第二部プルガトリオ #42

 さて、マコトは。もちろん、その全てを計算した上でそう書いていた。マコトは、別に、自らが絶望していたからそのような呪いを世界中に撒き散らしたわけではない。そうではなく、他人を絶望させるためにそれをしたのだ。マコトは、マコト自身は……サヴィエト侵攻の前線で起こった出来事から、何一つ精神的な欠損を受けていなかった。それどころか、完全に冷静なまま、自分が経験した全てのことを思い返して。まあまあ面白かったかなと、その程度の感想を抱いただけであった。マコトは確かに傷付いていたが、それは物理的な傷だけ、頬のその傷だけであった。

 それでは、なぜマコトはそんな筆致でルポタージュを書き上げたのか? いつもの、あの熱量を封印して。機械仕掛けの死刑台のような冷たさによってそれを書き上げたのか? 理由は簡単だ、エスカリア政府に気を使ったのである。

 今回の戦争は……エスカリアにとって、最低の失敗であった。人員の面においても金銭の面においても、これだけの犠牲を出しておきながら。手に入れたのは、傀儡に過ぎないテロ組織のメンバーだけだった。そして、それだけではなく、世界的な評判……サヴィエトという巨大な権力に立ち向かう抵抗者、差別され続けてきたスペキエースがやっと手に入れた理想郷、そういった評判さえも失いかけているといった状態になってしまった。

 そのためエスカリア政府としては、マコトに対して、今回の戦争についてのことを何が何でも肯定的な記事として描き出して欲しかったのだ。いや、マコトが経験した地獄のことを考えれば、肯定的な記事を書いて貰うのはさすがに無理だとしても。せめてそこまで徹底的に罵詈雑言を叩きつけないで欲しかった。もしも、マコトが、第一次サヴィエト・エスカリア戦争の時にサヴィエト側のことを批難したのと同じ調子によって、今回の戦争におけるエスカリアの行動を批難したのならば。恐らく、エスカリアは……世界的な糾弾・世界的な制裁にあって、国家として成り立たなくなってしまうだろう。既にエスカリアにとって、マコトという人間はその生殺与奪を握る人間となっていた。そして、マコト自身も、それを完全に理解していた。

 勘違いしないで欲しいのだが、マコトは恩義などというものを感じるような人間ではない。そもそも何度も何度も書いているようにマコトには良心というものが欠如しているのだ。マコトは(ある一つの例外を除いて)その全ての判断を、自分の利益になるか不利益になるのかということを天秤として下す。そして、マコトにとっての利益とはそれが面白いということである。マコトが、いくらエスカリアに良くして貰ったのだとしても――特にレオナ・ペッツには娘同然の扱いをして貰っていたのだとしても――それが、マコトに対して、何も利益をもたらさないものに成り果てれば。マコトはなんの躊躇いもなく切り捨てるであろう。

 例えば、これがワトンゴラであったならば。マコトは、一つの躊躇もなく、その集団の滅びに繋がるようなルポタージュを書いていたに違いない。というか、その後、実際にマコトはそれを書いたのだ。そして、マコトがそれを書いたからこそ――ワトンゴラに単身で潜入して、ム=フィニ・ベインガがアフォーゴモンに流した動画の裏付けとなるような記事を書いたからこそ――ワトンゴラ・パーセキューションが始まったのである。その際に、マコトは、ワトンゴラ上層部(その中には当然デニーもいた)から取材のためにかなりの便宜を図ってもらったのだが。それでもマコトは記事を書くことをやめはしなかった。

 なぜなら、ワトンゴラには(正確にいうとパンピュリア共和国を始めとする先進諸国がスペキエースに対する実験を行うために傀儡として打ち立てたワトンゴラ政府には)未来がないと確信していたからだ。ム=フィニ・ベインガの動画が流出した時点で、ワトンゴラは終わってしまったのだ。確かに、マコトが記事を書かなければ、その動画の真偽がはっきりと明らかになることはなかっただろう。その状態であれば、もしかしたら、あのパーセキューションのような革命は起こらなかったかもしれない。だが、それでも、世界的な圧力は避けられなかっただろう。そうなれば、ワトンゴラに手を突っ込んでいた先進諸国は、間違いなくその手を引っ込めるに違いない。そして、後援者を失ったワトンゴラは……一瞬で崩壊することはなくても、ゆっくりゆっくりと滅亡への道を歩むより他になかったはずだ。

 しかしながら、エスカリアはそうではなかった。エスカリアは、未だに、国家の終焉からは遥か遠いところにいた。例えばエスカリアは豊富なスペキエース関連の技術を保有していた。しかも、そういった技術を、他の集団に流出させることなく。鉄壁の……いや、まさに白イヴェール有機金属で作られた壁のごとき強固さによって、独占していたのだ。いくら先進的な技術を開発しても、ワトンゴラのように、支配者たる先進諸国に流出させてしまっては意味がない。エスカリアは、そのことを重々承知していた。だから、いくら、先進諸国からの援助を受けていたとしても。それでも、決して、その知識を手放そうとはしなかったのだ。黒イヴェール合金の合成技術や、科学的なテレポートの技術、あるいは偶有子に関するバイオ技術に至るまで、エスカリアレベルの技術は、世界中のどこを探しても見当たらないほどだ。ということは、少なくとも、これらの技術を独占している限りは安泰だということである。

 他にも理由はいくらでもある。例えば、人間至上主義過激派諸国と人間至上主義穏健派諸国との対立を上手く利用して、自国の立ち位置を確立していたということ。例えば、自国内の反対勢力(主にスペキエースではない人間)を徹底的に迫害することで、国家としての一体性を確保出来ていたということ。そういった理由から、マコトは、自分が批難的な記事を書かない限りは、エスカリアは今回の戦争を持ちこたえることが出来るだろうと読んでいた。

 となると……問うべきなのは、そうして生き残ったエスカリアがマコトの役に立つのかということだ。もちろん、もちろん役に立つ。エスカリアは、第二次サヴィエト・エスカリア戦争が終わった時点において、ほとんど唯一、マコトが中枢部まで食い込むことが出来ている集団だった。もしも、ここでマコトがエスカリアに対して大きな大きな恩を売っておけば。今後、マコトが、他の国々に対して取材交渉を行うことになった際に。エスカリアは、非常に力強い後ろ盾となってくれるだろう。

 そして実際に、そういったエスカリアの後ろ盾によってマコトは国際社会におけるデビュタントを果たすこととなったのだが。それはともかくとして、マコトは、エスカリアについて、まだまだ利用価値があると考えていた。だからエスカリアに対するあからさまな批難を行うことは避けたのだ。

 とはいえ、全く批難しなければ、それはそれで問題が起こってくる。今回の戦争は、どんなすちゃらかぼんちきが見ても、エスカリアによる侵略戦争であるということは明白であった。まあ、サテライトとかが見たら、その類まれなる低能さとスペキエースへの過大なる肩入れとが奇跡のコラボレーションを引き起こし、そういった明白な点を見落とすことがあるかもしれないが。とにかく、ここで、下手にエスカリアを持ち上げるような記事を書けば、マコトの名声にちょっとした泥が付きかねない。

 そもそもの話として、マコトが有名になったのはエスカリアのおかげなのである。マコトの記者生活は第一次サヴィエト・エスカリア戦争によって始まった。当然ながら、マコトの記者としての評判には、常にエスカリアという国家が付き纏っていた。記者として次のステップに進むためには、ここら辺で、そういった印象を振り払う必要があった。

 何がいいたいのかといえば、今回の事件は大きなチャンスだということだ。ここでエスカリアの行動を批難する記事を書けば、ここで今回の戦争は侵略戦争だったという記事を書けば。マコトは、エスカリアの御用記者という印象から抜け出して、反権力のジャーナリスト・人権派のジャーナリストとしての確固たる地位を築くことが出来るだろう。

 要するに、マコトは、両立させる必要があったということだ。エスカリア政府に対する恩を売るということと、ジャーナリストとしてのステップアップを図るということ。この二つをどうにかして同時に行わなければいけなかった。そして、その方法こそがあの絶望的な書物だったのである。

 『冷血の中で』は、それを理解出来る人間が読めば――もちろんそんな人間はこの世界に僅かしか存在しないのだが――比類なき芸術作品であるということが分かるだろう。それに匹敵するものがこれまでに生まれたことがなかったし、それに匹敵するものがこれから生まれることもないだろう。つまり、空前絶後の「政治的芸術」、それが結晶したものだということだ。

