第二部プルガトリオ #65

 しかしながら、そのことについて書いていこうとする場合、カレントの視点からそれを見ていくというわけにはいかない。カレントは、確かにその変化を起こした人間であるが。とはいえ、この変化の中心にいたというわけではないからだ。というわけで、その中心たる人間、つまり真昼の視点から見ていくことにしよう。

 時間を少し遡らなければいけない。けれども、一体どこまで遡ればいいのだろうか? 真昼の視点、真昼の感覚からすると、それは極めて曖昧である。というか、真昼にとって、既に時間などというものはどうでもいいものだった。真昼の中にはもう時間はなかった。真昼の中にはもう空間はなかった。もう既に書いたことであるが真昼の中にはもう何も残っていなかったのだ。

 マラーが。

 もう一人の真昼が。

 粉々に。

 砕かれた。

 その時に。

 真昼の中には。

 もう、真昼自身さえ。

 なくなってしまった。

 アトゥ・パラヴァーイレイ、アトゥ・パラヴァーイレイ。大丈夫、大丈夫だよ。けれども何が大丈夫なのだろうか。真昼の抜け殻の中に、響いている音があった……それは一つの問い掛けに似ているのかもしれなかった。一体、何が大丈夫なのか? というか、「これ」は、一体なんなのか? ある人はいうだろう、それは苦しみであると。ある人はいうだろう、それは痛みであると。けれども、「これ」が苦しみだというのならば、パンダーラがその一生の間に味わった全ての感覚を一体なんと呼べばいいのだろうか。あるいは、「これ」が痛みだとすれば、マラーがカリ・ユガに噛み砕かれた時に感じた感覚を一体なんと呼べばいい?

 空っぽの真昼の中で、何度も何度も鳴り響いている。「お前は見捨てた」「お前は見捨てた」「お前は見捨てた」。何を見捨てたのか? お前を愛した全ての生き物を見捨てた。それか、お前が愛した全ての生き物を見捨てたといってもいいだろう。そして、もちろん、それは、お前がそれをした時にお前でなかったからそれをしたわけではない。お前がまさにお前であるところのお前そのものであったからそれをしたのだ。お前の人間性は選択する。そして、あらゆるものを見捨てる。お前が理想とするものの本質とは、見捨てるということだ。

 そう、人間性の本質とは選択だ。そして、選択とは見捨てるということなのである。お前は、今まで、選択に責任を持って生きることこそが正しい生き方だと信じてきただろう。だが、見捨てられた者の底知れぬ喪失の感覚に対して、お前がどうして責任などというものを持てるというのか?

 確かに……確かに、お前は魅力的に感じてきただろう。偶然を、運命に対する反逆を。何か完全で絶対なものを否定して、その時々の選択によって道を切り開いてきた者達のことを。自分が正しいと思うことを貫いて、その時その時でそれを掴み取ってきた者達のことを。

 しかしながら、それは、そのように思えたのは。お前がまさに選ばれる側の人間だったからだ。お前はこれまでの人生で常に選ばれてきた。いい換えれば、常に「正しい側」にいた。お前は、もしかして否定するかもしれない。自分だって間違えたことがある。そして、まさにそういった間違えを反省することによってこそ、より正しい何かになれるのだと。

 しかし、その主張自体が、お前が「正しい側」にいるということの証明なのである。それでは、永遠に間違えに気が付かない者はどうなる? そういう者は一体どうすれば正しくなれるというのか? そして、その永遠に間違いに気が付かない人間と、それにお前と。その二人の中で、お前が正しいのは一体なぜなのか? いうまでもなく、お前が選ばれたからだ。

 お前は盲信を捨てろというだろう。自分だけを信じろと、自分が正しいと思ったことだけを信じろと。だが、そう出来ない人間はどうすればいい? 何かに縋りつかなければいけない弱い者は、どうやって正しくあればいいというのか? 結局のところ、お前はこういっているのだ。弱い者には価値などないと。

 弱い者は、せいぜいが、お前の慈悲に縋って生きていけばいいのだ。確かにお前は弱い者に対して慈悲を与えるだろう。弱い者を助け、弱い者に同情して。弱い者に対しても完全な世界を享受する権利を与えるだろう。だが、覚えておけ。お前の真実は、そういった弱い者を軽蔑しているのだ。そして、選ばれるに値しないと考えている。

 お前は有益なものと無益なものとを分ける。人間がよりよく生き、一層の幸福を享受するためのものを有益とする。それ以外の全てのものを無益とする。例えば、お前にとって、この世界が何か理由があってここにあるものなのか、それかなんの理由もなくただあるだけのものなのか。そんなことはどうでもいいことだろう。だから、お前はそれを切り捨てるに違いない。

 しかし、果たして……お前には、それを切り捨てるだけの、一体何があるというのか? お前は全知全能とでもいうのか? お前は全てを知り尽くしていて、その上で、それを完全な無意味として切り捨てる権利があるとでもいうのか?

 否、断じて否だ。お前はたかが人間に過ぎないのだ。そのことについて……この世界の意味について、何もかもを注ぎ込んで解き明かそうとしてきた者達。そういった者達のことを、無意味であるだけでなく、人間の幸福にとって害あるものとして切り捨てる。それだけのことをする権利は、お前などにはないのだ。

 お前は、お前は間違っている。この世界の全生命の尊厳をかけて、こういおう。お前は、絶対に、完全に、間違っている。こういっても、お前は聞く耳を持たないか? お前はこういうか? 自分は自分にとっての真実を信じているに過ぎない。それを否定したいならば勝手にすればいい。ただし、自分には関わらないでくれ。ああ、なんという邪悪であることか! お前の行動の全ては世界に関わってくる。お前がそれを信じているということは、それだけで、世界そのものに影響するのだ。そうだとするのならば、お前が間違ったことを信じていることは、それだけで罪なのである。そう、お前は罪人だ。

 その証拠として。

 お前は。

 殺した。

 パンダーラを。

 マラーを。

 まさに。

 お前が。

 信じている。

 ことの。

 せいで。

 アーガミパータで……アーガミパータで、数日の間、デニーと一緒に過ごした後。真昼の中に残されていたのは、ただただ何もかもが間違っているという感覚だけだった。真昼という個人は正しくなく、人間という種族は正しくなく、生命という現象は正しくなく、世界という摂理は正しくない。何もかもが出来損ないで、何もかもが不幸だ。もしも、仮に、不幸でないものがあるとしても。それはいつか不幸になるだろう何かでしかない。

 こんなのは、駄目だ。こんなことがあっていいはずがないんだ。本当ならば、この世界は、誰かが幸せになるためになければいけないはずだった。誰もが幸せになるためになければいけなかったんだ。もしも、誰かが。パンダーラが、マラーが……あるいは、マコト・ジュリアス・ローンガンマンが。不幸なまま生きていかなければいけないとすれば、この世界は、それだけで否定されるべき世界なのだ。

 だから、真昼は、祈った。こんな世界がなくなってしまいますようにと。こんな世界が粉々になって、その粉々になった世界の破片の上で踊る、踊る、踊る。真昼は、真昼は、こんな世界、壊してくれと祈ったのだ。誰に? もちろん、悪魔に。

 だから、悪魔は、デニーは、この世界を粉々に砕いたのだ。アポ・メカネス・セオスはこの世界を口の中に入れて、そして、粉々に噛み砕いた。世界とは真昼のことで真昼とは世界のことで。だから、デニーは、真昼の全てを粉々に砕いて笑った。

 ああ、そう、結局のところ、間違えていたのは真昼だったのだ。世界はそこにあるだけだった。そこにあるだけで間違えることなど出来るわけがない。なぜなら、世界は、恣意ではないからだ。恣意とは生命であり、生命とは人間であり、人間とは真昼である。全ての原因は真昼だ。そうであるならば……真昼は、どうすればいい? 真昼はどうすれば間違えないでいられる?

