第二部プルガトリオ #38

「あはは、そうですよ。ミズ・ゴーヴィンダのゴーヴィンダです。おやおや、そのご様子だとデニーさんはこの話をしていなかったようですね。ミズ・ゴーヴィンダはゴーヴィンダ王家の唯一の生き残りなんですよ……ああ、失礼。「だったんですよ」と申し上げるべきでしたね。とにかく、砂流原さんも、ダイモニカスが王国を作った時に、いわゆる王家と呼ばれるような巨大な霊族集団を作る傾向にあるというのはご存じでしょう。ダイモニカスは、神のような強力なゼティウス形而上体と比べると弱い存在ですからね。その数を多くすることで支配体制を盤石にしようとする。シータ・ゴーヴィンデーサでも、そういったことが行われていたわけです。

「スーカラマッダヴァがシータ・ゴーヴィンデーサを滅ぼした時、ゴーヴィンダ王家の人々はミズ・ゴーヴィンダを残して皆殺しにされました。ミズ・ゴーヴィンダを残したのはカーマデーヌを操作させるためです。先ほども申し上げた通り、カーマデーヌは、シータ・ゴーヴィンダの王と特殊な関係を築いていました。そして、その特殊な関係は、その王の霊族、ゴーヴィンダ王家のメンバー全員に受け継がれていたんです。ということで、スーカラマッダヴァは、カーマデーヌを操作させるために、王家の中で最も若く、それゆえ最も御しやすそうであった、ミズ・ゴーヴィンダを選んだというわけです。

「こうしてシータ・ゴーヴィンデーサは滅びたわけですが。ここで重要なのは、スーカラマッダヴァも、いかに無教徒であるとはいえ、シータ・ゴーヴィンデーサの国民全員を殺すことが出来たわけではなかったということです。あはは、確かに王家のメンバーはミズ・ゴーヴィンダを残して皆殺しにしましたがね。とはいえ、国民の中にはかなりの数の生き残りがいました。そして、その生き残りは、無教徒の手から逃れて森に逃げて……アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに加わった。

「あはは、先ほども申し上げたように、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、恐らくシータ・ゴーヴィンデーサに滅ぼされたヨガシュ族の末裔ですがね。とはいえ、その頃には、そういった記憶は遠い昔のものとなっていました。それどころか、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、戦争の際にシータ・ゴーヴィンデーサに傭兵として雇われていたこともあるくらいです。そういうわけで、シータ・ゴーヴィンデーサの国民は、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに、友好的に受け入れられることとなった。

「ここでアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに第一の変質が起こったわけです。つまり、その集団が受け入れたところのシータ・ゴーヴィンデーサの国民は、あまりにも数が多過ぎ、また、あまりにも力強過ぎた。数に関しては言うまでもないでしょう。一つの魔王国が滅び、その生き残りのほとんどが森の中に逃げ込んだのですからね。もともとその集団に属していたよりも、ずっとずっと多い数の人々を受け入れることになったわけです。そして、その人々の中には……様々な種類の軍隊に所属していたところの軍人達が含まれていました。

「第二次神人間大戦以前のアーガミパータでは、軍隊というのは主に六つの種類に分かれていました。まず一つ目が、もちろん国家によって保有されていた正規軍です。二つ目が傭兵。これはダコイティのような人々を指すわけではなく、いわゆる職業軍人のことを指しています。まあ現代でいえば民間軍事企業みたいなものですかね。三つ目が同業者組合が保有していた軍隊。これはつまり、ダコイティのような盗賊達から商人達が隊商を守るために保有していたところの私的な軍隊です。四つ目が従属国から提供される軍隊で、五つ目が敵軍から脱走してきた兵士達を集めて作った軍隊。そして、最後が、ダコイティのようなアウトサイダーをリクルートして作る軍隊ですね。

「要するに何が言いたいのかといえばですね、一つの国家の軍事力において、ダコイティが占めていたのは、ごくごく一部に過ぎなかったということです。軍事力の大半を占めていたのは、正規軍と傭兵と、この二つの軍隊です。その二つの軍隊が、ダコイティという集団に、一気に流れ込んできた。こんなことが起これば……集団内部のパワーバランスが一気に変わってしまうのは自明の理でしょう。ちなみに、一つだけ付け加えておくとするのならば。二つの主力の軍隊のうち、ダコイティに加わった数が多かったのは正規軍の方でした。傭兵というのは、所詮は雇われた兵隊に過ぎませんからね……スーカラマッダヴァとの戦闘においてシータ・ゴーヴィンデーサが不利になった時点で、かなりの数の傭兵が、雇用主のことを見限って、ダクシナ語圏から逃げ出していたんですよ。だから、森の中に脱出した時には、既に僅かな数の傭兵しか残っていませんでした。

「もちろん、こういったパワーバランスだけが変質の原因というわけではありません。もしもシータ・ゴーヴィンデーサを滅ぼしたのが一般的な神国・龍国・魔国であれば、ダコイティもさほどは危機感を抱くことはなかったでしょう。しかしながら、そうではなかった。それは一般的な国家ではなく無教徒の主権集団であった。無教徒がどれほど危険なのかということは、ダクシナ語圏に住んでいる生き物であれば誰でも知っていることです。だから、ダコイティは、ダクシナ語圏の支配権を握っているのが無教徒である限り、少なくとも今までと同じような生き方は出来ないということを理解していた。

