24話 いつだって、運命の分かれ道は行き先を示さない

 かくして始まった夏の球技大会。

 意気揚々と出陣した一年2組はその勢いのまま順調に勝ち進み、決勝戦出場を決めていた。


 結局のところ、こういった点取りゲームは点を取るためのプロセスができているかどうかが問われる。闇雲にボールを回し攻めあがったところで、無理な体勢からゴールを狙うことを強いられるだけだ。


 その点、いずみ水無みなせという攻撃の主軸がいるこのチームが他と比べて優位を取りやすいのは自明だった。加えて作戦や立ち回りといった、細かいところはいずみが準備していただけあって、全員が自分の役割というものを自覚できているというのも大きい。


 後ろは篠原しのはらが恵まれた体格を活かしてゴールを守り、井上いのうえもまた無理にボールを奪うのではなく、妨害を重視することでシュートが撃ちにくいシチュエーションを意識していた。

 そういったアトバンテージによって1回戦はもちろん、三年生とあたる2回戦から準決勝まで危なげなく突破することができたのだった。


 ……こうして冷静に分析してみると、このメンバーなら別に俺がいなくてもどうにでもなりそうな気がしてくる。もとより俺の役割は泉と水無だけでは手が足りないときの補助がメインだ。ここまで大して手番が回ってきていないからといって、悲観的になんてなりはしない。


 それに、泉が見据えているのはこの後に待ち受けるであろう決勝戦の相手に違いない。ここまでの準備をしてきたのも、きっと初めからこの状況を見越していたからだ。

 とはいえ次の試合でどこまで動くべきかは、実際に始まってから判断するべきだろう。


「それにしても……いざ始まってみると、あっという間だな」

「まぁな、こういうのって意外とトントン拍子で進むもんだろ。予想通りだけど、決勝の相手は4組で決まりだな」


 グラウンドへ降りる階段の日影から、俺と泉は試合の様子を眺めていた。

 容赦なく太陽が照りつけるフィールドではちょうど準決勝第2試合が終わったところで、生徒会の用意した観戦席からは歓声が湧き上がっている。


 気持ち遠目から見ているためはっきりとは聞こえないが、その称賛の数々に手を振って応えているその生徒を見る限り、それが誰に向けられているのかは明らかだった。


 ……神崎こうざきかける

 夜宮やみやかすみ榎森えのもり紗也加さやかと同じく一年4組に在籍する生徒であり、彼もまた同学年の中でその名が広まっている。


 男子の中でも高めの身長と運動部の象徴たる鍛えられた体つき。透明感のある髪は落ち着きのあるブラウンをベースにしつつも、毛先に向かって流れるようにゴールドのグラデーションがかかっている。

 くっきりとした面立ちで、観客席に手を振りながら爽やか笑みを向けるその姿は、まさしくおとぎ話に登場する王子様のような風貌だった。


「あそこまでファンサを徹底してると、まるで遊園地のパレードでも見てるような気分になるよなぁ」


 辟易とまではいかないものの共感はできないといった様子で、泉は軽く首に手を当てて難色を示している。


「相変わらず神崎に対しては辛辣だな。もしかして、4組の生徒が内輪ノリでもてはやしていたこと、根に持ってるのか?」

「そういうんじゃないけど……なんというかさ、ああいうの正直苦手なんだよ。八方美人とは少し違うけど、周りを気にし過ぎてるっていうか……なんでそこまでするかねって感じで」

「言わんとすることはわかるけどな。隣に立ってああいうことされたら、他人のフリをする自信がある」


 前々から王子様みたいな奴だとは聞いていたが、ここまで徹底しているとは思いもしなかった。あの振る舞いを見る限り、こてこての乙女ゲームに転生しても余裕でそのキャラに適応できそうだな……なんて、どうでもいい感想を思い浮かべていないと、こっちの気が参ってしまいそうだ。


「それ、やられると結構メンタルにくるやつじゃねぇか……それはそれとして、実は涼也に良い話があるんだ。もしかすると、今日はまじでジャックポットが狙えるかもしれないぜ?」


