第117話


「お前のような疲れる相手とは、二度とやらないで済む筈だったんだけどな」

 本校舎の地下で待っていたギュネス先生は、開口一番にそう言った。

 会話で僕の気を緩めようとしてるのだろうか?

 でも、まぁいいや。

 話したい気分だから、少しだけ話そう。


「すいません、先生。上級生が下級生を模擬戦で圧倒して、自分は強いんだぞって悦に入るような行事は、どうしても変えたかったんです」

 初めて試験でギュネス先生との模擬戦をした時は、本校舎の地下は普段と同じ訓練所の姿だったが、今日は闘技場になっている。

 そして観客席には、シギ先生とゼフィーリア先生の姿が見えた。

 恐らくシギ先生は、大きな怪我人が出た時の治療役として、ゼフィーリア先生は、戦いが激しくなって万に一つが起きそうな時に制止するのが役割なんだろう。

 どうやらギュネス先生でも、二年生が相手となれば、場合によっては大きな怪我をなく終わらせるのは難しいらしい。


 それにしても、ついこの間はエコーを行うコートに変えられてたのに、また闘技場に戻したのか。

 この地下も、毎回姿をコロコロと変えられて、実に大変だなぁって思う。


「あれも本来はそういう行事じゃないんだけれどな。……まぁ、お前から見ればそう感じるのも仕方ないだろうが、悪い面ばかりじゃなかったんだぞ」

 ギュネス先生が頭を掻きながら、そんな風に言う。

 うぅん、上級生と下級生が模擬戦をして得られるものか。

 そりゃあ、確かに何かはあるかもしれない。


 下級生は自分が魔法を一年学んだ後の姿を明確にイメージできるようになるとか。

 上級生は自分の成長を実感できたり、逆に自分の足りなさに気付けたりするかもしれない。

 もっと上手く機能してたら、上級生と下級生の模擬戦だって、確かに悪い事ばかりじゃなさそうだ。

 例えば、上級生の当たり枠であるキーネッツが行ったような模擬戦ばかりなら、下級生にとっては大きな学びの場だっただろう。

 尤もそれは理想であって、現実はそうじゃなかったんだけれども。 


 後は、ギュネス先生にとっては、代表になる生徒の試験をやらなくて済むっていうのも、ありがたいところだったのだろう。

 僕だって、まさか上級生と下級生の模擬戦をなくせば彼との再戦が叶うだなんて、思ってもなかったし。


「ただそれも今更だな。お前にはエコーでの借りも返したかったし、丁度良いと言えば、丁度良いか。だがその前に、一つだけ教師らしい事を言うなら、お前の生き方は、味方は多いだろうが、敵も多く作るからな。気を付けろよ」

 ギュネス先生は、実に大人気ない事を言った後に、すぐに大人としての忠告をしてくれて、説得力があるんだかないんだか、わからなかった。

 だけど言ってる内容は、あぁ、そうかもしれない。

 僕が、っていうよりは僕らの学年全体が、だけれど、あの時の模擬戦の相手であった、一つ上の学年の上級生からは、敵視された筈である。


 模擬戦で僕らが善戦したのも、彼らのプライドを傷付けた。

 しかしそれ以上に、次の年からの模擬戦を廃止にした事で、僕らがあの模擬戦に対してどんな風に思ったのかを、ハッキリと態度で示して、それどころか大声で喧伝した形となったから。

 一つ上の学年からしたら、自分達を全否定された気になって、そりゃあ腹立たしい筈だ。

 それを魔法学校が受け入れたのも、余計に彼らをみじめにさせる。


 僕らは正しいと思った事をしたまでだが、それが敵を作る行為だったと言われれば、否定の余地はない。

 そこまで考えが回らなかったのも、事実だ。

 故にギュネス先生の忠告は、ありがたかったし、身に染みた。

 自分が今更、それを変えれるかどうかは、また別の話だけれども。


 もちろん、一つ上の学年の全てが僕らを激しく敵視してるって訳ではない。

 そもそも試合に出てない生徒にとっては、あの模擬戦も他人事だ。

 あの日、エコーやドラゴン・ロアーを観戦に来て、楽しんでくれた上級生の中に、一つ上の学年の誰かだって、きっと混じっていたとは思う。



 ギュネス先生が杖を構えるのに応じ、僕も杖を構える。

 今回は試験だから、杖以外の発動体は使えないし、魔法薬とか、魔法の道具の持ち込みも禁止だ。

 このルールだと、錬金術を得手とする僕は全力を出せないけれど、……何でもありにすると、有利なのはより経験を積んだ魔法使いであるギュネス先生の方なので、特に文句はなかった。

