああ、三位でゴールしたのか。いせみんを連れた少女は不満そうな顔で、グラウンドで駄々をこねる教師の姿を睨んでいる。無理もない。いせみんがこんなにも抵抗しなければ、もしかしたら一位を取れていたかもしれないのだから。そう考えると悔しくてたまらないだろう順位に文句付けるなら、変な意地なんか張らなければよかったのに。もったいない。
「ただ今の競技は、学年選抜メンバーによる借り物競争でした」
マイクのスイッチを切る。
「ふぅ……」
ようやく終わった。なんだか一日のカロリーを全部消費したような気分だ。最初はどうなることかと思っていたけど、終わってみればあっという間だ。なんだかんだ楽しかったし、来年は俺も放送委員会に入ろうかな。俺の白熱した実況。良かっただろ?
「お! お疲れ。柚葉、桃音」
二人が放送席に帰ってきた。真っ白の体操着を砂で茶色にして、顔にもグラウンドの砂が付いたまま。
「熱い試合だったな。俺、感動で見入っちゃったよ」
「……」
「柚葉……?」
声をかけても、柚葉は何も喋ろうとしない。俯き、前髪で顔が隠れてしまっている。
「ごめん……一位……取れなかった……」
申し訳なさそうに桃音が呟いた。確かに順位は二位だった。もしあそこで転ばなかったら、結果は変わっていたかもしれない。そもそも、カードを引いて早くに誰かを捕まえられていたら、こんなことにはならなかった。俺がついて行っても良かったんだ。でも……。
「別に……」
いつもより何倍も低い声で柚葉が呟く。そんな彼女のことを、桃音は心配そうな目で見ていた。また罵られるのではないか、またいじめられるのではないか。そんな不安を抱いているのが、ヒシヒシと伝わって来る。俺もそう思う。一位にこだわっている柚葉が、このまま黙って競技を終わらせるようには思わない。また大声をあげてしまうかも……。
そんなことを考えていると、柚葉のズボンのポケットから、何やら一枚の紙切れがひらひらと落ちた。真っ白の、半分に折られた四角い白のカード。これは、たった今行われた借り物競争での必需品。お題の書かれたカードだった。落っこちたことに気づいていないのか、それに気づいた桃音は、カードをそっと拾う。
「これ……」
そこに書かれているのはともだち。簡単に見つけられると思っていたもの。普通過ぎるお題だと思っていたもの。
「やめて!」
桃音が拾ったのに気づき、柚葉は急いでカードを取り上げる。顔を真っ赤にしながら、すぐさまそれをポケットに入れた。そんなことしなくても、放送で俺が言ったから何が書かれているのか分かっちゃうと思うんだけど。今さらごまかしは効かないぞ。だってそのカードは、どこからどう見てもともだち。
「これ……私が書いた……」
「え」
驚いた表情で柚葉が声を上げる。そうだ。そういえば普通のカードも入っているって、桃音が言ってたな。これがその普通のカードだったのか。六分の一の確率でこれを引くとは。
「桃音が……?」
柚葉が黙り込む。何かを考えているようだった。いつにもなく、難しそうな表情をしている。それを黙って見つめる桃音。その姿はまるで、答えを待っているようだった。日差しの照り付ける中に、ひときわ大きな風が、俺たちの間を吹き抜ける。たなびいた髪が元に戻ると、きつく結んだ唇を、柚葉はゆっくりと開いた。
「あのストラップ、ボロいからもう捨てなさいよ」
「へ……」
「ほら、いつもランドセルに付けてる」
この間桃音が、柚葉から貰ったと言っていたあれだ。うさぎの手のりサイズのマスコット。去年の運動会で、柚葉が桃音にあげたもの。
「で、でも……あれは……」
「あんなの、また作ってあげるから」
「……」
眠たそうにしていた桃音の表情が、ぱああっと明るくなった。暗かった瞳に、光が宿る。いつも不愛想な表情をしている柚葉も、今まで見たことのない笑顔を浮かべている。なんだ、そんな顔、できるんじゃねえか。
「柚葉……大好き……」
「ちょ、くっつかないでよ気持ち悪い!」
大人ばかり居座っていた放送席の周りに、ひときわ大きな二人の笑い声が響き渡る。無邪気な小学生二人の、楽しそうな笑い声が。思わず俺の頬も緩んだ。一哉もニヤニヤしていた。
一時はどうなるかと思っていた運動会。なんの変化も起こることなく、ただただいつも通りの時間が過ぎていくと思っていた。でも、晴天に恵まれた今日この日は、今年一番の、いい一日だった。
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