 内緒話でもするように恭介は距離を詰めると、思わせぶりな笑みでそんなことを言ってのける。


「なんだ、そのあからさまな詐欺の常套句は」

「まぁ聞けって。とっくに気づいてるかもだけど……ほら、あそこ。前に涼也が気になってるって言ってた女子が見に来てるだろ?」


 泉が指し示す方向へ目線を向けると、必然としてそこに立っている一人の生徒が目に留まる。

 

 日陰の中にいてもその存在感が薄れることはなく、叫ばない限り声の届かないであろうこの距離でも、その生徒が夜宮やみやかすみであることをはっきりと認識することができた。


 俯瞰めいたその眼差しが近寄りがたい雰囲気を感じさせているのか、観衆の数はそこそこいるにもかかわらず、彼女の周囲には誰もいない。

 ただそこにいるだけなのにどこか幻想的で、不用意に視線を送ることすらもはばかられる気がしてくる。


 それは以前、生徒会室からの帰り道で夜宮さんを見た時の感覚に似ている気がした。あのときはエントランスを背景にしたその立ち姿が絵になっていて、それを崩したくないように引き返したくなってしまったくらいだ。


 本当にそうしていたら、今ここに彼女が来ることはなかったのかもしれない。そう思うと自分の行動で変えられらものがあるのだと、都合のいい錯覚をしてしまいそうになる。


 どうするかを決めるのは夜宮霞であって、そこに介入する余地など誰も持ちえない。それを自分の手柄のように扱うなんて、思い上がりもいいところだ。


 ……少し脱線してしまったが。とにかく、今の俺が彼女について意見するのはおかしな話だ。榎森えのもり紗也加さやかと同じように、彼女もまた、朝霧あさぎり涼也りょうやが校内で関わりを持つ要素はないのだから。


「……誰が誰を気になっているって?」

「反応うっすいなぁ。確かに夜宮さん狙うのは厳しいと思うけど、これは間違いなくチャンスだぞ? なにしろ、夜宮さんが見に来てる生徒は俺たちのチームか向こうのチームの誰かだからな」

「その言い方だと、まるで確信があるみたいに聞こえるけど」


 根拠はあるのかと目で訴えると、泉は得意気に胸を張って語り始める。


「当然だろ、じゃなきゃそんな無責任なこと言わねぇって。夜宮さん、結構最初の方から試合見てたみたいでさ。誘い目的で男子が何人か声かけたらしいんだが、見事に玉砕してるんだよ」

「そりゃそうだろ。逆に何でそれでうまくいくなんて思うんだか」

「まぁ確かに、それだけならただの予定調和だわな。で、こっから本題に入るわけだけど……誘ってきた男子に夜宮さんは何て断ったと思う?」

「ふつうに嫌ですって言ったんじゃないのか? もしくは罵倒されたとか?」

「それだと儲け話になんないだろ? それに、夜宮さんって人当たりは悪いけど誰かを悪く言うなんて話は聞いたことないしな」

「……それもそうだな」


 自分で言っておいてなんだが、彼女を取り巻く噂話にそういう話はなかった気がする。性格の悪さを印象付けるならいの一番に出てきそうなものだが……そのあたりも擁護している連中が一定数いるのかもしれない。


「じゃあ結局、なんて言って断ったんだ?」


 もったいぶられたところで話が進まないため、ストレートに尋ねることにする。


「『応援している人を見に来ただけだから』……だとさ! この後の試合は俺たちと4組の決勝だろ? それが終わったら昼休み挟んで3位決定戦やる予定だけど、こっちにお目当てがいるならもう帰ってるはずだ。てことは、夜宮さんが見に来てるのはこの試合だってわけ! ――――だったら、やることは一つだろ?」