 もちろん、いうまでもなく、マコトはこの戦争が紛れもない侵略戦争であったということを明らかにした。マコトが、ジャーナリストとして手に入れられた限りの情報。関係者からの証言、匿名の提供者から手に入れた内部資料、現地住民へのインタビュー。それから、もちろん、当時の空間戦略学的状況に対する、ぞっとするほどに、非人間的なほどに、正確な分析。マコトは、仮借の欠片もない筆致によって、エスカリア政府が起こした戦争の侵略的側面を暴き出した。

 しかしながら……マコトは、そのことについて一言たりとも指弾を行うことはなかった。あくまでも第三者的な・傍観者的な態度に終始して、ただただ真実を暴露しただけであった。そして、より一層重要なことは次のようなことだ。つまり、マコトが暴き出したのはエスカリアの非情さだけではなかったということ。サヴィエトの非情さもまた、その本が暴き出したことだったのだ。

 マコトが話を聞いた、エスカリアの諜報機関に所属する匿名のエージェントによれば(当然ながらこの情報提供者をマコトに会わせたのはエスカリア政府だったのだが)。エスカリアは、諜報機関を通じて何度も何度もサヴィエトに停戦の申し入れをしていたということだった。それを、サヴィエト側は一度も聞き入れることがなかった。なぜなら、そんなことをする必要がないからだ。もっと、もっと、極寒の地獄にエスカリアが引き摺り込まれれば。サヴィエトは、その分だけ和平交渉を有利に進めることが出来る。慌てて戦争を終わらせてしまえば、その分だけサヴィエトが損をしてしまうから。だから、サヴィエトは、戦争を引き延ばした。

 一般的に考えれば……諜報機関同士のこうしたやり取りを表の世界に対して明らかにしてしまうことは、暗黙の了解に反することだ。エスカリアの諜報機関は、世界中のその他の諜報機関から信頼されなくなってしまってもおかしくない。けれども、今回のケースに関しては。マコト・ジュリアス・ローンガンマンという類稀なるジャーナリストが起こした出来事であって。そして、マコトは……マコトならば、そういった諜報機関の意思に反して関係者を口説き落とし、情報を提供させることが出来るのではないかと思わせるような数少ない人間の一人であった。実際に、ワトンゴラでそれは起こったのだし、月光国でも(あの月光国でさえ!)それは起こったのだから。

 マコトとエスカリアの関係を考えれば、恐らくは、恐らくはエスカリア政府からの情報提供であるということは間違いない。とはいえ、そう断言は出来ない。実際に、エスカリア政府は、この情報提供者を探し出して厳罰を与えると宣言した(もちろん情報提供者が見つかることはなかったが)。そうであるならば……最終的に、エスカリアの諜報機関は、信用をそれほど落とすことなく、この情報をリークすることに成功した。

 これは、サヴィエトにとっては恐ろしいスキャンダルであって。マコトが素っ破抜いたこのニュースは、世界中を駆け巡ることとなった。無論、マコトの本自体は歴史から消え去る運命にあったのだが(当たり前だ)(消え去るように書いたのだから)。マコトの本を読んだ人間のうちの大半は、やはりジャーナリストだったのであって……そこに書かれた情報の幾つか、マコトが特にそれを広めたいと考えていた情報は、瞬く間に広がっていったのだ。

 結果として、エスカリアを侵略者として、ヴィランのレッテルを貼ろうとしていた世論なるものは。冷たい冷たい氷水を一気にぶっかけられたかのような反応を見せた。サヴィエトは、単純に侵略の被害者であっただけではなかった。サヴィエトもやはりこの戦争の悲惨さに加担していたのだ。こうして、この戦争は、単純な善悪二元論では捉えられなくなり……ああ、世論、世論よ。世の人々は、急速にその興味を失っていった。

 もしも片方が悪者であって片方が被害者であるならば。そういう単純な構図ならば大衆というものは熱狂する。なぜなら、自分で判断を行う必要はないからだ。「誰がどう見てもそれが悪いものであると分かるもの」と人から教えられたもの、それをはちゃめちゃに叩きまくるということほど甘美なことはない。政治という行為において(そして人間の行為は全て政治なのだが)最も難しい部分、手に入れられる限りの情報を集めて、内容を精査し、それが善であるか悪であるかを決定するという部分。それを吹っ飛ばして、楽しくて楽な部分だけを享受することが出来るからだ。

 しかしながら、加害者と被害者との双方に善の面と悪の面とがあるということが分かってしまえば。そういう子供じみたことをしていられなくなってしまう。善であるか悪であるか、その判断を行わなければいけなくなってしまう。まあ、世の中に存在している大抵のこと、神国主義だろうがスペキエース差別だろうが環境問題だろうが少数知的生命体虐殺だろうが、本来的にはどちら側の陣営にも言い分があるものなのだが。人間のような下等知的生命体がそのことに気が付くことは少ないのであって……とにかく、大衆は、自分が判断を行わなければいけないとなると。その選択の困難さ・その責任の重大さに、熱狂が、すっと冷めてしまうのだ。

 そんなわけで、サヴィエトの停戦拒否についての情報が広まるにつれて。エスカリアに対する世界的な反感の高まりは、急速に失われていって。最終的には、なんとなく有耶無耶なままになってしまった。先進諸国は、もちろん、サヴィエトに対する侵攻が行われている間は、エスカリアに対してある程度の制裁を行ってはいたのであるが。とはいえ、その制裁も、戦争が終わったことによって解かれてしまっていたので。エスカリアは、ほとんどノーダメージで敗戦処理を行うことが出来たということだ。

 また、そういったことよりも遥かに重要な要素が『冷血の中で』には埋め込まれていた。それは戦争についての状況分析として書かれた一巻ではなく、マコトの個人的体験を描いた二巻にこそ埋め込まれていたものであった。それは、要するに……エスカリアの兵士達が、今回の戦争で、どれほど悲惨な状況に置かれていたのかということだ。

 進めども進めども、町はおろか村の姿すら見つからない。人がいたであろう場所はその全てが破壊され残骸が残されているだけだ。敵の姿はどこにもなく、会戦することさえもままならない。氷に閉ざされた大地をただただ進んでいくことしか出来ないのだ。そんな中で、空腹で、凍傷で、疲労で。兵士達は次々と倒れていき、そして、もう二度と起き上がることはない。時折、夜闇に紛れて、吹雪に紛れて、潜伏していたサヴィエト兵が襲い掛かってくる。当然ながら応戦するのだが、その時には遅く、奇襲によって、何人かの命が失われた後だ。

 マコトは、そういった出来事の全てを描き出した。何一つ余すところなく、死んでいった兵士達の名前、その一人一人の名前を白紙の上に刻み込んだ。真っ白な紙は、まさにサヴィエトの地と同じ色をしていたのであって……そして、その紙に乗せられた文字は、本来ならば名前さえも知られずに死んでいったであろう兵士達のための墓標であった。そのルポタージュは、それを読む者に対してこう告げていた。つまるところ、被害者というのは、サヴィエトでもエスカリアでもない。兵士達なのだ。あの荒野で死んでいった兵士達こそが被害者なのだ。

 いや、まあ、それはその通りなのだが。マコトがそれを読む者の印象に植え付けたかったのは、もちろんそういう綺麗事ではなかった。つまり、マコトが言いたかったのは「エスカリアの兵士達」が被害者だということである。そして、それがどういうことを意味するのかといえば、「エスカリアの兵士達」が理想として戦ったところのその理想は正しかったということだ。

 それでは、その理想とは何か? もちろんスペキエース差別の是正である。被差別者として抑圧され虐待されてきたスペキエースを解放するということである。その当時は……ピープル・イン・ブルーのような理想主義的な革命組織は存在していなかったのだし。スペキエース解放を謳うような集団は、そのほとんどが過激派テロ組織であった。国際社会にとって有害ではないような形でスペキエースがその理想を追い続けているといえる集団は、エスカリアという国家しかなかったのだ。

 ということは、いわゆる人権派知識人と呼ばれるような人々、先進諸国におけるエリート層が、スペキエース解放という理想を肯定するためには、どうしてもエスカリアが必要だったということだ。スペキエース差別の是正こそが善であるという前提の下で、この世界が善なるものであり、自分自身が善人であると、そう確認するためには。どうしても、エスカリアという国家が、そして、その国家を支援しているという免罪符が必要だったのである。