「ということで、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、今までとは違った方向に進んでいく必要に迫られた。それがどういった方向であるかというのは……まずはですね、ここまで、私はアヴィアダヴ・コンダにおけるダコイティのことを、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティと一括りにしてお話してきました。そして、ASKに滅ぼされたところのダコイティは、実際に一つにまとまった集団でした。けれども、シータ・ゴーヴィンデーサの滅亡当時のアヴィアダヴ・コンダにおけるダコイティは、決して一つの組織ではなかったんです。それは、たくさんの小集団が、融合と分裂とを繰り返す形の、非常に流動的な概念のようなものでした。

「しかし、そのような状態、つまり力が分散しているような状態では、とてもではないがスーカラマッダヴァに立ち向かうことなど出来ません。どうしても、その力を一つにまとめ上げる必要があった。ということで、シータ・ゴーヴィンデーサの正規軍が流れ込んだダコイティの小集団を中心として、辺境であったはずのダコイティの中でも、ある種の中央集権化が図られていきました。脅し・賺し・辱め・宥め、どうしてもいうことを聞かないとなったら、最終的には滅ぼしてでも小集団は吸収されていって。そして、最後にはようやく、一つになったところのアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが生まれたというわけです。ちなみに、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが話すところによれば……この際に、集団を一つにまとめ上げたところの一つの小集団と、まとめ上げられた小集団の中でも特に強力だった十の小集団とが、現在の十一人の長老という制度の元となっているそうです。

「それから……このように一つにまとめられた集団を、今度はしっかりと一つに結び付けなければいけません。そのために、シータ・ゴーヴィンダーサの正規軍的な思考形式を、ダコイティ的な栄光と結び付けるという方法が取られました。つまり、アーガミパータ的なフエラ・カスタ制度を中心として集団の全体を軍隊的に紡ぎあげた。ヴァルナ制度とジャーティ制度とを重視した規律は、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに元から存在していたものですが。この時を起点に、シータ・ゴーヴィンデーサの国民であったゼニグ族、その戦士階級を中心とした、非常に強固な階級制度を取り入れたということです。そして、更に、これが最も重要なことですが……集団には、物語としての構造が作り出された。要するに、集団全体が到達するべき目的が与えられたということです。それは、つまり、ゴーヴィンダ王家の最後の生き残りであるパンダーラ・ゴーヴィンダを女王とする新しい王国を作り出すという目的です。

「さて、一方で、そのミズ・ゴーヴィンダですが。無教徒に捕獲された後は、捕虜として、奴隷として、筆舌に尽くしがたい生活を強いられていました。あはは、「筆舌に尽くしがたい」なんていう言葉を使うのは、ジャーナリストとしては失格だとは思いますけれどね。とはいえ、無教徒に捕まったデウス・ダイモニカスがどのような目に合うのか、そういったことは、なかなか人間の口からは申し上げにくいものがあるというのはご理解頂きたいところです。特に、ミズ・ゴーヴィンダは……ああいう方ですからね。無教徒が何をどうしようと、絶対に、無教徒のいう通りにカーマデーヌを操作しようとはしなかった。

「カーマデーヌは、何せスナイシャク特異点ですからね。ASKほどの「力」を有しているのならばまだやりようがあったでしょうが、スーカラマッダヴァは、いくら無教徒とはいえさすがに手の出しようがなかった。ミズ・ゴーヴィンダの手助けがなければどうしようもなく、そして、ミズ・ゴーヴィンダは手助けをしようとしない。ということで、なんとか手助けをする気になるように、ミズ・ゴーヴィンダに対して様々なことをしたというわけです。その様々なことについて、私は詳しくは知りませんし、知っていることについてもここではお話しませんが。少なくとも、人間ならば絶対に耐えられなかったようなことでしょうね。ちなみに、その時のミズ・ゴーヴィンダは、人間でいえばやっとエレメンタリー・スクールに入学するかしないかという年齢であったはずです。

「ただ、幸いなことに、そういった状況は長くは続きませんでした。ここから先のお話は極度に政治的な内容を含んでくるので、少しばかりぼやかしてお話せざるを得ないんですがね。とにかく、一番重要なのは第二次神人間大戦が始まったということです。その偉大なる戦争のせいで、アーガミパータという土地も、世界規模にまで広がった空間戦略学的な関係性の中に取り込まれざるを得なくなった。そして、その中で……人間の陣営についた、とある一つの国家が、ダクシナ語圏で進行しているところのこの状況に対して興味を持った。

「その「とある一つの国家」が何に興味を持ったのか? 一般的な認識、公式の記録から読み取れる認識から考えると、それはスナイシャク特異点であると考えられます。先ほども申し上げたように、スナイシャク特異点というものは強大な力を有しています。それこそ、たかが魔王国を一つの地域の支配者にしてしまうほどにね。そんなものが第二次神人間大戦の直前に無教徒の手に渡ってしまった。そして、第二次神人間大戦が始まって……今のところはそれを制御出来ていないようではあるが。とはいえ、今後はどうなるか分からない。

「第二次神人間大戦時の無教徒の立ち位置は非常に微妙なものでした。その微妙さというものは、無教徒が本来的に持つ性質だけでなく、当時の空間戦略学的状況も考えなければいけないことなので、ここでは触れることはしません。随分とややこしくなってしまいますからね。とはいえ、これだけは知っておいて頂きたいのですが、少なくとも、無教徒は、人間陣営にとって脅威となり得る存在だった。ということで、無教徒がスナイシャク特異点の操作を可能とする前になんとかしなければいけなかった。

「と、まあ、こういう感じですね。しかしながら……こういった認識は、私にとっては、少しおかしいものであるように思われます。この話については昔から追っていて、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティの同行取材をしようと思った理由の一つに、この件について色々と探りを入れるためという理由もあったくらいですが。とにかく、私には、他の理由があったようにしか思えない。

