22 姉妹、迷宮で崇められる
レオノールが提供する料理を冒険者たちが膝を折り慎んで受け取り、感動に咽び泣きながら舌鼓を打ち始めた頃。
「よし出来た、完璧。さすが私」
製薬の材料と製法、魔力使用条件などを覚え書き程度に書き込んだトレント素材の木版を地面に積み重ね、ナディの製薬が完了した。
その量は、三十人前のスープが余裕で作れる鍋いっぱいにある。どうやら興が乗って量の自重を失念したようだ。まぁ、いつものことではある。
それを【
なぜ三十ミリリットルなのか。それは毒で意識が混濁していても、無理なく服用できるのがその量だからだ。
移し替えた薬瓶には、品質保持の魔法を付与してある。迷宮産の、特に【
こうして、出来上がって瓶詰めした薬を毒に冒された冒険者たちに手際よく配っていくが、配られた方は当然戸惑っている。
それはそうだろう。突然現れた少女が毒素材をかき集め、鍋で煮詰めて作った物だ。濁りが一切ない澄み切った琥珀色でコンソメスープっぽいが、どう考えても怪しさしかない。
「……これって、本当に薬なの? なんか澄んでて綺麗だし、匂いが全然しないわ」
「オレもそう思う。スープか何かじゃないのか?」
「いや、でも使ってたのって毒素材だったぞ。見てたから間違いない」
「うん、そうよね。工程を見てたら殺意しか感じない色してて、でも突然澄み切ったのよ。まるで魔法みたいだった」
「まっさかー。魔法なんてお伽話の中でしかないヤツだろう? そんなわけないよ」
「いや、でも……『
「それはただの噂だろ。本当なら辺境伯やお貴族、王家が黙っていないよ」
その薬の出来栄えを怪しみつつ、それでも感嘆した冒険者たちが口々にそんなことを言っている。
そしてついに【
それほどナディの製薬は魔法のようであり、また奇跡のようでもあった。
奇跡かどうかは置いておいて、本当に魔法なのだが。
現代において、基本的に製薬はカテゴリーとして【
よってその双方を同時に行使するどころか同じく習得するのは、事実上不可能とされていた。
そんな習得に努力と時間を要する高度な技術を、そんなの関係ねぇとばかりに複合してナディはシレっと使っちゃっていた。
それもそのはず。前々世でナディは【
そもそも【
なぜなら前述の学問的常識もあるが、【
そして【
つまりナディは――この場合は前々世のナディージアだが、ともかく、そういった固定概念を知ってか知らずかぶち壊していた。
当時から「快適に過ごすのを邪魔するのなら常識なんていらない」などと危険なことを公言していたし。
ともかく。
ナディが出来栄えに自己満足してドヤ顔で配るその薬を、冒険者たちは受け取りはしたが、胡乱な目を向けるばかりで飲もうとしない。
(うん、知ってた。いきなり出てきた小娘が作った薬なんて誰も飲まないよね)
独白し、やれやれとばかりに溜息を吐きつつ頭を掻く。
落ち込んだりはしていない。ぶっちゃけると、久しぶりに製薬ができたから良しとする。
しかもそれが上出来で腕が鈍っていないのが確認できたのだから、言うことはない。
完全に自己満足であるし、誰かのためにやったわけではないのだから、どうこう言う気はさらさらないナディであった。
飲みたくないなら飲まなくていいし、飲みたかったら飲めばいい。飲んで後悔は絶対させないし。
「おい、それ、くれ」
そんな中、毒に冒され半身が赤黒くなっている、短身だが引き締まった体躯の岩妖精であろう男が横たわりながらそう言った。
「え、待ってエタン。こんな怪しい、薬かどうかも分からないのを飲むつもりなの!?」
毒に冒された男――エタンの言葉に驚き、そばに座っている仲間であろう、同じく岩妖精の軽装の女冒険者が声を荒げる。
「そうは言ってもな、ウラリー。このままだと俺は動けないし、自力での回復もできそうにない。なら一縷の望みに賭けるのも悪くないだろう」
そう言い、ニヒルに笑う。それを見て、涙目になりながらもウラリー立ち上がった。
「何言ってるのよ! もしかしたら解毒の魔術を使える【
「はい、どーぞー」
そんな悲壮な覚悟だったり痴話喧嘩なんかどーでもいいわと言わんばかりに、音もなくそばに寄ったナディはエタンの口に薬を流し込む。量が少ないため、それはすぐに飲み込めた。
まさかそんな突飛な行動に出るとは思わなかったウラリーは、何が起きたのかが理解できずにそれを一瞥する。だがすぐに二度見して状況を理解し、自分の顔を押さえてとりあえず悲鳴を上げた。
「ちょ! あんた何やってんの!?」
「薬飲ませたんだけど?」
言いながら両手をワタワタ意味不明に振り回すウラリーを不思議そうに見て、そんなん当たり前でしょとでも言わんばかりにコテンと首を傾げてそう返すナディ。仕草がちょっと可愛くてあざとかった。なお、無自覚である。
「あんな毒素材しか入っていないのが薬なわけないじゃない!」
(うん、そりゃそうだ)