 これこそがマコトが利用しようとしていた「物語」である。そう、マコトは知り抜いていた。この世界においてジャーナリストという権力者になるためには構造を利用しなければいけないということを。それを硬直した正義の構造と呼んでもいいし、偽善の構造と呼んでもいいのだが。とにかく、一度、そういった構造が完成してしまえば、それは、何かしらの外的な要因、戦争・革命・災害・疫病などの巨大な力が加わらない限りは絶対に壊れることがない。内部にいる人間が、それを自発的に破壊することなど、絶対に不可能なのだ。内部の人間は、その構造に従って行動するしかない。だから、ジャーナリストは……マコトは。それを利用することで、自分の思い通りに世界を動かすことが出来る。

 つまり、何がいいたいのかといえば。マコトは、そのルポタージュの二巻においてエスカリアの兵士達こそが被害者であると無言のうちに主張することで、それを読む者の無意識のうちに存在していた「スペキエースこそが善であり、それを差別する人間という生き物は悪である」という定式をエスカリアに有利な形で強化しようとしたということだ。

 いや、というか、この定式が存在している限りはエスカリアは安泰なのだ。仮に、エスカリアがどんな蛮行を働こうとも。そして、その蛮行が世界中に明らかにされようとも。この定式さえあれば、それを、いくらでも誤魔化すことが出来る。なぜなら、この定式こそがエスカリアだからだ。この定式こそがエスカリアという国家の根底部分にある理念だからだ。

 これは、よく誤解されていることであるが。エスカリアが何をしようとも、それは所詮は行動に過ぎない。どういうことかといえば、人間のような下等知的生命体にとって、それは国家理念そのものではないと認識されるということである。つまり、人間にとっては、それは国家が行ったことではないのである。国家を間違った方向に導いている何者かがそうしているだけのことであり、そういった何者かがいなくなれば、すぐに解決可能なことであると、人間はそのように考えてしまうのだ。

 つまり、国家というものは、その理念が否定されない限りは不滅なのだ。どれほどの搾取を行おうとどれほどの虐殺を行おうと免罪される。もちろん、いうまでもなく、先進諸国の人権派知識人にとって利益になる国家でなければ、その免罪は与えられないのだが――つまるところ、この理念という原理は、人権派知識人にとっての自己正当化原理としての役割を果たすということである――幸いなことに、エスカリアは、技術の輸出国としても、良心の輸出国としても、人権派知識人にとって、大変大変利益になる国家なのであって。

 要するに。

 このルポタージュによって。

 エスカリアは、免罪された。

 そんなわけでございまして、以上のようにしてマコトは二つのことを成し遂げたということだ。一つ目は、そのルポタージュによってエスカリア「政府」を批判するということ。二つ目は、そのルポタージュによってエスカリア「国家」を擁護するということ。しかも、そのうちの前者、エスカリア「政府」の批判については、マコトは、更なる仕掛けをルポタージュに仕込んでいた。

 それこそが、あの絶望である。その本に触れただけで心の底から凍り付いてしまいそうなほどの冷酷さ。戦争というものがいかなるものであるか、それを、マクロな視点からもミクロな視点からも、恐ろしいほどの巧緻によって解剖して。腐り切ったorgansの姿を、これ以上ないというほどに克明に描き出したところの、精密機械のように無感情な文章。

 人間にとって、それは卓越したジャーナリズムの極致であった。その一方で、それは……あまりにも惨たらしかった。そこには、一つの希望もなく、一つの正義もなかった。これは勘違いして欲しくないことなのだが、ただ残酷であるだけでは・ただ悲惨であるだけでは、人間という生き物は、それを嫌悪することがない。むしろ、歓喜とともにそれを受け入れることだろう。人間という生き物は、そういう残酷さ・そういう悲惨さを受け入れることが出来るということに対して、何よりも優越感を抱くものだからである。

 人間が、それを嫌悪するのは。そこに、自分が同情する余地がない場合である。そこに、自分という人間が受け入れられる可能性がない場合。自分という存在が、その残酷さ・その悲惨さに対して、傍観者としてさえ求められていない場合である。そういった場合に、その「現実」は、人間にとって、何よりも居心地の悪い場所になる。ただただそこに存在していて、どろどろと膿を吐き出し続ける、回復することのない傷口のようなものになるのだ。

 マコトのルポタージュは、まさにその傷口であった。マコトの描き出す第二次サヴィエト・エスカリア戦争の姿は、読者という存在を、完全に無視し切っていた。読者とは全く関係のないところで進んでいく悲劇であり、読者とは全く関係のないところで死んでいく人々についての話であった。それは確かに絶望であるが、とはいえ、他者の介在を絶対的に拒否する絶望であったのである。つまり、マコトのルポタージュは、「完璧」であったのだ。氷の断崖。一つの瑕疵さえも見当たらない璧、氷のような軽蔑で読者を見くだすような、それほどの完全さだったのである。

 そのようなものを、人間が、記憶に残そうとするだろうか? そのようなものを、人間の歴史が、記録に残そうとするだろうか? するわけがない、人間は馬鹿にされることには耐えられないのである。とはいえ、それが一つのマスターピースであるということは認めなければいけない。はっきりと真実をいってしまえば、そのルポタージュがそういったものであるのは、そのルポタージュが悪いのではなく、読む側が低能であるからなのだから。

 普段であれば……そういったことを全て理解した上で、マコトは記事を書いている。その気になれば完全な記事なんていくらでも書ける、けれどもマコトはそのような記事は書かない。なぜなら、そんな記事は絶対に読まれないからだ。だから、何かしらの脆弱性を記事の中に必ず潜ませておく。それは例えば、反権力に対するいき過ぎた情熱であったり、弱者に対する過剰な支持であったり、そんな感じだ。そして、読者は、その脆弱性を手掛かり足掛かりとしてマコトの記事に(勝手に)共感するのである。

 しかしながら、マコトは、このルポタージュに限ってはそういうことをしなかった。自らの可能な限りの完全性として、一つの極致を描き出したのだ。それには共感する余地もなければ希望を抱く余地もなかった。だから……人々は、マコトが、本当の天才であると認めながらも。そのルポタージュを世界中から葬り去るしかなかったのである。そして、まさにそれこそが、そのルポタージュを読んだ人間がそういう態度をとるようにマコトが仕組んだところの態度だったのである。

 もしもこのルポタージュが、普段のマコトが書くようにして書かれていたのならば。間違いなくそれは、ジャーナリズムの歴史に燦然とその名を遺してしまっていただろう。例え一万セットしか発行されていなくても。それらの本は、公共に資するという観点から、それぞれの持ち主によって世界中の図書館に寄贈されて。そして、有志の手によってデジタル・アーカイヴ化されていたに違いない。本という物理的な形態を脱したその文章は、ジャーナリストにとっての聖典となって、ジャーナリストも、あるいはジャーナリストを志す者も、それを読んでいない者はいなくなってしまったであろう。ジャーナリスト達は、あたかも天気の話でもするように『冷血の中で』の話をするようになっていただろう。

 マコトは、人間にしては珍しく自分自身を客観的に見ることが出来るという性質を備えていたので、それが必ず起こるであろうということを完全に理解していた。そして、それが起こることはマコトが望むことではなかった。なぜなら……もしもジャーナリスト達が一人残らずあのルポタージュを読むことになってしまったら。それは、ジャーナリスト達が一人残らずエスカリア政府に対して反感を抱くということに繋がってしまうからだ。

 あのルポタージュは、先ほども書いたことであるが、エスカリア政府が犯した罪を無慈悲なまでに抉り出してしていた。なぜなら、エスカリア政府が行ったことが侵略戦争であるということは、世界中の共通認識になっていたし。それを覆すだけの力はマコトにはなかったからだ。それならば、むしろ事実をそのまま記してしまった方がいい。そうした方が、その後に書くこと、悪かったのはエスカリア政府であってエスカリア国家ではないということを、より強く信用させることが出来るからだ。

 とはいえ、エスカリア政府が涙さえ凍り付いてしまっているような一匹の怪物であると、そこに書かれていることは事実であって。そして、そういった認識が世界中に広まってしまえば、世界中のジャーナリスト達の無意識に叩き込まれてしまったら。これから先、エスカリア政府が世界という舞台でボールルーム・ダンスを踊る時に、非常に大きな障害となってしまう。