 見捨てられたくなかった。ただそれだけが真昼だった。見捨てられたくないという思いだけが真昼だったのだ。それなのに、真昼は見捨てた。真昼を見捨てなかった者、誰も彼も、真昼は見捨てたのだ。

 善くあることに意味があると思いたかった。別に、この世界が善と悪とで出来ていて、自分は善の側にいたかったということではない。もっともっと、それは倫理的な真昼の欲望であった。悪と比べた相対的な善ではなく、絶対的な善になりたかったのだ。

 憎しみを捨て、怒りを捨て、常に寛容な心を持って、嫉妬をせず、怨恨をせず、自らのみを価値観のよりどころとする。選民的な優越感とともに生きるのではなく、罪悪感とともに苦しみの道を行くのでもなく、決して極端に走ることのない、真っ直ぐな中道を進んでいく。自分の責任をもって、熱心に、専心に、自分の信じる道を突き進んでいく。けれども、それでも、あらゆる物事が繋がっているということを忘れない。自分は他人とともに生きていて、他人は自分とともに生きているという感覚を忘れない。生命の尊重、非暴力の徹底。敵に打ち勝つということよりもまず自分に打ち勝つということを知る、他人のことを敵と考えてしまう自分自身の自己愛に打ち勝つということを知る。傲慢を捨てて常に高貴である、平和と慈悲とを胸に抱えて生きる。つまりは、これが善だ。真昼は、こうありたかった。このような善でありたかった。そして、世界の全てがこうあるべきだと思っていた。

 しかし、駄目なのだ。これでは全然駄目なのだ。世界がこうならないといいたいわけではない。恐らく、いつかはこうなることもあるだろう。でも、そうなるためには。真昼は、「選ばれなかった人々」を見捨てなければいけないのだ。善くあることが出来ない人々、強くあることが出来ない人々、賢くあることが出来ない人々。本当の、本当の、弱者を、真昼は見捨てなければいけない。ただただ、強者のみが生き残る、淘汰された世界。

 なぜ、なぜ? 真昼は……違う、違うのだ。真昼は本当は、善くありたかったのではない。そうではなく、誰も見捨てられることのない世界を作りたかったのだ。だから、善くあろうとしただけなのだ。それなのに、ねえ、なんでこんなことになってしまったの? 真昼の手のひらは見捨てられた人々の涙でいっぱいになっている。真昼は見捨てたのだ、自分が善くあるために。真昼は、真昼は、こんなことをしたかったわけではない。

 ねえ、誰か教えて。

 なんで。

 なんで。

 マラーは。

 死ななきゃいけなかったの?

 業という感覚がある。執着というか欲望というか、それらの両方を含み、それよりも更に深いところにある、溶けた鉛の底のような感覚。そちらの方へと向かう回転の引力みたいなものだ。人間という生き物は、それに従って生きている。その引力の指し示す方向に移動することが人間にとっての生きるという行為なのである。それがある限り……人間は、物事を、その通りに受け取ることが出来ない。物事は、その引力によって歪められるからだ。というか、人間は、基本的に、物事の輪郭を、その引力の影響によって理解する。その引力は、視覚に対する光のようなものなのだ。

 真昼はその業を捨てた。捨てたというか、無理やり捨てさせられたのだ。デニーによって、マコトによって、無理やりこの世界の真実の姿を見せられた。引力の介在しないあるがままの世界。それは醜くもなく、それは美しくもなく、ただただ真昼の外側で落下していく一つの方向性であった。

 その方向性は、真昼のものではない。これが根本原因だ。それを理解することこそが、業を捨てるということである。真実が虹の尾を引きながら天球に傷口を開いていく。引き裂かれた向こう側には虚無がある。そして、真昼は知っているのだ。虚無は、恐怖という恣意ではないということを。

 真昼を動かしていた力は消え去った。真昼の内側で燃えていた炎は消え去った。それでは、どうして真昼は動くことが出来る? 一つ一つの論理が噛み合って、結果が発生する。真昼は……そう、真昼は選択した。あらゆる先入観を、あらゆる偏見を、あらゆる固定観念を、捨て去って。まさに自分自身の選択によって選択したのだ。選択しないということを。マラーの命を助けるという選択をしないという選択を。

 真昼は、逆らうことが出来なかった。それがなんなのかさえ分からない、巨大な巨大な力に。そのことが正しかったことなのかということは、今でも分からない。正しかったのかもしれないし、正しくなかったのかもしれない。けれども、たった一つだけ、強く強く真昼が信じていることがある。

 マラーは。

 死んじゃ。

 いけなかった。

 生きた。

 ままで。

 幸せに。

 ならなきゃ。

 いけなかった。

 そもそも、マラーがあれ以上生きていて幸せになれたのかということ。真昼によって月光国に連れていかれる。真昼の施しによって生きていく。もしかして、月光語をしっかりと勉強して、その結果として普通の月光人と変わらない教育を身に着けて。そして、幸せな一生を送っていたかもしれない。就職し、結婚し、子孫に見守られながら死んでいく。そのような「普通」の一生が、あそこで、無垢なまま、カリ・ユガの生贄になるという名誉と比べて、本当に、より一層幸せなものなのか?

 そういったことは、全然関係のないことなのだ。恐らくは――というか、明らかに――マラーにとっては、あそこで死ぬということ以上の幸福はあり得ないだろう。それでも、それでも! 真昼にとっては、マラーは、死んではいけなかったのだった。生と死という問題ではない。それは、今の真昼にとっては、全然問題ではないのだ。真昼にとって最も重要なのは……マラーが、見捨てられたということ。他ならぬ真昼によって見捨てられたということ。これが、これだけが、あってはいけないことだったのだ。

 でも、真昼はああするしかなかった。他に何が出来た? もしも、真昼が何かの行為をしていたら。やはり、真昼は、マラーのことを見捨てることになっていただろう。なぜなら、その行為は、マラーのために行われるものではなく真昼のために行われるものであると真昼自身が認識しているからである。

 そうであるならば、真昼は、マラーに対して、パンダーラに対して行ったそれと同じ行為をしてしまうことになる。いや、それ以上の……裏切りだ。なぜならパンダーラにそれをした時、真昼はそれを認識していなかったからだ。天秤の上に乗せる錘、錘が重い方に天秤が傾くということ。想起と苦界と。

 どうしようもないことがある、世界にはどうしようも出来ないことがあるのだ。いくら足掻こうとも、いくら藻掻こうとも、その内側から這いずり出ることさえ出来ない底なしの泥土なのだ。賢しらな人々は、全てを諦めてしまえるだろう。悟ったような顔をして、沼の外の世界は全てが幻想だといい捨てて。そして、抗うことすらせずに沼の底へと沈んでいくことが出来るだろう。確かに、真昼は同意する。それこそが幸福なのだと。それこそがお前にとっての幸福なのだと。だが、それでも、真昼は。

 真昼は。

 真昼は。

 救いたかった。

 救いたかったのだ。

 マラーを、救いたかった。もう一人のあたしのことを救いたかった。絶対に救えなかったとしても、それでも救いたかった。そう願うことは、いけないことなの? いいのだ、自分が不幸になっても。自分という生き物に価値などないことはとうに知っている。人間に、生命に、世界に、それに……マラー。マラーという生き物にもなんの価値もないことも知っている。正義に価値はない、善良に価値はない。そもそも価値自体が幻想なのだ。そうであるのならば、あらゆる何もかもは、それが不幸に繋がる限りにおいて、ただただ不幸の源でしかないことなんてこと。あんたにいわれなくても、そんなことは分かっている。

 なんで、こんなことになってしまったの? 最初からこうだったのだ。それならば、なんで最初からこうなの? その質問には意味がない、なぜならここで起こっていることの全ては変えられないから。それよりも、より多くの人を幸せにする方法を考える方法が重要だ。じゃあ、その「より多くの人」に含まれない人は、一体どうすればいいの? ねえ、教えてよ!

 真実は言語を絶しているなんて。

 よくもまあ簡単にそんなことを。

 溺れて。

 溺れて。

 溺れて。

 誰も助けてくれない。

 それは。

 お前が。

 馬鹿だから。

 常に注意深く歩いていれば、そもそも海に落ちることもなかったのだ。目的が消え去れば原因が消え去る。原因が消え去れば目的が消え去る。そんなの、当たり前だ。いわれなくたって分かってる。あたしが聞きたいのは、あたしがいなくなった後に残された人達はどうすればいいのかっていうことなんだ。あんたは……お優しい、あんたは、もちろん、何か残していくだろう。腐りかけた犬の餌みたいなものを。でも、それだけを残して行ってしまう。あんたは、あんたは、自分だけが幸福の世界に行ってしまう。そして、それでいいとあんたはいう。

 屑。

 屑。

 人間の屑。

 本当に。

 反吐が出る。

 あんたは、いうだろう。お前が世界を救おうとした、その善意こそが、お前の世界をこれだけ粉々にしてしまったのだ。お前の善意こそがパンダーラを殺した、お前の善意こそがマラーを殺した、そうであるならば、もう何もしない方がいいのだ。自分のことだけを考えろ。自分の幸福にだけ責任を持てばいい。世界中の人間が、そうするならば。いずれは、世界は、幸福になる。誰もが他人に対して幸福であることを強制をしなければ、世界は、勝手に幸福になるものなのだ。

