第100話


 尻尾を軽く揺らしながら、シャムが四つ足で歩く。

 その様は、なんというか、そう、我が物顔って感じだ。

 

 ただそれが住んでる寮の周りだとか、ちょっと出かけた先でも王都の路地だとか、そんな場所なら別に違和感もなかったんだろうけれど……。

 今、シャムが前を歩いているのは、魔法学校の周囲に広がる森だった。

 ジェスト大森林程じゃなくても、幾種もの魔法生物が棲むこの森を、もしも普通の猫がこんな風に歩いたら、すぐさまそれらの餌にされてしまうだろう。


 けれども、今のシャムに襲い掛かって来る魔法生物はいない。

 どういう仕組みなのかはわからないが、あんなにも堂々としていても、森の生き物達にはシャムの姿は見えないし、その気配も感じられないからだ。

 そしてそれはシャムの後ろを歩く僕もまた同様だった。


 妖精の魔法。

 それは僕ら人の魔法使いが使うそれとは、大きく異なる代物である。

 あぁ、いや、根源的な、魂の力で世の理を塗り替えるって部分は、恐らく変わらないのだけれど、人間が発動体に頼らねば魔法を使えないのに対し、妖精は生まれつき、己の身のみで魔法を操る事ができた。

 つまり人にとっての魔法は、火や雷のように己の外に存在する力だが、妖精にとっては生まれつき備わる、手足のような身体の一部にも等しいのだ。


 これは別に優劣の話じゃない。

 外にある力だからこそ、人はそれを探求し、試行錯誤し、より使い易い形に洗練させていく。

 妖精は身体の一部のようなものだからこそ、最初から使い易くて当たり前で、特に試行錯誤してまでそれを洗練させようとはしなかった。

 人は、研鑽し、試行錯誤し、魔法を洗練させていった結果として、妖精を越える事もあるだろう。

 しかしそれは決して容易ではなく、妖精を越える魔法使いは、それこそ竜を倒したと言われるマダム・グローゼルや、その片腕であるエリンジ先生のような、ごく一部の例外である。


 でも妖精の魔法が決して変わらぬままなのかといえば、……実は例外も存在してた。

 そう、その例外が、他ならぬ僕の前を歩くシャムなのだ。

 シャムは、僕と同じように授業を受け、人の魔法を学んでる。

 魔法というものに対する感覚が人とは大きく違うシャムは、或いは僕よりもずっと深く、授業の内容を理解してるだろう。


 尤もシャムは、人の魔法がどういったものかを理解しても、それを真似ようとはしない。

 僕の横で、同じように魔法の練習をしたりはしないのだ。

 ただ人の魔法にどういった工夫がなされてるのかを、僕を通して理解して、その工夫が有用なものであれば、己の魔法に取り入れる。

 今、僕とシャムの姿と気配を隠しているのは、そうして改良された、磨かれてしまった妖精の魔法だった。



 ……シャムがやってる事は、もしかしたらこれまで人の魔法使いが行ってきた魔法の洗練、研鑽と歴史の蓄積を、上澄みだけ掬い取ってる行為なのかもしれない。

 だけどシャムが本格的にそれをやり出したのは、僕がベーゼルに傷を負わされた、あの冬以来だ。

 もちろんそれまでも、授業は一緒に受けてたから、人の魔法に興味を示す事はあったけれども。


 シャムと契約してるマダム・グローゼルは、恐らくそれに気付いてるだろう。

 この魔法学校で、彼女の目を誤魔化す事は難しい。

 特にシャムは、マダム・グローゼルとの契約で、彼女に居場所を報せる鈴を身に付けている。

 なのにそれが黙認されてるのは、僕と共に在るシャムが強くなる事を歓迎してるのか、それとも妖精の魔法が多少磨かれたところで、マダム・グローゼル程になると大した問題じゃないのか。

 或いはシャムだけが人の工夫を取り入れたところで、妖精の間にそれが広まる訳じゃないって考えているのかもしれない。


 いずれにしても、シャムは強くなっている。

 元よりシャムは僕よりずっと強かったから、具体的にそれがどれくらいなのかは、ちょっとわからないが、少なくともこの魔法学校に来たばかりの頃よりは、確実に。


 もしも僕がシャムにその事で礼をいったりしたら、自惚れるなって言われるだろう。

 実際、シャムが強くなったからって、僕が礼を言うのは変な話だ。

 でも間違いなく、シャムが強くなろうとしてるのは僕の為だから。

 なんというか、僕はそれを嬉しく思うし、同時にちょっと悔しくも感じる。

 僕がもっと強ければ、シャムにそれを気にさせる必要がなかったのにって、どうしても考えてしまうし。


「キリク、着いたよ。ほら、泉だ」

 シャムの言葉に木々の間を通り抜ければ、広がった視界に広い泉が飛び込んでくる。

 今日の目的地である森の中に存在してる水場の一つ、その中でも比較的大きく、安全な場所である泉だった。


 ここの泉も、過去の魔法使いの手が加えられてて、場所を覚えておけば旅の扉の魔法で転移が可能だ。

 僕らがここへやって来た目的の一つは、旅の扉の魔法で行ける場所を増やす事。

 それからもう一つは、シャムが昼は魚を食べたいって言ったから、この泉で魚を釣る為である。


 意識を集中して杖を振れば、僕の手の中に鞄が一つ現れた。

 これは以前、シールロット先輩が僕に錬金術を使った戦い方を見せる際、生きてる剣を詰め込んだ鞄を引き寄せた転移魔法だ。

 自分がマーキングを刻んだ品を、それを目印に認識して、手元に転移させて引き寄せる。

 マーキングされた泉を目印に、そこに転移する旅の扉の魔法とは、非常によく似た魔法だった。

 実際、僕がこの転移させて引き寄せる魔法を習得したのは、旅の扉の魔法を学んでからすぐの事。

 あぁ、この魔法を離れた場所で試したかったってのも、もしかしたら目的の一つだったかもしれない。


 容量を増やした魔法の鞄から、僕がずるりと取り出したのは、一本の長い釣り竿。

 特に何の変哲もない釣り竿だから、魚が釣れるかどうかは、スレ具合と僕の実力と運次第だ。


 シャムは以前より強くなってて、だけど僕だって、それに劣らず魔法を学んで習得していた。

 まだまだわからない事は沢山あって、戦争や星の灯と、世界に悪意は幾つも存在してるけれども。

 蓄えた力が、道を切り開く役に立つ筈だって、僕はそう信じてる。


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