壁なんかじゃない
2学期が始まり、少し経った頃には自転車部の中に凪の姿があった。
凪を入れて21人の部員を走力によって3グループに分けて練習するので、朝陽と凪が一緒に練習する事はなかったが、同じ部で練習しているという事が双方にとって刺激になっていた。
凪のグループは三軍で、高校に入ってから自転車を始めた人達もいるけれど、それでももう半年近くトレーニングしているので、練習についていくのは大変だ。
しかも凪はこれまで運動らしい運動はした事がなかったので、毎日ヘトヘトになり筋肉痛に襲われた。
それでも凪はそんな生活が楽しかった。
ただついていく、離れないように夢中になってペダルを回す事。
他の事を考える余地もなく、全力で自分自身をさらけ出す。
苦しいとか痛いとか、それを超えて頑張るとか、生まれて初めて生きている実感が湧いた。
そして、何よりも早く朝陽と一緒に練習できるようになりたいという強い思いが、凪を駆り立てていた。
自転車は他のスポーツとは違う何かがあるようだ。運動神経が良くなくて、球技などからっきし下手くそなのに、自転車に乗らせれば速い奴が結構いたりする。
凪もそんな1人で、自転車は彼に合っているのだろう。
部活のトレーニングは別のグループで行っていたが、朝陽と凪は一緒にいる事が多かった。
このカッコいい仲良し2人組は結構人気者になっていた。そうそう、入学当初は誰にも気に留めてもらえないような陰気臭い凪だったが、この頃にはすっかり垢抜けてイケメンの仲間入りを果たしていた。
朝陽はもともと誰とでも打ち解けて友達が多かったから、知らず知らずのうちに凪にも友達ができ、2人の仲良しぶりはよくからかわれたりもした。
そんな風にからかわれる事を朝陽も凪も悪い気はしていなかった。
練習すればするほど、凪はどんどん速くなっていき、2年に上がる春休みからは朝陽と同じ一軍で練習する事になった。
まるで違う‥‥‥
ここまでトントン拍子にきて、自分にも出来るんだと自信をつけてきた凪は初日の練習で一気に打ちのめされた。
今、一軍にいるのは凪を入れて6人で、皆が本気で自転車に取り組んでいる。インターハイには3人しか出場できないから、皆がライバルで皆が必死だ。
アップの段階で既に息が上がっていた凪は付いていくのが精一杯で、一度も先頭に出る事なく5人から早々と千切れてしまった。
ニ軍の時とコースは同じなのに、まるで違うコースを走っているようだった。
これまで気持ち良いと感じていたスピード感も、いっぱいいっぱいの限界ギリギリの緊張感ばかり。
上りも平地も下りも休む事なんて出来なくて、集中力が途切れた段階で即さよならだ。
あっという間に視界から遠ざかる集団。
まだ3分の1も来ていないのに、もう全身が言う事をきかない。
そこから1人で頑張ろうなんてとても思えず、あとはマイペースでチンタラ走って初日の練習を終えた。
僕は何か勘違いをしていた。
ここまで良い調子できて、自分には才能があるんじゃないか、きっと朝陽の良いアシストが出来るようになると思い始めていた。
それなのに‥‥‥
世界が違う。
天井の見えない壁の前に立たされた気持ちになった。
そのまま動く気にもなれず、部室の椅子に腰を掛けていると誰かがやってきた。
「ナギ、お疲れ。大丈夫か?」
既に私服に着替えた朝陽がニコニコしている。
大丈夫なんかじゃない。恥ずかしくて顔も上げられない。
朝陽が凪の隣に椅子を持ってきて座った。
「ナギ、センスあるよな。半年でよくここまできたよ。一軍の練習は厳しいけど、ここからが本番だ」
「センスなんてないよ。今日の僕を見ただろ? ぜんぜん付いていけなかった。すごい壁を感じた」
気落ちして泣き出しそうな凪を見て朝陽は笑った。
「当たり前だよ。そんなすぐに付いてこられたら、こっちの立場がないぜ。俺達、何年こんなきつい事やってきたと思ってるんだ? 俺なんて3歳から自転車レースやってるんだぜ。
こんなのは壁でも何でもない。1日1日、自分の限界を越えるように必死にやっていれば、まだまだナギはどんどん強くなれる。
初日でここが壁だなんて思うなよ。壁は自分で作っちゃうもんだからさ。
すぐに慣れるさ。今は挑戦あるのみだ」
そんな風に言われれば、そんな気になる。
凪は顔を上げた。
「そうだね。明日は今日より少しでも長く付いていけるように頑張るよ」
あれこれ考えずにやるしかない。
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