 そんなことは分かってるんだよ! そんなことは、分かってるんだ。それでも……それでも、そうなる前に、幸福になれなかった人々は。幸福になれないままで死んでいった人々は、一体どうすれば救われるんだよ。あたしは、あたしは、そういう人々のことを救いたかったんだ。見捨てられて……見捨てられたという絶望の中で、死んでいく人々のことを、救いたかったんだ。

 つまり。

 あたしは。

 あたしを。

 救いたかったんだ。

 いくら人間が否定しようとも、世界は世界のままでそこにあるだけだ。存在の巨大さに、概念の巨大さに、真昼はただただ引き潰されていくしかない。起こり得ないことを願った。起こってはいけないことを願った。本当に、本当に、心の底から願っていた。もちろん、そんなことは起こるはずがないのだ。粉々になった真昼だったものは、きっと、洪水に流されてしまったのだろう。そして、ここに残されたのは真昼の抜け殻だけだ。誰かを救いたかった真昼の抜け殻。誰も救えなかった真昼の抜け殻。

 起こるべき、ことだった。

 マラーは死ぬべきだった。

 それは分かってる。

 でも。

 死なないで欲しかった。

 もう。

 真昼は。

 何者でも。

 何者でも。

 ない。

 と、こんな感じですね。マラーが死んだ後の真昼は、大体このような思考を何度も何度もループさせて、結果的に精神のエラー状態に陥ってしまって。そのために現在のような、アトゥ・パラヴァーイレイという言葉、その意味するところも内容も頭の中に思い浮かばないままに。肉体の痙攣として、何度も何度も口ずさむだけの人形のようなものとなってしまったということです。

 それはそれで、まあ別にいいんだけどさあ。うーん……そりゃ真昼ちゃんの人生は真昼ちゃんのもんだし、こっちにあれこれ口出しするようななんだかんだはありませんよ? それでもさあ、なんつーんだろうなー……こう、もうちょっと生産的になることは出来ないもんなのかね。

 いいよ、分かった、そのクソ重たい感情については諦めますよ。人間、それぞれ配られたカードで勝負しなければいけないもんです。真昼ちゃんみたいに、明るさも気軽さもない、そんな性質を持って生まれてきてしまったら、そりゃあもうそうやって生きていくしかないでしょうよ。

 でもさ、せめてさ、もっと役に立つ人間になろうとか、そう思わないわけ? いや、だって、もうどうしようもないもんはどうしようもないじゃん。マラーは龍王に食われちゃったんだし、龍王に食われちゃったもんはもうどうしようもないでしょ。なんだかんだ考えたってなんの意味もないですよ。いや、知らんよ。どうにかする方法があるかも知れんけども。とはいえ、真昼ちゃんがどうこう出来ることはないでしょ。どう考えても。ということはですね、もう完全に意味がないわけです。真昼ちゃんが考えてるそれって、全部全部、パーフェクトに無意味なわけよ。

 そうだとしたらさ、それについて考えることって「はい、死んだ!」「お終い!」くらいでやめておいて、もっと建設的な他のこと考えた方が全然有意義だと思うんだよなあ。なんでもいいよ? 例えば世界中の飢餓人口を少しでも減少させるための農産物の品種改良について考えるとか、画期的な蓄電池を作るための化学物質の構造について考えるとか、なんでもいいけれども。そういったことを考える方が遥かに遥かに世の中の役に立つんじゃない? なんていうんだろうなあ、こう、真昼ちゃん、もうちょっと生き方について真剣に考えた方がいいと思うよ?

 まあ。

 これは。

 個人的な意見に。

 過ぎないですが。

 なんとまれかんとまれ、ここでいいたいことは。「その時」の真昼には、自分の精神などというものがなかったということだ。自分自身が、マラーとともに、粉々に砕け散ってしまったのだから。もう精神も肉体もないのである。あたかも脳髄に直接麻酔を注射されたかのような、どこか恍惚としていて、どこか欠損していて、舌の上にミルクでも滴っているみたいな無思考のうちに漂っていたのである。

 以前にも書いた通り、真昼には何も見えていないはずだった、真昼には何も聞こえていないはずだった、目に入った光線は形状として認識されることなく、耳に入った音波は音声として理解されることがない、はずだった。

 それにも拘わらず……何かが、何かが、真昼に起こり始めていた。それは例えば、遠い遠いところから聞こえてきているスマートデヴァイスの着信音のようなものだった。いや、少し違うかもしれない。何か、ゆらゆらと揺らめく触手のようなものが漂っていて。そして、真昼の全身を探っているような感じだ。真昼のどこかに穴が開いていて、それを探している。その内側にある空っぽの空洞の中に入り込もうとしている。ああ、これは……なんだかよく分からない、温度みたいな感覚が、真昼の精神を揺らしている。

 そして。

 ある。

 一瞬。

 これは。

 きっと。

 接続。

 もちろん、それが接続であるということは真昼には分からなかった。真昼が感じていたのは、どちらかといえばawakeningだった。静かに静かに虚無の海が引いていって。それから、感覚の砂浜の上に、肉体が置き去りにされたような目覚め。真昼の中の空っぽが、空っぽであるという「具体性」が、するすると蒸発していく。そして、その後に残されたのは。

 あれは。

 一台の。

 テレビ?

 真昼は、ふと、自分自身がそこに「いる」ということに気が付いた。今までの真昼にとって、真昼自身でさえも認識の対象ではなかったのだが。というか、認識自体が消滅していたのだ。それなのに、いつの間にか、真昼の内側には「いる」という認識が挿入されていた。挿入? なんだろう、なんだかよく分からないけれど、これは自分ではないような気がする。自分が自分ではないような「いる」という感じ。自分ではない誰かが、後ろに立っていて、ここに自分が「いる」ということを耳元で囁いているような。

 とにかく、真昼は、自分の精神が自分の精神として使用可能になっていることに気が付いた。壊れてしまったスマートデヴァイスの代わりに、全く新しいスマートデヴァイスを買って貰ったような感じだ。なんとなく手のひらに合わないような気がするけど、それでも、真昼は何かを考えることが出来るようだった。

 しかし、真昼は何を考えるというのだろうか? パンダーラのこと? マコトのこと? それとも、マラーのこと? いや、今の真昼は、どうやらそういうことを考えなくてもいいらしいのだ。なぜそうなのかはよく分からないのだが、とにかくそうらしい。耳元の囁き声が言う……テレビを、じっと、見るように。

 だから、真昼は、テレビを見ることにした。真昼はどこかに座っていて、テレビはそこから遠い遠いところにある。とても遠い、しかも、真昼は随分と上にいて、テレビは随分と下にある。小さな小さなテレビだ、人間の頭の大きさくらいしかないテレビ。それでも、真昼は、そこに映し出されているものがはっきり見えた。

 別に大したものが映されていたというわけではない。というか、はっきりといってしまえば、たった一本の蝋燭が映されているだけだった。夜なのかなんなのか、他の部分は真っ暗で。蝋燭の光だけが、その中でゆらゆらと揺れている。そんな映像だけが映し出されていたのだ。

 真昼は、なんとなく、ぼんやりと、それを見ていたのだけれど。やがて、その火がふっと消えた。すると、真っ暗な真っ暗さが蝋燭さえも覆い隠して。そこに映し出されていたものは全て消えてしまった。後は真っ暗だけがそこにある。何も、何も、なくなってしまった。

 ふと。

 その。

 闇の中に。

 一続きの言葉。

 映し出される。

 それは。

 つまり。

 『Nirvana』。

 なんとなく、真昼は、その言葉について知っている気がした。マコトが何かを言っていた気がする。確かそれは……ニルヴァーナ。そのニルヴァーナという単語は。くるりと綴りを捻じ曲げて。そして、Nとaとがくっつきあって、一つの円形を作り出した。その円形がくるくると、車輪のように回り始める。

 やがて、一つ一つの文字が溶け出していき。その回転の中に……真昼は……何かが見えてくる。それは、真昼が生きてきたこれまでの全てのこと、その記憶だ。真昼が覚えていることも、真昼が覚えていないことも。

 パンダーラが死んだ。マコトが笑った。マラーが笑いながら死んでいった。精神病院の中に入っていく自分の姿、テレビの中のテレビ、正子が血溜まりの中で死んでいく。静一郎の後ろ姿、静一郎の後ろ姿、静一郎の後ろ姿。静一郎は、いつもいつも後ろ姿だけで……決して、こちらを振り返ることがない。

 それから、それから、その記憶の回転はどんどんどんどんと時間を遡っていって。やがて真昼が生まれた瞬間にまで到達した。血にまみれた視界。そして、その後は? その後は何もない。また、画面は、ぱっと消えてしまって。それから、ただただ真っ暗な、何も映し出されていない状態に戻ってしまう。