 だからこそ、その本は読まれてはいけなかった。世界中に広がってはいけなかった。あくまでも、マコトによって注意深く選ばれた人間だけに――ここで興味深いことを書いておくべきかもしれないが、予約者のみへの販売であったにも拘わらず『冷血の中で』についての事前発表はほとんどなかった、事前予約をすることが出来た一万人はどこからともなく流れ込んできた情報によってそれが出版されることを知ったのだ――たった一度だけ読まれなければならなかったのだ。

 そうすれば、エスカリア政府が呪われたサンダルキアであるという「事実」は、読んだ者の頭の中にそれほど強く刻み込まれることなく。その一方で、今回の戦争の被害者はまさにスペキエース解放というエスカリアの国家理念だったのだという「印象」は、十分過ぎるほどに読者の頭蓋骨に満たされるだろう。そして、そのような「印象」に満たされた人々は……そうやって、マコトによって都合よく操作された思考によって情報を選択し。そうして選択された情報、つまり、マコトが素晴らしい人権派ジャーナリストであるという情報と、スペキエースは被害者だという情報と、この二つの情報を世界中に広げてくれるだろう。

 これが。

 要するに。

 マコトが。

 したことだ。

 さて、これでマコトの傷についての話は終わりなのだが。最後に一つだけ補足をしておくべきかもしれない。『冷血の中で』について、エスカリア政府は一体どう考えていたのかということだ。確かに、そのルポタージュは、エスカリアの国家理念については擁護する姿勢をとっている。それでも、エスカリア政府が、悪逆非道な侵略者であり、兵士達を使い捨てする冷酷無比な権力者であると、そう書かれているのだ。

 とはいえ、実際のところは……このルポタージュは、マコトとエスカリア政府との、綿密な打ち合わせの下で書かれたものであった。というか、正確に表現するとすれば、エスカリア政府はマコトによって完全に洗脳されてしまっていたといっても過言ではないかもしれない。

 マコトはエスカリア政府にそれしかないと信じさせた。この困難な状況を切り抜けるにはこのルポタージュを出版するしかないと信じさせたのだ。もしもマコトが何も書かなければ、世界中の人々は逆に疑うだろう。エスカリア政府がなんらかの圧力をかけてマコトに執筆を断念させたのかもしれないと。そして、国家の評判にとって、なんの証拠もない噂話ほど危険なものはないのだ。

 一方で、このルポタージュを出版すれば。少なくとも、エスカリア政府が言論の自由に対して寛容であるという姿勢を打ち出すことが出来る。また、それだけではなく、ここに書かれていることは――この物語の中でも散々説明されたように――エスカリア政府にとって、必ずしもデメリットばかりがあるわけではない。むしろこのルポタージュは、世界的な世論を鎮静化させることが出来る。マコトは、エスカリア政府に、そのように吹き込んだ。

 そして、実際に……全ての物事は、マコトがそう話したように進んだ。マコトのルポタージュが出版されてから、世界的な世論は、すぐさまサヴィエト非難の方向に傾いて。そして、ほんの少しばかりエスカリア非難が再燃した後で、特にはっきりとした結論も出さないままに、なんとはなしに立ち消えてしまった。最後に残されたのは、「やっぱりスペキエース差別はいけないよね」という、恐ろしく漠然とした意見の表明だけだった。

 これはエスカリアにとってはダニエルに降り注いだ雨のような奇跡であって。要するに、この事件をきっかけにして、マコトは、エスカリア政府の広報的な扱いから、エスカリアという国家の救世主のような扱いになってしまった。エスカリアは、マコト・ジュリアス・ローンガンマンというジャーナリストを国家的に保護するようになったのだ。

 後々になって、マコトが、エスカリアの人間迫害について素っ破抜いた記事を書いた時にも。マコトには、一切の制裁措置を取らなかった。その件を取り上げた他のジャーナリストに対しては、入国禁止等の非常に厳しい措置が取られたにも拘わらずである。まあ、マコトが書いたこの記事に関しては色々と裏があって……正確にいえば、エスカリアからEUに国外脱出したとある人間から、エスカリアが行っている非道な迫害のことを記事にして欲しいとコンタクトを受けたマコトが、エスカリア側にダメージ・コントロールを持ち掛けたことによって書かれた記事であったのだが。それはそれとしてマコトは、このルポタージュによってエスカリアにおける自分の立場・地位を更に確固なものとしたのだった。

 ちなみに、エスカリアが、マコトに対して愛といっても過言ではないほどの感情を向けているのは。こういう、マコトの救世主的な役割だけが理由ではない。むしろ、それよりも遥かに大きいのが……罪悪感である。

 第二次サヴィエト・エスカリア戦争、確かに、その戦争の前線に行きたいと望んだのはマコトであったが。とはいえ、エスカリアの判断ミスによってマコトに対して地獄のような経験をさせてしまったのは事実である。マコトは、何か月もの間、氷に閉ざされた孤独な世界の中に閉じ込められていたのだし。それに、その左頬には……消えることのない、悍ましい傷が残ってしまった。仮にも、エスカリア建国に際して重要な役割を果たしてくれたところのマコトに、そんな思いをさせてしまったという罪悪感こそが、エスカリアという国家がマコトに対して与えたところの特権、その最大の原因なのである。

 と。

 まあ。

 要するに。

 これが。

 真昼が言うところの。

 一つしかない現実だ。

 さて、ところで……これは、絶対に、絶対に、勘違いして欲しくないことなのだが。マコトがこの話を真昼に対してしなかったのは、というか、誰に対してもこの話をしようとしないのは。決して精神的外傷だとか抑圧された記憶だとかそういったことに起因しているわけではない。マコト自身がそう口にした通り、本当に、ただただ単純に、この話が面白くないと、そう思っているから。だからマコトはこの話をしないのである。

 一体全体、少し前にも触れたことなのだが、マコトの心は一欠片として傷付いていない。マコトは傷付くような心など持っていないからだ。体中が凍り付いてしまうような吹雪の中で、生き残れるのかも分からないまま日々を過ごすという経験をしても。数か月の間、何もない荒野の真ん真ん中で、たった一人でいたとしても。他人の死体を食べようとも、自分の糞尿を食べようとも、最後の最後には、何も食べるものがなくなって、自分の頬を引き裂かなくてはならなくとも。そんなことは、マコトにとって大したことではない。要するに、他人事なのだ。マコトにとって、この世界の全ての出来事は、所詮は他人事に過ぎないのである。スクリーンに映し出されただけの悲劇が、どうして人の心を傷付けることがある? 結局のところ、マコトにとっての現実は、この世界にたった一つしか存在しておらず。そして、その現実は、既に終わってしまったものなのである。

 マコトが。

 その話を面白くないと言う時には。

 その言葉には、二つの意味がある。

 一つ目の意味は……非常に根源的な話になってしまうが、話の全体が全く面白くないということだ。いや、だってですよ。ここまでの話をお読みになって読者の皆さんは面白いと思われましたか? 正直、一っつも面白くなかったでしょう? この話のプロットには基本的には二つの部分しかない。何もない荒野をただひたすら歩いていく部分と、氷の空間に閉じ込められて何も出来ない部分。どちらの部分にも、何一つとして、ドラマティックなセンセーショナルがないのだ。歩いているか眠っているかそれだけ。あとは、ただただ解説・解説・解説が続くだけ。そんな話は面白くないのだ。そして、マコトにとって、面白くないというのは面白くないということである。つまり、それは、私達にとっての「偽」だとか「悪」だとか「醜」だとか、そういったことなのだ。

 それゆえにマコトはその話をしない。その代わりに、ドラマティックかつセンセーショナルに脚色された嘘を口にする。真実に……真実になんの意味がある? それが面白くないというのならば。それが退屈である時、マコトにとって、真実などなんの価値もない。いや、それ以前の問題である。そもそも真実はそうあるべきではなかったのだ。その真実は正しくない、間違っている。だから、マコトは、そうであるべきだった世界を作り出す。それは確かに嘘であるが……少なくとも真実よりはましである。