 まさか僕の方だけ、魔法薬や、魔法の道具をアリにしてくれとは、とてもじゃないが言えないし。


 だけど発動体が杖のみ、つまり一度に使える魔法が一つに限られると、お互いに迂闊な魔法は使えない。

 何故なら、教師であるギュネス先生はもちろん、もう僕だって、相手の魔法の発動を見てから、瞬時にそれに応じて有利な魔法を返せるからだ。

 一年の試験と同じように、ギュネス先生が僕が扱える魔法を全て使うって前提なら、その一度で勝負は決まる。

 故に牽制にすら、魔法は使えやしなかった。


 するとどうなるか。

 お互いに相手の出方を伺いながらも間合いを詰めて、杖を持たぬ手と、二本の足で、殴り合い、蹴り合うのだ。


 ギュネス先生の細かく鋭い拳を掻い潜りながら、僕は彼の下肢に蹴りを放った。

 彼の拳の打ち方は、単なる喧嘩殺法じゃなくて、間違いなく相手を素手で打倒する技術に基づいたもの。

 やはり戦闘学の教師を務めるだけあって、ギュネス先生は素手で戦う技術もキッチリと、それもかなり高いレベルで修めているのだろう。

 並の生徒だったら、その技術の前に手も足も出ないかもしれないが、僕の身体能力は、妖精の領域育ちの特別製だ。

 魔法生物に匹敵するとは言えないけれど、それでも人並からは少しばかり外れてる。

 だから最短の距離を伸びて来る拳もどうにか回避できるし、反撃の蹴りを入れる事も出来た。

 そして今の蹴りには、人の手足くらいなら折れるだけの威力はある筈なんだけれど……、彼はがっしりと、その蹴りを脛で受け止め防ぐ。


 重たい痛みが、蹴った側である僕の脳にまで響く。

 当然ながら、蹴られた側のギュネス先生の方がもっと痛い筈なのに、蹴りを放って動きを止めた僕に向かって、再び彼は拳を放り込んできた。

 今までよりも力の込められた、如何にも重そうな拳を。


 体勢的に、避けられない。

 避ければ転んで、致命的な隙を晒す。

 なので僕は覚悟を決めて、その拳に向かって、歯を食いしばって自ら額をぶつける。


 突き抜ける衝撃に、僕は一瞬頭がボゥッとした。

 ただ感触的には、ギュネス先生の拳は砕いた筈。

 後もう少し押し込めば、殴り合いは僕の勝ちだ。


 けれどもこれは、殴り合いの勝負じゃない。

 僕の意識が一瞬ぼんやりとしたその瞬間に、サッと離れたギュネス先生が使ったのは炎の旋風。

 敵を吹き荒れる炎の中に閉じ込め、焼殺する魔法。

 この魔法への対処方法は、炎の中に閉じ込められて相手の姿を見失う前に、強力な水の魔法で炎と相手を吹き飛ばす事。


 なのに僕は、その一瞬の判断を誤って、炎の壁の外にギュネス先生の姿を見失う。

 こうなるともう、僕には打つ手がなかった。

 水の魔法で炎の壁に穴を開けても、即座に修復されるだろう。

 炎の壁と魔法の使い手、それを同時に潰さなければ、この魔法は破れない。

 短距離転移で移動しようにも、視界は全て炎に覆われた。

 貝の魔法で閉じこもれば、呼吸ができなくなるまで焙られ続ける。

 風を爆発させる魔法で周囲の炎を一度に吹き飛ばせば、もれなく僕にもダメージが及ぶ。

 旅の扉の魔法を使えばこの場からは逃げられるけれど、試験は失格になってしまう。


 それからすぐに炎は消えて、間近に立ったゼフィーリア先生が、

「勝者はギュネス先生。今の炎の旋風は、今の貴方に使える魔法では、逃げる以外に対処法はありませんでしたね?」

 僕にそう確認するように問う。

 呪文学のゼフィーリア先生は、僕が使える魔法をほぼ全て把握してるから、その判断は正確だ。

 否定の余地はない。

 魔法を使う一瞬が勝負だとわかっていた筈なのに、殴り合いを制して勝てる可能性を感じた瞬間、意識がそっちに行ってしまった。


 使える魔法は増えたし、戦い方も理解して、僕はあの頃よりも確実に強くなった筈なのに、迂闊に勝利を確信した一年生の頃と変わらぬ敗北をしてる。

 あまりに未熟だ。


「痛いし、やっぱりお前の相手は疲れる。拳は砕けたし、足もヒビ入ってるだろ……、これ。もしお前が逃げていても、受けた傷の量で言えば俺の方が多いな。キリク、お前は強いし、この先もまだまだ強くなれるだろうよ。けれども真っ直ぐ過ぎて、見えてる範囲が少しばかり狭い」

 顔を顰めたギュネス先生が、僕に向かってそう告げる。

 あぁ、やっぱり、拳は砕けたし、足も痛めていたのか。

 やった僕が言うのもなんだけれど、物凄く痛いだろうに、良く試験中は平然とした顔を保てたものだ。

 普通なら、痛みで判断を誤ってもおかしくないのに、僕を追い込んだ魔法の選択も的確だったし、やっぱりこの人は、単に戦い方が上手いだけじゃなくて、本当に強い。

 だからこそ、僕は今回でギュネス先生に勝ちたかったんだけれど、……駄目だったか。


「俺以外には足を掬われないようにしろよ。お前は水銀科に進むらしいから、俺が教えてやれるのは、恐らくこれが最後だからな」

 僕は悔しさと、それから敬意と感謝を一杯に込めて、多くを教えてくれた先生に頭を下げた。

 やっぱり教師は凄いなって、そう思いながら。


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