第23話

 宗鉄は袖を巻くって逞しい二の腕を露にするが、当のエリファスは背中の羽根を動かして空高く非難する。


「何で朝早くから沐浴に付き合ってあげたのに殴られなくちゃならないのよ」


 背伸びをしても絶対に手が届かない位置にまで飛んだエリファスは、真下にいる宗鉄に向かって赤い舌をぺろりと出す。


 その行為が宗鉄の苛立ちを増長させた。


「ふざけるな! お前が勝手についてきただけだろうが!」


 宗鉄は手に持っていた鉄砲をエリファス目掛けて振り回す。


 だが、やはりエリファスには掠りもしない。


 そんな二人を見ていたウィノラは、ふとある異変に気がついた。


「救世主殿……そう言えば今日はあの奇妙な髪型ではないのだな」


 そうである。


 昨日までの宗鉄は奇妙に結った髪型をしていたのだが、今の宗鉄は背中まで垂れた長髪をうなじの辺りで一房に縛っていた。


 そのせいか前髪も眉の下にまで垂れ下がり、よく見ると昨日までの印象とまったく違う。


 どちらかと言えばコンディグランドに住まう部族が結う髪型と酷似している。


「おいおい、今頃になって気づくなよ」


 宗鉄はエリファスを鉄砲で殴ることを諦めると、素朴な疑問を口にしたウィノラに向き直った。


 本人もあまり気に入っていないのか、仕切りに垂れていた前髪を弄り出す。


「本当は髷を解く気はなかったんだ。だがな、どこかの馬鹿が一瞬の隙をついて髷を解きやがったんだ。

 くそ、武士にとって大事な髷だというのに」


 悪態をついた宗鉄にすかさずエリファスが反論する。


「何さ。あんな変な髪型だと洗髪するのに不自由だと思ったから手伝ったのよ。それにそのお陰で髪の隙間に入っていた砂粒が取れたんなら、感謝されてこそすれ非難される謂れはないわ」


 えへん、と両腰に手を添えて胸を高らかに張ったエリファス。


 その態度と表情には悪びれた感情は一切見受けられず、むしろ褒めてくれと言わんばかりに自慢げであった。


 一方、宗鉄は洗髪したのだろう頭を掻きながらため息を漏らす。


「……ったく、髪結床もない世界でどうやって髷を結えばいいんだ」


 ぶつぶつと呟き始めた宗鉄は、誰の目にも明らかなほど気力が削がれていた。


 無理もない。ウィノラは宗鉄が置かれている現状をよく知っている。


 間違いだったといえ、〈アスラ・マスタリスク〉によって異世界からこちらの世界に飛ばされたことは紛れもない事実。


 しかも、次の〈アスラ・マスタリスク〉が舞えるのは十五年後である。


 そしてウィノラは宗鉄に内緒にしていたが、本来の〈アスラ・マスタリスク〉は複数の踊り手により舞わなければならない神聖な踊りであり、たとえ十五年後に〈アスラ・マスタリスク〉を舞ったとしても確実に元の世界に帰せる保障はなかった。