「この後にお話しする内容を先回りしてお話することになってしまいますが……そもそもの話として、もしもスナイシャク特異点が目的であるならば、なぜ無教徒達から解放したカーマデーヌをそのまま自分達のものとしてしまわなかったのかという問題があります。確かにアダヴィアヴ・コンダ・ダコイティは、第二次神人間大戦を通して人間陣営に対して友好的に振る舞いました。それに戦後も、ちょっと前に申し上げたように、人間至上主義勢力と手を組んでスーカラマッダヴァとの紛争を戦ったりしました。とはいえ、もしも、本当にスナイシャク特異点を脅威だと考えているのならば。それを別の勢力に預けておくなどという真似をするはずがありません。ダコイティのような集団に預けておくよりも、自分達のものにしてしまうか、それか、少なくともそれを破壊してしまった方がよほど安全です。

「それに……これは、ちょっとばかり危険な情報なので、あまりお話ししない方がいいのですがね。まあ、「とある一つの国家」とぼやかしているし大丈夫でしょう。実はですね、その「とある一つの国家」は、既にスナイシャク特異点を保有していたんです。その当時から保有していて、現在も保有し続けている。しかも、そのスナイシャク特異点は、カーマデーヌのような小規模なものではなく、この世界を丸ごと一つ消滅させてしまうことが出来るほど大規模なものだということです。ということは、カーマデーヌ程度のスナイシャク特異点は、その「とある一つの国家」にとってさほど脅威となりうるものではない。

「このように、どう考えても「とある一つの国家」の目的がスナイシャク特異点だったとは思えない。それでは、一体何が目的だったのか? これは、あくまでも私の推測になってしまいますが……恐らく、アビラティ諸島となんらかの交渉を行うためだったのではないでしょうか。あはは、砂流原さん、勘違いしないで下さいね。スーカラマッダヴァのようないわば還俗した無教徒達と、アビラティ諸島にいる本当の無教徒達と、この二つは全く違った存在です。そして「とある一つの国家」が交渉を持とうとしたのは、スーカラマッダヴァではなく、この本当の無教徒達の方です。

「第二次神人間大戦をめぐってアビラティ諸島で何かが起こった。そして、その「何か」を自分達の有利に傾けるために、人間陣営は、どうしてもアビラティ諸島と交渉を持つ必要が……契約を結ぶ必要があった。けれども、無教徒と契約を結ぶなんていうことを人間陣営が出来るわけがありません。何せ無教徒ですからね! 現在において砂流原さんが無教徒に対して抱いているイメージは、そのまま大戦前の人々が共有していたイメージとして通用するものです。そして、あの大戦は、あらゆる戦争と同じように、もちろんイデオロギー戦争でした。ということで、表立った交渉が出来るわけもなく……天狗の隠れ蓑として、カーマデーヌの解放を利用したということです。あはは、「ことです」というか、私が勝手にそうだと思っているだけですがね。

「さてさて、なんの証拠もない、ただの世迷い事はこれくらいにしておいて。とにもかくにも、「とある一つの国家」は、ダクシナ語圏で起こっていた出来事に介入することを決定しました。そして、とある一人のエージェントを送り込みました。あはは、そのエージェントがどなたなのかということは、ちょっとここでは申し上げられませんがね。非常に政治的な言い回しをするのであれば、砂流原さんが、大変、大変、よくご存じの方ですよ。そして、そのエージェントは、単身でスーカラマッダヴァに乗りこんで……囚われの身になっていたミズ・ゴーヴィンダを救出した。

「その第一回の作戦で、カーマデーヌまで解放することは出来なかったようですがね。それでも、そのエージェントは、囚われていた場所からミズ・ゴーヴィンダを救い出して、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティが潜伏していた森まで連れ帰った。これによって、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティはとうとう……都合のいいリーダーを手に入れることが出来たんです。あはは、そう、理想であれ希望であれ、絶望であれ憎悪であれ、あらゆるものを押し付けることが出来る都合のいいリーダーをね。物語は中心となる軸を手に入れて、栄光は、その輝きをより一層増すためのエネルギー源を手に入れた。そして、そういった全ての役割は、たった一人の少女に……ダイモニカスであるとはいえ、まだ年端もいかない少女でしかないミズ・ゴーヴィンダに背負わされることになった。

「それから、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティとスーカラマッダヴァの間にちょっとした紛争が起こりました。アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティを率いていたのは、ミズ・ゴーヴィンダと、それにあのエージェントです。エージェントは、ミズ・ゴーヴィンダはまだ幼過ぎるという名目で、リーダーに対する補佐的な役割で受け入れられていました。恐らくは「とある一つの国家」が紛争に介入するためにエージェントを潜入させたのでしょう。そして、カーマデーヌの救出のため……あるいは、「とある一つの国家」がアビラティ諸島と契約を結ぶため。その紛争は、それなりの期間、戦われることになりました。

「そういった紛争の中で、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティはようやくカーマデーヌを取り戻しました。無教徒によって閉じ込められていた時空間から解放されたカーマデーヌは、もともといた場所であるアダヴィアヴ・コンダに……つまり、地域名としてのアダヴィアヴ・コンダではなく、「森の中にある丘」としてのアダヴィアヴ・コンダに帰還することが出来た。そして、果たすべき役割が何であったとしても、その役割を終えたエージェントは、その後に起こるであろう全てのことに対する責任をミズ・ゴーヴィンダに残して、ダクシナ語圏を去っていった。

「もちろん、この後も、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティの運命は続いていくわけですが。とはいえ、ここから先のお話はする必要はないでしょう。スーカラマッダヴァとの紛争がどうなったかということはすでにお話ししましたし、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティが最終的にどうなったのかということは……あはは、私よりも砂流原さんの方がお詳しいでしょうからね。それに、私が話したかったのは、別にアダヴィアヴ・コンダ・ダコイティの歴史についての話ではありません。アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティがどういう性質をもつ集団なのかということです。そして、そのエージェントが去った時点で、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティの性質は完全に決定していたのです。