 暫くすると。

 また。

 何か。

 文字が。

 映し出される。

 けれども、先ほどのような、ただの単語ではなかった。ちゃんと意味の通る一続きの文章で、それは疑問であった。そこに書かれていたのはこういうことだ『あなたはなぜそんなに苦しんでいるのですか?』。

 苦しんでいる? あたしが? そうかもしれない……苦しんでいるのかもしれない。もしかして、自分の全てを粉々に砕いてしまわなければいけないほどに。そうだとすれば、なぜあたしは苦しんでいるのだろう。

 ちょうど、それを考えるために、先ほどテレビに映し出されたものが役に立つように思えた。自分の記憶だ。全ての苦しみは、もちろん記憶の中にある。自分が経験していないことは苦しむことが出来ないのだから。

 ああ、これも手掛かりになりそうだ。苦しみとは経験の中にある。とはいえ、とりあえずは記憶を見てみよう。テレビの画像が巻き戻されて、また、真昼は自分の人生の全てを再体験する。そうだ……あたしは、いつも、何かを求めていた。これが欲しいと願い、こうありたいと願い。そのうちの幾つかは叶ったが、叶わないものもあった。

 それが叶った時……今度は、その叶ったことによって、また求めるものが出来た。それは、手に入れたものを失いたくないということだ。それはどこまでもどこまでも続いて、真昼の中に報われないという感覚を残し続けることになるのである。あるいは、それが叶わなかった時。もちろん、真昼は、それが叶わないということによって報われないという感覚を抱くことになる。

 正子に……お母さんに……変わって欲しくなかった。人間らしい優しさが、次第に、次第に、失われていってしまって。痩せこけた体の、薄汚い、悪臭を放つ、怪物になってしまったお母さん。人間の言葉さえ話さなくなって、ただぼんやりと唾液を滴らせているだけのお母さん。ねえ、なんで……あたしのことを見てくれないの? あたしのこと、もっとちゃんと見てよ。あたしのこと、ぎゅってしてよ。あたしのこと、もう一度、「真昼」って呼んでよ。

 でも、それが叶わなかった。求めるものを手に入れられなかった。きっと、これが苦しみの原因だ。手に入れられなかったこと……ううん、違う。だって、手に入れられたとしても、やっぱり苦しみはなくならないんだから。そうだとすれば、そもそも、何かを手に入れようとしたことがいけなかったんだ。

 真昼がそこまで考え終わると。テレビの画面が、また、ぱっと移り変わった。そこに映されていたのは今度もまた一つの質問で、次はこういう質問だった。『あなたはなぜ何かを手に入れようとしたんですか?』。

 そんなこと考えたこともなかった。ただ欲しいと思ったから。そこにそれがあって、ここにあたしがいたから。ううん、違う。もっともっと簡単にいうことが出来る。あたしが生きてるから。生きてるから欲しい。

 だって、あたし以外の何ものもなかったとして。あたしは、きっと寂しいと思う。あたし以外の誰かがいればいいのにと思う。あたしは、あたしがあたしとして生きているから。だから、何かが欲しいと思うんだ。

 でも、そうであるならば。もう一つ疑問が出てくる。『なぜ、あなたはあなたなのですか?』。これは物質としてのあたしという生き物がどのように存在へと至ったのかという話ではない。そんな難しくてわけの分からない話ではなく、もっともっと簡単なことだ。それは、つまり、あたしはなんであたしがあたし自身なのかという認識を持っているのか、ということ。

 それは……もちろん、あたしがあたしでありたいからだ。あたしがあたし自身であろうと欲するから。あたしがあたしでありたいと思う時に、あたしはあたしだという認識が生まれる。そして、そういう認識を持つことで、あたしはあたしでありたいと思う。こんなの、なんだか、馬鹿みたいだ。でも本当のことだ。措定、あたしは欲望し、存在し、欲望し、存在する。

 どちらが始まりなんだろうか。欲望か? 存在か? そんなの分からない。でも、あたしは、馬鹿みたいにくるくると回っている。そして、その回転のことをあたしと呼んでいるのだ。そもそも……苦しみ……あたしがいなければ。苦しんでいるあたしだっていないはずだ。欲しがらなければ失うこともない。あたしがこうあって欲しいと思うから、こうなって欲しいあたしと世界、こうなっていないあたしと世界、そういう全てのものの認識が生まれる。そうして生まれた認識が、それを欲望している。テレビに、また言葉が映し出される。『苦しみとは欲望』『欲望とはあなた自身』。

 『それでは』。

 『もう少しだけ』。

 『考えてみましょう』。

 『あなた自身とは』。

 『一体なんなのか』。

 あたしは……生命だ。それは分かっている。でも、生命ってなんだろう。もちろん、ここでいう生命とは、あたしがあたしであるという統一的な感覚のことをいっている。だって、これがなければ、あたしはあたしという生命であるということを、あたし自身によって定義されないのだから。

 あたしは一個のあたしであると、今まで疑いもなくそう思っていた。そして、その一個のあたしに生命という名前を付けてきた。でも、本当は……よく考えてみると、なんだか違う気がする。上手くいえないんだけど、あたしという一個の何か、分割することの出来ない完全な何かがあるというわけではない気がする。

 思考によって思考しているあたしを捉えようとする。そうすると、あたしは、まるで焼き過ぎた骨を握り締めてしまったみたいに粉々に砕けてしまうのだ。例えば、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。あるいは、視覚一つとっても、あたしの中にはその視覚の対象となっている対象物と、それを見ているあたし自身と、その二つがある。それに、それだけではない。

 それを表象的なあたしと、仮に名前を付けよう。その段階では、あたしはただ見ているだけだ。でも、それを理解する理性的なあたしがいる、見たものを、それがなんなのか考えるあたしだ。ここのあたしは、具体の物質を抽象の観念にまで落とし込む。そして、そのように観念されたものを記憶する、記憶的なあたしがいる。そして……記憶された抽象の観念を使って、色々なことを想像するあたしがいる。

 あるいは、何かをしたい、何かが欲しいと思うあたし。

 あるいは、あたしがあたしであると、そう思うあたし。

 これは。

 全部。

 ばらばらな、あたしだ。

 しかも、もっともっと根本的な感覚がある。それは、はっきりと掴み切ることが出来ない曖昧な感覚であるが。それは、あたしというこの感覚の中に、あたしであるところの部分がどこにもないのではないかという感覚だ。

 あたしという総体について……考えると……先ほど考えたことが、また思い出されてくる。それはあたしの苦しみが、全部、全部、あたしの記憶の中にあるということだ。そうであるならば、あたしの苦しみは、全て、あたしが経験したことの中にあるということになる。だって、記憶は、残された経験の、断片だから。

 そうであるならば、あたしの苦しみはあたしが経験したことの中にしかないことになる。苦しんでいるのはあたしではなくあたしの経験なのだ。そして、それは苦しみだけではないのだ。つまり、喜びだとか、楽しさだとか、嫌悪感だとか、虚無感だとか、憎悪に悲哀に、その他のあらゆることが、経験の中にしかない。

 つまり……あたしがいいたいのは……あたしは、一個のあたしではないというだけではない。ばらばらに砕けた一つ一つのあたしでさえ、あたしという絶対的な不変ではないということだ。それはどちらかといえば環境から受ける影響に対する適応に過ぎない。なんらかの条件によって生起付けられた状態ということだ。

 真昼が、そう気が付いた瞬間に。

 テレビの画面に、また。

 言葉が、映し出される。

 『anatta』。

 この言葉について真昼は何も知らないはずだったが、なぜか、それが意味するところを理解出来た。これは、例えば「無我」だ。簡単にいえば「あたしは苦しんでいるけれど、その苦しんでいるあたしというものは存在しない」ということを表わしている。もちろん、あたしは苦しい。それを否定することは出来ない。でも……あたしという主体は、実際に存在している何かではない。不変の絶対的な実在・実存ではなく、ある一つの過程に過ぎない。

 そう、過程、過程だ。しかも、それは、分析可能な一連の条件から発生する結果なのだ。生命とは、一つの因果律なのである。いや、違う。世界とは、一つの因果律なのだ。そこには完全なる自由は存在しない。そして、完全なる自由が存在しないならば、あたしはやはり過程なのだ。なぜなら、あたしが存在する条件がなくなってしまえば、あたしもいなくなるのだから。そもそも……あたしは……いない。あたしのふりをした一つの過程が条件付けられたままに生起している。苦しんでいるあたしは、要するに、あたしが苦しんでいるその苦しみの過程に過ぎないのだ。