 そして、二つ目の意味であるが。こちらは、もう少し複雑な理由になってくる。マコトの傷は……まあ、見て貰えば分かると思うのだが、この通り、めちゃめちゃ目立つ。だから、会う人会う人に聞かれるのだ、「その傷はどうしたんですか?」と。例えば真昼などは、月光国の、しかも夜刀浦の人間であったので。そういったプライベートな話に踏み込むのはよくないという教育を受けていたのではあったが……とはいえ、そういった常識はあくまでも各集団における恣意的な常識に過ぎないのだ。もちろん、他の集団においては、マコトの傷について触れることになんの躊躇いもない人々もいるのであって。というか、そういうことについて聞くことこそが思いやりであると考える人々もいるのである。ということで、容赦なく聞かれる。もう天気の話か傷の話かというレベルで聞かれる。そして、マコトは、取材対象の感情を害してはいけないという理由から、毎回、毎回、そういった問い掛けに律義に答えなければいけないのだ。

 んもー、うんざりなのである。何度も何度も同じ話をするのは、いい加減に飽き飽きなのである。だから、こう、新鮮な気持ちを失わないように、傷について聞かれるたびに違う話をするようにしているのだ。そして……残念なことに、現実というのは一つしか存在していない。まあ、マルチバースレベルの視点から見ると、必ずしもそういうわけではないのだが、世間話にマルチバースを持ち出すわけにもいかないので、最終的に、マコトは、その傷について嘘をつかなければいけなくなるということだ。

 閑話。

 休題。

 真昼は、マコトの言葉に……恐怖を覚えた。いや、正確にいえば、それは恐怖ではない。なぜなら真昼の内側には恐怖を感じることが出来るほどに何かが残っていたわけではなかったからだ。それは恐怖のようなもの、恐怖に良く似たもの。真昼の、ほとんど空洞みたいになった心臓を震わせて。そして、凍り付いてしまった涙のようなものが、血液の中を流れていくような感触。

 そう、それは決して恐怖ではない。真昼はマコトのことを恐れたわけではないのだ。マコトの、その冷血は。真昼にとっては――アーガミパータで二日以上の時を過ごした真昼にとっては――むしろ馴染み深いものだった。そうではない、真昼が恐れたのは真昼自身についてであった。真昼の脳裏によぎった、自分の頬を引き裂き、それを咀嚼する、真昼自身のイメージだった。

 なぜ。

 なぜ。

 そんなことを、考えたのか。

 それは真昼にも分からない。

 それでも。

 そのイメージは。

 確かに。

 真昼にとって。

 恐ろしいほど。

 本当のことであって。

 だから、真昼は。街灯の光がぎりぎりで届かないところ、冷たく透き通った闇の中、まるで真昼の影であるかのように、ただただそこに立っているマコトに対して。あたかも、そういったイメージを自分の頭の中から振り払おうとしているみたいにして……更に、無意味な言葉を羅列する。

 「他に」「他に」「食べる物がなかったって」「それは」「一体」「どういうことですか」「あなたは」「一体」「どうして」「そんな」「あなたは」「自分の」「頬を」「そんな」「絶対に」「私は」「そんなこと」「どうして」「どうして」「だって」「私は」「あなたのことが」「ただ」「許せなくて」。

 しかし。

 マコトは。

 そんな真昼の言葉。

 遮るみたいにして。

「ああ、砂流原さん!」

 いかにも、いかにも、作り物じみた陽気さで。マコトは、そう言うと、ぱっと両腕を広げた。右の腕を右の方向に、左の腕を左の方向に、それぞれ突き出して。そして、それは……あたかも、ティンダロス十字に磔されたカトゥルンのようなポーズ。そんなポーズをしたままで、歩き出した。

 その歩き方は、ひどく道化師に似た歩き方であって。滑稽なまでにリズミカルなステップは、さりとて、他人のことを馬鹿にしているというよりも、むしろ自分のことを馬鹿にしているかのようだった。

 そして、マコトは、一人の救いようのない敗北者として舞台の上に上がって。くるっと真昼を振り返った。頬の傷が、生々しいほどの現実として、街灯の光に照らし出されて。そして、マコトは続ける。

「砂流原さん、砂流原さん!」

 パタン、という感じ。偽物の世界が壊れる時・書き割りの光景が倒れる時のような音を立てさせて、マコトは、両腕を下ろした。聞こえた音は、マコトの腕が、マコトの体の両側にぶつかる時の音で。それは、信じられないくらいあっさりとした音だった。苦痛ではない。だが、それならば、それは何だというのだ? マコトの顔に浮かんだ、その表情は。それは、真昼には全く理解出来ないものだった。全く違う生態系の中で進化した、全く異なった生き物。その生き物の鳴き声を聞いているような気がした。

「一つ、アドバイスを差し上げましょう。」

「アドバイスですか?」

「ええ、私からあなたに差し上げることの出来る唯一のアドバイスですよ。」

 マコトは。

 軽く。

 首を傾げる。

 疑問ではなく、理解を。

 真昼に対する、理解を。

 表わすためのジェスチュアとして。

「他人のことなど気にしないことです。」

 それから、マコトは、また歩き始めた。ただし、今度は、進行方向へと振り返ることなく、全身を真昼の方に向けたままで。というわけで、真昼は……マコトと向き合ったままで、その距離を、進んでいくことになったということだ。冷静な夜の距離を。空腹な獣の距離を。あるいは、自分と他人との間の距離を。

 マコトは、今度は、真昼のことを自分の体の中に受け入れようとしているかのようにして、自分の体の前、そっと両腕を開くと。スポットライトに照らし出された者の顔で。未だに奇跡が存在していた頃の世界に住んでいた幸福な人々のようなあの顔で。けれども、それでも、偽物でしかない虚ろな声を言葉する。

「なぜなら、あなたは幸福なのだから。今のあなたは、この世界の誰よりも幸福なのだから。ええ、そうですね、私はあなたの意見に同意します。あなたはそれほどの幸福に値する人間ではないという、あなたの意見にね。しかしながら、全ての幸福はそういうものなんですよ。幸福というものは、あなたがそれに値するから訪れるというものではない。

「あなたはきっと、これまでずっと勘違いしてきたのでしょう。正しいことをしていればいつかは報われると。いい子にしていればご褒美が貰えると。けれども、あなたがどれほど善良であろうとも、あるいは、善良であろうとしても。それは、あなたのもとに幸福が訪れる原因とはなりませんよ。幸福というのは、一つの事故のようなものなんです。特別ではないただの一日の中に、ふいに紛れ込む災厄のようなもの。

「幸福でありたいと思うあなたのその願いは、いつだって、傲慢であって、欺瞞であるんです。例えば……もしも、あなたが、この世界から全ての差別をなくすことが出来たとして。もしも、あなたの邪悪な父親からスペキエースを救い出すことが出来たとして。その結果としてあなたに訪れた幸福に、あなたは満足できますか? そんな退屈でそんな善良な幸福によって、あなたは本当に幸福になれますか?

「不可能ですよ。私が……私が保証します。はっきりと言いましょう。この世界に生きている全ての善き人々は、絶望の底で藻掻き苦しんでいますよ。もしも、もしも、あなたが幸福になりたいと思っているのならば。あなたは悪魔との契約書にサインをしなければいけないんです。なぜなら、それこそが幸福の本質だから。幸福とはあなたの全てを投げ出すことです。黒々とした奈落に、永遠に続く深淵に、あなたの全てを投げ出すことです。」

 真昼の目の前に。

 いつの間にか、それが。

 その姿を、現していた。

 それは……美しい骨であった。真昼の視線の先、何もない夜の空間に向かってずっとずっと続いていく、蛇の脊椎であった。その骨は、湖のこちら側、つまり真昼がいる側から始まっていて。そして、湖のあちら側、優しい死であるかのようにその場所に蹲っている闇の向こう側で終わっている。

 つまりは橋だ。マコトの運転するフライス、その後部座席で見下ろしていた橋。マイトリー・サラスの湖岸から、その中心にある岩山に向かって伸びている、あの橋。それは、近くで見ると、あたかも蛇の骨のような形をしているということが分かる。その橋は、本当に、なんらかの種類の巨大な蛇の骨なのか? それともただの紛い物に過ぎないのか? それは、真昼には分からなかった。

 なんらかの生命体がその上を渡っていく部分、橋桁及び橋板の部分は、脊椎であって。そして、湖に突き刺さる肋骨のようにして橋脚がそれを支えている。もちろん、脊椎といっても、普通の生物のそれのように、そこまでごつごつとしているわけではない。ちゃんと、人間のような生き物でもその上を歩いていけるように、平面に均されてはいるが……それでも、それが骨のような形をしているという印象を拭い去ることが出来るわけではない。