傍から見たらそうとしか見えないだろう。その辺の理解はしっかりしているナディである。ただし、作った薬の薬効をプレゼンするという当たり前ができていない。
「う……があ! こ、これ……は……!?」
「エタン! エタン! しっかりして! 死んじゃイヤよ! 吐き出して!!」
胸を押さえて顔を顰め、硬く目を閉じて歯を食いしばるエタンにすがりつくウラリー。その双眸からはポロポロと涙が溢れている。
実は二人は夫婦で冒険者をしており、今回もうすぐ結婚記念日だからちょっと贅沢をしようと、稼ぐために迷宮に潜行したのだ。
そうして無理をしたがために、こんな有様になってしまったのである。
「ああ、エタン! こんなことなら無理なんてするんじゃなか――」
「うーまーいーぞーーーー!!」
「ふぁ?」
勢いよく跳ね起きて立ち上がり、エタンは両手を掲げて叫ぶ。その声はセーフエリアにエコーを効かせて響き渡った。
「なんだこれ!? めちゃくちゃ美味いぞ! 本当に解毒薬か? もっとこー、ドロドロしてて死ぬほど不味いのを想像してたんだが!?」
毒のせいで身体が動かなかったばかりか、壊死が始まり死を待つだけだった彼の身体が、解毒剤を飲んだだけで一気に全快している。
それは正しく魔法のようであり、奇跡のようで以下略。
「フ……そんなクソ不味い薬しか作れない素人連中と一緒にされちゃ困るわ」
濡烏色の髪をかきあげ、半眼になってそう言うナディ。格好をつけているが、よく見ると狙い通りに効能が発揮されたからか、口元がちょっとニヨニヨしそうになるのを堪えている。
「いい? 本当に良い薬っていうのは、薬効が合致さえすれば美味しいのよ。『良薬は口に苦し』なんてウソなの。身体の水分が足りないときに飲む甘塩っぱい飲物が美味しいのと同じよ」
「一般的な薬の常識を覆し証明する見事な製薬。さすおね」
そんなある意味で常識をぶち壊したナディの言葉に戸惑いながら、だが目の前に実例があるために、解毒薬を配られた冒険者たちが一斉にそれを飲み干した。
そして――
「「「うーまーいーぞーーーー!」」」
揃いも揃ってエタンと同じリアクションをした。
(自分でやっといてなんだけど、なんか、料理対決をするグルメマンガの審査員みたい)
そういう系はあんまり読まなかったなーと、遠い過去の記憶を懐古するナディであった。
そんな、口や目から怪光線が飛び出したり、着衣が意味不明に弾けたりしそうな過剰なリアクションをしている冒険者たちを尻目に、ナディは料理を配りつつ追加分を作っているレオノールの元へ行く。
「頑張ったからお腹すいたわ。ねぇレオ、私にもちょうだい」
一仕事を終えたナディは、レオノールが用意したスープを装って貰う。
それは以前、【
関係ないが、この世界に食物アレルギーは存在しない。
「うわー、この海老スープめちゃうまなんだけど。短時間でこれほどのスープを作るなんて、レオすごい!」
「お姉ちゃんに褒められると何より嬉しい。でも短時間じゃなくて四時間くらい経ってる。お姉ちゃんは夢中で気付かなかっただけ」
「あっれー? そんな経ってた?」
夢中になると周りが見えなくなるナディである。三回目の時もその傾向があり、気付いたら目の前にものすごく魅力的でイケメンな変態森妖精が、キス待ち顔で待機していたこともあったし。
その変態とは、断じてそういった関係ではなかった。彼女は生涯
変態が付き纏っていたせいで浮いた話から縁遠かった、という見方もあるが。
「それにしたって、このスープは絶品だわ。やっぱりレオはヤバイくらいの天才ね」
「お姉ちゃんのレシピ通りに作っただけ。これを見れば誰でも絶品料理が作れる。分かりやすくレシピを用意するという誰にでもできそうでできないことをする。さすおね」
そう言い合い、サムスアップする姉妹である。その後、料理談義に花が咲き、興が乗ったのか海老のビスクを作り始めた。
そのまま食して良し、パンに浸しても良し、パスタなどの麺やペンネ、マカロニなどに絡めても良しな万能食がその場にいる冒険者たちにも振る舞われ、皆は感涙に咽びながら平らげたという。
こうして毒状態を治療したり料理をふるまったりした二人の前に、冒険者たちは片膝を突いて感謝の礼を捧げた。
岩妖精の冒険者は愛用の加工用ハンマーを掲げ。
戦闘民族と悪名高い純血の草原妖精は短剣やククリナイフを掲げる。
土妖精は各々持っている鎌や鉈といった農機具を掲げた。
そしてヒト種の冒険者たちは、膝を突き首を垂れる。
それは、各種族における最大の感謝の礼であった。
関係ないが、この迷宮【
森妖精や海妖精の冒険者も、生理的に合わないからという理由でいない。
それと、獣人族も絶対に潜行しない。薄々分かっているとは思うが、この迷宮では食材品のドロップはないからだ。
こう見ると、ナディとレオノールの発想は限りなく獣人族に近いのかもしれない。
食欲第一なところが!