 そして。

 苦しみは消える。

 その条件となる。

 あたしという。

 過程が。

 なくなれば。

 すとん、と何かが落っこちた気がした。いや、違う。これは決して虚無的な気持ちではない。絶望的な気持ちではなく、否定的な気持ちではなく……なんだか、柔らかく穏やかに安らいでいるような気持ちだ。心の中から一つの病巣が取り除かれたような。ほっとするような思いがある。

 そうか、じゃあ、何も心配する必要はないんだ。この苦しみは、苦しみという何かは、永遠な何かでも無限な何かでもない。あたしが消えてなくなってしまえば消えてしまうものなんだ。なぜならこの苦しみは条件付けられたものに過ぎないんだから。そして、その条件はあたしなのだ。

 あたしも消える。いつか消える。なぜなら、そもそもあたしはあたしではなく、やはりなんらかの条件によって発生した過程に過ぎないから。そうであるならば何も心配する必要はない。そう、それは蝋燭の炎のようなものなのだ。あたしも苦しみも、燃え尽きれば消える炎に過ぎない。

 そう。

 心配する必要はない。

 全部。

 全部。

 大丈夫なんだ。

 アトゥ・パラヴァーイレイ。

 アトゥ・パラヴァーイレイ。

 あたしは、今……初めて、その言葉を、心の底からマラーに言ってあげられるような気がする。今までは、その言葉は、単なる気休めに過ぎなかった。あたしは、本当は大丈夫なんて思っていなかったから。でも、でも、今は。本当に信じているんだ。大丈夫だって。なぜなら、この世界には、永遠で、無限で、そんなものなんて何一つないんだから。優しい優しいnirvanaを除いては。

 ああ、マラー、ねえ、聞いて。あたし、分かった。なんで、あなたが笑っていたのか。笑いながら死んでいったのか。あなたは知っていたんだね、全ての苦しみに終わりが来るっていうことを。いや、違う……あなたは、考えもしなかったんだ。この苦しみが、もしかして、終わらないのかもしれないなんて。

 マラー、マラー、あたしが間違ってた。あなたを助けたいなんて思った、あたしが間違ってたんだ。あなたは、あたしに助けられる必要なんてなかった。だって、あなたは、ただ生きていただけだから。ただ過程であっただけだから。そして、あなたが正しかったんだ。あたしはずっとずっと間違っていた。

 パンダーラさん、パンダーラさん。今なら、あなたが言っていたことが分かるような気がする。あなたは言っていた、結果なんて関係ないって。あたし達がそうやって生きていたこと、その事実こそが本当に重要なんだって。パンダーラさん、あたし、今なら理解出来る。ここにあるのは、あたし達があたし達であるところの、その過程だけで。全ては、全ては、ある条件のもとにそうであるというだけの一瞬に過ぎない。何も、何も、最後の結果なんかじゃないんだ。そうだとするのならば、結果なんていうものがなくて、何もかも移り変わっていくのならば。この瞬間に、この場所で、消えていく「無我」。その現実をあるがままに見ること以外に、あたし達がすべきことなんてないんだ。

 だから、あなたは、自分が死ぬということを受け入れられたんだ。あなたが死ぬという現実を、だからあなたは受け入れることが出来たんだ。だって、それが、それこそがあるがままの現実だから。もともと「無我」であるところの一個の肉体が朽ちて消えていく。その過程だけがそこにあって。そして、あなたは、その条件と生起とを正しく過ぎ去ることが出来た。

 ああ。

 あたしの中の火が消えていく。

 燃えるべきものがなくなって。

 あたしの。

 馬鹿な。

 勘違いが。

 なくなって。

 ふ、と気が付くと。テレビの画面に、また何かが映し出されていた。また言葉だろうか、いや、どうやら違うようだ。それはもっともっと具体的な何かで、しかも、真昼にとって、とてもとても大切な何かで。あれは……マラー?

 間違いない。あれはマラーだ。マラー、マラー、ああ、そんなところにいたんだ。探したんだよ、すっごく探した。ずっとずっと探してたんだ。そんなところにいたんだね。ねえ、マラー。あたし、あなたに教えたいことがあるんだ。もしかして、あなたはもう知っているかもしれないけど。でも、それでも教えたい。あたしが知ったことを。あたしが見つけた蜂蜜みたいな涅槃のことを。

 マラーは……微笑んでいた。テレビの中のマラーは、本当の本当に安らかな顔をして、本当の本当に優しげな顔をして。真昼に向かって、そう、まさに真昼に向かって笑いかけてくれていた。ああ、マラー……あたしに微笑んでくれるの? そう、マラーは、真昼に微笑んでいた。今まで真昼がしてしまったこと、その全部全部を許してくれているような、そんな顔をして笑っていたのだ。

 暖かい、暖かい、お母さんの子宮の中に満たされた、血液の海のような色。生きとし生けるもの、あらゆる生命の形に対する慈しみ・憐れみ。その喜びをともに喜ぶという思い。そして、全てのものが繋がり合っているという無限の愛……そんな色。深く、深く、真っ赤な色をしたワンピースの裾が、ひらひらと揺れている。まるで、真昼のことをくすぐっているかのようにして。

 その裾から、マラーの裸足の足が見えている。土埃や、泥土や、黒ずんだ血液や、そういったもので薄汚れていたはずの足。様々な傷、古くてとっくに塞がった傷跡や、ついさっき出来たばかりの血を流している傷で、ぼろぼろになっていたはずの足。その足は、今となっては、まるで生まれたばかりの嬰児のように奇麗な足だった。傷一つなく、それだけではない。アーガミパータの大地に傷付けられ続けて、あれだけ頑なに強張ってしまっていた皮膚は。柔らかくほどけて、雲の上を歩く天使みたいだった。

 ああ。

 マラー。

 マラー。

 あなたは。

 何か。

 持っているね。

 両方の腕を、真昼の方に、そっと突き出していて。両方の手のひらを上に向けて、マラーは、その上に、何かを載せていた。それは、あたかも、この世界の一番美しいところだけを溶かしだして、それを固めて作った、きらきらと金色に輝くお星様みたいな……金の冠だった。

 そう、金の冠だった。星座のようにして、色とりどりの宝石を嵌め込んで。誰にも理解出来ない象徴、素敵な素敵な模様を細工した金の冠。白馬に乗った王子様、全ての弱き者を、全ての愚かな者を、救ってくれる王子様。その王子様のための冠。

 マラー……ああ……マラー。あなたがその冠を持っていたんだね。あたしね、それをずっと探してたんだ。あたし、本当に、それを探していたんだ。だって、だって、その冠があれば……あたしは、何か別のものになれるはずだと思っていたから。

 あたしではないあたし。あたしが、もっと、もっと、「良い人」になったあたし。今までのあたしは、ずっと緩やかな夢を見ていて。そして、その別のもののあたしは、たぶん目が覚めたあたしなんだ。あたしは、その金の冠があれば、目を覚ますことが出来ると思っていた。あたしは、その金の冠があれば……助けて貰えると思っていた。誰に? それは分からない。でも、それがあれば、助けられるに値する人間になれると思っていた。

 ううん。

 違う。

 それがあれば。

 あなたのことを。

 助けてあげられる。

 人間に、なれると。

 思っていたんだ。

 どうしたの、マラー? その冠を、そんな風に、あたしに向かって差し出して。もしかして……あなたは、あたしに、それをかぶせてくれようとしているの? そんな、マラー、駄目だよ。あたしにはそんな資格はない。あたしにはそんな価値はない。その冠は、結局、あたしのものじゃなかったんだ。その冠は、あたしの頭の上からころころと転がり落ちてしまって。大洪水の中で、あたしはそれをなくしてしまったんだから。

 でも……でも……もし、その冠を、もう一度かぶることが出来たならば。ねえ、マラー。あたし、あなたのこと、助けることが出来るかな? もう二度と、見捨てないで。あなたに本当のことを教えてあげられるかな? 何も、何も、怖がることなんてない。何も恐れることはない、全部全部、最後には終わることで、あたし達が苦しみだと思っていることは、いつか終わりが来る苦しみという過程に過ぎなくて。あたしが欲しいと思っていること、あたしが助けて欲しいと思っていること、それは、幾つも幾つもに分かれたあたしではない何かが、あたしのふりをして助けて欲しがっているだけで。最後の最後には、あたしの全部が、静かな静かな涅槃の中に溶けて消えていくんだって。そういうこと、あたし、あなたに教えてあげられるのかな?

 ねえ。

 あなたのこと。

 幸せに、して。

 あげられるのかな?

