25話 互いに譲らぬ前半戦

 各々が配置についたことを確認した生徒会の審判が、試合開始のホイッスルを鳴らす。


「さてと。 ――――それじゃ、行きますか」


 先攻を取ったのは4組。高原たかはらのキックオフでボールを受け取った菊池きくちは悠々とした足取りで進行を開始した。


 そこへ井上いのうえが間髪入れず、正面から距離を詰めに行く。


 相手チームは5人中4人が現役のサッカー部員、しかも例外であるその一人もまた彼らに引けを取らないパフォーマンスができることはこれまでの試合からもわかっていた。


 陸上部の井上が現役プレイヤーとの駆け引きで不利になるのは明白。ならば相手の土俵には付き合わず、多少強引にでもボールを奪いにいくほうが有効だろう。


 しかし、そんな付け焼き刃一つでどうにかなるほど甘くはない。

 菊池は左前面へ身を乗り出すようにしてギアを上げた――――ように見せかけ、ワンステップを踏んだところで急停止した。


 その動きに釣られ、さらに前へ踏み込んだ井上を翻弄するように、菊池はその場で反対方向へ切り返して置き去りにする。


「おしいおしいっ」

「――ッ、まだまだっ!!」


 向けられた嘲笑に歯噛みしながらも、井上は即座に体をひるがえして菊池の背中に食らいつく。


 その身のこなしはさることながら、既にこれまでの試合でも相手に圧をかける動きを繰り返しているにもかかわらず、その動きのキレは損なわれていなかった。


 それでもなお、経験の差というものは一筋縄ではいかない。

 のらりくらりとした菊池の動きはリズムを掴まれないよう絶妙な力加減でコントロールされており、井上の追撃を難なくやり過ごしていく。


 一見翻弄されているようにしか見えない状況だが、こちらにとっては狙い通りの展開になっている。


 菊池の権高な性格からして、初手で井上をぶつければ手玉に取ろうとしてくることは目に見えていた。

 ボールを奪えずとも追い込み続けている間はその足取りも制限される。


 ――――そうすれば、自ずと一対多数の状況を作りやすくなる。

 

「はいそこまで。こっから先は有料だよ?」


 井上による猛追の隙をつき一気に抜けようとしたタイミングを見逃さず、後ろで待ち構えていた水無みなせが菊池を挟撃した。


「ナイスだ、春樹はるき!」

「まぁね。背中、任せたよ!」


 ボールを奪い取った水無はそのまま井上と入れ替わるようにして前に出る。

 その動きから水無の意図を察したのか、追いかけようとする菊池を井上が体を張ってブロックした。


「……邪魔なんだけど、どいてくんない?」

「邪魔してるからね。そうはいかないよ」

「あぁ、そう……!!」


 立ち塞がる井上を半ば強引に押し退けようとするが、その体幹が崩れる様子はない。あれなら時間稼ぎとしては十分過ぎるほどの働きだろう。


 その間に水無が敵陣に侵入し、既に動き出していたいずみが阿吽の呼吸のように並走していく。


「あらら、こりゃちょっとヤバそうだね」


 一連の流れを遠目に見ていた河田かわたはカバーに入るため、自陣へと移動し始めた。その少し後ろについてマークを継続しつつ、その他の動向を確認する。


 高原は後ろへ下がりこそしたがセンターサークルの辺りで停止、菊池は井上の妨害で出遅れたため、守備には間に合わないと見ていい。

 そして、神崎こうざきは既に水無たちの攻撃に備えていた。


 最初に動いたのは泉だった。ワンテンポ上げて水無の前方を横切り、フェイントをかけつつ右サイドへ駆け抜ける。

 そして二人の影が交差するその瞬間に合わせて、水無は左サイドへ切り込んだ。


 タイミングとしては完璧、先読みされないように動き出しの直前まで体の軸をブラしてもいない。その連携には確かに文句の付け所がなかった。


 だからこそ―――称賛するべきはその動きに対応してきた神崎のほうだろう。


 出だしこそ泉の動きに釣られそうになったもののそれには取り合わず、すぐさま水無の追いついていた。


 神崎の狙いとしては水無に打たせないというより、泉へのパスを防ぐことだろう。こちらが相手のエースは高原だとわかっているように、向こうもまた泉が点を取る要だと理解している。


