第9話 予感

「あら、冷めても美味しいのねぇ」


 デイブが語った神話だが、レティシアが知っている物語とはわずかながら違いがあった。光闇大戦カオス・ウォー古代人こだいびとと呼ばれる人間が関わっていること、竜神が存在していることの二点である。しかし、お伽噺や神話と言うものは、地方によって内容が変わることなど多々あることだ。レティシアは、大して気にすることもなく、デイブにお代わりを勧めた。

 彼女はその提案に乗ってお代わりを注文した。レティシアがその準備に取り掛かった時、デイブが何か思い出したようで、再び早口で話し始めた。


「そう言えば、神話の話で思い出したわ。ニーベルンで最近、新興宗教が流行り始めたそうよ」

「新興宗教ですか?」

「うーんと、確か……ダ、ダ、ダイマ教?だったかしら」

「へぇ……。初めて聞きましたね。どんな神様を信仰しているんでしょうね」

「どうだったかしら? どこか変わった響きのある名前だったような……」

「おめぇ、何も覚えてないじゃねぇか!」


 デイブの記憶があまりにも曖昧なので反射的にツッコミを入れるアンソニー。


「あんたッ! うるさいよッ! 細かいことにいちいちと。私は竜神様を信仰しているんだから、他の神様のことなんて覚える必要はないの!」

「まぁ、確かにドライグ王国は竜神様の加護を受けていて、昔から信仰の対象になっているからなぁ……」


 逆ギレして目を吊り上げるデイブに、アンソニーは怒った様子もなく簡単に受け流す。流石は長年連れ添った夫婦である。


「なるほど。そんな国で新興宗教なんて入り込む余地があるんでしょうか?」


 レティシアはデイブの前にカフェオレのお代わりをそっと置くと、率直な疑問を口にした。


「ないんじゃねぇか? もしかしたら、うまい話で信者にした後、壺なんかを売りつける金儲けが目的の宗教だったりしてなぁ。くっくっく」


 愉快そうに笑うアンソニーに、レティシアの同意に満ちた眼差しが突き刺さる。一方のデイブはまたまた何かを思い出したのか、飲んでいたカップから口を離すと、少し慌てたような声を上げた。


「あ! ところであんた! ホレスちゃん、そろそろニーベルンに着く頃じゃないかしら」

「ん? ああ、そうだな。もうこんな時間か」


「何かご用事でも?」

「ああ、実はな。甥っ子がニーベルンに来ることになってんだ。なんでも有能な薬師を探してるって言うんでレティちゃんを紹介しようと思ってな」


 さりげなく褒められたレティシアが、謙遜の言葉を口にしようとしたその時、入口の鈴の音がそれを遮った。三人が入口の方へ視線を向けると、そこには二人の男性が立っている。


「親父、ホレスを連れて来たぜ」


 噂をすれば何とやら。来客はそのホレスとアンソニーの息子のようだ。


「おお、来たか。こっちに来なさい」

「俺は帰るぜ。まだ仕事が残ってんだ」


 アンソニーの息子はホレスをその場に残してきびすを返した。


「なんでぇ。息抜きの一つもしていけってんだ。ホレス! こっちに来な!」


 釣れない息子に毒づきつつ、ホレスに向かって手招きをするアンソニー。それに応えてカウンターの方へ歩み寄るホレス。レティシアは、彼の顔にどこか影を感じて何だか嫌な予感がした。ホレスがアンソニーの隣に腰かけると、三人は久々の再会を喜び合っているようだ。


「レティちゃん、取り敢えずコーヒー頼むよ」

「こーひー?」


 ホレスが疑問の声を上げる中、レティシアは初めての客にとびっきりの一杯を入れてやろうと、張り切って準備を始める。ホレスに感じた影はおそらく旅の疲れによるものだろう。


「それでなホレス、この若い娘さんが手紙に書いたレティちゃんだよ。すごい薬を作るだけじゃなく、美味いもんまで開発しちまう、すんげぇお方さ」


 あまりの褒めっぷりにレティシアはたじたじである。

 一体手紙に何を書いたのだろう。

 レティシアはじっくりと抽出したコーヒーをホレスの前にそっと置いた。


「はい。お待ちどぉ様、コーヒーです。苦いですからお気をつけて。お好みでそちらの砂糖を入れてください」


「それで手紙にあった病気って何なの?」


 デイブが話を切り出した。


「わざわざニーベルンに来るくらいだ。言ってみな」

「あたしで役に立てるか分かりませんが、話してみて頂けますか?」


 アンソニーたちの質問攻めにしばらくだんまりを貫いていたホレスであったが、レティシアの一言に意を決したのか、おずおずと口を開いた。


「俺はカルナック村から来たホレスと言う。実は……実は、俺の息子の体に異変が起こったんだ。皮膚が硬くなって変形していくんだよ。最初は左腕だけだったんだが、今じゃ上半身にまで広がっちまった……。村の医者に聞いたら鎧病だって……」


 また鎧病か!とレティシアは心の中で独りごちる。

 嫌な予感は当たっていたのだ。


「アンタが優秀な薬師だと聞いて頼みがある……。どうか……どうか治療薬を作ってくれないか? 何とかして息子を助けて欲しいッ!」


 ホレスの言葉は最早、叫びに近くなっていた。鬼気迫る表情のホレスを見てアンソニーとデイブも先程まで表情から一転して沈痛な面持ちになっている。縋り付くようにお願いしてくる彼にレティシアは困った顔で、しかしはっきりとした口調で言った。


「残念ですが、現時点では治療薬は存在しません。あたしには、進行を遅らせる薬しか創れないんです」

「その薬なら使ったさッ! そのお陰かは知らないが、病気の進行が遅くなったんで、今のところ命は助かっているが……その薬を調合したアンタなら治療薬だって作れるはずだッ!」

「ホレスッ! レティちゃんに怒鳴ったってどうにもならねぇだろうがッ! 謝りやがれッ!」


 レティシアの瞳から光が消える。そしてその心に影が差した。


「あたしは無力です。時間をください」

「……怒鳴って悪かったよ。すまない」


 ホレスは、ばつの悪そうな顔をすると、ゆっくりと立ち上がる。そして入口のドアを乱暴に開けて駆け出して行ってしまった。


「おいッ! ホレスッ! すまねぇ、レティちゃん」


 ホレスの後を追って店から出て行くアンソニーとデイブ。

 店内に鈴の音が虚しく響き渡る。

 カウンターには、手もつけられず、熱を失ったコーヒーだけが残されていた。

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