 マラーは、そんな真昼に対して、何かを答えることもなく。ただただそこに立っているだけだった。真昼の全てを包み込んでしまいそうな微笑みを浮かべて、真昼のことを誘うように金の冠を差し出したままで。

 ねえ、マラー。本当にいいの? 本当の本当にいいの? あたしに、もう一度、あなたを助ける機会をくれるの? その冠を、もう一度、あたしの頭に載せてもいいの? 真昼の手元にある、粉々に砕けた真昼自身。その破片を、一つ一つ組み合わせて、繋げていくように。でも……誰が? 誰が? 誰がそれをしているのか? 何かがおかしかった、何かが歪んでいるのだった。だが、真昼はそれに気付くことはない。真昼がそれに気が付くことはない。

 そして。

 それから。

 真昼の背後で。

 誰かが、囁く。

 さあ、あの金の冠はあなたのものです。

 なぜなら、あなたは目覚めたのだから。

 立ち上がり、真っ直ぐに歩いていって。

 あの少女から。

 それを。

 受け取りなさい。

 真昼は、立ち上がった。その声に言われるがままに。まるで、誰かに、操られているかのように。腐りかけた幼児の死体で形作られた椅子の上から立ち上がった。朽ち果てた骨の上を歩いていき、この玉座から降りていくための階段のところにまでやってくる。階段の段、その一段一段に、あらゆる人間の絶望的な人生が満たされている。その人生を軽やかに踏み躙るようにして、真昼は下へ下へと降りていく。

 何度か書いたように、この玉座は大体十ダブルキュビトの高さだ。また、一段一段の高さは大体二十ハーフディギトなので、その段の数は五十段ということになる。真昼は、その五十段の階段を、幼い子供が数を数えるかのような透明さによって足踏んでいく。ゆっくりゆっくり、一段を降りるのに一秒以上をかけて。決して急ぐことはなく決して焦ることはなく、ただただ満たされているという幸福感とともに。

 一段目、二段目、三段目。遠くの方では、化け物と化け物とが、互いのことを食らい合うような壮絶な死闘を繰り広げている。十一段目、十二段目、十三段目。アビサル・ガルーダがサテライトの肉の塊を引き裂くと。サテライトはアビサル・ガルーダの傷口に大量の触手を突き入れていく。二十一段目、二十二段目。二十三段目。大地が揺れ、大気が震え、時間と空間とが崩れ落ちていくようなめちゃくちゃな轟音が鳴り響く。三十一段目、三十二段目、三十三段目。それでも、それは今の真昼には全く関係ないことだった。真昼にとって、あらゆる騒音は空の空でしかなく。ただただ何もかもが滅したような静寂があるだけだ。四十一段目、四十二段目、四十三段目。

 ここには。

 あたしと、マラーと。

 その二人しかいない。

 戴冠式の。

 列席者は。

 それで。

 十分だ。

 真昼は……五十段目。とうとう、真昼は、玉座の階段を降り切ってしまった。玉座から染み出している、腐敗した体液が混ざり合った物。その水溜まりが出来ている岩肌をスニーカーで踏む。さあ、さあ、もう少しです。もう少しで、あなたは、あの金の冠を受け取ることが出来る。進め、進め、真っ直ぐに進め。

 ここで一つだけ補足しておく必要があるかもしれない。デニーが作り出して、玉座の周りに張り巡らせているアサイラム・フィールドについてだ。これは、外側から行われるところの危害を防ぐように出来ているのだが。ただし、内側から外側に出ていこうとする何者かを妨害するようには出来ていない。というか、これは、あくまでも境界性でしかないのだ。攻撃的な周波数の影響を受けることによって、初めて現実的な結界となりうるものなのであって。このままの状態ではただの場でしかない。何かを防ぐためのなんらの具体性も有していないのである。

 ということで、アサイラム・フィールドは、その範囲内から出ていこうとする真昼のことをとどめることは出来ないのだ。真昼は、地上に降りてからも。内なる声が導くままに、マラーへと向かって、真っ直ぐ真っ直ぐ歩いていって……とうとう、その境界性を、越えてしまった。

 さて。

 これで、真昼を守るものは。

 もう何も、ないことになる。

 デニーは……デニーは、一体何をしているのか? 真昼が、今まさに、その保護のもとから抜け出してしまったというのに。危険な戦場に足を踏み入れてしまったというのに。保護者であるところのデニーは、どうして、それに対してなんの反応も示していないのだろうか?

 デニーは、気が付いていなかった。真昼がアサイラム・フィールドの外に出てしまったこと。それどころか、真昼があの椅子から立ち上がったことにさえ全く気が付いていなかったのだ。なぜというに……目の前で繰り広げられているどんぺけちゃかちゃかお祭り騒ぎ、常識ぶっちぎりで繰り広げられるサテライトのはちゃめちゃ無尽さに、けらけらと大笑いするわ、ぱちぱちと手を叩くわ、それはもう大はしゃぎしていて。完全にそれどころではなかったのである。

 玉座の階段。

 その上に浮かんでいる。

 自分の身体の。

 すぐ真下を通っても。

 気が付かないほどに。

 そもそもの話として、デニーにとって、このようなことが起こるということは想定外だった。これは今までのように「想定はしていたのだが確率は低いと思っていた」というようなアレではない。本当の本当に想定していなかったことなのである。

 なぜというに、それには二つの理由がある。まず一つ目として、デニーは……真昼の精神が粉々に砕け散ってしまったということを理解していた。デニーにとってのホモ・サピエンスなど、人間にとっての虫けらに等しいものであって。精神も何も、そんなものはあってないようなものなのだが。とはいえ、それでも、カリ・ユガによってマラーが噛み砕かれた時に、同じように真昼の精神も崩壊してしまったということくらいは気が付いていた。なんでそうなっちゃったのかな? とっても不思議だね! ホモ・サピエンスは肉体的に脆いだけでなく、精神的に破綻しているので、ちょっとしたことですぐに壊れてしまう。なんにせよ、今の真昼は、単なる人形のようなものだった。非常に安全に持ち運ぶことが出来る人形。中には何も入っていない、肉と骨とで出来た人形だ。そうだとすれば、人形が、自分から動くはずがない。人形が、自分から、アサイラム・フィールドの外に出ていくはずがない。

 また、もし、例え、真昼の中になんらかの欠片が残っていて。その欠片が、自分という生き物に対する嫌悪感から、自殺願望を抱いていたとしても。そういうことはホモ・サピエンスにはよくあることらしいが――デニーには全く理解出来ないことだ――とにかく、そういうことがあったとしても。真昼の肉体には、デニーの魔学式が刻み込まれている。この魔学式は、被術者に対する、いわゆる自殺防止機構が組み込まれていて。いや、それどころか、被術者が自らに対していかなる危害を加えようとしても、そういったあらゆる自傷行為を強制的に停止させる効果を有しているのだ。これまでにも、真昼ちゃんは、色々な危険なことに自分から飛び込んでいったので。今後もそういうことがあったらとってもたいへーん!ということで、念のために、そういった魔法も付け加えておいたのである。だから、真昼が自分からこの危険な戦場に飛び出そうとしても。魔学式によってその行動は阻止されるはずなのだ。

 しかしながら。

 真昼は。

 実際に。

 フィールドの。

 外部に。

 足を。

 踏み出した。

 一体なぜか? デニーはなぜ間違えてしまったのか? まず、一つ目の理由は、ホモ・サピエンスの精神的な不完全性について、デニーが侮り過ぎていたという理由が挙げられるだろう。確かに、ホモ・サピエンスはちょっとした論理さえきちんと完成させることが出来ない白痴だとは思っていたのだが。ここまで乱雑な生き物であるとは思っていなかったのだ。

 真昼の精神は破綻した。ということは、そうなるだけの理由があったということである。デニーちゃんには、ホモ・サピエンスの考えていることなんて何がなんだかさっぱりなのだが。これだけ粉々に砕けたということは、その理由はそれなりに(本人としては)重要なことなのであって、それは、そう簡単には解決することがないだろう。デニーはそう考えていた。とてもとても重要な問題によって崩壊した真昼、その内部には、もう何も残っていないと思っていたのだ。

 それが勘違いだった。まさか、真昼にとっての問題が、ここまで些細なことであって。ここまで簡単に解決してしまうとは思っていなかったのだ。というか、そもそもデニーにとって「内心の問題」なるものは存在しないのである。デニーにとって、問題というものは、常に自分の外部に存在しているのであって。外部になんらかの変更を加えない限り解決しないものなのだ。だから、真昼の問題が真昼の内部だけで解決してしまう性質のものだなんて考えもしなかった。