「ということで。

「最後に。

「その性質について。

「見ていきましょう。

「まずは最も基本的なところから見ていきましょうか。ダコイティという存在が、森の中でどのような立ち位置を占めているのかということです。思い出して頂きたいのですが、ダコイティは元から森の中にいた人々ではありません。中央から、いわゆる都市と呼ばれる場所から逃亡してきた人々です。あはは、それはですよ、ダコイティの中には、元から森の中に住んでいた人々が中心となって作られた集団もあるでしょうけれどね。とはいえ、そういった集団であっても、中央に対する辺境として、いわば都市を中心とした関係知性の中に包含されているということは間違いありません。

「要するに、異物なんですよ。森にとってダコイティという存在は異物なんです。これは自然にとって人間という存在が異物であるとか、そういった単純な誤謬についてのお話ではありませんよ。以前も申し上げたように、下等知的生命体としての人間は、もちろん自然の一部に過ぎません。とはいえ、ダコイティの本質は森林生活者としてのそれではない。都市生活者に対しての辺境生活者に過ぎない。何が言いたいのかといえば、ダコイティは森林における生活によって完結することが出来ないということです。盗賊というその名の通り、都市からもなんらかの供給がなければいけない。そうしなければ存在し続けることが出来ない。

「これが意味するところは何か? 森林にとって、ダコイティは、所詮は別の原理に過ぎないということです。こういうことを言うと、次のような反論が出てくるかもしれませんね。自然というものはどこからどこまでということで分断することは出来ない。森林は平野と繋がっているし、平野は森林と繋がっている。ということは、あらゆる生き物は森林だけで完結しているわけではなく、従って、ダコイティが森林にとって異物だということまで主張するのは間違いである。

「うーん、あなたはちょっと誤解なさっていますね。私は別にサークル・オブ・ライフについての話をしているわけではありません。知的生命体についての話をしているんです。ちょっと前に議論した結果によれば、知的生命体についての最も根源的な定義は、安全性の確保ということに落ち着きましたよね。自然をニュートラライズするためのシステムを構築出来るということこそが知的生命体の条件である。あはは、もちろん、人間に出来るのは、自然の一部であるという前提のもとでの安全性の確保に過ぎませんが……とはいえそれを行っている。そして、私が言っているのは、そうして構築されたシステムの形式についての話です。ニュートラライズの方法が、ダコイティにおいては決定的に歪な形になっているということです。要するに、ダコイティは都市的な方法で森林をニュートラライズしている。

「とはいっても……ダコイティの人数がそれほどでもない段階では、それは問題とはなり得ません。自然だって多少のエラーを許容することが出来る程度の寛大さは持ち合わせていますからね。ダコイティがダコイティであるのならば。つまり、少人数の集団と混乱した指揮系統と、その二つによって、集団は常に危険に晒され続けている。それだけでなく、医療体制が整っていないため、集団内の死亡率が非常に高い。それゆえに、その人数が、かなりの少数にとどまり続けている。そういった条件下では、まあ、まあ、ダコイティといえども森の中で生きていくことが出来るでしょう。

「しかしながら、アダヴィアヴ・コンダ・ダコイティは。そういったいわゆるダコイティ的なダコイティではなかった。その集団は大人数の構成員を中央集権的にまとめた構造になっていた。ということは、どういうことか? つまり、それだけ森に対して与える負荷が大きかったということです。あはは、現代におけるアダヴィアヴ・コンダ・ダコイティ、つまり、昨日まで存在していたアダヴィアヴ・コンダ・ダコイティはそのようには見えなかったかもしれませんがね。けれども、それは、ASKによる間引きが行われていたからです。ASKの攻撃によって、逆に、その人数が適切なレベルまで調整されていたというだけの話です。

「ASKによる攻撃が開始される前、無教徒と緊張状態にあるとはいえ、比較的安定していた時期のアダヴィアヴ・コンダ・ダコイティは、急激な勢いで増加していました。その構成員はあまりにも増え過ぎて、下手をすれば森の動物を狩りつくしていた可能性さえあるほどです。あはは、もちろん野良ノスを除いてということですがね。ただ、幸いなことに……アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、ダイモニカス達によって守られていました。

「もちろん、ダイモニカス達は認識していました。人間なんかよりもよほど賢い存在ですからね。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティという集団が、森の資源を食い尽くしてしまうという可能性について、痛いほどに理解していた。そして、これに対する解決策が二つしかないということについても理解していた。

「まず一つ目の方法は、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティを都市化してしまうという方法です。まあ、考えてみれば当たり前の方法ですよね。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、その性質からいって、既に辺境であることをやめてしまっていた。まさに中央それ自体になってしまっていた。ということは、中央が辺境にとどまり続ければ、何かしらの異常が起こらないわけがない。中央をきちんと中央化して。そして、辺境は辺境として、別個の環境として維持する。これが正常なやり方です。あはは、環境活動家の方々は勘違いなさっていますけれどね。中央と辺境とは、決して共存することが出来ません。中央が都市に隔離されることによって、辺境は初めて守られるんです。

「けれども、残念なことにこの方法は使えなかった。なぜなら、ダクシナ語圏の中央には、既に無教徒の主権集団が存在していたからです。確かに、中央が都市に隔離されていなければ辺境を保護することは出来ませんが。とはいえ、中央があまりにも巨大になり過ぎてしまっては、そもそも辺境自体が消滅してしまう。ダクシナ語圏に二つの中央が並立すること、つまり無教徒の中央とアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティの中央とが並立することは、辺境にとってあまりにも危険過ぎた。

