迷子Ⅱ
何かの物音を聞き違えたのだろうか、とユーキが薄目を開けて周りを確認するが、少なくとも周りの誰かが出した音ではない。何か音を出す物が馬車の中に存在するかと思ったが、暗くて判別できない。
魔眼を開こうかと思い悩んでいると、御者台側の窓枠からフェイが覗き込んでいた。その顔を横にゆっくり振って、何かを伝えようとしている。
――――僕から言えることは、魔眼を使わない方がいいってことかな。特に夜の間は、ね。
ふと、フェイがユーキに忠告した言葉が脳裏に過ぎった。
一抹の不安こそあったが、周りには大勢の騎士がいるし、フェイも起きて見張ってくれている。そもそも、フェイが忠告したということは、何かしら原因を知っているということだ。つまり、その対策もできていると考えていいだろう。
ユーキは静かに頷いて、眼を閉じることにした。瞼の裏に僅かに光の帯が舞って、聴覚や触覚が鋭敏になっていく。個人的に別の試練がユーキを襲ってくることになってしまう。端的に言うなら生殺し、という表現が適切だろう。聖人君子でも何でもない健全な男としては仕方のない反応だ。
結局、ユーキが寝入ったのは草木も眠る丑三つ時。騎士たちも何度か交代して眠っていたが、ユーキほど精神的に疲れていた者はほとんどいなかった。
そんな中でフェイはユーキが完全に眠るまで、目を閉じてこそいたが聴覚を研ぎ澄まして、周りを警戒していた。
警戒していたのはダンジョンから漏れ出てくる魔物でも、辺りをうろついている野獣でもない。
ただ誰の目にも止まることなく、近くまで接近し、何事かを囁く存在を探っていたのだ。
「……気付いてるかい?」
「(もちろんです。でも、これは反応するべきではないのかもしれませんね)」
「そうだね。だから耳障りだけど、ここは何とか無視して切り抜けよう。少なくとも、彼を持っていかれるのは癪だからね」
そう言ったフェイの顔は険しい表情に歪んでいた。
怒りというよりは苛立ち、嫌悪というよりは不愉快というように読み取れなくもなかった。まるで見えない蚊が周りを飛び回っているようなものだろう。
「どうした、フェイ? なんかあったか?」
「いえ、なんでもありません。ちょっと独り言を言いながら確認作業をしていただけなので」
「そうか。ま、朝出発したら上手く行けば夕方にはホットスプリングスに到着だ。アンディ隊長がちょっくらとばしてくれることを祈るのみだ」
先輩騎士は御者台の車輪に寄り掛かりながら空を見上げる。
「速度を上げるとなると恐らく前みたいな速度になりかねませんよ」
「まぁ、わかってるんだけどな。できればお嬢様方の為にも
心底嫌だ、という風に先輩騎士は頭を振った。
夜中の見張りということも有って、話したくなる気持ちがフェイには理解できたが、この状況ではまずいと思って、その先を言わせまいと口を挟んだ。
「いくら寝ている時間とはいえ、その話はやめましょう。万が一、起きていたら大変です」
「そうだな。俺が悪かった。今のは忘れてくれ」
そう言うと先輩騎士は反動をつけて、馬車から離れる。車輪が僅かに軋む音を立てるが、中にいる人を起こすほどではないだろう。
片手を上げて振りながら先輩騎士は最後にこう言って去っていく。
「ま、とりあえず、
その言葉にフェイは沈黙で返した。
「(やはり……
「……うん。被害は最小限で抑えられたけど、今回はユーキがいる。本当に良くも悪くも、ね。どっちに転ぶかわからない。だから、ビクトリア様もメリッサを同行させたんだろうし」
「(それなら、そんなところ通らなければいいのでは?)」
「それに越したことはないんだけどね。二人の意見を否定する権限は僕にはないんだ。それにホットスプリングスに寄らなくても、距離的にはほとんど変わらない。それなら、まだ野宿よりは随分とマシになるさ」
二人の聞く人のいない会話は、森の闇へと消えていった。
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