 悪だくみに興じる盗賊のように、泉はにんまりとした笑顔を向けてくる。


 ……普段からリアクションが大きい泉だが、その表情がどこかわざとらしく感じるのは、その意図が透けているからだろうか。


 俺にそういう気がないことはフードコートで話したときに感付いているはずだ。泉は相手が嫌がる可能性を無視してまで、ダル絡みをするような奴じゃない。

 そうなると、単純に緊張をほぐすことが目的といったところか。それならば変に勘ぐる必要もないだろう。


「……お目当ての生徒が誰だろうと、そいつを上回るパフォーマンスで気を引けばいいって言いたいわけか」

「そういうこと! 試合を見てるなら絶対に視界には入るんだ。後はどうやってその視線を釘付けにするか、だろ?」

「そういうところ、とことんがめついよな泉は。 ……注目をされたいとは思わないけど、有名人に見られてるなら下手なプレーはできないな」


 言いながら腰を上げて、背筋を軽く伸ばす。

 こういうところで素直に賛同できないあたり、我ながら捻くれた根性をしているなと思う。そんなことは今に始まったことじゃないが。


「心配しなくても、やれるだけのことはやる。だから、恭介は今まで通り点を取ればいい」

「言われるまでもねーよ。そっちこそ、今のうちからエンジンかけとけよ? 最後くらい全力で楽しんでこーぜ!」


 お互いのやる気を試すように、俺たちは横目に視線を交わし合う。その胸の内は確かめるまでもなく、湧き上がる闘志をたぎらせていることはありありと伝わってきた。


「おー、二人してやる気満々って感じー? その調子なら余計な心配なんていらなそうだね」

「残すは決勝だけだからな。ここまで来たなら、もう優勝する以外ないだろ!」

「満場一致で、やる気十分みたいだね」


 そうこうしているうちに他の試合を観戦していた三人が戻ってきた。彼らもまた顔色に疲れは出ておらず、この後の試合に支障をきたすような不安要素はなさそうに見える。


「てゆーか恭介、榎森さんのほう応援行かなくてよかったの? さっきの試合逃したら、次に観戦できるのはうちのクラスとの準決勝じゃん。自慢の彼女さんを応援するにしても、色々とやりづらいんじゃない?」


 バスケの試合が行われている第一体育館を横目に、水無がわざとらしく茶化すような口調で言ってのける。


「そのあたりは事前に話したんだけどな。 ――――『どうせなら優勝決めてから応援しにきて』って紗也加さやかから言われたんだよ。そしたらこっちのモチベも上がるからってさ」

「あ~~なるほど、それはまたお熱いことで。心配した僕がバカだったよ」

「みんなしっかり青春してんだなぁ。あー! 俺もそろそろ彼女欲しいー!!」

「そんなこと大声で言ってるから、出会いが遠のいていくんだぞ?」


 頭を抱えてわめく篠原をたしなめるように井上が肩を叩く。その様子を見ながら泉と水無は頬を緩ませて面白がっていた。

 それに合わせて同じように笑いながら、この球技大会の結末をどうすべきか思考を巡らせる。


 クラスのグループチャットから流れるメッセージや校舎を行き交う生徒の流れを見る限り、少なくとも一年生に限って言えば注目を集めているのは男子サッカーの決勝と、女子バスケットボールの準決勝だった。


 前者の理由は言わずもがな、男子の中でも頭一つ抜けて人気を集めている神崎こうざきかけるの活躍を期待してのもの。そして後者は部活動でもエース候補である榎森えのもり紗也加さやかと次期生徒会長候補であり文武両道を体現する北沢きたざわ由莉ゆりとの直接対決だと話題になっていた。


 先程の観客席の反応を見る限り、試合の流れを作りやすいのは間違いなく4組の方だ。実力がどうこうという話ではなく、観客の多くは神崎の活躍する姿を求めている。

 そのためどういう試合運びになろうとも、ある程度のアウェイな立場を強いられることは避けられない。


 つまりこの試合、ただ勝つだけでは意味がない。神崎翔というスターを出し抜いて、誰が見ても目を見張るパフォーマンスを披露することが前提条件なのだ。


 ……一年生が注目する最後の試合は、榎森さんと北沢さんの準決勝。恐らく北沢さんが出場を決めたのは、榎森を率いる4組のチームを敗北させるためだ。


 4組が話題を独占することになれば、クラスの影響力は更に大きなものとなる。

 北沢さんのように自分のクラスだけではなく、学校全体を視野に入れて動いている生徒にとっては気がかりなこともあるのだろう。

 