ともかく。
二人にしてみれば単にやりたいからやっただけであり、感謝される必要も理由も一切ない。よってそんな畏まった礼をされても困るわけで。
なんか居た堪れなくなり居心地が悪くなった二人は、食器類や製薬に使った材料やその他をそのままにして五層へと逃げるように突入した。
「あ……行っちゃった……」
逃げるように去って行く――いや、実際逃げた二人を呆然と見送った岩妖精のウラリーは、先ほどの失礼な態度を謝罪できなかったことを後悔した。
二人の、そんなことなんか気にするなとばかりの行動が、よりその心に突き刺さる。
それに、残していってくれた食事や、場合によっては金品よりも財産となる製薬のレシピすらも残していった。その大きな度量を前に、自分がいかに小さく心が狭いのかを思い知らされるウラリーであった。
「あたし……最低だ……」
ナディが残していった、空になったミスリル製の製薬鍋を手に取り、薬瓶を集めながら、自身を責めて涙を落とす。
「エタンを、助けてくれたのに、お礼すら言えなかった……」
その呟きは、そこにいる全ての冒険者たちの代弁でもあった。
そう――彼、彼女らは、各種族における最大限の礼はしたが、言葉での礼はしていなかったのだから。
「おれ、今後同じく困っている人を見たら、あの娘らのように助けようと思う。いや、助ける!」
「そうだ。困っていたり、大変な目に遭っていたら助けないとな!」
「大変なのはお互い様だ! そういう時こそ助け合わないと!」
「あの娘たちは、自分の損得なんか度外視でアタイたちを助けてくれたのよ。なら、助けられた恩を返すのが当然よ!」
「そうなんだよ! 与えられた恩や幸福は、みんなで分けてやらないと!」
「それに、薬師にとって秘奥なはずのレシピも置いていってくれるなんて……」
「本当に、なんて娘たちなの……しかも迷宮で逸失しないように紙素材じゃなく木版で――て、え? 待って、これって普通の木版じゃないわ。トレントの木版よ!」
「は? いやいや、いくらなんでもそんなわけはないだろ……うわ! マジでトレントの木版だ!」
「ねぇ、この薬瓶。結晶素材使ってるみたい……」
「ちょ! この薬鍋、純ミスリルだぞ! 時価で金貨十枚はするぞ!」
「ウッソだろ!? いや、岩妖精のお前が言うんだから、本当なんだろうな……」
こうして二人の功績を――というかやらかしを良い方に捉え、讃えて盛り上がる冒険者たち。
それは一昼夜続き、何がどう転がったのか不明だが、なぜか宗教っぽい広がりを見せ始めた。
数年後。この五層へと続くセーフエリアに、祈りを捧げる少女の像が置かれることとなる。
その台座には解毒剤のレシピが刻まれており、傍には錬金工房もかくやとばかりの製薬設備が揃えられた。
それは製薬に携わる者ならば誰でも利用可能となっており、だが機材の持ち出しは厳しく禁じられたという。
レシピに関しては秘奥ではなく公開されており、写し取って持ち帰るのも自由とされた。
像を作ったのは、最初にナディの解毒剤を飲んで絶叫した岩妖精のエタンである。彼は岩妖精の中でも、銀細工で一目置かれる一角の人物であった。
そして製薬設備を整えたのは、その妻であるウラリー。彼女はその後、レシピを熟読して解毒薬製造のスペシャリストとなる。
毒による被害が多発する迷宮でそのような設備を整えたその功績は、後々まで讃えられ褒賞を与えられるほどであったが、二人はそれを固辞したという。
毒に苦しむ冒険者たちに救いを。
それが、この【薬の聖女】の願いなのだから――
と、良いように解釈されて知らぬ間に崇められ始めたことなど知りもしないし知りたくもない二人は、
「【
「【
高速飛行をしつつ毒々しい魔物を蹂躙しながら五層を進んでいた。
そしてやっぱり出ない食材(主にお肉)に渋面になりながら、六層へのセーフエリア前に陣取っている階層主に突貫する。
通常ならば
そんな特大でレアな蛇を目の当たりにして顔を見合わせた二人は、無言で強烈な冷気を放って動きを鈍らせ、轟音と共に無数の雷を落として瞬殺した。
お肉が出ないのがなんとなく分かっちゃった二人に、棲息する魔物への慈悲はない。
元々そんなものはないが。
そうしてドロップした黒地に赤と青緑りのラインが入っている蛇革と毒腺、牙、丈夫な骨格、そして毒々しい色の魔結晶を【
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