第3話

 夜になり、犯人の指定した午後七時まであとわずかとなった。進行席の長机にあるデスクトップパソコンのモニターの上部には、ウェブカメラが取り付けられ、そばには卓上型のスタンドマイクが置かれている。その前の椅子に輪島が腰を下ろした。輪島から見て右側にいる高円寺や滝石、諸星ら捜査員数名は一か所に陣取り、左側の堀切はノートパソコンを机に置いて席に座っている。どちらも輪島の近くだが、カメラには映らない位置にいた。捜査員たちは泰然とした様子の輪島を見守っている。堀切は接続時に相手の居場所を摑めるかもしれないと高円寺が考えて配置していた。その堀切の話では、予告動画に対して半信半疑の者が多いらしく、配信を待つ待機者数は十数人ほどだという。

「アクセスしてください」

堀切が腕時計を見て言った。輪島がそのとおりにするとサイトが開き、黒い背景に≪NOW LOADING≫と中央に白い文字が入った待機画面が表示された。午後六時五十七分。時刻まであと三分であった。腕を組んで椅子に座っている高円寺は独り言のように言った。

「こいつ、確信持ってやってるな」

「え?」

隣で立っている滝石が聞き返すと、高円寺は続けた。

「犯人だよ。今朝の手順の踏み方。あれが妙にスムーズだった。いずれ俺らが、絶対自分の要求を呑むって思ってたんだろうな。結果、そのとおりになった」

高円寺の表情は悔しさでにじんでいる。警察官としては当然だ。滝石も同じ気持ちでありながらも、やむを得ないとばかりに返した。

「仕方ありません。今はこれしか被害を回避する方法がないんですから」


 午後七時となった。中央の文字が消え、真っ暗になる。そして闇と化した画面から、予告動画と同じピエロの顔のイラストが浮き出てきた。やがて鮮明となったそのピエロの口が、くるみ割り人形のようにカクカクと上下に動き出すと同時に、画面の左上からSMSのような吹き出しマークの赤いバーが現れ、これも予告動画と同じ若い女の声で、バーの中にひとつずつ打ち込まれていく文字を読み上げた。

―警察の皆さん、こんばんは。まず、クイズに解答するかどうか、その有無を聞かせてください。解答する場合は「はい」。しない場合は「いいえ」とおっしゃってください。

「はい」

輪島がマイクに向かって返答した。するとバーの下から、もうひとつ青い吹き出しマークのバーが出現し、輪島が今言った言葉が文字となって表示された。そのあと、女の声は次なる質問をした。

―あなたは警察官ですか?

「ああ。捜査一課だ」

―警察手帳をカメラに映るように提示してください。

気が進まない様子の輪島は、上着の内ポケットから警察手帳を取り出すと、カメラの前に開いて見せた。やがて声が返ってきた。

―確認しました。それではクイズを始めます。

警察手帳をしまった輪島は身構え、臨戦態勢に入った。

―問題です。カザフスタンの旧首都は?

輪島は思案顔になった。画面の中央に大きな黄色のデジタル数字のテロップが表示され、カチカチと秒を刻むような効果音を鳴らしながら、カウントダウンを始めている。

「アルマトイ」

どうにか答えを導き出す。

―正解です。

声はそう言うと語を継いだ。

―問題です。江戸幕府第五代将軍、徳川綱吉とくがわつなよしが亡くなったのは何月何日?

制限時間が迫るなか、輪島はなんとか記憶から知識を引っ張り出して答えた。

「一月十日」

―正解です。

さすがキャリア。この調子ならば全問正解できるかもしれないと、高円寺は希望を抱いたが、その思いは次の問題で覆される。

―問題です。車でAからBまで移動しました。行きは時速四十キロメートル。帰りは時速六十キロメートル。さて、車の平均時速は何キロメートル?