 とはいえ、その行為によって北沢さんが得られるメリットはほとんどない。むしろ、体育祭に引き続き出しゃばっているという悪印象にもつながりかねないリスクを伴っている。それでも出場しているということは、そのリスクは許容できないと彼女判断したのだろう。


 そうなるとこの後の試合、北沢さんは2組が負ける前提で動いているということになる。体育祭での手腕からして、彼女の予想の正確さは目の当たりにしている。俺としても、その予想に対して反論する気はない。ただ――――


「――――――――」


 ふと、魔が差したように開きかけた口を閉じる。

 そんなことを言葉にしたところで、どうにもなりはしないとわかっているのに、気を抜くとすぐにこうだ。


 彼女を保険として使うにしても、そうなった時点でろくな結末にはならない。それは予想や憶測ではなく、経験として理解している。だからこそ、他の選択肢を考えなければならないというのに……確定されたフローチャートをなぞるように、何度繰り返しても同じ結論が出てしまっていた。


『間もなく、男子サッカーの部、決勝戦。一年2組と一年4組の試合を始めます。各チームは放送席の前に整列してください』


 ……それでも。時間はいつだって平等に、誰が呼び止めようとも聞く耳を持たない。


 自虐と諦観を含んだため息を押し殺す自分に嫌気がさしながらも、その放送と共に頭のスイッチを切り替えた。


「よし。舞台は整ったみたいだし――――行くとしますか!」


 気合いを入れ直すように声を張り上げて、泉はグラウンドへ向かっていく。その声に反応し、周りにいた生徒たちの視線が一斉に集まった。

 中には彼らの友人が混じっていたのか、水無たちに気づくと頑張れだのかましてこいだのと、親し気な声援が飛び交い各々がそれに応えていた。


 そんな賑やかしに見送られながら、生徒会が運営する放送席の前へ移動する。そこには先程準決勝を終えて勝ち残った一年4組のチームが既に集まっていた。


 試合を終えてからそれほど経っていないが、彼らもまた疲労している様子はなかった。むしろ体があったまっているのか、準備運動の必要すらないくらいにコンディションは整っているように見える。


「――――よぉ。随分と面白いメンツを揃えてきたじゃねぇか」


 その中心に立つ男子生徒――――高原たかはら玲史れいじがこちらに気がつくと、泉に声をかけた。


 スパイラル系のパーマがかかった髪。恐れを知らない不敵な面持ちを浮かべ、細められたその目はあからさまに挑発しているように見える。

 菊池きくち同様にその傲慢さは窺い知れるが、高原のそれは嘲笑などと呼ぶには生温い、明確な敵意のようなものが感じ取れた。


「せっかくの球技大会だからな、楽しまなきゃ損だろ? まぁ結局、いつもの顔ぶれ見る羽目になったけど。これで負けたらメンツも丸つぶれだな?」


 その威勢に当てられたのか、はたまた乗じたのかはわからないが、泉にしては珍しく強気な物言いで返してみせた。


「はっ、言い訳でもしないとやってられないか? 安心しろよ、てめぇらがどれだけ足掻こうが、ドン底まで沈めてやるよ。這い上がる気さえ起きなくなるくらいにな」

「そりゃ怖い。だったら引きずり込まれないよう、とことんまで突き放してやんないとな」


 両者ともに一歩も譲らず、真っ直ぐに衝突する視線はバチバチと火花を鳴らしている。それはきっと憎悪によるものではなく、純粋な闘争心故のものなのだろう。


 ――――こいつにだけは負けたくない。言葉にしなくても、彼らが生み出す空気がそれを物語っている。


 そしてそれは周囲にも伝染したのか、その後に続いて整列する水無たちはもちろん、向かい合う菊池たちの表情もまた好戦的なものに変わっていた。 

 けれど列の最後尾に立つ神崎こうざきかけるは爽やかな微笑みを崩していなかった。なら、それを目の当たりにしている俺は……いったいどんな顔をしているのだろう。


『それでは、これより男子サッカーの部、決勝戦。一年2組と一年の4組の試合を始めます。一同、礼!』

「「よろしくお願いします!!」」

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