 そして、その橋は、空から見下ろした時に見たあの姿と同じように光によって照らし出されていた。いや、というか、その橋自体が光なのであった。その橋は、実際のところ、人間の物質的な手によって取り扱えるような、卑俗な物質によって出来ているわけではない。そうではなく、何か、形而上のエネルギー……神に捧げられた生贄、それを焼き尽くした後に残された骨のように惨たらしいエネルギーで出来ているのだ。

 橋は……こちら側でも向こう側でもない。実のところ、それは境界でさえないのだ。なぜならば、こちら側の世界にとっての境界とはこちら側の岸であり、向こう側にとっての境界とは向こう側の岸なのだから。それは、要するに、誰の観念に属することもない一種の空虚である。闇の中に……無限に塗り潰されたかのような闇の中に、ぽっかりと浮かび上がる空虚。それはまさに、真昼がいるべき場所なのかもしれない。

 まあ。

 そういったことは。

 ともかくと、して。

 その橋は、比較的長い方の橋、つまりは四エレフキュビト程度の長さがあるところの東西方向に伸びた橋であったのだが。その橋のこちら側から二エレフキュビト程度の距離のところに、一つの門が、その姿を浮かび上がらせていた。

 いや、それは……アーガミパータ的な意味における門である。南アーガミパータにおいてゴープラムと呼ばれているたぐいの物。ちなみに、この言葉の中の「ゴー」という部分は「王」という意味を表していて「プラム」という部分は「外側」という意味を表している。その言葉が示す通りに、この種類の門は、非常に地位の高いゼティウス形而上体がまします居場所、その居場所を囲う障壁に設けられるものだ。

 先進諸国に住む人間達が門と聞いて思い浮かべるそれとは、全く異なった形をしている。それはどちらかといえば楼門とでも呼ぶべきものであって、カーラプーラの他の場所に建っているビルディングと何も変わらない、巨大な建造物だ。

 全体的な印象としては……あのストゥーパに近いものがある。あのストゥーパとは、もちろんあのストゥーパだ。ASKのティンガー・ルーム、七人の偽物のマラーと一人の本物のマラーとが閉じ込められていたストゥーパ。一段一段にひどく精密でひどく複雑な彫刻がなされているところのペレムウェス。

 とはいえ、あのストゥーパを横に向かって引き伸ばした感じではあったが。大体において、側面の長さが一とすれば正面の長さが五となるくらいの比率である。その事実が、横から見た時のその平べったさが、この建物がただの建物ではなく、やはりなんらかの意味での門であるということを思い出させる。

 ペレムウェスの一つ一つの段のことを、アーガミパータの建築ではタラと呼んでいる。さて、真昼の目の前にあるその門は、七つのタラに分かれているのだが。一番下の部分は、いわばグランドフロアとでも呼ぶべきものであって、色彩も鮮やかな彫刻がなされているのは上部にある六つのタラだけだ。その彫刻は……カーラプーラにおいて真昼が見てきた彫刻、そのどれよりも凄まじいものであった。スカルプチャーの詳細においても、ティンクチャーの爆発においても、なんらかの精神病の兆候とさえ思えるほどに、限度を超えたものだったのだ。

 それは、なんらかの戦争の光景を描いているらしかった。とはいっても、人間と人間との戦争ではない。ここからでは、遠過ぎてよく見えないのだが……どうも、片方の陣営は蛇であって、片方の陣営は鳥であるようだ。蛇達は、この龍王領に辿り着いてから、真昼が何度も何度も見てきた生き物、四本の首がある巨大な蛇によって率いられていて。そして、鳥達の軍勢を圧倒しているようだった。あたかも燃え盛る炎のような、そんな羽をもった鳥達は、天空から引き摺り降ろされて……最終的に、その戦争は、蛇達の勝利によって終わったらしい。

 そんなタラの上に、いわば屋根とでも呼ぶべきような構造物が乗っている。西洋の建築であればバレル・ヴォールトと呼ばれるだろう半円状の屋根。そして、更に、その屋根の上には、九つのカラサムが載せられている。カラサムとは、要するにアーガミパータ建築における頂華のことであって、花が咲く前の蕾のような形をしている。これらの一つ一つの中に、その地方によって異なるのだが、なんらかの聖なる物質が閉じ込められている。

 そして、最後に、一番下のタラについてであるが。これこそが、この「門」において最も重要な部分、つまり「門」の部分であった。この部分は、他のタラとは異なっていて、戦争のシーンを描いているというわけではなかった。比較的、抑えられたイメージ。武力の暴走というよりも、誇負の表明といった感じ。つまり、戦争に勝利した軍勢が凱旋してきたというイメージだ。

 アーチの左右、アバットメントの部分に刻まれているのは、ユニコーンの行列である。その一匹一匹に、鎌首を擡げ、羽根を広げた舞龍が絡み付いていて。そして、その上を飛んでいるのはグリュプスの群れだった。もちろん人間達の姿も見られた。とはいえ、奴隷のようにして、ユニコーンの行列の後ろから付き従っているだけであったが。

 そして、まさにアーチの部分は。右側と左側とを、空に向かって上半身を掲げるみたいなポーズをとったガジャラチャによって支えられているかのごとく。そんな彫刻がなされた迫元に支えられて。いわゆるフラットアーチとでもいえばいいのだろうか、いかにもアーガミパータらしい、縦長の長方形に開かれた出入口として形作られていた。

 その出入口は、こちら岸から続いている橋を飲み込んでいて。そして、背面から吐き出していた。ただ、なぜか……出入口の内部、アーチの下の部分を見通すことは出来なかった。その橋は、光り輝いているにも拘わらず。その「門」は、光り輝いているにも拘わらず。「門」に飲み込まれた先の空間がどうなっているのかということは、少なくとも真昼の目によっては、それを見ることが出来なかったのだ。

 そういえば……そう、「門」は光り輝いていた。しかも、完全に橋と同じ光り方によって。「門」の全体は、まさにアーガミパータ、目に害を与えそうなほどけばけばしい原色によって塗り潰されていたにも拘わらず。その全体から放たれている光は、まるで純水のように透き通った、透明な光であったのだ。

 ということで、ここまで書けば、読者の皆さんもとっくにお分かりタイムのことと思いますが。この「門」こそが、上空から見た時に光の塊のように見えた建物のうちの一つであった。二つの光の塊は、要するに、東と西と、その双方に開かれたところの「門」であったのだ。

 それでは、その「門」とはどこに入るための門であるのか? 決まっている、カーラに入るための門だ。夜の夜、完全な絶望。この世界の何よりも暗く、この世界の何よりも黒い、あの暗黒の空間に入るための門である。要するに、いい換えるならば……あの岩山への入り口だ。

 さて。

 一つアドバイスをさせて頂きましょう。

 この門をくぐるものは。

 一切の、愛を、信じよ。

 この世の栄光を……光り輝く「門」を背景として。マコトの道化芝居は続いていた。たった一人の観客のために演じられる劇場、真昼のために演じられる劇場。いかにもわざとらしい身振り手振りを交えて、マコトはセリフを口にする。右と左と、両方の人差し指で真昼のことを指し示して。そして、やれやれとでもいうかのように顔の前で両手を広げる。しかしながら、マコトは、決して真昼から視線を逸らそうとはしなかった。そして、真昼もやはり、マコトから視線を離せるわけではなかった。素晴らしい道化師の演技とはそういうものなのである。道化師と観客とは混じり合い、結局のところ、観客は、自分のことを笑うしかなくなる。

 兎。

 兎。

 兎が笑う。

 まるでシットコムに挿入される。

 わざとらしい、笑い声みたいに。

 どこでもない舞台。

 空虚を演じる劇場。

 マコトは。

 こちら側でもあちら側でもない場所。

 絶望のその先で、言葉を続ける。

「あはは……はははっ! あなたは幸福だ。本当に幸福だ。あなたは、この地獄に来ることが出来た。そして、運命の人に出会うことが出来た。あなたがその人によって捨てられることがなく、あなたがその人のことを捨てることもない、そんな人に出会うことが出来た。それほどの幸福が、私にも訪れればと思いますよ。はっきり言いましょう。私は……私は、あなたに嫉妬しているんです。あなたは運命を手に入れた、そして、それを手放す必要がない。あなたは、あなたは、運命の人に出会うことが出来たんだ。そして、その運命の人が、本当に、あなたの、運命の、人だった。私と違ってね。あなたは……一体、それ以上、何を望むというんですか?」