「そうすると、ダイモニカスがとることの出来る方法はもう一つの方法しかないということになる。つまり、厳密な管理体制を敷くということです。まず、辺境を過度に破壊しない程度に管理された農耕が開始されました。そして、農耕地域の周辺には非常に小規模な集落を建設し、原初的な形での定住化を図りました。これで、食べるものと住むところについては、森に負荷をかけないレベルでの確保が可能となります。けれども……このように、生活が安定してくればしてくるほど、人間の数は増え続けてしまう。ということで、もちろん、人口の管理も行われなければいけません。ダイモニカスの長老達を中心として、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティの人口は、それ以上に増えもしなければそれ以下に減りもしないよう管理されました。

「ここまでしても、まだ十分ではありません。なぜなら、以前から何度も何度も申し上げている通り、この世界には異常気象というものがあるからです。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが行っていた農耕は、現代的な農耕ではなく、あくまでも原始的な農耕に過ぎませんでした。それは、もちろん、森に負荷をかけないためという理由もありましたが……それ以前に、現代的な農耕に必要な全ての物資を手に入れることが出来なかったからです。ということで、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは原始的な農耕しか出来なかったわけですが。そういった農耕は、気象条件によって左右されやすい。たった一度の異常気象が起こるだけで全てが破綻しかねないわけです。

「ということは、人間的な文脈によって獲得出来る食糧だけでは不十分であるということです。それだけでは、ちょっとした気象の変化で――これはあくまでもダイモニカスにとってのちょっとした気象の変化ということで、人間にとっては危険な変化であるわけですが――そして、そういった変化は至極頻繁に起こるものなのですが――集団の全体が、致命的なダメージを負いかねない。つまり、何が言いたいのかといえば、人間という種はあまりにも環境の変化に脆弱であるため、なんらかの緩衝装置がなければ、それに耐えることが出来ないということです。

「もちろん、一般的な集団においては都市がその緩衝装置の役割を担っています。しかしながら、中央と辺境とのバランスを保つために、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティには都市化という選択肢は許されていない。何かしら別の方法を考えなければいけない。ということで、ダイモニカスは、あの果実をもってその方法とすることにしたわけです。

「あはは、砂流原さんもご覧になったか、もしくは、あの果実から作られたジュースをお飲みになったんじゃないですか? ほら、あれですよ。これくらいの大きさで、タマリンドみたいな形をしてるやつ。莢の中に七つか八つくらいの種が入ってて、うっすらと光る透明の可食部位が包み込んでる……ああ、思い出されたみたいですね。あれは、地域ごとに色々な呼び方があるんですけど、一番ニュートラルな呼び方を使うのならば、セミハ・フルーツと呼ばれている果物です。

「あはは、いやいや、違いますよ。セミハ・フルーツという種類の植物があるわけではありません。ダイモニカスが、果肉を形成することが出来る被子植物を品種改良し、周囲に満ちている魔学的エネルギーを果実の形で結実することが出来るようにした、そういった植物全般のことをセミハ・フルーツと呼んでいるんです。こちら側では……それほど魔学的エネルギーが満ちた土地はアーガミパータくらいしかありませんからね。あの種類の植物以外のセミハ・フルーツはありませんが。マホウ界にいけば、土地ごとに様々なセミハ・フルーツがありますよ。林檎をいじくったものだとか、無花果をいじくったものだとか、それに葡萄をいじくったものだとかね。ちなみに、あのタマリンドみたいなセミハ・フルーツは、まさにタマリンドをいじくったセミハ・フルーツです。

「とにもかくにも、ダイモニカスはセミハ・フルーツを異常気象に対する緩衝装置として使用することにしたというわけです。あのフルーツは本来はダイモニカスの食べ物です。ダイモニカスが効率的に魔力を摂取するために作り出された食べ物。ということで、あれをほんの少しでも口にすれば、かなりの量の魔学的エネルギーを吸収することが出来るわけです。それこそ……人間程度の生き物であれば、たった一口分で数日くらいは持つ程度にね。

「もちろん、セミハ・フルーツはあまりにも強力な食べ物なので、人間のような脆弱な生き物が、その一口分をそのまま摂取するわけにはいきませんが。そんなことをするのは、とてもとても強い蒸留酒を一気飲みするようなものです。なので、あのように、薄めて薄めて、人間が摂取しても問題がないようなジュースにして摂取していたというわけです。

「まあ、それはそれとして……それに、あのフルーツは、様々な環境条件に適応することが出来ます。非常な高温にも非常な低温にも耐えることが出来、また、急激な温度変化にも対応出来る。どんな沙漠にも根を張ることが出来るし、日の光や、あるいは水がなくても育つことが出来る。必要なのは魔学的エネルギーに満ちた環境だけであって……そして、アーガミパータの環境は、まさにそういったものであるわけです。あはは、どうです? 辺境という環境を壊すことなくダコイティを保護するにはぴったりの方法だと思いませんか?