 そして。

 もう一つの。

 理由がある。

 確かに、真昼は、デニーの魔学式によって自分の愚昧さから守られている。デニーの魔学式がその身体の上に刻まれている限りは、自分で危険だと思っていることを自分の意思で行うことは不可能だろう。そして、デニーの魔学式は、神々と同じくらいの精神力を持つ者でなければ消し去ることなど出来ない。

 もちろん、五人のテロリストの誰であったとしても、それほどの精神力を持っているわけがなく。ということは、真昼は、絶対に、危険な行為を行うはずがないのだ。普通に考えれば、フィールドの外に出るというのは、危険な戦場に自分自身を晒すということであって。そのような行為は出来ないはずである。

 これは、非常に正しいように思われる。

 ただ、一点だけ、脆弱性を有している。

 それは。

 今の真昼、フィールドから足を踏み出した真昼は。

 その行為を、危険と考えてはいないということだ。

 真昼は、それが危険なことだなんて夢見心地の夢の夢にも思っていないのだ。だって、真昼には、戦場で起きていることの何も見えていないから。アビサル・ガルーダのことも見えていないし、サテライトのことも見えていない。そこら中で爆発している魔学的エネルギーの大音響にも気が付いていなかったし、引きちぎられた傷口から流れ落ちるサテライトの体液の腐臭にも気が付いていなかった。

 真昼はここが戦場だということさえ気が付いていなかった。真昼にとって、ここは……いや、ここという空間は、真昼にとってどうでもいいことであった。今という時間についても真昼は関心がなかった。ここには、もう、空間だの時間だのという邪魔なものは存在していなかった。真昼にとっては、真昼自身さえも、ふわふわと曖昧な輪郭に過ぎなくなっていて。実在するもの、実存するものは、たった一つだけ。そう、目の前で、微笑んでいる、真昼のための冠を持って微笑んでいる、マラーだけ。

 いや……ちょっと待て? それはおかしい。真昼は、全然、気が付いていなかったが。それは明らかにおかしいことだ。なぜなら、マラーは、とっくにカリ・ユガによって食い殺されていたからだ。正確には死んだわけではなく取り込まれただけであるが、なんにしても、マラーは、真昼の目の前でぐちゃぐちゃに噛み潰されて。肉の残骸と骨の断片と、それをべとべとの血液にまみれさせたものになったはずである。

 ということは、あれが、本当のマラーであるはずがない。よく考えろ、よく考えろ。あれは……そう、マラーではない。テレビの画面に映し出されたマラーの映像に過ぎないのだ。そして、もっともっとインポータントな事実がある。

 それは。

 そのテレビの画面。

 モニター画面、は。

 つまり。

 カレント。

 だったと。

 いう。

 こと。

 はははっ……ああ、そう、愚か。これらの全ては真昼にとっての救いなどではさらさらなく、要するにプランCだったのだ。全部、全部、エレファントによって作り出された十分の間に、カレントが実行した作戦に過ぎなかったのである。

 これは、いわゆる「涅槃のダウンロード」と呼ばれるパターンである。非常に単純で、しかも効果的な洗脳の一つだ。普通、人間のような下等知的生命体は、その不完全さゆえに悩みを抱いているものだ。どんなに強くても、どんなに賢くても、悩みからは逃れることが出来ない、なぜなら、人間の精神というものは、その構造上、悩みを持ち続けるように設定されているからだ。全然悩む必要がなくても、何かしらの悩みを作り出して悩み続けるように、そう出来ているのである。

 さて、そして、あらゆる悩みは自分というものについての悩みだ。つい先ほどまでの真昼のように、自分なんてどうでもいい、誰かのことを助けたい、そういう悩みであっても。それは、つまるところ、「誰かを助けることが出来ない他ならぬ自分」についての悩みなのである。

 ということは、あらゆる悩みは、その自分というものがなくなってしまえば消え去るような性質のものなのだ。「涅槃のダウンロード」はこの性質を利用したものである。

 そもそも、人間のような関係知性にとって、自分というものはある種の関係性でしかない。つまり、人間が自分自身だと思っているものは、自分自身と何かとの関係性の集合体でしかないのだ。自分自身について考えている時でさえ、それは主体としての自分自身と客体としての自分自身との関係性でしかない。ということは、この関係性にまで解体してしまえば、自分というものは、少なくとも確固とした実在・実存ではなくなる。

 これは当たり前のことだが、なかなか気が付きにくいことである。無論、自分という定義が人間という不完全性の中で整合的かつ論理的な明確さを獲得していない以上は、これは言語的な詐術に過ぎない無我であり、実際は、このように考えたところで自分自身というものはなくなってなどいないのだが……とはいえ、悩みは、人間を、どこまでもどこまでも低能にする。

 それが偽りの救いであったとしても気が付くことはない。というか、偽りでも構わないのである。その瞬間だけでも、救われた気分になれるならば、なんでもいいのだ。

 これをカレントは利用する。それが救いであるかのように見せかけて、「自分などというものは有り得ないのだ」という考えを相手の精神にダウンロードするのである。

 ここまで書いてこなかったが、実は、カレントは、流れを読み取るだけではなくある程度それに介入することが出来る。もちろん世界全体の可能性の流れのような巨大なものに介入することは出来ないが。個々の精神の流れ、特に人間のような生き物の流れであれば、少しくらい影響を与えることが出来る。

 真昼の精神の流れを読み取って、その悩みの性質を理解して。その方向性に加工した無我を一滴、真昼の精神の流れに落とす。すると、縋りつけるものならなんでも縋りつきたいほどに追い詰められていた真昼は、疑いもしないで、その偽物の救いに飛びついたということである。ニルヴァーナ、欲望の火が、瞋恚の火が、愚昧の火が、その焚物である自分自身とともに燃え尽きる。

 真昼は、当然ながら、自分という感覚を放棄することになる。すると、カレントが思いのままに操ることが出来る操り人形が出来上がるということだ。そもそも、人間が何かに反抗するのはそこに自分というものがあるからである。自分がするべきだと思っていることに合わない何かを押し付けられることに対して反抗するのだ。ということは、無我の状態の人間は何者にも反抗することがない。それに……何かを危険だと思うということもない。壊れるべき自分がないのに、どうしてこの世界に危険があり得ようか?

 と。

 いうことで。

 真昼は。

 ただ。

 ただ。

 その。

 戴冠。

 を。

 ところで、これで、真昼がなぜフィールドの外に出たのかということは理解出来たのだが。肝心な疑問がまだ残っている。それは、なぜエレファントがあそこまでして十分という時間を稼いだのかということだ。カレントがその十分の間にしたことになんの意味があるのかということだ。もっと端的にいうならば……プランCとは何かということだ。

 その十分は、真昼をフィールドの外に誘い出すために必要とした十分であった。それでは、そのように無防備になった真昼をどうするつもりなのか? 五人のテロリストの目的は、最初から最後まで一貫してたった一つである。全てはその目的のために計画されたことであって。つまり、それは、砂流原真昼の捕獲だ。

 プランCはこのようなものだった。カレント以外の五人がデニーの注意を引き付けておく。そして、そのうちにカレントが真昼に「涅槃のダウンロード」を行う。そうして、フィールドの外側に出てきた真昼、無防備な真昼のことを……デニーが気が付かないうちに、サテライトの衛星の一つがこっそりと掻っ攫う。

 その後で、真昼と、真昼のことを攫った衛星とは。レジスタンスによって感覚妨害迷彩を纏わされて。そして、プレッシャーによって減圧されて、可及的速やかにREV.Mの拠点にまで運ばれる。残された五人のテロリストは、頃合いを見計らって、やはりレジスタンスの感覚妨害迷彩によって戦線を離脱する。

 理論上は、完璧な作戦だ。事実、途中までは、これ以上ないというくらい上手くいっていた。実際に、真昼は、御覧の通りの有様だし。そのことについてデニーは全然気が付いていない。後は、サテライトが作戦通りに動けばいいだけだ。

 しかしながら。

 ここで。

 一つ。

 問題、が。

 出てくる。

 そう、それは些細な事件に過ぎないはずだった。いつものことだ、サテライトが馬鹿なことをするなんて。当たり前のことで、わざわざそのことについて考える必要もないようなこと。だが、それが、まさに、今、重大な大問題として立ち上がってきた。

 ということで。

 もう一度。

 時間を。

 遡って。

 エレファントが再構成した直後。

 エレファントとプレッシャーと。

 二人のことを見ていこう。

 なんだか時間軸が行ったり来たりで落ち着かないなって思う? 思うよね? いやー、あはは、申し訳ありませんね。関係者が多いもんで、それぞれの立場を追ってくとこうなっちゃうんですよ。まあ、まあ、ちょっくら付き合ってやって下さい。