「運命の。」

「はい?」

「運命の人って、誰?」

「あはは、ご存じのはずですよ。」

 もちろん、真昼は知っている。

 絶望が洪水であるということ。

 真実の愛へと至る前に。

 あらゆる不要なものを。

 真昼の内側から。

 流し去るための。

 洪水であるということを。

 世界が……世界が残酷であるという人がいる。そうなのかもしれない。少なくともマコトにとっては残酷であったはずだ。だから、マコトは、これほど邪悪な生き物になってしまったのだろう。それ以外のものを全て手に入れたとしても、それを手に入れられなかったとしたら。きっと、誰であってもマコトのような生き物にならざるを得ないはずだ。肉体の苦痛、尊厳の屈辱、あらゆる自由が奪い去られて、孤独の中で死んでいく。そのような状況下に置かれても、何も感じない生き物に。

 嘘をつく。

 生き物に。

 それはそれとして、マコトと真昼と、それに真昼の腕に抱かれたマラーとは。既に、橋のすぐ近くのところまで来ていた。こちらの岸から橋が始まるところ、橋の袂とでも呼ぶべき場所が、ここからでも見えている。その部分は……別に、蛇の頭になっているとか蛇の尾になっているとかそういうことはなかった。ただただ、蛇の骨、その脊椎の部分が、岸の断面部分から、いきなり始まっているという感じ。

 そして、そこから少し進んだところ、橋の始まりのところに……誰かが立っていた。誰かが? 別に、そのような曖昧ないい方をする必要はないだろう。なぜなら、それが誰であるかということは真昼にも分かったのだから。

 赤い姿。この夜の中に浮かび上がる、まるで目覚めた後に思い出す悪夢のようにぼんやりと赤く光る姿。背の高さは、一般的な人間のそれよりも遥かに大きく。そして、その体の下には、機械仕掛けの多脚が接続されている。

 要するに、レーグートだったということだ。真昼は……その赤い姿が、視界の端に入ってくると。ようやく、マコトの道化芝居から逃れることが出来た。それは、あたかも、映画を見ている時にスマートデヴァイスの着信音が聞こえてきたようなもので。他者の介在が、現実が、演技的空間を引き裂いたということだ。一方で、マコトは、真昼のそのような様子を見ると。やはり、真昼が目を向けたのと同じ方向に目を向けた。

「ああ、お迎えの方がいらしてますね。」

「お迎えの?」

「ええ、砂流原さんをエーカパーダ宮殿までお連れする方ですよ。」

 そう言ってから。

 暫く。

 考えるような。

 素振りをして。

 「デニーさんから、エーカパーダ宮殿について教わっていますか?」「いいえ」「あはは、やっぱりね。あれがエーカパーダ宮殿です。あそこにある、光り輝いている建物が」「あの……門みたいな姿をした建物ですか」「そうですそうです。デニーさんは、あそこで、あなたのことをお待ちですよ」。そう言ってマコトが指差したのは、これはいうまでもないことだと思うが、あの「門」であった。真昼は、そちらの方に視線を向けて。(あそこにデナム・フーツがいる)と思った。それから(あそこで、私のことを待っている)と続けて思った。

 「エーカパーダ宮殿はですね、えーと、要するに……迎賓館みたいなものです」「迎賓館、ですか」「ええ、まあ、厳密には違うんですけどね。あそこに宿泊することが許されるのは、その翌日にカリ・ユガさんとの謁見が予定されている方だけです。だから、あそこに人間が宿泊するっていうのはとてもとても珍しいことなんですよ。少なくとも、ここ十年では……シールズ総管理官くらいしかいないんじゃないですかね」。

 「あちら側に、これと同じような建物が建っているのが見えますか?」「ええ、見えます」「実は、あちらの建物も、同じくエーカパーダ宮殿でしてね。何を言っているのかというと、この二つの建物は、神学的な力によって時空間を結び付けられているんです。だから、こちら側の建物に入るということは、あちら側の建物に入るということをも意味している。どちらの建物に入っても、その中に広がっている時空間は同じものなんです」。

 マコトの言葉を信じるとするならば。湖の向こう側から始まっている橋、西側の橋の途中に見えている光の塊。もう一つの門と、こちら側の門とは、内部において連結しているらしい。ということは、こちら側の門から入ったとしても、もしも運が悪ければ――あるいは入口と出口とを支配している何者かによって承認されることがなければ――門の内側に辿り着くことが出来ず、向こう側の門から吐き出されることもあるということだ。

 もちろん真昼がそのような扱いを受けるわけがない。

 真昼は。

 この世界で、たった一人。

 選ばれた人間なのだから。

 ひどく無気力でひどく無関心な痙攣のような感覚。どこか遠い星で全く知りもしない誰かが泣いていると、そう知った時のような。エーカパーダ宮殿は、確かに真昼のことを歓迎していた。真昼が、そう望んでもいないというのに。そういえば……今、たった今、気が付いたことだったのだけれど。この遊歩道に敷かれている煉瓦は、テラスド・フィールドに敷かれていた、素焼きの煉瓦といった感じのそれとは違っていて。真昼の足音も、マコトの足音も、この夜に響かせることはなかった。青く、透明な、この煉瓦は。どれほど強く踵を打ち付けようとも、ことりとも音をさせることがないのだ。そのせいで、この舞台は……奇妙な無音に包まれているようだった。二人の役者が口にするセリフしか聞こえない舞台、まるで、それ以外の物音が、恣意的な条件によってミュートされているかのような。それは、眩暈がする違和感で……だが、恐らくは、矩形の清覧には相応しいことなのだろう。

 何通も、何通もの手紙。

 それは、誰かに読まれることを。

 期しているというわけではない。

 逃れたい現実は悪戯っぽくウィンクして、重要なことは常に逆説の形で把握される。今の真昼にとって最も重要なことは、次のようなことだ。つまり、真昼は躓かなければいけないということ。誰かに手を差し伸べて貰うには躓かなければいけないということ。けれども、もしも躓いたとすれば……真昼が抱いているこの少女は、マラーは、一体どうなってしまうというのか? 解きがたく絡まり合ったイヤホンのコードのように、下手に引っ張ってしまえば断線の恐れさえあるそのコードのように。真昼にとって、それは、どうしようもない光景だ。

 誰が、誰が教えてくれるのだろう。どう生きればいいのかということを、真昼は、どう生きるのが正解なのかということを。考えてみれば、真昼は……ただただ願ってきたのかもしれない。生まれた時から、このアーガミパータで目覚めたあの瞬間まで、ずっとずっと願ってきたのかもしれない。真昼の目の前に、まるで白馬に乗った王子様のようにして、この世界についての全てのことを教えてくれる誰かが現れるのを。なぜ真昼は何も分からないのか? なぜ真昼は何も知らないのか? なぜ、なぜ、真昼が、生まれた時に……誰も教えてくれなかったのか? 本当ならば、誰かが、真昼に、教えてくれていなければいけなかったのだ。この世界で生きるために重要なことを全部。でも誰も教えてくれなかった。本当に、誰も、教えてくれなかった。だから、自分で調べるしかなかった。この世界では何が正しいとされているのかということを。

 間違っても仕方がないじゃないか。なんで、みんな、あたしのことを責めるの? お前は間違っていると教えてくれなかったのはあんた達だ、悪いのはあんた達なんだ。あたしは何も悪くない、あたしは、ただ、ただ……あたしは、正しくありたかっただけだ。あたしは、正しくありたかった。本当に、正しくありたかったんだ。でも、誰も、何も、教えてくれなかった。

 そんなに、あたしが間違っているというのならば。

 ねえ、生まれた時に殺してくれれば良かったのに。

「ああ、いつだって別れは一つの悲劇です!」

 唐突に、マコトの声が聞こえた。真昼が、はっと我に返って、エーカパーダ宮殿から目を離すと。マコトは、真昼の方に向けていた体を、また進行方向に向けて。そして、先へ先へと進みながらも……ちょっと大袈裟なくらいの仕草によって、天を仰ぐようなポーズを取っていた。