 そして何より、攻守共に動きのベースとなっているのは水無だ。そこを封じてしまえばどちらも機能しなくなるという判断は間違っていない。


 加えて泉の牽制による後れを即座に埋め合わせる瞬発力は井上と同じく、侮れないものがある。

 仮に攻めの方針を泉の個人技に寄せたとして、神崎との一対一だけなら有利を取れるだろうが、その場合は泉一人を狙い撃ちにされるだけで根本的な打開策にはならない。


 ……つまりその打開策こそが、泉が俺に求めている役割だ。


 付けていた河田のマークはそこそこに、水無との距離を図りつつ一歩身を引いた。

 対して河田はこちらの動きなど気にも留めず、水無からボールを取りに仕掛けに行く。


 挟撃されぬように水無は一度後退、そこから小刻みなボールタッチで機敏に立ち回りながら陣形の隙を伺う。


 神崎は位置取りを優先し、積極的には奪いに行っていないとはいえ、二対一でも安定してボールをキープできているのは水無の繊細なテクニック故のものだろう。


「――――そこだね」


 二人を十分に引きつけたところで、水無はその合間へ針を刺すようにパスを出す。


 それを確認した直後、飛び出したボールへ向かって走り込んだ。ワンバウンドから減速し始めたところで追いつき、そのままガラ空きのコーナー前に向かって前進する。


 神崎は水無の警戒を維持しつつペナルティエリアで待機、河田はこちらへ近づいてきてはいるものの、意識は水無のほうに向いている。


 客観的に考えれば、ゴール前のフリーキックだなんて最優先で警戒すべきなのだが、この球技大会においては必ずしもそうではない。


 この試合で求められているのは観客が望むキャストに適したパフォーマンスだ。そこに朝霧涼也がゴールを決めるなんてワンシーンは存在していない。

 ……だからこそ、俺が取るべきアクションは最初から決まっている。


 ――――さぁ、集まったオーディエンスへ目に物を見せてやれ。 

 この舞台の主役は煌めくプリンスではなく、勇猛なヒーローであることを。


 狙いは逆サイドのペナルティエリア手前。走りながら体を捻り、強めの回転をかける意識でボールを蹴り上げた。


 高めに打ちあがったボールは放物線を描いて飛んでいく。

 落下地点は待ち構えていた二人よりもさらに奥。振り返った彼らは受取人のいないスペースを目の当たりにしてミスプレーだと判断し……それが誤りだと気がつくまでに一秒もかからなかった。