 だがそれを告げてしまえば、宗鉄は今すぐにでも集落から出て行ってしまうだろう。


 それだけは駄目だ。宗鉄には何としてでもピピカ族の願い、強いては自分の願いも叶えてもらわなくては困る。


 ウィノラは肩を落として落ち込んでいる宗鉄を優しく慰めようとした。


 ここは徹底的に宗鉄を慰め、一日でも多くこの集落に留まってもらおう。


 そのためには自分の身体ぐらいは喜んで捧げる覚悟がある。


 ウィノラは宗鉄に近寄り、そっと触れようと手を伸ばした。


 そしてウィノラの手が宗鉄の肩に触れようとした瞬間、


「おおおおおおおおおお――――ッ!」


 突如、宗鉄は野獣の咆哮に似た雄叫びを上げた。


「うおッ!」


「きゃあッ!」


 そのあまりの声量にウィノラとエリファスは驚愕した。


 ウィノラは思わず後退し、エリファスは両耳を押さえて旋回を繰り返す。


 やがて雄叫びを発し終えた宗鉄は、打って変わった無表情でぽつりと呟いた。


「まあいいか。どのみち鮎原家からは出る予定だったんだ。それにここもある意味、異国とも言えなくはない」


 一人得心した宗鉄だったが、至近距離から激しく耳朶を刺激された二人は得心がいくはずもない。


 特に異世界のアスラは相当にご立腹だった。


「この馬鹿! いきなり馬鹿みたいに叫ばないでよ、馬鹿!」


 異世界のアスラであるエリファスは目にも止まらない速度で宗鉄の鼻先に近づくと、何度も頷いていた宗鉄の鼻っ柱に渾身の蹴りを見舞った。


 さすがに折れはしなかったが、宗鉄はほどよく伸びている鼻梁を痛々しそうに押さえつける。


「何をする! 俺の鼻を蹴り折る気か?」


「うるさい、この馬鹿! 何を一人で馬鹿みたいに納得してるのよ。あんた、元の世界に帰りたくないの?」


 エリファスにそう指摘された宗鉄は、鼻を啜りながらう~んと唸る。


「帰りたくないかと言われれば帰りたいさ。だが現状を鑑みる限り、その可能性は低いのだろう? それはウィノラも言っていただろうが」


 宗鉄はウィノラの説明を明確に覚えていたらしい。現状では今すぐに宗鉄たちが元の世界に戻れる手段がないことを。


「その件についてなんだけど」


 不意にエリファスは視線を宗鉄からウィノラに移した。


「ねえ、ウィノラ。本当にわたしたちがこっちの世界に来た原因はあなたが舞った踊りのせいなの? もしかして、何か他の要素も加わってない?」


「と言うと?」


「うん。わたしは向こうの世界で〈シレルタ〉っていう魔道具に封印されていたのね。それでソーテツは覚えてないと言い張っているんだけど、ソーテツは間違いなくその〈シレルタ〉に施されていた封印を解いたはずなのよ。その際、もしかするとわたしとソーテツをこっちの世界に飛ばすほどの〝何らかの原因〟があったかもしれないの。まあ、これはあくまでもわたしの仮説なんだけど、魔術師でもないソーテツが〈シレルタ〉の封印を強引に解いたせいで大量の魔力が〈シレルタ〉から溢れ出し、偶然にも同じ時刻にウィノラが特別な踊りを踊ったことでわたしとソーテツの二人が次元の狭間を通ってこっちの世界に飛ばされた……とかね」


 矢継ぎ早に仮説を口にしたエリファス。


 だがその仮説を笑い飛ばしたのは他でもない宗鉄だった。


「まったく、お前も物ノ怪の端くれならばもう少しマシな仮説は立てられないのか? お前の話を聞く限りでは、そんな偶然がほいほい重なったとはとても思えん」


 それはウィノラも同意見だった。


 そしてあまり詳しいことはわからなかったが、宗鉄とエリファスがこちらの世界に来た原因は間違いなく自分が踊った〈アスラ・マスタリスク〉が原因なはずである。


 異世界からアスラを召喚する。それこそが〈アスラ・マスタリスク〉の力だからだ。


 ただ、今回は自分一人が踊ったせいで人間の宗鉄も召喚してしまったのだが……。


「だからあくまでも仮説だって話よ。でも、そうとしか考えられないのよね。それでも、せめて〈シレルタ〉さえあれば何かわかると思うんだけど」


 エリファスは額を人差し指でこんこんと突き始める。


「さっきから気になっていたんだが、その〈シレルタ〉とは何なんだ? 魔道具と言っていたが大地を耕す農具とは違うのか?」


「全然違うわよ」


 そう言うとエリファスは、両腕を使って〈シレルタ〉の大きさを表現する。


「このぐらいの大きさの魔道具なんだけど。う~ん、ソーテツたちには何て説明すればいいんだろう? 銀色と鈍色の中間色をした円盤って言えばわかるかな?」


 銀色と鈍色の中間色をした円盤? その単語を聞いた直後、ウィノラは大きく目を見張った。


(それはもしかすると……)


 エリファスの言う魔道具――〈シレルタ〉についてウィノラは口を開こうとしたが、その言葉は最後まで二人に伝えることはできなかった。


「何、この音?」


 突如、言葉を伝えようとしたエリファスが高らかに舞い上がったからである。


 そしてふと隣を見てみると、宗鉄は宗鉄で衣服が汚れることも構わずに地面に蹲り、片耳を地面に押し付ける奇妙な行動に出ていた。


 無論、二人の行動はウィノラも奇妙に思った。


 しかし、二人が取った行動の意味をウィノラはすぐに知ることになる。


 なぜなら、集落全体には太鼓の音が盛大に鳴り響き始めたからだ。


 危険を知らせる警鐘の太鼓の音色が――。

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