答えようとした輪島の唇が止まる。直後、肘をついて拳をひたいに当て、考えているのか、悩んでいるのか、なんともはっきりしないポーズになった。

「ん?どうした?」

そんな輪島の様子を見た高円寺は、なにかあったのかと不安げになる。そして、なにも答えられないまま、数字がゼロになる。制限時間が来てしまった。パソコンから大きなブザー音が鳴り響く。

―時間切れです。正解は四十八キロメートル。残念でした。

「おい待て!」

取り乱す輪島を無視するかのように、画面に≪GAME OVER≫の赤い文字が表示され、女の声が流れる。

―警察の実力はこの程度です。おわかりになりましたでしょうか。これから七節町で不幸が起こるでしょう。

不穏な語尾に、滝石は苦々しさを感じた。

―以上で配信を終了します。皆さん、お疲れ様でした。

声は終わりを告げた。ここまでほんのわずかな数分の出来事だった。


 堀切が画面を確認したあと、捜査員たちに伝える。

「配信が終了しました」

肩を落とす輪島に捜査員らが近づく。

「どうしたんだ!?わからなかったのか?」

高円寺が輪島に訊いた。

「いえ、わかるんです。わかるんですけど、時間が短すぎて答えられなかったんですよ」

振り返った輪島の言葉は言い訳めいて聞こえたが、それでも健闘したほうである。しかし、不条理とはいえ、犯人に負けてしまったという事実は変わらない。

「でも、あの問題の答えって・・・」

顔を上げた諸星は指を立て、宙で暗算をしたあと、輪島を見て言った。

「五十キロじゃないですか?」

輪島は首を振った。

「違う。あれは“引っかけ”だ。だから計算し直してた。けど時間が来ちゃったんだよ」

悔いた表情の輪島は、先ほどまでの得意げな面構えとは一転し、自分の非力に滅入り、陰鬱いんうつになっていた。

「堀切君。どうだった?」

高円寺が問うた。堀切は同僚らしきふたりの男女と話している。

「堀切君」

聞こえていないのか、高円寺はもう一度、強めに呼びかけた。堀切は配信中、その配信を行っている犯人の特定に勤しんでいたのだ。話を済ませた堀切は、ノートパソコンを閉じて脇に抱えると、高円寺に歩み寄った。

「ダメです。同じチームのメンバーにも応援を頼んだんですが、特定には至りませんでした。もう少し時間があればよかったんですけど・・。すみません」

「やっぱり短すぎるか」

高円寺は手を腰に置いた。堀切は持っていたノートパソコンを開いて、片手でキーボードを二度叩くと、画面を捜査員たちに見せた。

「これが、配信中のサイトの映像です」

その映像は先ほどとは少し違っていた。ピエロのイラストがあるのは一緒だが、ことあるごとに輪島が映った映像に切り替わり、もう一方はワイプ画面になる。吹き出しマークやテロップはそのままだ。右側にはコメント欄だろうか、視聴者からの放言高論ほうげんこうろんな文が滝のように流れていた。どうやら輪島がやり取りしたチャットのページは、解答者用に設けられたものであると堀切は付け加えた。

「ほんとにやりやがったのか」

犯人への怒りがふつふつと湧きあがる高円寺に対し、堀切が落ち着いた態度で言った。

「映像がコピーされて拡散する恐れがあるので、こちらで運営会社と連携して対処に当たります。もちろん、並行して情報を集め、犯人特定にも努めます」

進行席の固定電話が鳴った。柿田が受話器を取って耳に当てた。警務課からだった。間もなくして、柿田の顔色が変わった。

「係長!犯人からまた予告メールです!」

「嘘だろ!?またか!」

高円寺はまさかと声を上げた。堀切はノートパソコンを机に置いてキーボードを操作し、七節署の問い合わせページを開いた。

「届いたのは配信が終わってすぐのようです」

堀切は再びパソコンを持って高円寺ら捜査員たちにメールの文面を見せた。それは、クイズに挑戦しなければ七節町で人を殺すといった旨の犯行文であった。その点は今朝のメールと一緒であったが、文中には、ルールは同じであることと、明日の午前九時に配信を開始するので、メールに張られたアドレスからサイトに接続するようにと、異なる部分があった。文末には≪業火の道化師≫とあり、下にはURLのアドレスが張ってあった。