「と、まあ、このようにして。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、ようやく辺境で生活することが可能になったわけですが……つまりですね、この話をすることで、私が何を言いたかったのかといえば。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、その生存について、完全におんぶにだっこであったということです。あの集団は、ダイモニカスという強力な存在に依存することによって、初めて成り立った集団だったということです。

「普通であったら……あれほどまでに健康的かつ文化的な生活など出来るはずがないんですよ。砂流原さんは、ダコイティの平均的な寿命をご存じですか? ほとんどが三十台で死んでしまいます。長生きしたとしても、せいぜいが四十代前半でしょう。もちろん、その寿命の短さには、盗賊という生業の闘争的な性格が関係していることは間違いありませんが。それ以上に、ダコイティが、あまりにも悲惨な環境におかれているという理由が大きい。食べることもまともに出来ず、病気や怪我やをしても、まともな医療設備がない。そもそも医学の知識がある誰かが集団に所属していない。ダコイティというのは、つまり、そういう生活なんです。

「そして、通常の精神を持っている人間であればそんな集団には所属していたくないわけですよ。砂流原さんだって嫌でしょう? 少なくとも、私なら、絶対にお断りですね。食べるものに困らず、着るものに困らず、住むところに困らず、快適な温度を保つことが出来る空調設備が整っていて、トイレにはウォッシュレットが付いている。そんな生活をしたいわけです。あのですね、砂流原さん。砂流原さんは、ダコイティのような生活を理想的なものだと思っていらっしゃるのかもしれません。強大な権力に立ち向かう抵抗者、誇りを捨てない無垢な人々。そう思っていらっしゃるのかもしれません。けれどもね、ダコイティの人々は、そんなことは思っていないんですよ。抵抗したくて抵抗しているわけではないし、理想的な生活を送れるならば、誇りなんてすぐさま投げ捨ててしまっても構わない。ダコイティの人々がああいう生活をしているのは、ああいう生活をしたいからではなく、ああいう生活以外の生活が出来ない状況にいるからです。

「そして、そういったことは……ダイモニカスによって、比較的ましな生活をしていたはずのアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティも同じでした。確かに、他のダコイティに比べれば幾分かましでしたよ。ダイモニカスのおかげで、少なくとも生きていくことは出来たでしょう。けれども、食べるものは貧弱な作物で、着るものは死体から剥ぎ取った戦闘服で、住むところは雑なつくりの掘立小屋。しかも、外敵からいつ襲撃されるか分からない。そういった生活であることには変わりないわけです。そんな生活はしたくなかったけれど、空間戦略学的な事情……無教徒だとかASKだとかの脅威のせいで、仕方なくああいう生活をしていたわけです。

「アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、ダイモニカスのような強力な生き物の庇護がなければ、恐らく集団の存続さえ危ないような状況にあった。あるいは、集団の存続が可能であったとしても、その地域の環境を大々的に破壊しかねない存在だった。そして……そのようにして、ダイモニカスの庇護を受けていても。それでも非常に惨めな生活しか送ることが出来なかった。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティの性質を考えていく上で、まずはこのことを理解しておかなければいけません。

「さて、次に考えていくべきことは……あはは、話ががらっと変わってしまいますがね、次に考えていくべきことはこういうことです。つまり、ミズ・ゴーヴィンダには本当にあの方法しかなかったのかということ。ミズ・ゴーヴィンダは、ASKに対しての徹底抗戦、何が何でもあの土地にとどまり続けて、僅かに残されていた貧弱な戦力だけで、ASKという強力で強大な軍需企業に立ち向かう、そういう方法をとるべきだったのかということです。

「きっと、砂流原さんは「そういう方法をとるべきだった」と考えていらっしゃるでしょうね。「そういう方法しか残されていなかった」とさえ考えていらっしゃるでしょう。しかしながら、私の考えはそうではありません。ミズ・ゴーヴィンダは、あの方法をとるべきではなかった。絶対に、他の方法をとるべきだったと考えています。そして、そのことは……ミズ・ゴーヴィンダ自身が一番よく理解していたはずです。

「だって、ミズ・ゴーヴィンダは何も出来なかったじゃないですか。あの方法ではミズ・ゴーヴィンダは何も出来なかった。そりゃあアヴィアダヴ・コンダ全域をASKが支配するまでの時間を少しばかり延ばしたかもしれませんよ。それにASKの設備を幾つか壊したりもしたかもしれません。けれども、だからどうしたっていうんですか? 結局のところアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは叩き潰された。そして、ミズ・ゴーヴィンダ自身は、何も出来ないままに死んでいった。

「砂流原さんはおっしゃるかもしれませんね。ミズ・ゴーヴィンダは何も出来なかったわけではない。少なくとも、最後まで自分自身の足で立ち続けることが出来たと。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティというあれほど小さな集団が、ASKのような大企業に対して膝を屈することなく戦い続けた。滅び去る直前まで、五本の指を持つ拳によって叩き潰される最後の瞬間まで、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは誇りと共に戦い続けた。それだけでミズ・ゴーヴィンダは十分に偉大なことを成し遂げたということが出来る。

「はははっ! まあ、まあ、砂流原さんがそうお考えになるのは構いませんよ。砂流原さんは「卓越」した方々のうちの一人ですし、そのような方々には、この世界に生きるほとんどの人には許されていない「思考の自由」なるものが許されていますからね。とはいえ、そういったことをおっしゃりたいのならば、私ではなく、ASKとの戦いで死んでいった人々におっしゃって下さいよ。ASKによって兎のように狩られて、魚のように捌かれていった人々。残酷で悲惨な死を迎えた人々にそういって下さい。そのような人々にとって、誇りなどというものになんの意味がありますか? あのですね、最後まで自分の足で立ち続けたとおっしゃりますが、最後の最後には倒れ伏しているんです。引き裂かれた自分の喉から滴り落ちた血溜りの中に倒れ伏しているんですよ。そのような人々に、そうおっしゃって下さい。

「まあ、確かに、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに所属するほとんどの人々は、信じられないほどの多幸感と共に戦場に向かったでしょう。それは否定しませんよ。それに、そういった人々のうちの大半は、銃弾が心臓を貫いたその瞬間でさえ、刀刃が肉体を引き裂いたその瞬間でさえ、幸福なままでしょう。あはは、人間とはそういう生き物ですからね。そのことについては私も認めます。しかしながら、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティの中には、そのように死んでいったわけではない人々もいたはずです。かなりの少数であったと思いますが、決して幸福であるままに死んでいったわけではない人々もいたはずです。