 ――――最高速に向かってボルテージを上げる靴底がグラウンドを踏み鳴らす。

 回転が弱まり、緩やかに落下するボールはそのまま地面に届くよりも速く……振り抜かれた右足によって姿を消した。


 その衝撃はまさしく雷鳴のように。キーパーが動き出すよりも速く、ゴールネットは撃ち抜かれていた。


 観客席から湧き上がる歓声は力強く、野性味あふれるその雄叫びに応えるように先制点を決めた泉は高々と拳を掲げてみせる。


「ちょーいちょい、1点決めただけで張り切りすぎだってば」

「ん? あぁ、悪い。テンション上がって思わずやっちまった」

「まったく……その調子でもっとバンバン点取ってってよね?」


 舞い上がり過ぎることをたしなめるような口調で水無が小突くも、泉はどこまでも痛快気な面持ちだった。


「何度見てもやっぱり速いな。目で追いかけるのがやっとだ」

「そうだな。あいつと本気で鬼ごっこなんてしたら、軽いトラウマになりそうだ」


 自陣へ戻る途中で声をかけてきた井上に相槌をするように答える。


「確かに、ちょっと想像したくないかも。ていうか、恭介きょうすけも凄かったけど涼也りょうやのパスも凄かったじゃん! あんなんできるなら最初からやっとけよ」

「決勝戦までは黙っておこうって、恭介から言われてたんだよ……秘密兵器にしたいとかなんとかで」

「秘密兵器って、そんな子供じゃないんだから……って言いたいとこだけど。恭介なら目を輝かせて言い出しそうな気がしてくるね」

「お察しの通りで」


 ここまで試合に関与しなかったのはそもそも必要なかったというのもあるが、泉からそういう立ち回りをするようにと頼まれてもいた。


 誘った時点で泉は高原たちを出し抜くことを想定していただろうし、そのほうがこちらとしても都合が良かったため断る理由はなかった。


 最初の流れとしては試合前に泉が想定していたプラン通りに進められている。開幕早々にオーディエンスへ与えたインパクトとしては悪くない反応だった。


 このまま流れを持っていきたいところではあるが、そう上手くいくとはとても思えない。こちらの作戦通りに動きこそしたが、逆にいえば想定通りの結果とも考えられる。


 泉と水無による連携と神崎のディフェンスはどれだけ厳しく見ても五分とまではいかないが、それでも二人が絶対の優位を取れているわけではない。


 それがどう影響するかはこの後の展開によるが……あいつがそのことに気づいていないとは考えられなかった。


 休む暇もなく再開のホイッスルがなる。

 先と同じように菊池へボールが回り、そしてそこへ迷いなく井上が圧をかけに行く。ここまでは同じパターンだったか、違う点はそのすぐ隣に現れていた。


「菊池君、こっち!」


 声を出した神崎の位置取りはパスを受ければすぐにでも攻め込めるポジショニングだった。


 一瞬だけそちらに目をやるものの、井上はそのまま菊池へ接近する。

 判断を迷うくらいならば初志貫徹、菊池へのマークを全うすることを選んだのだろう。


 再びマッチアップする二人。

 菊池は得意とする不規則なリズムを活かしたドリブルで井上を退けるものの、彼も負けじと肉薄していく。


「……チッ、しかたねぇか。回せよ神崎っ!」


 このままでは埒が明かないと悟ったのか、気に食わないと言いたげなしかめっ面を浮かべつつも、その粗暴さと相反してスマートなパスを神崎へ送った。


「もちろん。そのために、僕がいる」


 その勝ち気な宣言を体現するように、ボールを受け取った神崎は一気にペースを上げた。


「へぇ~めっちゃ強気じゃん? それじゃ、お手並み拝見かな」


 威勢よく突っ込んできた神崎に対して、水無は気持ち大きめに間合いを取りつつ臨戦態勢を取る。


 神崎はノンストップのままさらに加速すると、右側からくの字を描くように鋭角に切り込んだ。


 ……神崎と水無ではその体格に大きく差がある。


 特に顕著に表れている身長差は、ざっくり見てもおよそ15センチ以上の差があるだろう。

 足の長さや歩幅の違いも含めて、シンプルなスピード勝負で神崎が有利を取りやすいのは当然のことだ。


 しかし、そんなものはただの前提に過ぎない。

 先の攻撃で後から水無に追いついてきたことから、神崎がそのパターンで挑んでくることは想定できる。それが経験者である彼ならばなおさらだ。 


 際どい角度から攻めにも動じず、水無は最短距離でその前方へ躍り出ると神崎にブレーキをかけさせた。


 だがそこで静止するどころか、神崎は一度下げたボールを右足のタッチで左へずらし、そこから滑り込むような前傾姿勢で攻め込んでくる。


「……って、ちょ! そのターンは強引すぎでしょ!!」


 一瞬だけ離されたその隙間をこれ以上広げられないよう、水無は神崎を追撃する。


 向こうのペースに持ち込まれたとはいえ、進行ルートはコートの左サイドの直線だ。このままシュートを打ったところで間違いなく水無にブロックされる……と、不意にその状況に既視感を覚えた。


 まさかと思い、逆サイドのほうへ目を向けた時には――――全てが手遅れだった。


「任せたよ、高原君!!」


 ワンターンを挟んで方向転換したのも束の間、神崎はその勢いで体を捻らせると高めの弾道でボールを打ち上げた。


 回転の強くかかったボールはそのまま逆サイドへ。落下と同時に緩やかになっていくボールを、万全の態勢で待ち構えていた高原がトラップする。


 打ち上げられたその弾道を見て気づいたのか、泉はすぐに高原のほうへ走った。


 ――――だが間に合わない。

 獲物を見据えた獣のような目で、高原は狙いすました一撃を放つ。


 ボールはゴールポストを越えるかと思わせる勢いで高く上がり、その速さを維持したまま落ちていく。

 ジェットコースターさながらの急降下に篠原しのはらは対応することができず、ボールはネットへ突き刺さっていた。


 再び湧き上がる歓声にフィールドの熱気はますます高まっていく。しかもその声援には男子の張り上げたものでなく、女子の声高なものがより一層混ざっているように感じられた。