「そうは思いませんか、砂流原さん。ちなみに、砂流原さんは悲劇の定義と喜劇の定義とをご存じでしょうか。あはは、そんなに構えないで下さい。さほど難しいことではありませんから。その全ての出来事が終わり、最後にバッドエンドで終わるものが悲劇です。そして、ハッピーエンドで終わるものが喜劇。これだけですよ、悲劇と喜劇との違いは。途中で何があったとしても、幕が下りる時に、全てが幸福で包まれるとすれば。それは間違いなく喜劇なんです。そうだとすれば……やはり、あらゆる別れは悲劇なのでしょう。なぜなら、それは終わりであって、しかもバッドエンドなのですから。」

 そう言いながら、マコトは、右の手のひらを顔のすぐ横のところまで差し上げて。そして、小指と薬指と中指とを、くっと曲げて。まるで人差指で空の方向を指差すような形にした。その指先を、二回か三回か、笑っているみたいにして軽く振ると。真昼の方を振り返りもせずに、更に言葉を続けようとする。

「砂流原さんは……」

「その。」

 しかし、その言葉を真昼が遮る。

 マコトは首だけで軽く振り返る。

「砂流原っていうの、やめて下さい。」

「はい?」

「私のことを、砂流原って呼ばないで下さい。」

「えーと、それでは……なんとお呼びすれば?」

「私のことを呼ばないで下さい。」

 真昼は、一度、息を吸う。

 真昼は、一度、息を吐く。

「二度と。」

 二人の役者と一人の眠り子とは、既に橋の袂までやってきていた。二度と目覚めることがない眠りのように静かな色をした遊歩道から、何もかもを飲み込んでしまう黒い鏡のように暗い湖の方へと、一本の橋が伸びている。その橋は、今まで真昼が見たことがある、何よりも、何よりも、白々しく光り輝いていて。そして、周囲の夜の全てを粉々に破壊してしまっている。跡形もないほどに吹き飛ばしてしまっている。

 だから、もちろん、マコトと真昼とが演技をしていた、あの舞台も――街頭によって切り取られた、一つ一つの円形の舞台も……その橋のすぐ近くでは、消えてなくなってしまっていた。それでは、ここは、既に舞台ではないというのだろうか? いや、それは違う。光あるところ、その全てが、真昼にとっての舞台なのだ。その上で演じられている全てが道化芝居なのであって。だから、その状況を正しくいい表わすとすれば。要するに、マコトと真昼とは、ようやく同じ舞台の上に立ったということ。

 真昼とマコトとは。

 ようやく。

 分かり合うことが。

 出来たということ。

 少なくとも。

 ほんの少しは。

 レーグートの感覚範囲に真昼が入ってきたのか、というよりも、レーグートの感覚範囲に真昼が入ってきたという共通理解が発生したのか。橋の上に立っているレーグートが、真昼の方に向かっていかにも恭しく一礼をした。四本あるうちの、右側の二本の腕を体の前に折り曲げて。そして、腰から体を前に倒すあのやり方だ。もちろんこの挙措は、月光人であるところの真昼に合わせたものである。ちなみにレーグートは、橋の袂から橋の上に向かって十ダブルキュビトほどのところにいて。真昼とレーグートとが音声記号によってコミュニケーションをとろうとすれば、それなりに大きな声で話さなければいけないだろう。

「あはは、それでは……これでお別れですね。」

 マコトは、そう言いながら立ち止まった。その立ち止まった場所は、確かに、橋の袂のすぐ近く、そこから湖岸に向かって真っ直ぐに進んだ先ではあったが。けれども、そこから少しだけ離れた場所だった。どれくらい離れた場所かというと、橋の光、その真聖な光がぎりぎりで届かないところ。そこから夜の闇が始まるところであった。

 それから、橋に体を向けたままで、真昼のいる方に顔だけを向けた。先ほどの真昼の言葉にも大して気まずそうな素振りを見せることはなく、いつものような、あのへらへらとした顔をしているだけだった。この女の顔。これが、この女の顔。世界で最も邪悪な生き物のうちの一匹、あるいは、世界で最も惨めな生き物のうちの一匹の顔。

 真昼は……歩いていた。なんだか全てが清明であった。両方の目を焼かれた囚人が、あまりにも透き通った鏡の表面を舐めているかのように。その真鍮の冷たい感覚のように清明であった。光の中から、光の中へ。真昼はきっと、もう、二度と、夜の闇に足を踏み入れることはないだろう。なぜなら、真昼とマコトとは違う生き物だからだ。確かに、分かり合えた。マコトと、これ以上ないというほど分かり合えた。あたしとこの女とは完全に異なった生き物であると、完全に分かり合うことが出来たのだ。

 あたしは選ばれた生き物で。

 この女は、選ばれなかった。

 でも。

 あたしは。

 一体。

 何に選ばれたというの?

「ねえ、私は。」

 いつものように。

 本当にムカつく。

「あなたのことが好きでしたよ。」

 全てを見透かした。

 あの口調によって。

 マコト、は、言う。

「あはは、もちろんあなたはそれを分かっているでしょうし、私はあなたがそれを分かっているということを分かっていますがね。けれども、やはり、どれほど真実のことであったとしても……言葉にしなければ、いつか虚偽になってしまうこともありますからね。今日という日に、あなたに対して、私がした、全てのことは。あくまでも純粋に、私があなたに抱いている好意からなされたことです。本当のことですよ。これは、本当のことです。私が本当のことを口にすることなんてほとんどありませんが、それでもこれは本当のことです。

「そもそもの話として、私が、あれほど多くの言葉を口にすることなんて滅多にありませんからね。話をしようとするということはお互いに分かり合おうとするということです。あなたはどうでもいい人間と分かり合おうとしますか? どうでもいい人間と、あんなにも分かり合おうとしますか? そんなことはあり得ませんよ。私は……ただ、あなたに、分かって欲しかったんです。あなたが選択肢の前にいるということを。これを間違えてしまえば、私と同じような生き物になってしまうところの、そんな選択肢の前にいるということを。

「あなたは……あなたは私に似ている。もう少し正確に言うと、あなたは昔の私に似ている。もしかして、あなたはそんなことを信じないかもしれませんがね。私にも、あなたと同じような少女であったことがあるんですよ。希望と正義と、それに何よりも愛を信じていた、そんな少女であったことが。けれども、今ではご覧の有様です。」

 傷ついた蛇の口から。

 真昼の耳へと。

 注ぎ込まれる。

 無償の、無償の、悪意。

「いいですか、覚えておいて下さい。」

 真昼は。

 それを。

「あなたは、無力なんです。」

 ただただ。

 無視して。

「楽園なんて作れない。」

 歩いて。

 歩いて。

「天国なんて行けない。」

 そして。

 真昼は。

「それだけは覚えておいて下さい。」

 いつの間にか橋の上に立っていた。視線の先には、まるで沙漠で見る美しい樹木の幻想のように、赤い色をしたレーグートが立っている。あれは、使者だ。選ばれた私を迎えるために送られてきた使者の姿だ。そして、もちろんマコトは選ばれていない。だから、ここから先に進むことは出来ない。

 ふと、真昼は振り返った。橋の後ろ、岸辺、陸地、あるいはマコトがいるその方向を。マコトは……夜の中にいた。その全身は、どろどろと纏わりつくような薄闇に包み込まれていて。そして、その姿は、あたかも一つの真実……あまりにも脆く、あまりにも儚い、一つの真実のように立っていた。

 真実は、真実に似た姿をしたものは、マコトは。首からぶら下げていたカメラを手に取った。それを、ゆっくりゆっくり持ち上げていって。そして、そのファインダーを右の目に当てた。横向きにされたカメラ、そのレンズは、もちろん真昼の方を向いていて。ああ、マコトは笑っていた。いや、笑っていたのだろうか? 真昼には分からない。マコトの顔の左側、口の端は引き裂かれていて。もし、マコトが、笑っていなくても。その顔は、いつでも、へらへらと笑っているように見えるからだ。

 かしゃりという音、シャッターが切られる音。

 安っぽいフラッシュが、ぱっと辺りに瞬いて。

 マコトは、真昼の姿を撮影する。

 そして。

 それから。

 夜の闇の向こう側で。

 黒い鏡の向こう側で。

 マコトは。

 へらへらと笑いながら。

 こう言う。

「あなたに無知の幸いを、アラリリハ。」

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