妖精庭園Ⅷ
ケタケタと笑う声に混じり、はっきりとした意思のある声がサクラたちにも聞こえ始めていた。声が聞こえてくるのは、自分たちがやって来た方向だ。目を凝らすと薄い蜃気楼のようなものが微かに近付いてきている。
「空間が……歪んでる?」
「はっきりとは見えずとも、妖精のいる場所はそういう風に見えるんだ。追い付かれる前にどんどん進め」
いつの間に先頭から移動してきたのか。後ろの様子に興味津々なアイリスを抱え上げるとチャドは再び前へと戻っていく。
目を丸く開いてチャドの顔を下から見上げるアイリス。それを不快に思ったのか定かではないが、面倒そうにチャドが唸る。
「何だ? 私の顔に何かついてるか? そんな余裕があるならさっさと自分の足で歩いてくれ」
「……」
「くっ……だから子供なんかを連れてくるのは反対だったんだ。やはり一人で来れば……」
最後まで言葉が言い切られる前に、チャドの頭に土が降ってくる。どうやら、妖精たちは確実にチャドのいる場所を把握できているらしい。それが魔法を使った本人だからなのか、ただの偶然なのかはわからないが、確実にこのままだと追い付かれるだろう。
「チャド殿。このままではっ! 身体強化も使わないとなると体力にも限界があります」
「後少しだ。そうすれば私が何とかする。今は時間を稼ぐために前へ進むことだけを考えるんだ」
騎士の面々も表情を強張らせながら進んで行く。転んだ仲間を両側から引きずるように立たせ、時折振り返りながら、誰が殿をしているか確認する。
それに反するかのようにチャドはスピードを上げ、再び地面へと手を当てた。
「また、空から落ちてくる」
「うるさい。黙っていろ」
額から頬へと汗が伝い、顎の先から落ちて地面に染みを作る。そんな彼の手のひらに握られた物体に気付いたアイリスは口を閉じた。
「いい子だ。そのままで頼むぞ」
何度目になるかわからない土人形が地面から姿を現す中、ついに脱落者が出ようとしていた。
木の根に躓き、ヘッドスライディング気味にサクラが地面に伏せる。
「サクラさん!?」
「大丈夫ですか?」
近くにいたフランとメリッサが傍へと駆け寄る。足を挫いたのか、立ち上がろうとするも膝立ちになってしまう。
まだ後ろには護衛の騎士がいるが、素の体力的なことを考えると、すぐに追いつかれるのは明らかだ。後ろを振り返ったメリッサは、すぐそこまで近づいてきている蜃気楼の塊に目を細めるとスカートの中へと手を伸ばす。
「ま、まだ、行けます」
しかし、声を震わせながらも立ち上がったサクラを前に、その動きが止まった。伸ばし掛けた手をサクラの体に回し、少しでも足首の負担を減らそうと肩を貸す。
「すいません」
「気にしないでください。それよりも、今は前へ」
追い付いてきた騎士たちがついにサクラたちに背を向ける。横目でそれを確認したフランは心臓が跳ね上がった。ついに妖精たちに追いつかれたのだ。
「くっ、こうなったら仕方ないか……」
殿の騎士の中にはフェイも含まれていた。この中で空中に放り出されても無傷で済む可能性が高いのは風の魔法が得意なフェイくらいだろう。杖を使わずに身体強化のみで二階程度の建物ならば屋上に飛び乗れるほどの身軽さだ。唯一の心配は、この森の木々の高さがそれらを遥かに超えていることだろう。
経験したことのない高さから飛び降りる想像をして、フェイの血の気が下がった。
「――――大馬鹿者が。さっさと進めと言っているだろうに」
「このままでは誰かが犠牲になるんだ!」
チャドが前から大声を上げるが、フェイはそれに耳を貸さない。
初めてそこでマリーは、フェイが一番危険なところにいることに気付いた。
「フェイ! やめろ! 早く逃げるんだ!」
「メリッサさん。早く二人を連れて逃げてください」
妖精との距離は二十メートルを切っていた。ちょうど今はチャドが作った土人形に群がっている。
また、空中へと放り投げる気なのだろう。フェイは自分の背後から前に向かって風が吹き抜けていくのを強く感じた。
「あぁ、もう。どいつもこいつも勝手に動きやがって……! 少しは
風が止んだ直後、大きな音と共に土人形が吹き飛んだ。
それと同時に全員の視界が白く染まる。
「こ、これは―――」
それは誰の驚きの声だったのだろう。今となってはわからないが、その声が言い切られるよりも早く。自分たちの足の裏から、地面の感覚が消えたことを知覚できたのは間違いなかった。
白煙の立ち込めた妖精庭園の森に何人もの悲鳴が木霊した。
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