「これ、さっきの配信のページと同じやつか?」

高円寺が画面を指差して訊いた。堀切はパソコンを反転させて持ち直し、確かめてから答えた。

「はい。同じです」

堀切は高円寺を見て語を継いだ。

「こちらとしては好都合です。アカウントが同じならば追い続けられますから」

「わかった。任せる」

そう言った高円寺は、できる限りのことをしようと指揮を執る。

「地域課と交番各所に連絡。七節町全域に非常警戒網を敷く。ウチからも応援を出して警らに当たらせる。不審者はしらみつぶしに職質かけろ。本庁の街頭カメラのチェックも忘れずにやれ。犯人は今夜犯行に及ぶ可能性が高い。絶対に気は抜くんじゃないぞ!」

号令と共に捜査員たちが散開する。高円寺は近くにいた部下の中村の腕を摑んだ。

「中村、お前は大手のテレビ局に片っ端から電話しろ」

「はい?」

「クイズ王とかチャンピオンとか呼ばれてるのがいるだろ。そういう奴の所在を調べるんだ。特にこの近辺。テレビ局なら知ってるかもしれない」


 二日後、警視庁の大会議室。午前の終わりが近づいたころ。カーテンが閉め切られ、薄暗くなった室内では、長い円形のテーブルに置かれたシックなデスクライトが三つ、明かりを灯している。そこには四人の男がいた。三人は椅子に腰掛け、前方では、もうひとりが直立不動で立っている。正面の大型モニターが光を放った。室内がやや明るくなり、影となっていた四人の姿が露わとなった。座っている三人のうち、ふたりは制服、ひとりはスーツを着用し、三人とも厳かな顔をした中高年層の男だった。そして、毅然とした表情で三人に背を向け、手を後ろに組んで立つ四人目の男は、黒のスリーピーススーツに身を固め、白銀の髪をオールバックにし、黒いライトカラ―のサングラスをかけている。警視庁刑事部捜査一課管理官の警視正、綿矢宗臣わたやむねおみだった。モニター画面はふたつに分割されていた。右側には、黒い髪を後ろに束ねた制服姿の若い女の上体が映し出されている。警察官の証明写真だ。その顔は凛々しく、均整のとれた輪郭の美女であった。左側には、その女の履歴や経歴が表示されている。

緋波千里ひなみちさと警部。刑事部捜査一課・・。きみ、係や班の記載がないが」

ライトに照らされた資料を読んで、刑事部参事官の兵藤昴ひょうどうすばるが綿矢に問いかけた。

「彼女は捜査一課ですが、現在、どの係や班にも属しておりません」

サングラス越しに写真を見つめながら、綿矢は静かに答えた。

「そうなのか?」

兵藤は後ろに座っているスーツの男、捜査一課課長の羽壁大河はかべたいがに訊いた。

「彼の言うとおりです」

羽壁はひと言答えると綿矢に呼びかけた。

「綿矢君」

「はい」

「警部は暴力的な捜査を行うという噂を最近耳にしたんだが、それは本当か?」

その問いにも、綿矢は悠々と返した。

「職務執行上、多少手荒なことはしますが、決して暴力と呼べるほどのものではありません」

嘘だった。緋波千里という女は、相手によっては過剰な暴力を振るうときがある。それがたとえ、同じ警察の身内であったとしても。

「警部は今どうしている?」

テーブルを挟んで兵藤の向かいに腰掛けている刑事部部長、氷川竜政ひかわりゅうせいが綿矢に訊ねた。

「休職中です」

氷川は綿矢に不安を口にした。

「緋波警部で本当に大丈夫なのか?」

そこで綿矢は振り返り、三人に向かって厳然と明言した。

「この犯人に対抗できるのは、彼女しかおりません」

綿矢は七節町で起きた殺人事件の捜査責任者であった。

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