 プレッシャーは、暫くの間、横たわっているエレファントのお腹の辺りにぎゅっと抱きつくみたいにして寄り掛かって。エレファントに背中を撫でて貰いながら、ぐしぐしと泣き続けていたのだけれど。ふと、エレファントが身じろぎしたことに気が付いた。そりゃまあエレファントだって生きてるんだから身じろぎくらいするだろうが、そういう意味ではなく、どうやら起き上がろうとしているようだ。

 「プレッシャー、すまないが……」「あ、すみません!」、プレッシャーが慌てて寄り掛かっていた体を離す。エレファントは、自分の落下時の衝撃で抉れた岩肌に手をついて上半身を起こす。一体どうしたのだろうか? そりゃまあエレファントだって(以下略)上半身を起こすくらいするだろうが、そういうことではなく、どうやら……何かを見ているらしい。何か、遠くの方にあるものを。そして、その口が開く。

 「不味いな」。もちろんエレファントのことなので、その声になんらかの感情が含まれていたというわけではない。ただ事実を淡々と述べたという感じだが、とはいえ、それでもエレファントがこのようなことを言うのは滅多にないことだ。「どうしたんですか、姐さん」「ハッピー・サテライトが……」。

 と、そこまで会話が進んだ時に。かなり離れた場所、数エレフキュビトは離れているだろう場所から、絶叫が聞こえてきた。読者の皆さんは、もう、その絶叫が誰のどのような叫び声かご存じですよね? そう、サテライトの「嘘だああああああああああああああああぁぁぁぁっ!」という叫び声だった。

 突然の大きな音に「わあっ!」と驚いたプレッシャーは、振り返って、エレファントが見ている方に視線を向けた。遠く遠く、アビサル・ガルーダが膝をついている場所。そのすぐそばに……何か、点のようなものが見えた。本当に小さな小さなゴミみたいなものが、アビサル・ガルーダから十数ダブルキュビトの距離、斜め上の辺りに浮かんでいて。それは、よく見ると人の形をしていた。

 「サテライトの姐さん?」。そう、それはサテライトだった。「あんなとこで何して……」と、プレッシャーがここまで言いかけた時。唐突に、その点が膨れ上がった。というか、爆発した。プレッシャーの口から「ひえっ!?」という声が漏れる。

 サテライトの体が、自然法則の観点から考えてあり得ない速度で膨張していく。しかも、その姿形は……これについても、読者の皆さんはご存じですよね。それは明らかに人間のものではなく、悍ましく歪み、惨たらしく捻じれた、肉塊の銀河。

 「え? あれ、なに、どうして、どうした?」何が起こったのかということがマジで全然分からず、混乱し過ぎて変な口調になってしまったプレッシャー。サテライトの方を指差しながら、エレファントに問い掛けた。問い掛けられたエレファントは、それに対して答える。「ハッピー・サテライトが冷静さを失った」「冷静さを? そんなのいつものことじゃないっすか」。あまりにも何もかもが分からなくて、かえって素で言葉を返してしまったプレッシャーなのであった。

 エレファントは、少し考えてから答える。「普段のハッピー・サテライトは、ハッピー・サテライトなりに、出来る限り冷静さを保った状態でいる。ハッピー・サテライトにとっては、あのように振る舞うだけでもぎりぎりの均衡にある。今のサテライトは、そのぎりぎりの均衡が崩れた状態だ」。

 プレッシャーは、その答えに対して何がなんだか分からないという顔でぽけーっとしていたが。ちょっと時間が経って、ようやく事態が飲み込めたような顔をした。「え? じゃあ、つまりあれがサテライトの姐さんのナチュラルな感じってことですか?」「そうだ」「なんか、えーと、すげーな」。

 もっとこの雰囲気に適切な表現はなかったのかよという感じだが、それはそれとして、プレッシャーは言葉を続ける。「でも、なんでサテライトの姐さんは……あの、その、つまり……ああなっちゃったんですかね? そんな、急に、一体どうして」「恐らく、私が死んだと勘違いしたのだろう」「え?」「私が死んだと思い、冷静さを失った」。

 「でも……」と言ってから、プレッシャーは、その先をどう言っていいのか分からずに言葉を止めた。やがて、また口を開く。「エレファントの姐さんは生きてるじゃないっすか」、なんだか当たり前すぎて馬鹿みたいだ。

 それに対してエレファントが言う「お前が減圧した時に、私の姿はハッピー・サテライトの眼前から消失した。それが、セミフォルテアの爆発によって跡形もなく吹き飛ばされたように見えたのだろう」「な、なるほど」。

 確かに、自分がサテライトの立場にあったとしたら、エレファントが死んだと思ったかもしれない。そう思ったプレッシャーは、なんだか妙に納得してしまったのだったが、今度は別のことが気になってきた。エレファントは、不味いな、と口にした。それはどういうことなのか?

 プレッシャーもだんだんと落ち着いてきたので、思考過程をエレファントに頼りっぱなしになるのではなく、自分で考えてみようと思った。エレファントがこういう表現をするのは、どう考えても作戦についてのことだけである。エレファントの価値判断の全体はREV.Mという組織の成功にかかっているからだ。ということは、よろしくないのは作戦についてであって……と、ここまで考えた時に。プレッシャーの中で、ようやく繋がる。

 「え? あ! サテライトの姐さんがあれじゃ、砂流原真昼の捕獲が……」「そういうことだ」。要するに、サテライトが、あそこまで人間的な理性を手放した状態になってしまっては。まともに作戦を遂行することなど出来るはずがないのだ。というか、それどころの話ではない。作戦そのものを覚えているかどうかということさえ怪しいくらいである。

 「わあ、どうしましょう!」と、思わず頭が悪いことを口走ってしまったプレッシャー。ぱっと、勢い良く立ち上がる。サテライトがいる方向に向かって二ダブルキュビトか三ダブルキュビトか、その程度の距離を走ってから……両方の手のひらを口の横に当てて。それを拡声器みたいにして叫ぶ。

 「姐さん、姐さーんっ!」無慈悲な戦場に、必死の呼びかけが空しく響き渡る。「サテライトの姐さーんっ! エレファントの姐さんは生きてますよーっ! こっち向いて下さーいっ! ほら、全然生きてますよーっ! お願いですから冷静になってくださーいっ!」。

 こんな遠い場所からでは聞こえるかどうか怪しいくらいだし。それに、サテライトは既にアビサル・ガルーダに攻撃を仕掛け始めていた。アビサル・ガルーダに全身を固定して傷口に吸痕牙を突っ込み始めていたということだ。当然ながら、その周囲では、次々とアビサル・ガルーダに激突する衛星達の爆発音が鳴り響いていて。あらゆる音声は掻き消されてしまっていた。

 そもそもの話として、聞こえていたとしても、今のサテライトがそれに耳を貸す状態ではないということは明らかだった。今のサテライトは人語を解せるような状態ではない。というか、「理解」などという段階にはないのである。

 たぶん生きているエレファントの姿を目の前にしても、それが意味することを理解することは出来ないだろう。今のサテライトに残されているのは、最も原始的な衝動。つまり破壊と殺戮とへの衝動だけである。どうしようもない。

 「駄目だ、全然こっち見てくんない」。プレッシャーは振り返ってエレファントに言う、「このままじゃヤバいっすよ……」。そう、このままではよろしくない。エレファントもそれは分かっている。だから、エレファントは口を開く。ただし、プレッシャーにではなく……「カレント、聞こえるか」。

 「ええ、聞こえてます」。ブリッツクリーク三兄弟は、以前にも書いた通り、カレントによってある程度のリンクで結び付けられている。なので、特に精神的に集中などすることをしなくても、自然と思考を共有することが出来る。もちろん、カレント自身は、奥の奥、一番深いところに、誰にも開けることが出来ないように鍵をかけた黒い箱を沈めているのだが……とにかく、その三人は、ほとんど精神的に一体になっている。

 しかしながら、エレファントとカレントとは別にそのような絆で結び付けられているわけではない。とはいえ、カレントは精神の流れを読み取ることが出来るのであって。そして、それに干渉することも出来る。ということで、ある程度の集中があれば、このように遠距離間でも会話することが出来るのだ。もっとも、双方向の会話をするにはかなりの集中力を割かなければいけないので、戦闘中はほとんど役に立たないのだが。

「状況は理解しているな。」

「まあ、それなりには。」

「対処可能か。」

「今やってますよ。」

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