「遅かったじゃないか、泉。自慢の足はもう息切れか?」

「……言ってろ。噛みついてくるなら、何度だって振り落としてやる」


 嘲笑交じりに言ってのける高原をあしらうように、泉は笑い返して見せる。

 けれど、振り返り際に垣間見えたその表情には……僅かに悔しさがにじみ出ているようだった。


 ……まんまとしてやられたのだから、その反応も無理はないだろう。

 状況としてはお互いに1点ずつ取り合っただけだが、流れは完全に向こうへ持っていかれたと考えていい。


 こちらと全く同じシチュエーションをしてみせることで、ここまでの一連の全てが神崎翔を引き立てるための演出になってしまったのだ。


 もちろん事前に練習していたのはこれ一つだけというわけではないが……こうも簡単に出鼻を挫かれては、不安を抱くなというほうが無理がある。その緊張に合わせて襲いかかるアウェーな空気がどれだけ影響するかは、本人にしかわからないため考えてもしかたない。


 それに今の俺にとっては、試合がどう転ぶかよりも優先事項が他にある。

 泉の背中から視線を外し、二人のいた左サイドへ目を向けると――――意外にも神崎と目が合った。


 予想外だったのは彼も同じだったのか、気持ち目を見開いているようだった。

 すると神崎はどこか好奇心を覗かせるように目を細めた――――かと思えば、またすぐに周囲の観衆へ向かって微笑みかける。


 ……今のところ、神崎翔の思惑は見えてこない。


 高原のサポートに徹したところで、彼のように既にクラスから一定の支持を受けている生徒にとっては今回のイベントは話のネタにしかならない。

 そのクラスの方針を無視してまで、このグループに参加したのは高原をはじめとした不仲な連中との関係性を改善するため……なんて、そんなポジティブシンキングで動いているのだろうか。


もしそうなら、個人的には受け入れがたい結論なのだが。私情云々はともかく、そもそもあの手の連中に両手をつないで仲良しこよしなんて、あいつらからすれば虫が良すぎる話だ。


 そう簡単に他人の一言で動かせないという意味では、好きにも嫌いにも違いなどないのだから。


 そうこう考えているうちに全員が持ち場へ戻り、三度目の試合再開を告げるホイッスルがなった。


 ――――そこから先の展開に目まぐるしい変化はなかった。


 いずみ恭介きょうすけ高原たかはら玲史れいじ

 両チームのエースを中心とした立ち回りはお互いに完成している以上、問われるのはそれをどれだけ通せるかというところだ。


 そしてその競争になってしまった段階で……勝ちの目はかなり薄くなった。

 オフェンスはともかく、ディフェンスの連携まではこの短期間で十分な成長は見込めない。もっとも球技大会の目的を考えれば、そこに非を求めることはお門違いではある。


 もし泉が限界まで練習しようなんて言い出そうものなら、その時点でチームとしては破綻していただろう。  ……それ故に、前提となる実力差は決して覆りはしない。


 前半終了まで残り数分にして、点数は2対4。

 点の奪い合いにこそなってはいるものの、流れを持っていかれたまま2点を追うこの状況は圧倒的に不利だと言わざるを得なかった。


 そして、恐らく前半最後になるであろうホイッスルが鳴り響く。


 泉からボールを受け取った水無が動き出すのを観察しつつ、次の動きに備えて移動していると――――それを咎めるように彼は立ちはだかった。


「――――やぁ。こうして話すのは初めてだよね、朝霧あさぎり涼也りょうや君?」


 ……爽快なのは顔色だけではないようで。

 弾んだ声音でそう呼びかけてきた神崎翔は、試合前と変わらない柔和な微笑みを向けているのだった。

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