「なぜなら、多幸感を抱いたままで死んでいった人々は、決して現実の世界の中で幸せであったわけではなかったからです。そういった人々は、あくまでも、物語の中で幸せであったに過ぎない。そういった人々の幸福は、物語において主人公であったということの幸福なんです。栄光、栄光、栄光ですよ! 砂流原さん、いいですか、そういった人々は、栄光に包まれながら死んでいったと信じていたからこそ幸せであったわけです。

「とはいえ、あらゆる集団には、その集団の価値観とは決定的に異なった場所で生きている人々がいます。そういった人々は、その集団が構成員に対してそういう風に生きるように押し付ける物語を拒否します。その拒否の態度というのは、別に積極的な拒否ではありません。ただただ受け入れられないんです。私達が九つの面を持つ正多面体というものを想像出来ないように、そういった人々は、そのような価値観の正当性を理解出来ない。だから、どうしても、集団内部で共有されている物語を生きることが出来ないんです。そして、もちろん栄光を信じることも出来ない。

「アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティにもそういう人々がいたはずなんです。というか、実際にいました。私が同行取材をした時には、少なくとも十数人の人々がそういう人々でした。そういう人々は、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティがそうであるように強要する価値観を受け入れられなかったのですが……しかしながら、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティから離れることも出来なかった。なぜなら、そういった人々が身を置いていた状況下では、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティから離れれば死ぬしかなかったからです。そういった人々には、その集団の価値観を受け入れて生きていく以外に選択肢はなかった。

「もちろん、いうまでもなく、そういった人々は絶望と共に死んでいきました。死へと至る苦痛の中で、惨たらしく死んでいったんです。そういう人々は主人公ではなく、また、そういう人々には栄光は訪れないからです。強制された義務として戦場に赴き、これもまた強制された義務として死んでいった。ただただ、淡々と、諦めだけに看取られて死んでいったんです。砂流原さんは、そういう人々のことを、一体どう思うのですか? 数千人いる中の、たった十数人に過ぎないと? 誇りを持たずに死んでいった臆病者だと? アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティが成し遂げた偉大な業績の些細な犠牲に過ぎないとお考えになるのですか? はははっ、なんというtyranny! 弱者を軽蔑する強者の論理!

「つまり、砂流原さんのおっしゃる「正しさ」なるものは、こういった弱者への搾取によって成り立っていたんです。こういった弱者は、いわば奴隷でした。自分が信じてもいない栄光に、生命さえも投げ出さなければいけない奴隷だったんです。また、それだけでなく、栄光の中で死んでいった方々も、やはり現実の中で幸福であったわけではない。そういった人々は、集団によって「幸福であれ」と強制されたから幸福だったんです。その強制を唯々諾々と受け入れたからこそ幸福だった。そして、それは、所詮は物語の中での幸福でしかなかった。

「あはは、砂流原さんは……この言い方だと、いまいち納得出来ないようですね。当の本人達が幸福を感じながら死んでいったというならばそれを幸福と考えてもいいのではないかと、そうお考えになっているんでしょう。私も、まあ、その意見には賛成せざるを得ませんがね。とはいえ、その幸福が無理のある幸福ではなかったのかということには、やはり議論の余地があると思います。つまり、幸福を感じていた方々も、死んでいく時には苦痛を感じていたわけです。自分の中から生命が流れ出す時の虚無を感じていたわけです。もちろん、あらゆる人間が死に至るわけであって、最終的にはそういう感覚を感じることになるでしょうが。とはいえ、混乱の中で死ぬ時に感じる苦痛と平和の中で死ぬ時に感じる苦痛とには、それなりの大きさの違いがあることには間違いないでしょう。つまり、幸福に死んでいった人々でさえ、完全な幸福の中で死んでいったのではない。苦痛と虚無と、それに絶望をも感じて死んでいったはずなんです……よほどの例外を除いて。

「それに、それだけではなく、そういった人々が感じていた幸福というものはあくまでも公的領域におけるものでした。要するに「人間の勝利」に過ぎなかったというわけですよ。私達が先ほど議論した真の幸福、つまり、私的領域における幸福ではなかった。生物学的な欲望を満たすという安全も、人間以上の何かに近付こうとする超越も、その幸福の中には含まれていなかった。それは、関係知性の断片としての私達が自然に抱くところの快楽が満たされたことによる幸福ではなく……集団の中に構築された関係性によって無理やり押し付けられた幸福でしかなかった。

「つまり救えなかったんですよ。ミズ・ゴーヴィンダは、現実の中では誰一人として救うことが出来なかった。それは、決して、救済ではなかった。所詮は感動の充足・憎悪の充足に過ぎなかったんです。確かに、自分はヒーローだという思いの中で死んでいくことは気持ちがいいことでしょう。あるいは、自分を抑圧してきた何者かに噛み付きながら死んでいくことも満足感を得られることかもしれません。けれども、そういったことは、全て執着でしかないんですよ。しかも、ただの執着ではない。この世界にあらゆる混乱と絶望とを撒き散らすもの、自己愛と嫌悪感と、その二つに対する執着なんです。

「アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティは、そのように滅びていった。救われていたわけでもなく、正しかったわけでもなく、ただただ自己愛がもたらす感動と嫌悪感がもたらす憎悪とだけを道連れに滅びていったんです。それを……砂流原さんは、偉大なことだとおっしゃるんですか? あはは、まあ、別に構いませんがね。先ほども申し上げたように、砂流原さんは特権階級の方ですから。どうぞご自由に、自分自身の意見なるものをお持ちになればいいと思いますよ。ただ、私は、そう思いません。それが偉大なことだとは思わない。そして、もちろん、ミズ・ゴーヴィンダも、それに同意して下さったはずです。

「あはは、そう、ミズ・ゴーヴィンダが自分のしたことを偉大だと思っていたわけがないんです。それどころか、自分がしたことはこれ以上ないというくらいに愚かなことだったと考えていたでしょう。あの人は人間じゃありませんでしたからね、人間よりも遥かに賢い生き物、フォー・ホーンドのダイモニカスだったんです。しかもそれだけではなく、あの人を育てたのは……砂流原さんもよくご存じの、あのエージェントなんですから。

「ミズ・ゴーヴィンダは分かっていました。この方法では誰一人救えないということを、そして、どうすればアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティを救えるのかということを。何もかも分かっていたんです。そう、救えた、救えたはずなんです。断言しましょう、私はそれを断言します。ミズ・ゴーヴィンダのような賢いダイモニカスならば、絶対に、アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティを救えたと。その方法を、ミズ・ゴーヴィンダは、完全に理解していた。

「まずは……ダクシナ語圏における支配領域の売却交渉を暫定政府がASKと開始したという一報が入った時点で、ミズ・ゴーヴィンダはアヴィアダヴ・コンダの住民をダクシナ語圏から脱出させるべきだった。脱出先は、そうですね、カタヴリル語圏が良かったんじゃないでしょうか。あそこならば、スーカラマッダヴァがシータ・ゴーヴィンデーサを滅ぼした時に脱出した人々の末裔が住んでいますし、使用言語も近しいものがあるので、比較的受け入れられやすかったはずです。確かに、当時のアヴィアダヴ・コンダの人口は十数万人に上っていました。それに、他の生命体、移動可能な生命体を全て合わせれば、とんでもない大集団になっていたでしょう。しかしながら、そうしていれば……少なくともアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティの生命の大半は救えたはずです。それに、もちろん、カーマデーヌもね。

「あるいは、ASKの攻撃が開始されてからでも。カーマデーヌがASKによって奪われてしまってからでも、まだ回復は可能でした。この段階で、どう回復可能か? 最初にするべきことは、もちろんカタヴリル語圏に脱出することです。そして、そこからは、軍事的な解決策ではなく政治的な解決策を探っていくべきだった。アーガミパータ内の神国主義勢力に対して働きかけを行う。スーカラマッダヴァとの紛争で同盟を結んだ際に手に入れた人間至上主義勢力に関する情報と引き換えにするだとか。もっと直接的に、そういった神国主義勢力が人間至上主義勢力と戦闘を行うことになった際に手を貸すということを条件にするだとか。そうして、ASKとの闘争において援助をするように働きかけを行う。

「そのようにして、アーガミパータ内におけるアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティの影響力を増していった後で……ファニオンズのJuror No.10に対して訴訟を提起する。確かに、以前も申し上げた通り、暫定政府とASKとの間に結ばれた領域売買の契約には問題がありません。ただ、そうはいっても、その後でASKがアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティに対してしたことは、ファニオンズが定めるレギュレーションに違反している可能性があるわけです。まあ、領域侵略に関しては難しいかもしれませんがね。今回のASKの領域侵略は、ファニオンズが定める「武力による占領」の条件を満たしたものでしたから。しかしながら、カーマデーヌの件に関しては、訴訟に勝利する可能性があった。「関係性侵害」の方向で裁判を進めていくか、それとも「軍事力平衡条件」の方向で裁判を進めていくかはともかくとして、そういった方向性で進めていけば、僅かながらですが勝訴する可能性があったんです。

「そして、もしも勝訴出来なくても。少なくとも和解に持ち込むことは出来たでしょう。そうすれば、ASKにおけるカーマデーヌの待遇は今よりもかなりましなものになっていたはずです。ひょっとして上手くいけば、カーマデーヌを取り戻すことさえ出来たかもしれない。それに、それだけではなく、全部とはいかなくても、領域の一部を取り返すことが出来た可能性だってある……あはは、砂流原さん、その顔は、どうやら、私の言っていることを疑っていらっしゃるみたいですね。ASKのような集団が、ファニオンズのレギュレーションに違反するようなことをするはずがない。ASKの法務部がそんなことを許すはずがない。そう思っていらっしゃるんでしょう。

「まあ、基本的には、砂流原さんの考えは正しい考えです。もしもアヴィアダヴ・コンダ・ダコイティがファニオンズに訴訟を起こす可能性があるのだとすれば、ASKは、絶対にそんなことをしなかったでしょう。しかしながら……ASKは分かっていたんです。アヴィアダヴ・コンダ・ダコイティがそんなことをしないということを。ファニオンズに訴えるのではなく、あくまでも徹底抗戦をするだろうということ、自分自身の力によってカーマデーヌを取り戻そうとするだろうということを分かっていた。だからこそ、多少のレギュレーション違反をしても大丈夫だろうと読んだんです。そして、結局のところ、その読みは正しかった。

「とにかく、ミズ・ゴーヴィンダは救えたはずだったんです。救うための方法があった、そして、その方法を理解していた。それにも拘わらず、ミズ・ゴーヴィンダは、結局のところ何も出来なかった。あはは、それがなぜか分かりますか、砂流原さん。もちろん、それは、物語のせいです。栄光のせい、憎悪のせい、感動のせいです。人間達が、そんな下らないものに囚われていたから。だから、ミズ・ゴーヴィンダは何も出来なかった。」

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