妖精庭園Ⅸ
息を切らせながらユーキが走っていると、背中へと何かが這うような感覚と共に微かに悲鳴のような声が聞こえてきた。
「誰か……いるのか?」
肩で息をしながら呼吸を整え、声がした方へと耳を傾ける。鼓動が耳朶を叩く音も相まって、耳を澄ませても人の声は聞こえてこない。
膝に手を付いて、一度地面へと視線を落とす。どれくらい走っただろうか。身体強化を使ったことも考えれば最低でも二キロは駆け抜けることができただろう。それでも代り映えのない景色に、ユーキは永遠にこの森が続くのではないかと錯覚を感じ始めた頃だ。
「さっきの見えないやつらは……いないみたいだな。何とかここから出るか。そうでなくても人に出会えればいいんだけど……」
見えている敵に追いかけられるよりも、敵かどうかもわからない見えない相手に追いかけられる方が精神的に疲労が大きい。ここまで追いつめられると踏ん切りも着くという物だ。
大きく息を吸って覚悟を決める。目を細めながら魔眼を開き、首を振って左右を確認する。
だが、それでも目に映るのは変わり映えのない緑の光。拍子抜けしてしまいそうになるが、ユーキは気を引き締めた。
「ホラー映画だって、安心した頃に何かが起こるんだ……。油断するなよ、俺」
酸素を体に運ぶ為なのか、恐怖に怯えている為なのか、心臓が早鐘を打って指先を震わせる。
変なところで慎重というか臆病になる自分に心のどこかで呆れつつ、背を近くの大木へと預けた。自分の視界に入る限りでは不自然に動く生命体は見当たらない。
一先ず大きく息を吐くと、魔力だけは指先に収束させたまま、肩から指先にかけて順に力を抜いていく。
「(一体何なんだ。さっきからずっと同じ視界しか見えないのに……何かが違う……?)」
今までと違い魔眼が映す視界には何らかの異様な色が存在していた。だが目の前に広がる緑の色は、かつて木や森を見たときに映る色と同じように見える。
「(今までは赤や黒が危険な色だと思っていたけれど……こいつも危ないのか!? まさか俺が同じ緑だと感じているだけで、実際はこれが全部異常な状態!?)」
その考えに行きついた瞬間、心臓が跳ねだす。そもそも、異様な色かどうかを判断していたのは自分自身だ。色は危険かどうかを直接教えてくれはしない。
もし、ここが全て危険な空間だとするならば、それに囲まれている自分はこの後どうなってしまうのだろうか。そんな思いが自分の心を侵食していく。膝が崩れ落ちそうになるくらいまで力が抜けていく。
自分の足元の緑の草ですら同じような色を放っている。そこから何か得体のしれない何かが飛び出てきそうで思わず後ずさるが、既に背を大木が塞いでいた。
気付けばユーキの口からは呼吸とは思えないような掠れた空気の音が漏れていた。まるで、喉のどこかに穴が開いているようだった。顎が細かく振動し、奥歯が何度もカチカチと音を立てる。
それを嘲笑うかのように風が吹き抜け、足元の草がさわさわと心地よい音を立てるが、ユーキにとっては恐怖以外の何物でもない。思わず大木からも離れ、周りをぐるりと警戒して見渡す。
「何をそんなに怯えているの?」
「――――っ!?」
唐突に自分の後ろから腕が回され、耳元で女性が囁いた。
心臓が暴れ狂うのを堪え、ユーキは唾を呑み込む。
後ろから伸ばされた腕には見覚えがあった。それは間違いなく自分を攫い、手を引いてこの森の奥へと招き入れた女性の腕だ。
その声には聞き覚えがあった。どこか嬉しそうに自分へと語りかけた高い女性の声だ。
「あなた、は……?」
「あら、そういえば名前を名乗ってなかったわね。私はティターニア。ホットスプリングスのティターニアよ」
「ティター、ニア?」
その名前を聞いた瞬間、ユーキはどこかで聞いたことがある名前だと思ったが、少なくともここに来るまでに会ったことがある外国人にそのような名前の人物はいなかった。
「少し、私とお話しましょ?」
女性というには幼く、少女というには大人びた顔がにこりと微笑んだ。
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