四つ巴Ⅳ

 一歩踏み出した男はニヤリと笑みを浮かべた。その男の右腕の先にはあるはずのない右手が存在しており、コキコキと音を鳴らしていた。

 前回の逃亡時ほどの狂気は感じられなかったが、その瞳には常人が宿すことのできない暗い色が覗いているように思える。


「まぁいい。俺の目的はお前さんじゃなくて、そこの大妖精にある。悪いことは言わねぇから、ちょっと退いてな」

「そう言って退くとでも?」

「武器も持たないガキが吠えるじゃねぇか」


 そう言われてユーキはその通りだと思った。丸腰の子供がいたところで、あの驚異的な動きをする目の前の男に叶うとは到底思わない。

 だが、逆に言えばそれはチャンスでもあった。どうやら、男にはユーキがフィンの一撃と呼ばれる強力なガンドを撃てることを覚えていないらしい。密かに右手の人差し指へと魔力を集めるとティターニアの顔が歪んだ。


「私に、何の用ですか?」


 ユーキを庇うように一歩前に出る。


「ちょっと貰い受けたいものがあってね。あんたの保護したガキの一人なんだが?」

「何のことですか? ここには私たち妖精と彼のようにここ数日で訪れた人しかいませんが」

「くっくっくっ。嘘が下手だな。こっちは色々と調べた上で来てるんだ。何年も前に少女を一人、ここでずっと保護してるだろう?」

「――――何故、それを!?」


 ティターニアが息を飲むのが背後にいたユーキでもわかった。

 その反応を見て、男は笑みを隠そうともせずに天を仰いで顔に片手を当てる。


「はっはっはっはっ! 本当にいるとはな。やっぱり嘘が下手だぜ、あんた! やっぱり大妖精とは言っても、結局は妖精か」

「……あなた。あの子に一体何をするつもりですか?」

「なーに。俺たちのちょっとした実験に付き合ってもらおうと思ってね。いや、違うな。既に実験は終わってるから、ちょっとした答え合わせのに、な」


 その答えに対して、ティターニアは言葉ではなく、森の木々たちの力で返答をした。

 風が吹き抜け、葉が舞い踊り、幾本もの植物の蔓がしなる。

 男が首を僅かに傾けるとその近くを葉が数枚通り抜けていった。ただ突風に顔を逸らしただけに見えた其れは、いつの間にか男の頬を切り裂いていた。魔力で強化されているだろう肉体をいとも簡単に傷つけられたことに、男は驚くでも怒るでもなく純粋に称賛する。


「お見事。オツムはどうか知らんが、少なくとも魔法に関しちゃ、なかなかのもんだ」

「御託は結構。疾くここを去りなさい。従わないならば――――」

「――――従うと思うか?」

「――――こうするまでです」


 ユーキの開いたままだった魔眼に、森の深緑には不釣り合いな朱の波紋が唐突に飛び込んで来た。

 それが自分の意識や体の自由を奪った力の姿なのだと本能的に悟る。吸血鬼の魅了の魔眼もどきを食らったことも有るが、ティターニアのそれは比べ物にならないほど力強く放たれた。


「わりぃな。そういうのは一通り効かないように対策してるんだ。いくらやっても無駄だ」

「そ、そんな」


 数秒間、まともに何らかの魔法を食らったのにもかかわらず、涼し気な顔で話し掛けてくる男の姿にティターニアも思わず後ずさる。

 物理的に男を拘束しようと蔓が足や腕、果ては首にも巻き付いていくが男は微動だにしない。呻くことも身動ぎすることもなく、ティターニアをじっと睨み続ける。

 更にいくつもの蔓が体へと巻き付いていくが、それをものともせず男は一歩踏み出した。蔓が張り、今にも引きちぎれるとばかりに聞こえない悲鳴を上げる。


「さっきから……うぜぇんだよっ!!」


 足を踏み出しながら、思いっきり腕を前へと振り抜くとついに蔓が何本も裂け、地面へと落ちていく。その勢いのまま反対の腕も同様に引き裂き。両手で首や体に巻き付いたものを泥でも払うかのように引き剝がしていく。

 その間に葉の形をした刃が襲い掛かるが、肌に突き刺さることもなく地面へと叩き落され散ってしまう。男との距離は既に十メートルを切っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る